『街とその不確かな壁』村上春樹著 を読んで   笹葉更紗

『街とその不確かな壁』村上春樹著 を読んで      笹葉更紗


岡山県立図書館にやって来た。


今日は学校の授業が午前中で終わり、少し時間があったので少し足を延ばしてみたのだ。

と、言うのも。ウチの家は駅からそれほど離れていない幸町図書館の近くで、だからたいていはそちらを使っている。

 それに対して県立図書館は駅からも遠く、普段はあまり使っていない。

だけどこの図書館、来館者数も個人貸し出し件数も日本一という図書館で、蔵書の数も150万冊以上と日本でもトップクラス。

 ガラス張りのエレベータや大きな備前焼のレリーフが特徴的な併設のカフェがあったりと、非日常を提供してくれる場としても最適だ。

 そして当然これらの施設は無料であることは言うまでもない。


時間に余裕があるときには、少し足を延ばしてここまでやって来る。

書架の棚から『街とその不確かな壁』を持ち寄り、閲覧コーナーへと向かう。


本著は村上春樹の最新刊だ。氏は1980年、この原点となる『街と、その不確かな壁』(句点がある)を執筆。しかし氏はこれを失敗作として、書籍化はなされなかった。


そして以後、『世界の終わりと、ハードボイルドワンダーランド』の基礎へと変わったのだが、近年になり、原著となった『街と、その不確かな壁』を書き直すこととなったそうである。



ウチ自身、『世界の終わりと、ハードボイルドワンダーランド』は最も愛する小説のひとつで、本著を読むにあたり、思うところもあった。

この二作に共通する世界。壁に囲まれた街、一角獣、影との別離、図書館と夢読み、その少女。それらの符号はまったく一致する一つの世界観を共有している。




”ウチは考える。主人公は壁の街の図書館で出会う少女、とずっと一緒にいたかったのだろう。

もう会えなくなってしまった彼女と、また同じ時間を過ごせるその場所は唯一の救いの場だったのだと。

現実世界を生きていくためには、同時にその世界に住み続ける存在が必要だったのだと。

そしてそこで夢を見続ける。そんな人物を、ウチは知っている”




物語の集中しているところ、不意にすぐ隣の席に着いた人物がいる。図書館は空いていて、普通は間隔をあけて座るのが普通と思われる。が、しかしその男はまるでウチに粘着するように、すぐ隣の席に座ったのだ。


彼は手に本を持っていない。図書館にもかかわらず。


男は手に持ったスマホを操作した。


それとほぼ時を同じくしてウチのスマホLINEの着信マークがつく。


『ようやく見つけた。ずっと探していたら、まさかこんなところに』


すぐ隣にいた男は、ウチがメッセージを確認したタイミングで微笑んで見せた。


メッセージを返す。相手はすぐ隣にいるのだが、図書館では静かにするのがマナーだ。筆談、と言えばそういうことになる。

『ウチに何か用? 瀬奈に何か言われた?』


『いやごめん。おれが探していたのは笹葉さんじゃないんだ』


『どういうこと?』


『不確かな壁だよ。今、笹葉さんが読んでいる本だ。おれは昨日もここへきて、その本を読んでいた。今日も続きを読もうとやって来たのに、棚に本がなかった。そうしたら、ここに』


『そう、それは残念ね。でも今日はウチの本よ』


『ああ、そのセリフ。ハードボイルドワンダーランドの引用だよね。『そのドアは、僕のドアだ』』


『計算士のセリフね。ウチもそのセリフは好きよ。でも、引用ではない』


『ところでさ、こうやって話をするのもつかれたし、よければあっちのカフェに行って話をしないか?』


『もしかしてそれはナンパのつもりかしら? きっとあなたはいつもそうやって魅力的な女の子に声を掛けているのね』


『あるいは』


『ねえ、どうでもいいのだけれど。LINEのメッセージまでわざわざ村上春樹風に打つ必要なないと思うのね』


『君がそう思うのなら、あるいはそうなんだろう。だけど僕は今、君とおしゃべりをしたいと思っているんだ。潜在的にね』


『そこまで言うのなら、付き合ってあげないこともないけれど、わかっているわよね』


『わからないな』


『ひとつは、あなたのおごりということ。そしてもうひとつは、わたしに気をつかっったところで、この本はあなたには渡さないということ』


『オーケイ。それじゃあ向こうへ行こうか』

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