第9話 オートバイ

 アメリカだかイギリスだかは忘れてしまったが、結構有名な大学の教授の実験で街を歩く人に『wait awhile!ちょっと待って!』と声を掛けるものをネットの動画で見た事がある。結果は男性の6割が止まり、4割は無視。女性の場合は7割以上が無視をし、立ち止まった人は殆どいなかった。何でも男性が立ち止まるのは、生物としての攻撃性の現れだそうで、逆に女性が立ち止まらないのは、生物として警戒心が強いからとの事だ。このドッキリカメラにも似た実験結果には大した意味は無いとは思うが、僕は『待って』の声になぜだか立ち止まってしまった。隣を歩いていた星野さんが立ち止まったのは僕に合わせてくれたからだと思う。その証拠に彼女が立ち止まったのは僕の足が止まってから2秒程経過してからだった。


光月先生千夜子ちゃん、なに? 」

「何って、あなたたち学校のHRで言われたでしょ? 」

「私、馬鹿で物覚えが悪いから庚台高校チャラ高行ってんだけど」

 努力せず、楽ばかりを考えているチャラチャラした連中が集まる事からついたウチの高校の蔑称。それを先生たちは毛嫌いしている。そんな事くらい星野さんも知っているはず。


「自分たちの学校を卑下なんてしちゃダメよ。あなたたちには、まだ無限の可能性がある。努力次第で・・・・・・ 」

「ハッ、努力とかマジ、ウケるんですけど、光月先生千夜子ちゃんみたく、顔もスタイルも抜群で、オマケに英語の先生になれる程、頭も良ければ人生ぬるゲーでしょうけど」

 どういう訳か星野さんは激烈に怒っている。今まで会話のやり取りや、葬儀場の中に入らず窓の前で手を合わせるなどの配慮ある行動で見た目の派手さとは異なり、優しさと理知を持ち合わせた女の子である事を知ったばかりだけに僕は戸惑ってしまった。


「葬儀場の前で手を合わせさせて貰っただけなので、家族の方にも迷惑は掛けていませんし、クラスターを誘発する事もないと思います」

「なにアンタ言い訳してんのよ。マジ有り得ない! 」

 僕のフォローはお気に召さなかったのか、星野さんは貸したサングラスをシャっと外し、パンダ目で睨みを利かせてきた。


「星野さん、西野さんと同じ小学校だったんですってね。『お通夜に出たいから、葬儀がどこでやるかを教えて欲しい』って何度も職員室に聞きに来たってさっき、岡本先生が教えてくれたわ」

「あいつ、ペラペラべしゃべって、プライバシーなんだと思ってんのよっ!」

 煽られまくったにも関わらず、理性的に、そして上からでも無く先生がいさめたからだろう、星野さんは言葉は乱暴だったが身体は先生のほうに向いていた。一方、所在ない僕は先生を見る訳にもいかず、かと言って星野さんを見る事も出来ず、意味も無く肩を2、3回していた。身体が強張っていたのか肩甲骨あたりポキリとなったのが妙に恥ずかしい。


「・・・・・・ 教師として、こんな事を言ってはいけないんだろうけど、西野さん、本当の意味で悲しんで、そして心から手を合わせてくれるあなたたちが来てくれて喜んでくれてるわ」

「妙子はもっとたくさんの人に来て欲しかったわよ。先生なんかに何が分かるのよ」

 言葉は荒かったが星野さんの反撃のトーンは殆ど泣き声。そして、その言葉を聴いていた光月先生は悲しそうに笑っていた。


「そうね。私は何も分かっていなかったわ。彼女が何を考え、何を思っていたなんて」

 夜。空には星は無い。葬儀場の駐車場はただ静かで、辺りには制服に染み付きそうな線香の匂いが漂っていた。


「本当になんで・・・・・・ 」

 先生は視線を僅かだけ上げて空を見つめていた。僅かにしか見えない月の光を求めるかのように。目から涙がこぼれ落ちている訳でも声をあげている訳でもなかったが、僕にはその姿は光月先生泣いているように見えた。


「先生が悪い訳ではないと思います。悪いのは西野さんを殺した奴です」

 女の人にフォローにもならない余計な事を言ってしまうのは、たぶん父さんからの遺伝。


「村崎君、その事をどこで聞いたの? 」

「水曜日にさっきいた刑事さんが僕の所に来たので、その時に・・・・・・ 」

 殺人だと聞いた訳ではないが、ネットなどで流れる情報や神奈川県警・刑事課が扱うとなれば誰にだって想像はつく。


「・・・・・そう、あの刑事さんたちが、村崎君の所に・・・・・・ 刑事さんたちの話だと状況から変質者の犯行の可能性が高いそうよ。西野さんの首に布状の跡が残っていたみたいで・・・・・・ 」

 絞殺。僕は思わず唾を飲み込む。その音でも聞こえたのか、光月先生は表情を教師のそれに戻して僕らに対し言葉を続けた。


「とにかく、今日の事は不問にするから、あなたたちは早く帰りなさい」

「はい」

 僕は素直に返事をしたが、星野さんは返事もせず、ヘルメットを被り自分のスクーターがある所まで送れとばかりに僕のバイクが停まっている場所に向かい歩き出していた。


「じゃあ、僕らはこれで」

「あのオートバイ、あなたの? 」

 歩き出そうとした僕を呼び止める声。

「はい。僕のです」

「さっき来た南井君にも注意したんだけど、気をつけて運転するのよ」

 場繋ぎの会話程度のつもりでいた僕の脳裏にここまで来る途中、すれ違ったアメリカンバイクとそれに乗るゴーストスカルヘルメットの男を思い出す。


「南井ってA組の南井も来たんですか? 」

「ええ、あなたたちよりかなり前に来たんだけど、エンジンを空吹かししているのを岡本先生に叱られて、それですぐに帰ってしまったの。意外よね、あれだけ静かな子がCCWクリーブランドのバイクに乗ってるなんて」

「バイクには乗る人間の本質が出ますから」

 僕はそう残しひとつお辞儀をすると、オレンジ色に白い星がマスキングされているヘルメットを被ったまま、腕を組んで明らかに苛立っている星野さんの元へ向かった。


「なに怒ってんだよ」

「別に怒ってなんかいないわ。ただイライラしているだけよ」

 気分を害した事をアピールしつつ、自分が理性的である事を女の人から主張された時、経験上、僕は何も言わずに頷いて話を逸す事に決めている。


「原チャリが停めてあるパチンコ屋って、京急の方? 」

「JR。郵便局のトコにある信号を入って右側にある『無限』っていうパチンコ屋さん」

「了解。無限だな。星野さんはバイクの2人乗り2ケツ経験ある? 」

「無いわよ。でも、こんなのステップに足乗せて後ろに座ってれば良いだけでしょ! 簡単よ。アンタこそ経験あるの? 」

 僕が跨ったバイクの後ろでモゴモゴと蠢く星野さん。正直こそばゆい。

「あるよ」

「やっぱ、アンタって見た目以上のね」

 寝坊をして仕事に遅れそうになった姉さんを駅まで送る事を女ったらしと呼ぶとは知らなかった。


「しっかりと捕まってて」

「分かってるわよ」

 その言葉と共に想像以上の力で腰に廻してきた星野さんの腕の感触と見た目そのままボリュームのある胸の感触を出来るだけ意識しないように僕はアクセルを開けて走り出す。

 サイドミラーから見えた後ろには見送る光月先生の姿。僕は何故か少し恥ずかしくなり、自分と星野さんの姿をその場から消すように一気にバイクを加速させた。




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