第8話 写真

『西野家』と控えめに掲げられた看板のある葬儀場の前に人の姿はなかった。閉ざれた入口の向う側から僅かな灯りと線香の匂いが漏れてくるのだから、通夜が行われているのは確実だ。


「中にはいそうも無いわね」

 隣でポソリと呟く星野さん。おそらく『中に』の前には『学校の連中』の主語が付くのだろう。

「あっ、向う側にたむろしてそう! 」

 そう言いながら裏手へと歩き出した星野さんの後に僕は続いてゆく、20メートルにも満たない建物の正面から右側面へ、そして誰も居なかった右側面から裏側へと星野さんは関係者以外立ち入り禁止の看板さえも乗り越えて、どんどん奥へと進んでゆく。


「さすがにココ入るのマズいんじゃない? 」

「そんな髪の色しているクセに常識論語らないでよ! 」

 清掃用なのだろう、ほうきやバケツ、ホースなどが置かれた土が剥き出しの建物裏側には当然、人影など無い。その代わりと言う訳でないだろうが彼女の歩むスピードはどんどん速くなってゆく。そんな彼女の歩みが左側面へと向かう角を曲がった瞬間、ピタリと止まった。


 葬儀場の建物の正面入口から反時計回りにぐるりと回って出た左側側面。そこは南側と言うこともあってか、かなり見通しがよい。

 僕でもパッと見ただけで人の姿が無いことは分かった。先を歩いていた星野さんは換気と明かり取りの為に設けられだだろう小窓の前で凍りついたように動かなくなっている。


「星野さん、中を覗くのは・・・・・・ 」

 彼女への注意と言うより、通夜を行なっている中が見える好奇心から僕は星野さんの少し後側に並んだ。


 寒暖の差で曇りガラスのように薄く濁った窓の向う側に見えたもの。

 それは並べられた20脚程の椅子の一番前に座る喪服姿の中年の男女と小さな祭壇。そして、その上に置かれた中学時代と思われる西野さんの写真。

 西野さんの両親なのだろう、前を見つめたまま力無く呆然と腰掛けているその姿。泣いているでも、落ち込んでいるでも、憤っているとかでもないその姿。感想や意見など特にはなかったが。僕はこの窓を好奇心半分で覗いた事を後悔だけは確実にしていた。


「ここで手を合わせましょ」

 星野さんの小さな呟き。窓の前で手を合わせる星野さんにならい、僕は手を合わせようと思ったが、何に対しどう祈れば良いかが浮かばない。

 僕はただ祭壇に飾られいる中学生時代の西野さんの写真を見つめ続けていた。


「西野さん、そんな顔してたんだね」

 僕は隣にいる星野さんにさえ聞こえないような小さな声でそっと呟いた。


 ⇨⇨⇨


 星野さんと僕が葬儀場の正面に戻ると、そこには喪服姿の人間が4人もいた。全員の顔に見覚えがある。星野さんも少なくとも2人には見覚えがあるはずだ。


「その髪の色はF組の村崎! それにC組の星野だな。おまえら、こんな所で何をしている! 」

 体育教師からなのか、それとも野球部の顧問だからなのか岡本先生の声はいつもと同じように大きかった。腕を組み、コチラを睨んで凄むその教師の横には僕の担任である光月先生の姿。


「おまえら、こんな所でなにをしていると聞いているんだ! 」

「・・・・・・ うざっ」

 岡本先生の再びの問いかけに痰を吐くように応える星野さん。ワザと聞こえるように答えたのは機嫌が悪いからだろう。


「ただのツーリングデートですよ」

 僕の言葉に顔を赤くする程、怒りを露わにしている岡本先生。マスクの下にある口は歯を剥き出しいるとは思うが、それでもいつものようにパワハラまがいの罵声が飛んで来なかったのは隣に美人の光月先生がいるからだ。


「ツーリングデートなんて、ふざけた言い訳が通ると思っているのか」

「事実ですよ。先生だって、仕事にかこつけて光月先生とデートしてるじゃないですか。じゃあ、僕らは帰るんで」

 これ以上、会話もしたくなかったし、ここにいる意味も見出せなかった僕は星野さんに目線で駐車場の方を指し歩きだす。


「岡本、ホントうざい。アイツ、光月先生千夜子ちゃんに気があるからってカッコつけちゃって」

「まぁ、恋愛は誰にでもする権利あるからね。岡本先生、女子から人気あるし」

「あんなゴツゴツした筋肉だるまのどこが良いのよ」

 大学時代、野球でそこそこの所まで行ったとの噂のある岡本先生の身長は182センチある僕よりも高いうえ、身体にも厚みがある。その如何にもスポーツマンという体型も手伝ってか女子生徒の一部には人気がある。が、どうやら星野さんの好みではないらしい。

「しかし、村崎って結構言うねぇ。『先生も仕事に託けてデートしてるじゃないですか』って言った時の岡本の顔、マジ笑えた」

「腹がたったんだよ」

 そう。ただイラついた。あの立ち位置に。


「それより、先生たちの後ろにいたスーツの人たち知ってる? 学校関係者じゃないと思うけど、妙子の知り合いかな? 」

「警察の人たちだよ。神奈川県警。日焼けしているオッサンが高山さんでヒョロっとした若い方が清水さんだったかな? 」

 僕はこの前、家の前で見せられた警察手帳に書かれていた名前を思いだしつつ、そう答えた。


「なんでそんな事知ってのよ」

「僕は不良だからね。警察にも知り合いが多いんだ」

「ウソね。アンタ、学校の成績だって何でウチみたい馬鹿高校にいるんだろってくらい頭良いし、髪の色は染めてはいるけど、基本真面目でしょ? ホントの事教えなさいよ」

 意外と言っていいのか星野さんは良く人を見ている。まぁ、告白するくらいには僕の事を気にかけてくれてたのだから、そのくらいは知っていて当然なのかもしれない。


「高校は日海大附属の受験に失敗して他に行く所がなかっただけだよ。でも、どの道頭はその程度のもんだし、そもそもさっき、僕の事を不良って呼んだのは星野さんだろ?」

「高校受験失敗したのっ? って、そうじゃなくて、不良って言ったのは、言葉のあやってヤツよ。そのくらい分かるでしょ! ホントに性格悪いわね」

「性格が悪いのは否定しないよ。実はこの前、あの刑事さんたち2人に道端で簡単な事情聴取を受けたんだ」

「事情聴取って、アンタ今回の事件について何かを知ってるの? 」

 どうやら星野さんは事情聴取という言葉を誤解しているらしい。まぁ、犯人扱いにされなかっただけマシだ。


 少し前にバイクを止めた駐車場で僕は立ち止まり口を開く。


「事件については何も知らないよ。ただ、西野さんと同じクラスだから、交友関係を知っていると思って僕の所に来たみたいだ。たぶん、星野さんの所にも近いうち来ると思う。今日、顔見られたし」

 僕を見上げ、驚いた表情を見せる星野さん。だけど、その顔はすぐに曇り、肩を震わせはじめた。

 鼻を啜り出す星野さん。再び泣き出したのは警察が来る事を僕から聞いて怖くなったからではないだろう。


「・・・・・・ 両親とスケベ根性丸出しの先生だけなんて・・・・・・ ひどすぎよ・・・・・・なんで誰も来ないの・・・・・・ 」

「光月先生は来てくれていた」

「担任だから当たり前じゃない」

 刑事2人の事も加えようと思ったがそんなことをしたらたぶん、僕は殴られるくらいじゃ済まないだろう。


「夜だし」

「今の時間なら小学生だってまだ起きてるわ」

「金曜日だし」

「明日が休みなんだから余計に来やすいわ」

「テストが近いから勉強しているのかも」

「ウチの連中が2週間も前から、テスト勉強する訳ないでしょ」

 別に学校の連中の肩を持つ謂れも義理も無いが、僕には3つくらいしか言い訳が見つからなかった。ただ、学校の連中をいくら問い詰めてみたとしても意味がないし、最終的には『コロナが・・・・・・ 』の万能性前には無力だ。


 肩を震わしコチラには見えない角度で目元をこすり続ける星野さん。僕はウインドブレーカーのポケットを漁り、中からツーリング用のサングラスを取り出す。


「また目がパンダになってると思う」

「何よパンダって失礼ね。だいたい何よこのダサいサングラス」

 ながら、しかも文句も忘れずに僕からサングラスを受け取り目元を隠すように掛けた星野さん。一言余計とはこの子の事だろう。


「学校の連中が来なかったのは、言っても意味ないよ」

「分かってるわよ、そのくらい。でも、妙子が死んで悲しいって思っている人が私たちだけみたいで、それがスゴク嫌なの」

 先日、クラスで西野さんが亡くなったと報告された時、クラス委員長は葬儀に参加させて欲しいと主張していたし、泣き出したり、ハンカチを取り出している女の子もいた。むろん、通夜に参加していないから悲しく無いとは言えないが、あの時の涙は何だったんだろうくらいには僕でも思う。


「西野さんも星野さんがここまで泣いてくれたんなら嬉しいんじゃないかな? 」

「嬉しいってなによ! そもそも、私、泣いてなんていないし。みんなが来ない事に怒ってるんだし!」

 今更、泣いてないは無いだろと思いつつも、怒っていると泣いているの感情の違いは何だろうと考えさせられる。そんな中、駐車場のアスファルトを噛む音がひとつ。そして女性の声。


「村崎君、星野さん、ちょっと待って! 」

 そう僕らを呼び止めたのは光月先生だった。



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