第12話 塵芥

「うーん、結局南井君について、分かったのはおじいさんと2人暮らしって事と家が横浜の中区にあるって事くらいかぁ」

 生花教室に行くという標葉さんを見送り、2人だけになったカイゼリアで星野さんから出た第一声はため息混じりだった。


「南井の事は僕の方でも情報を集めてみるから一旦保留にしておいて、別の部分から西野さんの情報を集めてみよう」

「別の部分? 」

「うん。実は当てがある」

 僕は一本のメールを打ちつつ、星野さんにそう答えた。


「当てってなに? 」

 誰かがガーリックトーストを注文したのだろう、胃袋を刺激するニンニクと胡椒の焼けた匂いがマスク越しに漂って来た。

「今、メールを送った相手の返事待ちってのが正直なトコロだけど、まず間違いなく会ってはくれると思う」

「誰? 勿体ぶらないで教えてよぉ」

 星野さんは好奇心が強いのか、僕のスマホを覗きこむように身を乗り出して来た。屈み気味となった姿勢のため、見えてしまったシャツの奥のストラップタイプの赤いキャミソール。見せても良いタイプの服なのは理解しているがどうにも目のやり場に困る。


「星野さん、ひとつ確認していい? 」

「確認? 」

「うん。確認」

 僕は軽く伸びをするフリをして視線を逃がす。星野さんも間が空いた為だろう、姿勢を元に戻してくれた。


「なんか村崎って、結構回りくどい言い方するよね。なによ、確認って」

 上目使いでコチラを睨むように見てくる星野さん。たぶん狙ってやっているのでは無いと思うが、その表情の破壊力が僕に次の言葉を出させるのを躊躇させそうになった。


「これから西野さんの事を調べていけば、事件が事件だけに、良い事以上に悪い事も耳にする事になる。中には友達だった星野さんにとってはショックな内容もあると思う。それを知る覚悟はある? 」

「そのくらい覚悟してるわ」

 勝気そうに目を釣り上げているのは、少しむくれだした時の星野さんのクセなのだろう。何となく腹が立った僕は続ける。


「もうひとつ付け加えると、僕らがやろうとしているのは西野さんのプライベートを無遠慮に暴くという、本来してはならない行為なんだ。その人として最低の行為をする覚悟が星野さんには出来てる? 」

 星野さんのマスクから上の表情は固まっていた。もう少し言葉を選ぶべきだったかも知れないが、僕らがやる内容そのものはクズみたいなマスコミ連中や羞恥のカケラも無い匿名掲示板と代わりがないのは事実だ。


「分かってる・・・・・・ 分かってるもん、そのくらい」

 やってしまったと思ったが後の祭り。星野さんの目に涙が溜まって来た。

「なにも泣かなくても良いだろ」

 僕はポケットからハンカチを取り出し、星野さんに手渡した。


「村崎の言い方、突き放してくるうえ、すごく怖い。あんな言い方されたら誰だって泣きたくなるわよ」

 ハンカチを渡したのは僕だから文句は言えないが、星野さんは目の周りを拭くだけでなく鼻までかんでいた。


「でも事実なのは分かるだろ? 」

「事実とか話の内容じゃないわ。言い方の問題よ! 」

 僕個人の能力を指摘されては返す言葉は無いけれど、論点がズレているし捉え方が私的過ぎる。しかし僕には、ここで『それって、あなたの感想ですよね』と人の気持ちを敢えて逆撫でしてゆく程の胆力はない。


「いや、その・・・・・ ごめん」

「村崎って、自分は悪くないって思っていても謝るタイプでしょ? 私、そう言うのが一番腹が立つのよね」

 泣きながらも見事なまでにコチラのウィークポイントを突いてくる。どうでも良い事だが僕らは周りの人たちから見たら別れ話をしているカップルにしか見えない気がする。


 どうしたら西野さんの事件に話を戻せるのか、この場に相応しい言葉は何だろう。そんな事を考えていた僕の視界に人の影が写る。


おさむ、アンタ何してるの! 女の子泣かせるなんて! 」

 周りに聞こえない程度だが、確実に怒っている女性の声。その人はするりと僕の斜め前である星野さんの隣りに腰掛けてコチラを凄まじい形相で睨んできた。

 突然、自分の隣に人が座った為だろう、星野さんも涙を流したままの目を見開いて、その人物見つめていた。


 ややこしい所にややこしい人。


「やぁ、姉さん。偶然だね」

「あなた大丈夫? 私のクズな弟に何かされたのね」

「姉さん、僕らはただ世間話していただけなんだ」

「私はこのクズみたいな男の姉で村崎すみれ。まずは気持ちを落ち着けましょ。何か飲む? 」

「ドリンクバーならもう頼んでるよ」

「それとも何か食べる? 私、ご馳走するわ」

 どうやら姉さんは僕の事はスルーらしい。父さんが家を出て以降、女性を泣かせる男を塵芥と認識するようになった姉さんの誤解を解くのは星野さんに泣き止んでもらうのと同じ位に骨が折れそうだ。


「こんな男の事なんて早く忘れた方がイイわ。男なんて吐いて捨てるほど世の中には転がってるし、中には女性を泣かせたりしない、貴女に相応しい素敵な人もきっといる。そうね、美容師なんてどう? 彼らはオシャレだし、女性の変化にも敏感で会話も上手いわ。なんなら私のお店の若い子でオススメの男の子を紹介するわよ」

 どうやら姉さんの頭の中では星野さんが僕にフラれて泣いていたというストーリーが出来上がってしまっているらしい。間違ってはいないが時系列が違う。


「違うんです。違う・・・・・・ あれ? 違って・・・・・・ ない・・・・・・ けど違う・・・・・・のかな? 」

 星野さんも姉さんが早合点したストーリーには気がついたらしいが、説明に困窮している様子。


「姉さん、早合点だよ。僕はちょっとした相談を彼女から受けていただけなんだ。姉さんが考えているような事ではないと思うよ」

「だって、この子、えっと・・・・・・」

「星野さん」

「そう、星野さん泣いているじゃない」

 ようやく、僕が会話に加わるのを認めてくれた姉さんは少しあたふたしている。


「それは星野さんが優しくて感受性が強いから、涙が溢れてしまっただけだよ。ね、星野さん」

 タイミングが悪いことにポケットのスマホのバイブが着信を告げた。かけて来たのはおそらくは、さっきメールを送った相手。下手に出れば声が妙に通るその人物の声が姉さんに聞こえてしまう。電話をしているのも悟られたくないが、それ以上にこれからの行動を知られたくない。


「確かにそんなカンジです」

「ほんとに? 」

「はい」

 何だかんだで察しも空気を読む力も僕より遥かに長けている星野さんがフォローを入れてくれた。姉さんは怪しんでいるが、この場は何とかなるだろう。


「そう言う事だからさ。じゃあ、僕はちょっとトイレ」

 僕はそう残し、2人の視線を背中に感じながら父さんに電話をするため、トイレへと向かった。





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