第10話 唇
「ありがと」
パチンコ屋さんの駐車場に着いても、まだ星野さんの機嫌は少し悪いらしく、お礼は言っているものの視線は合わせてもくれない。
「遅いし、家まで送るよ」
ヘルメットのバイザーを上げ、当たり前過ぎるセリフが口に出てしまった理由は僕にも解らない。
「いいわよ。子供じゃあるまいし」
相変わらずのぶっきらぼうな物言い。一瞬だけ声のトーンが上がったように感じたのは、たぶん気のせいだろう。
「結局、アンタも他の男と同じよね。美人にはデレデレして」
ヘルメットを取り、長い髪をかき上げたうえで星野さんは僕を睨んでいる。怒っているのは分かるがこちらにはまるで覚えがない。殆どと言うか、完全な言い掛かりだ。
「私の方が落ち込んでるのに、
ますます意味が分からなくなった僕の横をパチンコ帰りの2人組のサラリーマンが『おっ! 痴話ケンカかぁ』とばかりに口笛を吹いて通り過ぎてゆく。バツが悪くなったのか星野さんはサラリーマンたちにガンを飛ばしていた。
「・・・・・・ ゴメン。これじゃあ、完全な八つ当たりだよね。私、親から怒られてたり、フラれたり、弟とケンカしたり、妙子が死んじゃったりって、色々あり過ぎてイライラしちゃって・・・・・・ 」
自分が悪いと思ったら素直に謝れる人間は実は極僅かしかいないと母さんが言っていた気がする。それが正確なら星野さんは人に煩い母さんとは気が合うかもしれない。それにイライラを引き起こした色々な出来事の中に僕が起因するものも含まれているなら、まぁ、因果応報と言うヤツなのだろう。
「小学生の頃からの友達が亡くなったんだから、悲しくなったりイライラしたりもするよ」
「えっ? 妙子と私が小学校同じだったって。私、言ったっけ? 」
「いや、その、まぁ、噂でね」
さっき光月先生が言ってたじゃんと答えるのは簡単だが、僕には進んで地雷を踏み抜いてゆく趣味もなければ、根性もない。
パチンコ屋からはパチンコ台が出す
「実は妙子と私、小学生の時、同じクラブだったんだ。縁って言ってもそれだけなんだけどね。中学の時、ウチ引越ししたし。そんなんでも、やっぱり私にとっては友達だった」
「うん。それも噂で聞いた」
これ以上、星野さんに西野さんの事を思い出させると、また泣き出しそうだったので僕はかなり適当な嘘をつきつつ、話を脱線させるために続けた。
「それはそうとバイクの後ろ怖くなかった? 」
「全然。余裕」
「良かった。姉さん以外の人を乗せた事無いから、実は少し緊張してたんだ」
大概テンポの良い会話をする星野さんの返答が一瞬止まった気がした。
「よし! 私、決めたわ」
妙に断定的且つ突然の宣言。何を決めたかは分からないけど、たぶんあまり良い事ではないと思ってしまうのは失礼だろうか。
「私、妙子の名誉を返上する」
「どうやるのさ? 」
あるあるの間違いにはツッコミを入れずに尋ねる。
「妙子がホントは凄く思いやりがあって、性格の良い子だったんだってのをSNSにいっぱい書き込んで、それをバズらせる」
炎上案件間違いなし。ある意味バズらせるのは簡単かもしれない。
「難しいんじゃないかな? 殺された場所が場所だし」
「だから、アンタと私で真実ってやつを調べるんじゃない」
いつのまにか僕が一緒に調べるのも前提になっている。それに真実も何も西野さんはパパ活をやっていて、その相手に殺されたのは明白だ。僕はそれを出来るだけ柔らかく星野さんに伝えるため、マスクの下にある唇を舌で少しだけ濡らした。
------ 唇
蘇った感触と香りが僕の奥にある何かを刺激した。それは、僕の勘違いなのかも知れないし、ただの感傷なのかもしれない。だけど、大切な何か。
「分かった。やってみよう」
「えっ? 意外にノリノリ? アンタだから嫌がるかと思った」
星野さんはただでさえ大きな目を更に広げて驚いている。まぁ、僕自身もやる気になった事に驚いているのだから、それも不思議ではないだろう。
「やる。今決めた。ただ危ないことは絶対にしちゃダメだ。この件で何かを調べたり、誰かに会ったりする時は必ず僕を呼ぶんだ。キミを危険な目に合わせたくない」
思ったら即行動が基本。細かい心遣いが出来るのに思った事を口に出してまい、直ぐに凹む。そして何よりも優しい。今どきを体現したような見た目とのギャップにクラクラしてしまうが星野さんは善人過ぎて、おそらくこの手の事には向いていない。
「今言った事、守れる? 」
「・・・・・・ うん」
「約束だからね」
「・・・・・・ わかった」
珍しく小声となった星野さん。
もう夜の9時近くにも関わらずパチンコ屋は人の出入りが激しかった。もしかしたら今流行りのウィルスにはギャンブルにのめり込まさせる副作用みたいなものがあるのかも知れない。
「・・・・・・ sign教えて」
ポソっとした星野さんの声。何故語尾が上がる。signのアクセントは第一母音。
「サイン? そんなの芸能人でもあるまいし、あるわけないよ」
「そうじゃなくて・・・・・・ もうっ! スマホのメッセンジャーアプリのsignのコードよ! 私が誰かに会ったりする時に村崎に連絡しないといけないんでしょっ! 」
顔のマスクから上だけを真っ赤にして怒りだした星野さん。これだけ泣いたり、怒ったりのチャンネルがコロコロ入れ替わるの相当疲れるだろう。
「sign入れてないんだ」
「はぁ? 村崎、そんなんでよく生活できるわね」
「無くても今まで、特に困らなかった」
そう返しつつ、僕はその場でsignをダウンロードし、スマホを星野さんに手渡した。
「えっ⁉︎ なになに? 何なの? いきなり自分のスマホ渡すって? 」
「signのコード教えろって言ったの星野さんでしょ? signってよく分かんないから、登録だの初期設定だのしてくれてると助かるんだけど」
「自分のスマホを人にあっさり預ける人なんてはじめて。スマホって自分の命みたいなもんじゃん」
星野さんはそう言いながら、指を凄まじい速さで動かし、僕のスマホを操作してゆく。意外な事にネイルは着けていなかった。
「ほい」
スマホが返って来るまで30秒程。その事に笑ってしまいそうになった僕をよそに星野さんは自分のオレンジ色をしたスクーターに乗り込みエンジンを掛けると、僕のバイクに横付けをして来た。
「やっぱ、送っててよ。遅いし。私ん
エンジン音の中、聞こえて来た声。獅子ヶ谷町なら環状2号線を少し奥に入るだけ。帰るには程良い寄り道だ。
「尾いて来て、私飛ばすから遅れないでよ! 」
送る側が尾いてゆくとは此れ如何に。しかも僕のバイクは250ccで星野さんのスクーターは50cc。これもツッコんだら負けなのだろう。
「分かった」
僕はアクセルをゆっくりと開けながら、思っていたより遥かに安全運転の星野さんの後に続き国道15号線を川崎方面へと走り始めた。
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