第27話 黄金色に揺れる
庚台高校の旧棟の4階にある音楽室。
僕は空調を入れたその部屋でぼんやりとしながら人を待っていた。旧棟の音楽室は殆ど吹奏楽部の物置きと化しているためなのか、部屋の中は少し埃っぽく、さらには机の上には古そうな管楽器や譜面が無造作に置かれており、他にも脱いだままの体操着や制汗剤の缶、飲みかけのペットボトルやハンドタオルなども転がっていた。
壁にはショパンやベートーヴェン、それにモーツァルトなどお決まりの音楽家の肖像画が貼られいた。だが何故かドボルザークのものだけ画鋲がひとつ外れており、その白い裏面が肖像画の口元を隠すように捲れ上がっている。
部屋をノックする音。そして開かれた扉。
そこには僕がメールで呼び付けた光月先生。
「村崎君、こんな所に教師を呼びつけるなんて何事? だいたい今日は臨時休校なのよ。それにあなたはどうやってここに入ったの? 今、学校がどのくらい大変か分かってるでしよ? 」
立て続けの質問。無茶苦茶な事をしているのだから、聞きたい事や、言いたい事が沢山あるのは当たり前だろう。だが、それは僕も同じだ。
「こんな所に呼び付けたのは、臨時休校している今日のこの場所なら、誰にも邪魔されず、先生とゆっくり話ができると思ったからです。この部屋の鍵が壊れているのはウチの学校の連中なら誰でも知っています」
臨時休校した学校などに人の立ち入りなどはまず無い。ましてや今はコロナ禍だ。そして完全防音の音楽室なら声が外に漏れる事もないだろう。ここならゆっくりと話す事が出来る。
「先生って、バイクに乗りますよね」
「唐突になに? 申し訳ないけど、私はこれから保護者会の準備をしなきゃならないの。そんな雑談なんてしている暇は・・・・・ 」
「
先生の言葉を切り、強い言葉でそう告げる。
「何が言いたいの? 」
「南井の愛機です」
「確かそんな名前だとニュースや警察の方も言ってはいたけど」
「いえ、先生は西野さんのお通夜の日、僕にそう言いました。アメリカでもマイナーなバイクメイカーである
男女を問わず、アメリカのバイクメーカーで浮かぶのはせいぜいハーレーダビッドソン。少し詳しい人でも出て来るのは老舗であるインディアン・モトサイクルくらいだ。
僕は続けた。
「それに先生のその手首だけの日焼けはバイク乗りの焼け方です」
喫茶店で気がついた日焼け跡。
腕時計愛用者に見られる手首の部分だけが日焼けを起こさない腕時計焼け。その逆にグローブとライダースーツの隙間である手首だけが日焼をしてしまう逆腕時計焼けはバイク乗りに見られる特徴だ。
「確かに私はオートバイには乗るけど、それの何が問題なの? 教師なんてやってるとオートバイに乗ってるだけで、結構他の先生方が煩いから隠していただけなのに」
「ヤマハドラッグスター 250はアメリカに留学経験のある先生らしいチョイスだと思います」
空冷4ストのVツインエンジンが搭載されているそのアメリカンバイクは無骨な重力感と流れるような曲線美と併せ持っているだけで無く、低い重心から来る安定性と長い車体特有の乗り心地の良さがあるバイクだと聞いた事がある。
「私のオートバイまで知っているのには驚いたけど、だから何なの? 話が全然見えないわ」
先生が自分の愛車を認めた発言を聞いた僕はスマホをタップし、今朝、貰ったばかりのボヤッターからの返信を先生に見せた。
───── 俺の車の後ろにはゴツいバイクがいたよ。後部の動画もあるから送るよ。
「この返信をくれた人は南井の事故の瞬間を後ろからドライブレコーダーで捉えていた人のものです・・・・・ 動画も見ますか? ヘルメット姿であっても見る人が見れば先生だと分かります」
「だからアナタは何が言いたいの? 」
初めて興奮している先生を見た。白い額に薄く浮かぶ血管と皺に僕は思わず視線を下へと逃す。
「先生が南井のバイクに細工をして、事故を起こさせた」
バイクはエンジンは元より電気系統や制動系関連も全て剥き出しだ。特にブレーキフルードなどは簡単な工具ひとつで抜く事が可能だし、ブレーキ本体もディスク部分にオイルを塗り付けでもしたら停止機能は完全に死んでしまう。
僕は続けた。
「僕以外にも投稿された動画を見て、アイツがブレーキを操作しているのにも関わらず、猛スピードで街路樹に突っ込んでいるのに気がついて、SNSでそれを呟いている人が何人かいる。このままいけば警察もスクラップ同然のバイクを調べ直すかも知れない」
「南井君は教え子なのよ! 私がなんでそんな事をしな・・・・・ 」
その言葉が終わるのを待たず、僕は歩み寄り、その肩を掴んで先生の身体を強引に壁へと押し付けた。
ドン、と言う音が防音の壁に吸い込まれ消えてゆく。
「な、何をするの! 」
驚く先生に返答はせず、僕は先生のワイシャツを掴むとボタンに手を掛けた。
「やめなさい! あなた自分が何をしているか分かってるの! 」
抵抗する先生の手の爪が何度か僕の眉間に掛かかっていたが、気にはしなかった。
上から三つ目のボタンをまで外した所で僕は手を離す。
先生の首筋には真新しい赤い傷跡。
強く唇を噛み締め為だろう、口の中に血の匂いが広がり、その赤が僕の頭の中を染めようとする。
先生は震えていた。
「軽蔑して下さい。僕はその傷と同じものを持った女の子を2人知っています。2人とも先生と同じように南井から脅迫を受けてました」
沈黙が流れた。
完全防音の音楽室のせいか、静寂が強すぎて自分の心臓の鼓動が喧しい程、頭蓋に響く。
「南井の事はまだ分かります。でも、何で西野さんまで殺したんですか? ふたりは恋人同士だったんんじゃないんですか! 」
堰を切ったようように出て来た言葉。常に見つめ、憧れていた相手だからこそ分かるその自分には決して向かない視線。そして諦めかけていた時に受けた星野さんからの告白と西野さんからのキス。
「あなた、そこまで知って・・・・・ 」
「先生が大学生の時に留学していたと教えてくれたオレゴン州のポートランドはマイノリティの人たちが多く、その人たちが暮らしやすい場所です。それにその時に話した『ライ麦畑でつかまえて』もアメリカでは今でも同性愛を助長すると言う理由で保守層が図書館から排除しようとすらしている本です」
所々で感じた予感。そして、西野さんの写真を見ての菜々海姉さんとバー『プリズム』のママさんの感想。
更には今日、菜々海姉さんに連絡をし、テレビに映る光月先生がどう見えるかを尋ねた時の返答。
――――― 愛にくだらない境界を持たない人
先生は何も返して来なかった。
「僕は先生の言いつけを守らず、西野さんのお通夜に参列した事をすごく後悔してます。言われた通り家で西野さんの冥福を静かに祈っていたら、先生が犯人と気づかずにすんだ! 」
僕は先生を疑ったきっかけとなる日に触れたうえ、更に続けた。
「あの日、先生は僕に西野さんが布状のもので首を絞められて殺されたと警察の人が言っていたと教えてくれた。でも、いくらネットで過去のログを漁ってもあの時点では、どう殺されたかなんて明らかにはなっていない。警察庁の記者クラブのホームページでも布状のものによる絞殺と発表されたのはあの日の深夜0時となっていた。そして、そんな大事な情報を警察の人がいち教師に漏らすとは思えない。それなのに先生はそれを知っていた! 」
興奮し、マスクを着けたまま早口に捲し立て続けたからだろう、僕は肩で息をしていた。
僕を見つめぬ、先生の視線。
「イヤな子。私はあなたと喫茶店で話した時にそう思ったわ。人を正面から見つめてしまう、純粋で、賢くて、脆く、そして危ういイヤな子だって」
乾いた棘のある声。だがそれはこの前、喫茶店で話をしてた時よりさらに僕の事を本心で語っているような気がした。
「あなたの言う通り、西野さん、いいえ、妙子と私は恋人同士だった。付き合い始めたのは今年の初めくらい。幸せだったわ、少なくともアイツが現れるまでは」
南井。僕が捉えきれていない3人の関係性。光月先生が2人を殺すに至った経緯。それを本人から聞かされるのがイヤだった僕は先生を見つめた。
「ここからは先生や西野さんの事を理解しきれていない僕の推測ですので不愉快な事を言うかもしれません。許さなくても良いので聞いて下さい」
人を理解しているなど身勝手な妄想だ。善悪を、美しい醜いを超えて人の想いは溢れてくる。僕は今回の一件でその断片に触れてしまった。だからこそ語るからには恨まれなければいけないし、許されようとは思わない。
「南井は自分のプログラムの腕と性欲、もっと言えば自己顕示欲を満たすため、芸能人御用達を
ただでさえアングラなパパ活。見たとしても殆どの人は苦笑いと共にスルーする。
「アイツはサイトを少しでも活性化させるため、登録女性を探し始めた。そこで目を付けたのが西野さんだった」
赤茶の髪にカラーコンタクト、派手めのメイクにかわいらしい色に染めたネイル。細身の身体に纏う着崩した制服。そして、それらから漂う10代特有の未成熟な淫靡さ。今どきを体現したような彼女は南井にとっては恰好の広告塔に見えたはずだ。
そして、もうひとりが中学時代の同級生でもあった泉岳寺女学院に通う坂家さん。泉女の名前でサイトに特別感を出すのと、自分が好意を寄せていた標葉さんを引き込むのが狙いだったのだろう。
偉そうな推測をしつつも、それら全てを感覚的に理解出来てしまう自分のいやらしさと
先生は伏せていた顔あげてくれた。その瞳には過去への怒りとも思える鈍いが明確な光。
「アイツは妙子を尾けていた。そして、恰好の脅しの材料を手に入れた。私と妙子がホテルに入って行く姿を様子を収めた写真を」
怒り、あるいは悲しみなのか震える先生に代わり僕は推測を語るため、その瞳を見つめ続ける。
「でも南井は西野さんには気がついたが、相手が先生である事には気づいていなかった。変装のおかげで」
おそらくスレンダーで女性にしては背の高い先生は短めのウィッグを着け、男性に変装していた。コロナ禍の今ならマスクを深く付けている事もあり不審さもない。
「ラブホテルの周りは意外なほど人通りがあるのには僕も驚きました」
ラブホテルの中で人とすれ違う事はまず無いが、フロントや廊下には防犯カメラが幾つも設置されている。そしてホテルの前はどのような関係かは分からないが男女がかなり行き交っている。それは昨日体験出来た。おそらく女性同士では否が応でも目を引いてしまうはず。
男と誤認させ、異質ではないと周りに受け入れて貰う為のフェイク。
「西野さんは周りがどう噂しようと気にするタイプではなかった。自分の気持ちを、自分の感性を大切にしている子だった」
僕にあっけらかんとパパ活をしている事を語り、笑える胆力。事実、僕はそれに不思議な魅力を感じていた。
「そんな彼女だから、通常なら南井の脅し程度、好きにすればいいくらいに返していたと思います。それでも今回は相手の要求を飲んだ。一緒に写っていた人物が先生と露見する事を恐れて・・・・・ 」
そこまで僕の話を黙って聞いてくれていた先生が小さくため息をするように笑う。
「村崎君は人間を神聖化過ぎよ。いや、あなたの場合は女を高潔に捉え過ぎていると言った方が正しいのかもしれないわね。村崎君、人間、いや、女ってね、もっと醜悪な生き物なのよ」
僕に言わせれば男の方が遥かに醜悪だ。狡く、いやらしく、勝手で傲慢。そんな中、脳裏にバー『プリズム』のママさんの言葉が過ぎり、その僕の考えすら間違いである事に気がつく。
「私が妙子を殺したのは嫉妬。ただそれだけよ。でも、私はそれくらいあの子のことを愛していた。冷めた物事の見方、スピード狂のくせにすぐに乗り物酔いを起こす所、少し低めの声、笑うと垂れ下がる切長の目、きめが細かく冷たい皮膚の感触、触れてくれる時の指先や唇の柔らかさ。私はそんなすべてが愛おしいかったし、すべてが私だけのものだった。妙子も同じ思いでいてくれている。そう思っていたわ」
僕が幾ら考えても分からなかった事。西野さんと南井を殺した経緯と動機。それを先生が語ろうしているのは、音楽室の白い防音壁の遥か向こうを見つめるその視線が教えてくれた。僕はただ黙って頷くしか無かった。
「脅された経緯は大体あなたの言う通り。そしてパパ活をするようになり、妙子は性に関して開放的になり始めた。もしかしたら、私には与えられなかった女としての悦びに目覚め始めていたのかもしれない。そして、同時に自分の中にある真のパーソナリティに気がついてしまった」
「パンセクシュアル」
僕はそう呟いた。
今朝、菜々海姉さんが教えてくれた売春リストの表記されていた西野さんが自ら書き込んだと思われる自分の特徴2つの内ひとつ『PAN』の意味。好きになることに相手の性のあり方が条件とならない人たち。
好きになってしまった女の子の事だからこそ調べ、理解したいと思った人の在り方のひとつ。
「向学心も強いのね。そんな事まで調べたなんて。教師失格の私が言うのもおかしいけど、担任として嬉しいわ」
ため息と共に笑う先生が小さく伸びをする。もう全て諦めてしまったようなその表情が胸の奥の方を抉ってくる。
「暫くすると妙子は私を抱いてもくれなくなったわ。そしてパパ活の事も『お金も稼げるし、気持ちイイし天職かも』って、笑う始末。それを聞いた時の私の気持ち分かる? だから、私はあのサイトから妙子を指名した。もう一度抱いてもらうために。でもホテルで私を見た妙子は笑うのよ。『なんだ千夜子か』って。そのうえ『本気で好きになりそうな相手が出来た』って相手に渡すつもりだって言うプレゼントを私に見せて、どう思うって相談してきたの。目を見て本気なのは分かったわ。悔しかった、悲しかった。そして、気がついた時には私は妙子をそのプレゼントで締め殺していた・・・・・ 」
見えないものが見えてくる快感は、全てを喪失する一歩手前の絶望に似ているとは誰の言葉だったろう。
僕はその事件の後、南井がどう動いたかを想像した。
当然、自分のサイトから死者が出た南井は慌てて、サイトから西野さんのデータを消そうと動いただろう。そしてその過程で見覚えのあるアドレスに気がついた。自分好み女性である光月先生のメールアドレスに。
「南井には西野さんの死に関係している事を疑われ、脅されていたんですね」
「そうよ。だから私はアイツをホテルに誘き寄せた」
南井を呼び出し、バイクに細工をする前までの経緯。
おそらくヤツは小躍りしてホテルにひとり乗り込み、部屋で先生を待っていたはずだ。ラブホテルの
先生の告白は続いた。
「でもね、思わぬ誤算が起きたわ。アイツはセックスで果てそうになった時、私の首をバスローブの紐で締めて来た。そして、その瞬間、私は失神してしまった。時間にすれば1分にも満たなかったとは思うわ。そしてを目を覚ますと、アイツは私のバッグを漁っていた。何が狙いだったかは分からない。でも、アイツは見つけてしまった。私が妙子を締め殺してしまった凶器である庚台高校のネクタイを」
犯行に使われてた庚台高校男女共通の制服のひとつ。ウェブ上のログなどよりある意味、決定的な殺人の証拠だ。
「アイツはそれを手に更に私を脅して来た。コレで妙子を絞め殺したんだろ、コレを警察に出されたくなければ、ひとり気に食わなくて罠に嵌めたいヤツがいるから自分を手伝えと。私は何度も頭を下げて、ネクタイを返して欲しいって、その人を罠に嵌めるのは辞めて欲しいって頼んだわ。でも、アイツはそんな私の頼みを嘲笑い、追いかけて来いとばかりに1人ホテルを逃げたした。そして、私はそれを追いかけた・・・・・ 後はあなたも知っての通りよ」
「何故、殺人の証拠であるネクタイを持ち続けていたんですか? 」
燃やして灰にする。細かく切り刻んで捨てる。幾らでも方法はあった筈だ。不思議がる僕に刺さる憐れむような先生の視線。
「南井が罠に嵌めようとした人物と妙子が本気に好きになり、プレゼントであるネクタイを渡そうとした相手は同じだった」
先生はそこで言葉を一旦切ると、悔しそうに唇を噛みしめていた。
「自分が本気で愛した相手の気持ちの宿った物を捨てる事なんて出来る訳無いじゃない! その想い人を罠に嵌める事も! だから私も幾ら脅されようとその相手を、自分が憎んですらいる妙子の心を奪った人物を庇ったのよ!」
頬に涙が伝い、それが音楽室の床に落ちてゆくのが目に留まる。落ちた音は完全防音の音楽室の壁に吸い込まれ、あたりに静寂を作ってゆく。
そして、それを静かに切り裂くようにゆっくりとマスクを外した光月先生が囁いた。
「村崎君、妙子が左手の薬指だけに特別なネイルアートをしていたの知ってる? 」
あの日、駅であった時、僕の前で眺めていた指先。僕は首を縦に振った。
「
駆け巡った思考、繋がってしまった数々の言葉と推測。そして蘇るあの日のシトラスの香りと唇の感触。
「ようやく分かったみたいね。妙子が恋し、ネクタイを贈ろうとした相手が…… 」
言葉が出なかった。
「軽蔑したでしょ? 私の事を。同性愛者で、しかも嫉妬深く、自分の生徒を2人も殺していたなんて」
軽蔑出来るのなら楽だった。
「私ね、あなたが私に好意を向けている事にも気がついていたわ。喫茶店に誘ったのも『ライ麦畑でつかまえて』の話をしたのも、妙子の心を取られた腹いせに、このままこの子を私に溺れさせて、破滅させてやろうかって思ったからなのよ」
先生になら僕のちっぽけな人生くらい破滅させてくれても恨みはしなかった。
「・・・・・ あなたの意訳通り、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンは不安に押し潰されそうな自分を誰かに強く抱きしめて欲しかった・・・・・ ただそれだけだったのよね」
自虐的に、そして力無く笑う先生に僕は昨日スクリーンショットで撮っておいた、庚台高校の裏サイトの掲示板のとあるコメントを見せる。
「この質問に返答したのは僕です。日付を見れば分かりますが、今年の初めくらいのモノです」
西野さんと駅で話した学校の裏サイトの話題。僕がただ一度だけ書き込んだコメント。
さっきの話しだと先生と西野さんが付き合い始めたのは今年の初め。内容的にもそしてハンドルネームから考えても間違いなく、質問の主は西野さんだろう。そしてその質問があったから、僕は世の中の普通を疑い、自分の当たり前を疑い、そして、先生と西野さんの関係にまで辿り着いた。
――――― 最低200万。飛行往復60万×2人で120万、モーテル一泊1万×30日で30万、その他の交通費、チップ、雑費、食費は50万もあれば何とかなる。
ほぼ適当に、そして気まぐれで書き込んだ僕の返答。そして、メディアが報道していた内容を信じるならば、その金額200万は西野さんがほぼ手をつけずにいた銀行の残高と同じ。
――――― アメリカのポートランドってトコに来年の夏ぐらいに下見がてら、1ヶ月くらい遊びに行きたいんだけど、女2人だとどのぐらいかかるかな?
それが、質問主からの問い合わせ内容。わざわざ名無しから書き換えてあるハンドルネームはT&C。おそらくは妙子と千夜子。
「西野さんは来年の夏休みに先生と一緒に行くつもりだったんだと思います。そして僕が手に入れたリストには西野さんが自ら書き込んだと思われる自分のもうひとつの特徴が書かれています。先生はよく知る西野さんだからこそリストの内容を見落としていたんだと思いますが、何事にも正直な彼女らしい書き込みだと僕は思います」
僕は例のリストを先生に手渡す。
リストに記載されていた文字Poly。正式な英語表記は『
僕は今朝、菜々海姉さんが教えてくれた言葉を告げる。
「ポリガミー。複数の人を同時に深く愛し、また複数の恋人と同時に深く付き合うことの出来る能力のある人を意味すると聞きました。浮気症や尻軽と取られがちですが、実際はその真逆で全力ですべての恋人を深く愛してしまう
僕はマスクを外し、正面から先生を見据えた。
「西野さんの先生に対する思いは本物だったと思います」
どうしても伝えたかった2つ言葉の内、ひとつだけを僕は言葉にする。
「本当にいやな子ね」
僕の頭を撫でるかのように触れる先生。そしてシトラスの香り。強く抱きしめようとした僕の肩を静かに押し返し、先生は困ったように笑っていた。
「村崎君、そろそろ戻るべき処へ帰りなさい。もう、話す事はないでしょ? 何より貴方までライ麦畑から落ちる必要はないわ」
僕はその言葉に何も返さず、唇を噛み締めて、ただひとつお辞儀をして音楽室を後にする。
誰も居ない廊下を歩き出すと、頭が再び痛み出した。顰めた顔で突き当たりある壁を眺めると窓から入る光のせいで、褪色しているはずの壁や床が滲み、風に吹かれたライ麦のように黄金色に揺れて見えた。
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