第7話 葬儀場

 蒲田ファミリー葬儀場の位置はスマホによるとJR蒲田駅から北側へ徒歩15分程の所にあるらしい。電車で行く事も考えたが、京急蒲田駅とJR蒲田駅の微妙過ぎる長さを歩くのが面倒なのと、何より電車でクラスメートの誰かに出くわし、行動を共にするのが嫌だったので僕はガレージからGSR250を引っ張りだした。

 喪服など持ち合わせていない事もあり、少し迷ったが制服に黒のウィンドブレーカーを羽織りキーを回しバイクを走り出させる。

 ヘルメット越しに流れてくる風の音と産廃まみれの磯の香り。同級生の通夜に向かっている最中さなかだと言うのに、その京浜工業地帯独特の音と匂いは何の感傷も呼び起こしてはくれず、ただ後ろへと流れゆくだけ。

 薄暮はくぼ間際の為か、対向車線を走る車の殆どがライトを点けており、それが渋滞し始めた鎌倉街道を照らしていた。

 環状2号線を越えたあたりから始まる上り線の緩やか渋滞。イラついたドライバーたちがアクセルとブレーキを頻繁に踏み換えるためだろう、テールランプの赤が自己主張の強い点滅を繰り返していて、それがやけに鼻についた。僕はその赤の点滅の避けるようにバイクを加速させてゆく。


「別のルートもあったんだよな」


 マスクの下でそう呟きつつ僕は鼻を一度だけ啜ると、少し滲んで見える車のテールランプの渦の中、バイクを更に加速させた。


 ⇨⇨⇨


 国道15線に入り、東京方面へと上り始めた所までの記憶はあるのだが、そこから先の事はあまり覚えていない。朧げに記憶にあるのは途中で見覚えのあるヘルメットを被ったヤツが乗るアメリカカンバイクとすれ違った事くらい。そして思考がまともに働き出した頃には、僕は蒲田ファミリー葬儀場の駐車場にバイクを駐めており、その僕の目の前には何故だかC組の星野さんが立っていた。


 駐車場の灯りに照らされる星野さんは制服の上にファスナーが半分開いた状態の黒いパーカーを羽織り仁王立ちの状態。左手は腰、もう片方の手ではオレンジ色をしたヘルメットを肩に担ぐように持っている。


「こんばんは」

「何しに来たの? 」

 僕の挨拶に対する星野さんの第一声は妙にドスが利いていた。それに明らかに怒気混じり。

「…… 」

 ここに来ている以上、目的は明白でそれは星野さんも同じだろう。


「不良なのね。校則違反のそんな大きなバイク乗ってこんな所に来たなんて、髪の色も銀色だし」

 確かに校則違反と言えるかも知れないが、それは今日の通夜への参加や髪の色であって、バイクの所持や運転についてはそれに該当しないはず。ウチの校則ではバイクの諸々もろもろはかなりグレーで推奨出来ないとされているだけだ。そもそも星野さんもジェットヘルを肩に担いでココいるのだから説得力がない。その堂に入った持ち方とさっきの言葉から推測するに彼女もおそらくはバイクに乗ってココに来ているはずなのだ。髪の色に関しては僕の場合は完全に母さんの趣味だし、そもそも星野さんだって、オレンジに近い亜麻色だ。


 相手にするには時と場所が悪いと感じた僕は星野さんを無視して駐車場から葬儀場へと向かってゆく。


「ちょっと、待ちなさいよ! 」

 呼び止められるだけでなく、肩まで掴まれた。流石に無視を続ける訳にもいかなくてなり、僕は立ち止まり後ろを振り返る。


 近くで、そして葬儀場から溢れてくる灯りのおかげ分かったのだが、星野さんの顔はかなりスゴイ事になっていた。

 ヘルメットを被っていたのだから、亜麻色の長い髪の何本かがアホ毛の様に上に跳ねているのは、まぁ仕方がない。しかし、前髪を溜めていたと思われるヘアピンまでもがそれに付随させているのは前衛的過ぎだ。さらにはマスクの上にあるアーモンド型をしている目を覆っていただろうアイラインは崩れてしまっていて、殴られた痣のよう。眉毛に至っては描いていた部分が完全に消えてしまったためか。出来損ないの綿菓子のようにしか見えない。


 なんとなく暑さを感じはじめた僕は空を眺めるように視線を逃がし、閉めたままだったウィンドブレーカーのファスナーを解いてゆく。


「こんな時まで、ネクタイしてないんて信じられない」

 星野さんが葬儀に参列する上でのマナーを語っているのは理解出来るが、泣きすぎてメイクが完全崩壊したまま参加するのもどうかとは思う。いや、人間としてはむしろ正直だから、マナーとしては合格か。ネクタイと常識については僕がどこかに置き忘れているだけなので勘弁してもらうしかない。


「どこにしまったか忘れたんだよ。探すのも面倒くさいし」

「ホント、デリカシーの無い男」

「デリカシーが無いのはある程度自覚してるよ。それより鏡持ってる? 」

「男のくせに鏡で顔のチェックとか。良かったわ、こんな身長と顔だけのデリカシーが無くてナルシストの男と付き合わなくて」

 一応、告白した事は覚えいてくれてるらしいが、かなり酷い言い草だ。僕は仕返し代わりに自分のスマホのアプリからミラーをタップして星野さんの顔の手前で掲げて見せた。


「なによ⁉︎ 今更アンタの連絡先なんて欲しくなんて・・・・・・鏡? 何これ! えっ、こんな顔で私、蒲田駅から歩いて来ちゃたの? 」

「原チャリでココまできたんじゃないのか? 」

「私の原チャリ、オレンジ色してて派手だからには失礼でしょ。だから蒲田駅の裏にあるパチンコ屋さんの駐車場に置いて来たのよ・・・・・・ なに、この眉、麻呂みたい」

 何が失礼で何が失礼でないのかは常識とやらを何処かに置き忘れた僕には分からない。が、しかし取り敢えず星野さんは、そんな事より眉毛が大切らしく、背負っていたリュックを駐車場のアスファルトの上にドサリと放り出すと、その中からガサガサと小さな巾着きんちゃくだの、ポーチだの髪を留めるバレッタなどを次々と取り出しはじめた。


「今日が妙子のお通夜だって、何処で知ったの? スマホのミラーもうちょい上に傾けて」

「水曜日は友引だから、逆算してゆけば木曜日がお通夜で金曜日がお葬式になるからね。あとは大田区近辺の葬儀場のホームページを漁って電話しただけだよ」

 僕が角度を調整したスマホを俗に言うウンコ座りの状態で覗き込みながら、顔を右に傾けたり、左に傾けたりと忙しそうにメイクの惨状を確認してゆく星野さん。


「とりま、髪と眉だけは何とかしないと。私はママから聞いたんだ。ウチのママ、蓮沼駅前のドラッグストアでレジ打ちのパートしてるから、いろんな情報入ってくるんだ。ねぇ、このアプリ、もう少し明るく出来ない? 」

「やり方が分からない」

 何処からが独り言で、何処からがこちらに対する問いかけなのかが全く分からない言葉を続けた星野さんは、僕の手から勝手にスマホを取り上げるとサクサクとフリック操作をはじめた。


「設定、明るさと、ついでにバランス調整もして。よし! これで持ってて」

 返されたスマホを持つのも馬鹿らしい気がしたが、僕は軽く腰を屈めてスマホの角度を星野さんが見やすいように調整し、彼女のメイクが終わるのを待つ事にした。


 そんな僕の前を風が流れてゆく。


 ふと、見上げた駐車場の電灯には、もう少しで10月だというのに、羽虫が一羽飛んでいた。チリチリとごく僅かな音が聞こえるのは電灯が切れかかっている為の音なのか、羽虫の羽ばたきが起こす音なのかは分からない。そして、場違いな会話をしていた僕らに、今ここにいる意味を無理矢理思い起こさせようとでもしているのか、夜の帳と線香の香りはどんどん濃くなって来る。


 僕は空を見上げた。シリウスすら見えない曇り空を。どのくらい空を眺めていたかは分からない。遠くからはお経の声。僕は目の前にいるしゃがんだまま動きを止めてしまった女の子に視線を戻す。


「行こうか」

 誰にとも言う訳でなく、そう声を掛けた。あごだけをコクンと縦に振る星野さん。静かにそしてゆっくりと僕の隣りを歩き出した彼女の肩は小さく、そして薄く震えていた。再び見つめた街頭に羽虫はいなくなっている。たぶん、どこか仲間のいる方へと飛んで行ってしまったのだろう。

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