『瓶詰めの地獄』夢野久作著

『瓶詰の地獄』夢野久作著                  竹久優真



「葵先輩。頼んでおきました軽文学部の収支計画表はできていますか?」


 放課後の旧校舎。『漫画研究部』改め『軽文学部』部室を訪れたのは新生徒会長となった笹葉更紗だ。


 各部活動の予算の割り当てを決めるための『収支計画書』というものが必要らしいのだが、新部長となったばかりの僕には荷が重い仕事なので、前部長である栞さんにお願いすることにした。

 いかんせんしたたかすぎる彼女ならば、きっとうまい具合に仕上げてくれるだろうという期待からだったのだが……


「ああ、ちょうどいいところに来たよ。実はさあ、三階の時計塔に置いておいたんだけどさ、あいにく鍵は今、リュウが持っているのに今日はもう帰ってしまったという始末さ。

 たしか笹葉ちゃんはスペアキーを持っているはずだよね。だからさ、鍵を開けて勝手に取って行ってくれたらいいからさ」


 旧校舎の三階、時計塔の機械室には鍵がかかっており、その部屋を開ける鍵は僕が知る限り全部で三本用意してある。


 一本は職員室で厳重に管理されており、隠れて造ったスペアキーの一つは龍之介と栞さんの二人が管理している。

 そして、最後の一本は、紛失していた鍵を見つけた張本人である笹葉更紗が持っている。

 職員室の鍵を取りに行くのは非常に面倒ではあり、

 

「――えっと……」


 笹葉さんはたじろいだ。言いたいこともあるようだけど、栞さんにそれを言うべきなのかどうかを迷っている様子だ。


 その理由を、僕は推察できる。


 笹葉さんは幽霊が怖い。もちろん三階の時計塔に幽霊がいるわけもないのだが、かつてそういう噂があったことは事実だし、そもそもあの部屋は薄暗くて、中に入っても照明をつけるスイッチまでたどり着くには暗闇の中を少しばかり歩かねばならないのだ。

 だがそれを、それほど仲がいいとは言えない栞さんには言い難いのだろう。


「ああ、それならちょうどよかった。おれもついて行くよ。実は昨日、あの部屋の中に本を忘れてしまったんだけど、今日は鍵が開いてなくて困っていたんだ」


 本を忘れているというのは当然嘘なのだが、少なくともこれで笹葉さんはあの部屋に一人で取りに行かなくても済むわけだ。

 我ながらその紳士的な行動はポイントが高いと思う。



 三階に上がり、笹葉さんはポケットから髭の猫のついたキーホルダーを取り出して、鍵を開ける。シリンダーが回り扉が開かれる。

 部屋の中は照明がついておらず薄暗い。奥の方に見えるカーテンも閉じられており室内はよく見えない。


 入口の扉は開けたまま、僕が率先して先に進む。笹葉さんは僕の背後のシャツの裾を軽くつまみ、ゆっくりと後ろをついてくる。

 

 部屋の奥まで行き、カーテンを引いて光を入れ、隣の壁にあるスイッチを押すと、テーブルの上に置かれたガラス瓶が照らし出された。


 ――バタン。と、時同じくして入り口のドアが閉まるとともに、外側から鍵を差し込み、シリンダーが回転音を発した。


 やられた。


 この部屋は内側から鍵を開けることはできない。そもそも部屋なんかではなく機械室兼倉庫でしかないのだ。

 外側からしか施錠、解錠できないのはべつに不具合とは言えない。


 栞さんは鍵を持っていないと言っておきながら、どうやら隠し持っていただけのようだ。冗談のつもりなんだろうけれど悪質だと言える。


「まいったな……」


「もしかして、ウチら閉じ込められたの?」


「もしかしなくてもそうだよ」


 つぶやきながら、テーブルの上に置いてある瓶を手に取る。瓶の中には折りたたまれた紙が入っており、おそらくこれが件の収支計画書なのだろうと……


 一枚目は確かにそうだったのだが、二枚目のこれは……いったいどういうつもりだろうか。


 たぶん僕の顔は少し青ざめてさえいたかもしれない。


「どうしたの?」


 と、不審そうに笹葉さんが聞いてきた。


「あ、とりあえずこれ」


 収支計画書を笹葉さんに渡したが、彼女はやはりもう一枚の紙のほうにも興味を示したようだ。


「そっちは?」


「見なくていいよ」


「なによそれ。気になるじゃない」

 

「単なるいたずらというか、まあ……」


「もったいぶらずに見せてよ」


 笹葉さんは紙を奪い取り、それを見ながら怪訝な顔をした。


「栞さんの悪戯だ。気にすることはない」



 いたずらにしてはあまりにも……

 その紙に書かれていたこと。



 『S〇Xしないと出られない部屋』


  そして下の方に小さな文字で一文添えられている。


――そこでハメ撮り映像を撮って送るまで扉は開かれません



「はあ……地獄だ」


 それが悪戯だとはわかっているのだけど、栞さんの性格を考えるならそう簡単に開けてはくれないだろう。


 笹葉さんがひとりで閉じ込められてしまうよりは、せめて僕がついてきたことで笹葉さんは恐怖から逃れられたと考えるべきかと思いながらも、こんな文面を書いているということは、栞さんは僕がついてくるまで想定していたということだろう。


「それにしても参ったわね。葵さん、そう簡単には開けてくれないでしょうし……」


「ああ、まったくだよ。こんなところに閉じ込められて、暇をつぶすにも本だって持ってきていないからな」


「え? 竹久、本を取りに来たんじゃないの?」


「あ、いや。それは単なる口実で――」


 言いながら、はっとした。


 僕が本を取りに来たのが口実だというのならば、笹葉さんは僕と栞さんが協力してこの悪戯を仕掛けたと考えるのではないかということ。


「ち、ちがうよ。これは、べつにおれが仕掛けたとか、そういうことじゃないから」


「わかってるわよそんなこと。竹久が、そんなこと計画するようなことじゃないってわかってる」


「そ、そうか、それならいいんだけど……」


「全然よくないわ。ウチ、他にもやらないといけない仕事が山のようにあるから、ここでいつ出してくれるかもわからないまま待っているというわけにはいかないのよ」


「それは、そうなんだろうけど……」


 どうにか今すぐに出してもらう方法がないかと、考えを巡らせる。しかし、すぐにはいい答えなど見つからない。


 そして、しびれを切らした笹葉さんは言った。


「仕方ないわね。言うとおりにしましょう」

「……え?」


「その紙に書いてある通りにするのよ。ハメ撮り写真を撮って葵さんに送ればいいのよね」



 ――笹葉さん。言っている言葉の意味を分かっているのか?



 置かれている状況と、瓶の中に入っている手紙とを眺めながら、夢野久作の『瓶詰の地獄』を思い出した。

 ヤバい小説ばかりを書く夢野久作の中でもこの話のヤバさもなかなかなものだ。

 海岸に流れ着いた瓶の中の手紙を読むと、そこには無人島に漂着してしまった兄妹が、その無人島で、どんな生活を送っているのかが描かれていた。

 ここで語るわけにはいかないような、地獄のような生活。


 今の現状がそこまでではないにしても、笹葉さんの気は触れてしまったのかもしれない。

 


 『S〇Xしないと出られない部屋』

――そこでハメ撮り映像を撮って送るまで扉は開かれません


 こんな命令が、聞けるわけないだろう。



「ねえ、竹久はさ。持っているの? アレ」


 笹葉さん。本気なのか?


「いや、持ってなんかいないよ。こんな状況、想定していたわけでもないし」


「うーん、でも……まあ、特に問題ないわよね」


「問題、あるだろ」


「それをさ――」笹葉さんは僕の下半身のとある一部を指さす。


「それを竹久がウチにハメて、その映像を撮るだけでいいのでしょ?」


「いや、まあ……確かにそうだけど……」


「じゃあ、早く始めましょうか」


「え、嫌じゃないの?」


「嫌じゃないと言えば、それは少しだけ嘘になるかもだけど。そんなに嫌だとまでは言わないわ。相手が、竹久なら、まだ……うん……」


 笹葉さんは少しだけ頬を赤らめた。


「竹久は、嫌じゃない? そういうことするの」


「嫌じゃないというか……罪悪感のほうが強い。決して嫌なんかではないよ。その、笹葉さんにそんなことするの……本当にいいんだろうかとは思うけど……

 ほら、汗だってかいているしさ。匂いとかだって、あるかもしれないし……笹葉さんに迷惑がかかるんじゃないかという心配が……」


「匂いならお互い様でしょ。ウチだって、それはちょっと恥ずかしいんだから……」


 どうやら笹葉さん本気でやるつもりらしい。ならば、僕だって覚悟を決めてやりきるしかない。

 もちろんこんなことをするのは僕も人生で初めてのことで、うまくできるのかどうかわからないけれど、なるべく紳士的にこなす以外に方法はないのだと思う。


「ああ。わかった」


「撮影はウチがするわ。自分のスマホで。それでいい?」


「おれはいいけど」


「よかった。竹久のこと疑うわけじゃないけど、映像を送った後すぐに消したいから……」


 なるほど。確かに僕のスマホでそんな撮影をしてしまったら。僕は間違いなくそれを大切に保存して、きっと夕食のお供にしてしまうだろう。


「ねえ、竹久。恥ずかしいから、照明は消して」


 照明を消して、カーテンを閉める。室内が暗がりに包まれる。


「笹葉さん。大丈夫?」


「だいじょうぶよ。あなたが、そばにいてくれるから」


 その言葉が、やけに艶っぽい。


「それじゃあ、始めましょうか」


 椅子に座った笹葉さんがスマホの撮影を開始する。暗がりの中でスマホの小さな照明が笹葉さんの膝から下を照らす。

 いつものように、彼女は靴下をはいていない。素足である。


 僕は自分の靴下を脱ぐ。少し汗ばんでいて、匂いが気になるところではある。


 だけど、互いに覚悟を決めたのだ。今更後に引くわけにはいかない。


 暗がりの中で、僕は彼女の足先に触れる。その指先は少しだけ冷たい。緊張しているのか、少しだけ汗ばんでいる。

「ねえ、はやくして。恥ずかしいのよ。ウチだって……」


 足先を触る僕の指は震えていた。それは、撮影されている。照明がスポットのように充てられていて、なおのこと上手くやらないとと緊張が走る。


 ゆっくりと彼女の足先に僕の脱いだばかりの靴下を嵌める。



 だって仕方がなかったのだ。笹葉さんは普段から靴下を履かないから持っていないし、僕だってストックを持ち歩いているわけがない。


 SOXしないと出られない部屋から、SOXのハメ撮り撮影をするためにはこれ以外の方法はない。僕が履いているソックスを脱いで、彼女の足にハメる以外の方法はない。


 靴下、socksは、アメリカ英語ではSOXと省略する場合があるので、これでロジック的にはノルマクリアである。

 

 栞さんの出題に対する答えは簡単にわかったが、さすがにこんなことを笹葉さんが了承してくれるとは思っていなかったが、すんなりと受け入れてくれたのは、少々意外だった。


 笹葉さん少しでも早くと映像はライブで送信していた。僕たちがソックスを元に戻すよりも早くにドアの外側に鍵を差し込み、シリンダーの回転する音が響く。


 その音に、安堵の息を漏らしたのだったが……


「ねえ、ふたりさ……こんなところで何してるの?」


 ドアを開けて、外に立っていたのは瀬奈だった。


「え、あ、いや……それは……」


「しおりんに言われて鍵を開けに来たんだけど……ちょっとこれは意味が解らないっていうか……」



 地獄は、まだ終わっていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る