第28話 黍嵐

 高台を吹き抜ける秋の風が線香の匂いと共に黄色く染まった銀杏の葉を2枚連れて来た。空は白々しいほどに高く、そして雲ひとつない。今日は10月10日。西野さんの誕生日。


「来てると思ったわ」

 霊園に並ぶ2つの墓石に花を供え終わった僕に掛かる声。

「もう身体は大丈夫なの? 」

「平気だよ」

「良かったわ。本当に」

「大袈裟だよ」

「分からないわよ。人間の命がいつどうなるかなんて・・・・・ 」

 確かに分からない人間の命なんて。


 先生との話を終え、帰宅した僕は凄まじい悪寒と発熱に襲われた。はじめはここ数日の間に体験した出来事にショックを受けたのだと自己陶酔に浸ってきたのだが、何の事はない、抗原検査をしてみれば僕はコロナウィルスに感染していた。

 幸い濃厚接触者となる母さんと姉さんはワクチンを打っていた為なのか、それとも体質的なものかは分からないが、感染はするも発症はせず、家でひたすら代官山店の打ち合わせを行っていたらしい。

 ただ、僕は高熱がなかなか下がらず、5日間は意識も朦朧としていた。その間はひたすら自宅で水分補給と睡眠を繰り返し、症状が治まりベッドを抜け出せるようになるには発症してから6日程を必要とした。

 

 光月先生もあの日、コロナウィルスに感染――― そして、3日後に亡くなった。


「私、あんな言い方で別れたまま、好きな人が死んじゃったら死ぬほど泣いたと思う」

「僕もあんな言い方をしたままで死んだらあの世で後悔していたよ。ごめん」

 僕は制服のポケットからハンカチを取り出すと涙を流している星野さんに手渡す。すると後から咳払い。


「宣戦布告した以上、抜け駆けするなとは言いませんが、今のはあざと過ぎますよ。由依ちゃん」

 振り向くと、そこにいたのは仏花を優しく抱えた標葉さん。


「シルヴァも来てくれたんだ」

「少し思うところがありまして、せめてお花だけでもと・・・・・お邪魔でしたか? 」

「思いっきり邪魔。せっかく良い雰囲気だったのに」

「それは良かった。理さんのお母様にお墓の場所までお尋ねして来た甲斐があります」

 2人のやり取りを聞く限り、僕がコロナウィルスに掛かっている間にかなりややこしい事態になっているようだ。


「お墓の前なのに、はしゃぎ過ぎましたね。すいません。亡くなった西野さんと担任の先生のお墓、隣同士なんですね。偶然にしては出来過ぎとも取れますが、運命とはそんなものかも知れませんね」

 西野さんの墓碑には祖父母と思われる故人の戒名が、光月先生の墓碑にはご両親と思われる故人の戒名が刻まれている。つまりはこのお墓は昔から隣あっていた事になる。もしかしたら、2人はここで出会ったのかも知れない。


「妙子も光月先生チャコちゃんも事件が解決して喜んでるよね」

「私もそう思います」

 自身が待って来た花を供え始めたふたりの会話を聞きながら、僕は布巾でふたつの墓石を拭いていた。

 警察は南井の事故を本人の整備不良によるものと、そして西野さんの死を売春サイトの秘密を警察に通報しようとした口封じのために南井が行った犯行と結論づけている。

 だが、ネットではそのあまりにも早い解決が憶測を生み、様々なデマや噂が書き込まれていた。その中にはかなり核心をついたものもあったが、それらもすぐに新たに生まれた噂と憶測の渦に呑み込まれ、その存在さえも朧になりつつある。

 そんなネットの一部で囁かれていた通り、警察はおそらく真実には辿り着いているはず。そして敢えて真相を伏せている。何故かは推し量る事も出来る。だが、僕は誰にも何も語るつもりは無い。今も、そして、これから先も。


「こんな物でどうでしょう」

「バッチリだよ」

 ふたつのお墓に花を備え終わったふたりも断片的に事件に関わってしまっているため、僕が何かを知っており、何かを隠しているのには気がついているだろう。


「村崎が待って来ていた花、すっごくキレイよね」

「シオンですね。仏花としてはポピュラーな花ですが、少しヤケますね」

「何故? 」

「シオンは漢字だとむらさきそのと書くんです。字面的に、そして理さんが送ったと考えると『むらさきに包まれる君を抱きしめたい』、今風に言えば『俺色に染まれ』ってトコですかね。しかも、トドメに花言葉は『キミを忘れない』ですから」

「うわぁ、キザ過ぎぃ。だけど村崎が自分から好きになった人たちに贈るにはピッタリな花だよ」

「その通りですね」

 かなり感傷的になっていた僕を驚かせる一連のやり取りに目が点となった。同時にライ麦畑で捕まえての一節を思い出す。


「あーっ、その目は私たちが村崎の気持ちに気がついていないと思ってたでしょ? 」

「お墓を見つめる目でバレバレですよ。しかも、お花が喜んで貰えたかとかも考えてそうですね」

「村崎は引きずるタイプだからなぁ、シルヴァはどう思う? 」

「一生引きずるタイプですね。でも、そこが理さんのカッコ良さでもありますから、惚れた弱みで一緒に背負ってあげます。そして、いずれは必ず私を追いかけさせてみせます」

「それは私の役目だよ。シルヴァ」

 ふたりは笑ってくれていた。僕は10月の風に揺れる紫苑の花を再度見つめる。


「ありがとう」

 

 僕はそう告げると線香に火を点け、それぞれの墓前に供えたうえ手を合わせた。


「好きだよ」


 僕は2つの墓前に、そして横で同じように手を合わせている2人に告白するようにそう告げた。

 マスク越しに苦みはあるが不快感を感じさせない香りが揺れる白い煙と共に僕の顔を掠めて空へと消えてゆく。 


「そろそろ行こうか」 

 静寂にも流されず、沈黙も作らず、間も生まぬまま、ゆっくり立ち上がると僕はふたりにそう声を掛けた。


「そう言えば村崎、それ制服だよね。今日、日曜日なのに。おまけにネクタイまで締めてるし」

「何となく着てみただけだよ・・・・・それと、 もう、ネクタイを着ける事は無いよ」

「ネクタイ姿の理さんも素敵ですから、見れなくなるのは少し残念です」

「シルヴァ、何よさっきから『理さん』って!」

「いけませんか?」

「いけなくはないけどさ、なんかズルくない? 」

 道すがらの会話。少し前を歩き始めたふたりは秋の西陽を前にしているせいか僕には眩しく見える。


「村崎・・・・・ じゃなくて、お、理、コロナが5類になるってニュース聞いた? 世の中、今より楽しくなりそうだね! 」

「そう来ましたか、上等です。マスクもしなくて良いようですし。少しづつ世の中が明るい方へと進んでゆくかも知れませんね。理さん」

「そうなると良いな」

 僕がそう返し、10月の空を見上げると涙が一雫だけ溢れてしまい、それがマスクを伝わり頬を撫でるように地面へと落ちてゆく。


 風が一陣、吹き抜けた ─── 


「秋風って、イヤよね。結構目に沁みるから」

「この時期の風は黍嵐きびあらしと呼ばれるくらい強い風のうえ、乾燥した空気や砂埃とかも運びますから、目に沁みるのは仕方がないですよ」

 2人の会話。

 

「お茶でも飲みに行こうか。ご馳走するよ」

 頭を掻きつつ、僕はそう告げると少し濡れてしまったマスクを外して、ポケットの奥へと押し込んだ。


 完






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マスク 松乃木ふくろう @IBN5100

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