マスク

松乃木ふくろう

第1話 キス

「村崎クン、先週の金曜日にC組の星野由依から告られたでしょ? 」

 月曜日の学校帰り、駅のホームで電車を待っていた僕にいきなりそう声を掛けて来たのは同じクラスの女子・西野さんだった。


「オマケにフッたわよね」

「・・・・・・ 」

 告られたのもフッたのも事実だから、この場合『 はい』と答えるのが正しいのだと思う。だけど、それではC組の星野さんに失礼な気がしたし、彼女をフッた事を自慢しているようにも取られるのがイヤだったので僕は西野さんの言葉を黙殺させてもらった。


「あんな可愛い子をフッちゃうなんて村崎クンって、変わってるわよね」

 なんで4日程度前の事を既に西野さんが知っているのかが気になったが、何組の誰と誰が付き合っているとか、女子バスケ部のキャプテンには大学生の彼氏がいるだとか四六時中ウワサばかりしている連中がゴロゴロしているウチの高校なら、それも不思議ではない気がした。


「マスクしているんだから可愛いかどうか何て分からないよ」

 とりあえず適当な言葉を返し、この話題を終わらせるため僕はスマホをバックから取り出し適当なアプリを起動し眺めはじめる。もう秋が近いせいか、夏服であるワイシャツとスラックスだけだと駅のホームを吹き抜ける風が妙に冷たく感じる。


「あの子・・・・・・ 由依は気が強い所はあるけれど優しくて性格も良いのよ。それにマスクをしていても可愛いかどうかくらい、だいたい分かるでしょ? 」

 西野さんは噂好きなのかまだこの話を続けたいらしい。横目で見つめた彼女は紫色をした表面にハートマークがデコレートされている左の薬指を眺めていた。


「マスクをしていても分かる事なんて、せいぜいつり気味だけど目そのものは大きいんだなぁとか、長い髪を全部赤茶に染めるのは大変だろうなぁとか、眉をあそこまで整えるのはどうやってるんだろうぐらいだよ」

「なにそれウケる」

 何がウケたのかは分からないが、西野さんは赤茶に染め上げられた長い髪を押さえながら、遠くを見るように大きな目を糸のように細めていた。どうやら彼女の目は笑うと吊り目から垂れ目に変化するらしい。


「まぁ、話をまとめると村崎クンは変人で可愛い子が嫌いって事よね」

 今までの会話をどうまとめてれば僕が変人で可愛い子が嫌いという結論になるのかは分からないが、西野さんは相変わらず爪の先を見つめていた。


「可愛い子は好きだよ。性格なんて外見のオプションだし」

「なにそれ、マジウケる」

 さっきと同じセリフ。もっとも今度は西野さんの目が垂れていないところを見ると、もしかしたらコミュ障である僕が気持ち良く話せるように場を繋いでくれているのかもしれない。


「ねえ、村崎クンはネクタイしてなくて、先生から怒られない? 」

 唐突な質問な気もしたけど、次々と話題を提供出来るあたりはさすがは女の子。ネクタイに関しては確かにオールシーズン着用と校則に書かれていたが、マスクと違いなんの予防効果も無いのだから、着ける事自体に僕は意味を感じない。そもそも熱い夏場に着けるのは時代錯誤だ。


「最初のうちは何度か注意を受けたけど、そのうち先生たちの方が諦めたみたいだ。実は部屋のどこにしまい込んだのか忘れちゃっただけなんだけど」

「へぇ、そうなんだ。でも何だかもったいないね。村崎クンならネクタイも似合うはずなのに」

 また、『マジウケる』と言って貰えるかと思ったのだが、僕のギャグセンスが悪かったらしくスルー。


 駅のホームに上りの快速電車が通過するアナウンスが流れた。


 京急電車独特のせっかちさを感じるカン高いモーター音。赤と白のツートンカラーのその車体は轟音と共に何かに追い立てられるかのように西野さんと僕の前を通り過ぎてゆく。


「修学旅行、ダメみたいね」

「だね。学校の裏サイトに出てたね」

「村崎クンって学校の裏サイト見るの? 」

「見るよ。実は一度だけ書き込んだ事もある」

 続けての話題提供に僕は素直に答える。殆ど諦めていたから特に感想は無いけれど、今後の人生でコロナウィルスと道端で出逢ったら腹パンくらいかます権利はあるだろう。


「入学式は簡易版。遠足、運動会、文化祭も中止でついには修学旅行も中止」

「そうなっちゃったね」

 高校に入学して以来、いや、中学3年から高校2年まで気持ち良いくらいに潰れまくった学校イベント。どうせならこのイベント中止記録は西野さんや僕が卒業するまで更新し続けて貰いたい。そうすれば出たがりの母さんや父さんをみんなに晒さずに済むし、校則で着用が義務付けられているネクタイを探す手間も省ける。


「残念だよねえ」

「そうだね」

 西野さんにそう頷いて返したものの、内心僕はかなり驚いていた。性格は派手、メイクも派手、髪の色も派手、ついでに制服のアレンジも派手で毎週末はパーティにでも参加してそうな彼女から見れば学校行事などお飯事ままごとみたいなもので、つまらないのではないかと思っていた。


 駅のホームに再び快速電車が通過するアナウンスが流れた。今度は下りの快速だ。電車の通過に併せて、西野さんと僕の前をやたらとスカートの短い同じクラスの女子がふたり通り過ぎてゆく。

 快速電車の風に煽られてパタパタと揺れるスカートをかなり可愛く、少しエッチに、だけど完璧に押さえてみせるふたりを見て僕は静かな感動を覚えた。

 確か2人は青木さんと白田さん、いや佐藤さんと塩田さんだったかもしれない。どんな苗字かは正確には覚えていないけど、とにかく良くある苗字のふたり。


「水瀬さんと木梨さん、コッチをチラ見していたわね。声くらい掛けてくれても良いのに」

「気を使ったんじゃないかな? 」

「何に? 」

 学校帰りに意外な組み合わせのクラスメートの男女ふたりを目撃すれば、僕だって見て見ぬふりをする。今だにクラスメートの顔と名前を覚えられない自分に呆れつつ、僕は西野さんがわざと惚けてよこしただろう質問返しに首を縦とも横とも取れる中間くらいに振って応えた。


「村崎クンって、実は結構スケベでしょ? 」

「年齢相応にはスケベだとは思うけど、なんでそう思うのさ? 」

 高校2年男子の平均的スケベ度がどのくらいのものかは分からないが、僕だって無修正のエロサイトくらいはスマホで漁るし、雑誌で意味ありげなポーズをとっているグラビアアイドルで如何いかがわしい妄想くらいはさせてもらっている。


「さっき、水瀬さんと木梨さんのスカートがめくれそうになるのをスケベな目で見てた」

 捲れそうなスカートを見てたんじゃなくて、捲れなかったスカートを見ていたので西野さんの指摘は少し違う気がする。僕は黙秘権を行使ししながら、頭を軽く掻いて照れているように見せかけた。


「まぁ、あの二人も村崎クンにならスカートの中身見られても喜ぶでしょうけど」

「なにそれ、マジウケる」

 僕は西野さんを真似て会話を繋げる。個人的な見解として他人に喜んでパンツを見せる女の子と仲良くなるのは良いが、それ以上の関係になると凄く面倒な気がする。


 駅のホームに三度、アナウンスが流れた。

 今度来るのは上大岡止まりの各駅停車らしい。今日は乗り継ぎのタイミングが悪いのか自宅のある金沢八景に帰るには次の電車まで待たなくてならないらしい。


 京急南太田駅のホームにあるはずの無い、踏切の音が響いた------ そんな気がした。


「村崎クン、日曜きのうの夜、横浜の東口にいたでしょ?」

「いたよ。母親の店に髪を切りに行ってた」

 駅のホームで西野さんに出会ってから来るのではないかと思っていた質問に僕は素直に答える。


「有名だもんね、村崎クンのお母さんの美容院。お店、みなとみらいだけじゃなくて、横浜東口にもあるんだ」

「横浜の東口が本店なんだ。非常事態宣言が解除されたら代官山にも店を出すみたい。それで僕はそこの新人さんたちの練習台に呼ばれて、髪の毛を色々といじられた。時間は取られるけど、タダで髪の毛切って貰えたり染めてもらえるうえ、手当ても貰えるから良いバイトになる。まぁ、平たく言えば小遣い稼ぎってカンジだよ」

 情報を正しく伝える為でも、自分の母親が有名な美容師なのを自慢したかった訳でもなかったが、僕は会話の方向がイヤな流れにならないよう、敢えて正直にそして早口にくし立てる。下腹の奥の方がイヤな熱を帯びて、暑くも無いのに背中を一筋の汗が伝った。


「それって、カットモデル? 」

「いや、実験台だよ」

「なにそれ、マジウケる」

 おそらく口グセなのだろう。西野さんはまた同じ感想をもらし、今度は何故だか一度小さく深呼吸をした。


「私も小遣い稼ぎのため、横浜の東口にいたの」

「へぇ」

「村崎クン、横浜東口のラブホ街に続く小道から、私が頭のハゲたオヤジと腕組んで出て来たのに出くわして、慌てて目を逸らしたもんね」

「あれは一種の礼儀だよ」

 西野さんがパパ活をしているウワサは僕も聞いていた。その話になるのが分かりきっていて、上手に会話をかわそうとしなかった僕はやっぱり西野さんの言う通り変人でスケベなのかもしれない。

「なにそれ、マジウケる」

 今度はホントに面白かったのか西野さんは目を細め、声をあげて笑っていた。


 控えめな音と共にアナウンス通り、上大岡止まりの電車がホームに到着した。西野さんは電車に乗る為か、一歩前へと進んでいた。


「僕は金沢八景だから」

「ねぇ、村崎クン、一度マスク外した顔見せてよ。私、見た事ないし」

 僕の最寄駅情報に対し、かなり的外れな返答をして来た西野さんは赤茶の髪を左手でかきあげながらコチラに振り向いた。

 特に減るモノでも無かったし、疑問も湧かなかった僕は不織布を左手の親指と人差し指で摘み、マスクを顎に当て顔を露わにする。


 刹那、頬に当たる風と鼻腔を撫でるシトラスと少しの汗の匂い。

 そして、フワリとした唇への感触。


「村崎君って、そんな顔してたんだね」

 呆気に取られる僕をよそに西野さんは深くマスクを被り直していた。一瞬だけ見えた素直な鼻筋と薄い唇に引いた口紅の赤と頬の赤。


 西野さんに何か声を掛けようとする僕を無視して閉まる電車のドア。

 走り出したその電車に乗り遅れたのか、別の高校の女の子たちが電車が起こす風に舞い上がりそうになるスカートを押さえながら何か文句を言っている。


「やっぱスカートが短すぎるのは考えモンだよな」

 自分から出たポソリとした独り言に苦笑いをしつつ、僕はマスクを深く被り直した。

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