第18話 傷跡

「・・・・・ ホットココア。身体が温まるよ」

「ありがとうございます。いいんですか? ご馳走までして頂いて」

 僕は軽く頷いて答え、自動販売機で買ったココアをバイクのシートの上に置き、標葉さんに取るように促した。みなとみらいに吹く風は少し冷たく土気つちけ混じりで、もう秋の匂いがしていた。


「汗をかいたから浜風が冷たく感じますね」

 あれから国道15号線を進み続けて、みなとみらいまで一気に来た標葉さんと僕は『港の見える丘公園』で休憩を入れていた。南井と同じ中学であれば自宅は中区。帰るには近い方が良い。

 ココアを口にしつつ、バイクを路駐した公園脇の柵に寄り掛かる標葉さんは海を見つめていた。ホントはゆっくりと腰掛けさせたかったが、コロナウィルス騒ぎのおかげで公園内全てのベンチは使用禁止となっていた。


「この上着お返しします。ありがとうございました」

 僕にツーリング用のジャンパーを返してきた標葉さんの顔は青白く、額には汗が浮かんでいる。


「ごめん。もっと早く降ろすべきだった。とにかく冷や汗は拭いた方がいい。コロナウィルス騒ぎの今は風邪を引くと医者に診て貰うのも難しいらしいから」

 僕の言葉に標葉さんは小さくため息をする。


「冷や汗・・・・・か。やっぱり、バレちゃいましたか」

「たまたまだよ」

「謙遜しなくても良いですよ。いつくらいに気がつきました? 」

「確信したのは、ここに来る途中かな」

 僕の言葉に海の方を見たまま笑う標葉さん。ただ何となく抱いていた彼女の違和感、指摘して来なかった矛盾。そんなものは常に頭の中にあった。そして泉女前での会話と震え。


「男性が苦手なんだね」

「マイルドに言いますねぇ。もっとストレートに男性恐怖性と言ってくれても私は怒りませんよ」

 はじめに違和感を覚えたのはカイゼリアだった。標葉さんは僕に視線や女の子の考え方を色々教えてくれたのにも関わらず、目が合う事は一度も無かった。それ所か寧ろ距離をとっているようにさえ思えた。恐らく毒のある発言の多くはそれらをカモフラージュするためのものだ。


「学校の子たちは騙せていると思うよ」

「後輩の子たちや青木部長はともかく、坂家サリエさんは難しいかも知れませんね。あの方とは小学校、中学校、高校と付き合いも長いうえ、洞察力も鋭い方ですので」

 坂家サリエさん。地味な外見、ゆったりとした口調。一見お嬢様然としているようにも見えるが、まとわりつく眼鏡の奥の視線が蛇のようにも思え、いまいちキャラクターがつかめない。


「坂家さん以外の方に私に恋人がいることを印象つけられれば、後は噂の方が勝りますから上出来です。村崎さん、嫌な役目を引き受けて下さりありがとうございました」

 今日、僕を泉女に呼んだのも自分が男性を怖がっていない事を周りに知らしめるのが目的だったのだろう。彼氏云々はそのオマケだ。


 標葉さんはハンカチで額に流れる冷や汗を丁寧に拭いていた。


「克服するため、カウンセリングを受けたり、ネットや本で色々調べて日々取り組んでいるんですが、まだまだのようですね。私が男性恐怖症なんて周りに知られたら、ある種の嫌がらせもあるでしょうから」

「イジメを受けるって事? 」

「はい。自分で言うのもなんですが、私はかなり可愛いので、弱みを見せたらここぞとばかりにやられます」

 重い話をした事を詫びるようにおどける標葉さん。その顔色は口元に当てているマスク同様に白く空虚で健全とは真逆に見える。


「イジメとは陰湿だな」

「イジメを受けるくらいなら、私は耐えられますよ。ただ同情だけは御免です。それと悪戯に過去を詮索され噂されるのも」

 気高さ。そして男性恐怖症になった原因。標葉さんの表情はその向こう側を見つめていた。


「そこから先は僕が聞いて良い内容だと思えないな」

「私が聞いて貰いたいんですよ。男性恐怖症の治療の一環、それと今日のアフターサービスだと思ってお付き合い下さい」

 僕が小さく頷くと標葉さんは静かに笑い、そして俯くようにして語りだした。


「高校入学して直ぐに私はある男の子から告白を受けました。変な告白です。中学の時にクラスの女子たちから私がその男の子自分の事を好きだと聞いたので付き合ってあげても良い。そんな内容でした。私には全く覚えが無いですし、その子には男性としての魅力も感じ無かったので、当然丁重にお断りしました」

 悪意ある悪戯。あるいは容姿も家柄も良い標葉さんに対する嫉妬から誰かが流したデマをその男が信じてしまったのかも知れない。


 告白は続いた。


「でも、その人はしつこく私に付き纏って来ました。そして、半年程前、一通の写真付きのメールが届いたんです。これを世の中にばらまれたくなかったら、オレの言う事聞け・・・・・と。添付写真は父が若い女性と腕を組み、ホテルに入ってゆく様子を写したものでした」

 標葉さんの父親は大手IT企業の役員。そんなものがバラ撒かれでもしたら、社会的に死んでしまうのは僕にでも分かる。


「そこから先は思い出したくもありません。ただ妊娠せずに済んだのと、ホテルで隙を突いて写真のデータが入ったその男のスマホを奪って逃げ出せたのは幸いでした。まぁ、流石に動揺してしまい、そのスマホのデータを削除する前に水没させて壊してしまっまたのは浅はかでしたけど」

 データがクラウド上に残っていれば、スマホ本体が壊れたとしても復旧は容易たやすい。おそらくあのハッカー崩れだと言っていた店長さんが全てのデータを消すアドバイスをしたのだろう。

 そして、妊娠。その言葉が示す意味。


「それをν-tonニュートンに持ち込んだって訳か」

 空気の重さを飲み込みつつ、繋がった経緯を告げた。

「店長さん、おしゃべりだなぁ」

 一瞬、品の無い冗談が浮かんだ。やはり僕は標葉さんが指摘する通りろくでなしだ。


「話の流れで教えてくれただけだよ」

「そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ。父に言いつけたりはしませんし。何より店長さんの好意を利用して、法律違反のアドバイスをさせたのは私なんですから。ただ、ν-tonニュートンであの男が…… 南井がアルバイトを始めたと店長さんからメールを頂いた時は心臓が止まるかと思いました。父には凌辱された事以外の全て話し、速攻で解雇して貰いました。店長さんから何かの拍子で私が南井のスマホをお店に持ち込んだ事がもれたら、また脅されるに決まってますから」

 言葉を失った。正直に言って南井が相手である事は想像をしていなかった。

 公園の前に停めた僕のバイクが邪魔なのか、トラックが何度もクラクションを鳴らし通り過ぎてゆく。


「無論、今回の事件と南井が関係しているかは分かりません。ただ私が連れ込まれたのも今回の事件現場となった横浜のラブホテル『GO』でした。そして・・・・・ 」

 公園周りの柵に寄り掛かっていた標葉さんはゆっくり腰を上げると僕の前まで歩いて来て制服のリボンを解くと、ハイネックのワイシャツのボタンを2つ程外した。


 首には包帯。

 それがスルスルと解かれ、細い首が露わとなる。

 白い喉の下の方には一条の薄い傷痕。


 僕は思わず息を飲み込んだ。明らかに人為的な傷痕。そう言えば標葉さんは私服姿の時、首にはスカーフを巻いていた。あれはファッションでは無く、包帯を、いや傷痕を隠すためだったのだろう。


「あの男は行為の最中、私の首をバスローブの紐で絞めてきました。男性の中にはそう言った行為で性的興奮が高まる方がいるそうです。今回の事件の犯人があの男かは分かりません。ただ、あまりにも突合する内容と、亡くなった方やご家族の無念を考えると私は警察に行くべきではないかと思うのです。ただ、そうすれば父の不貞行為や私が陵辱された事が世の中に知れ渡ります。私はそれに耐えられる自信が正直ありません」


 淡々と語る標葉さんは笑っていた。その頬には一雫の涙。


「・・・・・ 私はズルい女ですよね。自分の身ばかり案じていて」

 彼女が今日僕を呼んだのは、南井の真の姿を話すため、そして、友達である星野さんを南井に近づけてはいけないと忠告するのが目的だったのだと、その涙で今更ながら理解した。

 自分の考えの浅はかさを呪いつつ、僕はツーリング用のジャンパーを震えている彼女の喉元が隠れるように深く肩に掛ける。


「警察なんかに行かなくていい。君はもっとわがままで良いんだ。あとは僕が必ず何とかする」

 告げた言葉に標葉さんは小さく頷くと、震える身体を覆うように深くジャンパーを羽織り直した。


 ⇒⇒⇒


 どのくらい時間が経過しただろう。標葉さんがひとつ咳払いをした。彼女はいつの間にかスマホを眺めていた。

「今日の事、結構な騒ぎになってますね」

「今日の事って、僕が標葉さんを迎えに行った件? 」

「はい」

「メールで質問攻めってトコか」

 少しだけ声に張りが戻った標葉さんに僕は小さく笑ってみせる。

「それもありますが、騒ぎになっているのは学校の裏サイトですね・・・・・ まぁ、大変!! 」

 冷え切ってしまっただろうココアの缶を持った手をマスクで覆われてた口元まで上げた標葉さんはそう少し大きな声をあげた。


「どうかしたの? 」

「裏サイトによると、男性が怖いのでは無いかとのウワサが上がっている学院でも随一の美少女が、暴走族らしき男性と良からなぬ関係にあるらしいです。その暴走族の男性の特徴は『高身長にらしからぬ締まった身体に銀色の髪が似合う小さな顔。だが愛想笑いのひとつも出来ない事や、バイクに乗っている事、そして派手な髪の色から分かるように社会不適合者のたぐいだろう』ですって。一体どなたたちの事でしょう」

 くすくすと笑い声を上げている標葉さん。無論、学院随一の美少女が標葉さんであり、社会不適合者の暴走族にされてしまったのが僕である事は理解していた。


「バイクに乗って、髪を染めていたら暴走族扱いか。さすがお嬢様学校だ。僕の印象はさぞかし悪いんだろうな」

「ええ。とっても悪いみたいです。他にも色々書き込まれてますが、お知りになりたいですか? 」

「遠慮しとくよ。いくら社会不適合者と言えど、聞いたら凹んで寝込みそうだ」

 からかい気味の冗談を飛ばす標葉さんに少しだけ安心感を覚えた僕は軽口を返す。

 公園の前を回送のバスが通り過ぎ、そのバスが照らすヘッドライトがアスファルトに標葉さんと僕の影を一瞬だけ濃く描く。


「帰えろうか」

「はい」

 ゆっくり僕の前まで来た標葉さんは踵を鳴らすように姿勢を正すと小首を傾げた。


「私の家、ここからなら歩いて行ける距離ですけど送って頂けますか? なにせ学院でも随一の美少女なもので、夜の一人歩きは危険だと思うんです」

「社会不適合者なうえ、ろくでなしの僕が送っても良いのかい? 」

「構いません。私も似たようなものだと今日、知りましたので」

 久々に見た標葉さんの笑顔。やはり女の子には笑顔が似合う。


 言葉は続いた。


「それとこのお借りした上着はクリーニングしてからお返ししますので、しばらく預からせて下さい」

 ここから僕の自宅まではバイクで30分程。正直寒い気もするが、クリーニングして返すのもお嬢様の嗜みなのかも知れない。


「了解だ。じゃあ行こうか。お嬢様」

 僕は再びそう軽口を飛ばすとバイクを手で押しながら、標葉さんと共に暗くなり始めた公園を後にしつつ、明日学校を休んで南井について調べる事を心の中で決意する。


「あっ! ひとつ伝え忘れた事があります」

「なんでも言ってくれ」

 軽口ついでとばかりに強気に返した僕に標葉さんは例の悪戯っぽい笑顔を向けてきた。


「なんでも・・・・・ ですか、言質は取りましたからね」

「言質とは大袈裟だな」

「コホン・・・・・ では、お伝えします。男性恐怖症が治ったら、私とお付き合いして下さい。理さんと私なら、嘘から出た真できっとうまくいきます」

「・・・・・えっ? 」

「分かりませんか? 鈍いですねぇ。あんな台詞せりふ言われたら、どんな女の子だって一撃で陥落ですよ。私、理さんの事を本気で好きになっちゃいました」

 あまりにも唐突な告白に呆然とする僕をよそに走り出した標葉さんは目の前にあったタワーマンションの玄関先で手を振っていた。


 そして聞こえてきた大きな声。


「今日はありがとうございました。由依ちゃんには、ちゃんと宣戦布告しておきますのでご安心を! 」

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