『早朝始発の殺風景』青崎有吾著を読んで      笹葉更紗


『早朝始発の殺風景』は、今最も旬だと言われているミステリ作家、青崎有吾の青春短編集である。青春という閉じられた世界の密室で巻き起こる日常の謎をワンシーンから移動することなく、巧みなロジカルで真相にたどり着く傑作小説である。


表題作の『早朝始発の殺風景』では、早朝始発の電車内で出会ったクラスメイトが、会話劇の中で、なぜその始発電車に乗っているのかに迫る。


本著を読みながら、以前から疑問に思っていたことを突き詰める高貴なのではないかと思い至った。思い立ったが吉日である。


クラスメイトの竹久は、どういうわけかやたらと朝早くから教室にいる。普段から決して勉強熱心だというわけでもないし、部活動の朝練にいそしんでいるわけでもない。『漫画研究部』という部に所属はしているが、朝から部室に行っているというわけでもなく、ウチが朝早めの時間に来ても朝必ず誰よりも早く教室にいて読書をしているのだ。

 いったい毎朝いつからきているのだろうか。まさか、早朝始発の電車で来ているわけではあるまい。


その日、ウチは早朝始発の電車に乗り、学校最寄りの東西大寺駅へと向かう。駅の改札口がよく見える場所のベンチに陣取り、竹久がどの電車から降りてくるのかをじっと探すことにした。

時間を持て余すことはない。文庫本一冊をバッグに忍ばせるだけで数時間の暇はつぶせるはずだ。


だけれどその心配は杞憂に終わる。早朝間もない時間であればそれほど人も少なく乗り降りをする人を注視しなくても問題はなかったけれど、次第に通勤ラッシュの時間ともなると人はどうしても多くなる。迂闊によそ見をすることも出来ずにおちおち読書をする暇もない。

それでも駅は地方郊外の駅。乗る人こそあれ降りる人は少ない。よほどのことがない限り見過ごすことはないだろう。


そして、やはりその通り、ウチは彼の到着を見逃すことはなかった。


通勤ラッシュが最も込み合う時間帯、普段ウチらが学校の始業時間に間に合うために乗る電車よりもおよそ一時間早い電車。その時間のホームには芸文館の制服を見かけることも少なく、その姿を見つけることに労を要することはなかった。


ホームに降り立った竹久は、出発する電車に振り返り、中にいる誰かに微笑みながら手を振った。ここからでは相手がどんな人なのかは見えなかったけれど、きっと仲が良い人物であることには間違いなさそうだ。

列車のドアが閉まり、出発を見送ってから振り返る。それと同時にウチの視線に気づく。この時間帯に芸文館の制服は珍しいから仕方ない。


「あ、お、おはよう……笹葉さん」


気まずそうな竹久。明らかに、見られては困るような状況だったのだろう。

そのまま気にしないでおく、という選択肢ってあったのだろうけれど、こちらだって朝早くからその真相を知りたくて待ち伏せしていたのだ。手ぶらで見過ごすというわけにもいかない。


「竹久、おはよう。早いのね」


「笹葉さんこそ……」


「うん、ちょっと。今日は朝早くに目が覚めてしまって。それで早くに家を出たのだけれど、ついさっきの電車でウチも到着したところよ。偶然ね」


「へえ、そうなんだ。おれも今日はたまたま早くに目が覚めてね。それで早くにいえをでたんだ。本当に偶然だね」


 そして必然的に二人で駅の改札をくぐる。駅から学校までの道のりを、二人並んで歩く。この時間なら、他の生徒の目を気にすることもあまりない。


長い長い坂道を歩きながら、ウチはぽつりと尋ねる。


「ねえ、さっきのひと。だれ?」


「さっきのひと?」


「一緒に電車に乗っていた人」


「ああ、見てたんだ」


「偶然ね。目に入ったものだから」


 それは嘘だ。相手の姿を見てなんかいないし偶然ではなく必然だ。


 竹久は少し困ったような顔をして、考えあぐねた末に「妹だよ」と言った。


「嘘ね」とウチは言う。少なくとも今の発言で相手が女性であるということはわかった。竹久に妹がいるということは聞いていたけれど、ウチらが高校一年生だということを考えるなら妹は中学生のはずだ。平日のこの時間、電車に乗っているとは考えにくい。

私立の中学に通っていると考えるならば不思議ではないが、そういう話を聞いたことはない。

それに、「嘘だ」と指摘することによって相手の反応を見ることだってできる。動揺することもなく「妹だよ」と答えれば。そうである確率が高まり、あるいはごまかすのが上手だという二つの選択肢に狭まるだろうが、わかりやすい竹久は動揺しながらに「ば、バレていたのか」とつぶやく。このことで答えは上記のいずれかでもない『妹ではない女性』に限定された。そしてそれは、『妹であるとごまかさねばならない妹ではない女性』に限定される。

そんな相手は、かなり限定的な相手だと考えられる。そしておそらく竹久は、その相手の時間に合わせてこんなに朝早くの時間の電車に乗っていると考えられるだろう。


「ふーん。そういうことね」


その言葉で、相手にかなりのプレッシャーをかけることができるだろう。


「そ、そういう笹葉さんは?」


竹久が質問をする。


「さっきも言ったでしょ。たまたま早くに目が覚めただけよ」


「それは嘘だね」


 竹久は反撃に転じた。


「どうしてそう思ったの?」


「笹葉さん。今日はいつもよりも化粧が薄い」


「え?」


「それに、髪の編み込みだっていつもよりも雑じゃないか」


「そ、そんなことは……」


「あるよ。いつも笹葉さんのことを見ているんだ。おれの眼はごまかせないよ。それに、いつもよりも額に汗をかいているみたいだ。朝早くに起きて余裕がある状態だとは考えにくいな。まるで今日は、予定よりも早く起きて準備をするために、朝十分に準備をする時間が足りなかったと物語っているようだ。にもかかわらず、汗をかいているということはいつもの朝よりも長い時間が経過していると考えるべきだ。まるで誰かを駅でずっと待ち伏せしているかのように。にもかかわらず、おれの姿を見るなりすんなりと改札を抜けた。つまり、笹葉さんが待ち伏せをしていた相手というのは――」


――やられた。ウチの行動は竹久に見透かされている。ならば無駄に足掻くことに意味はないだろう。


「そうよ。今朝ウチはあなたを待ち伏せして監視していたの」


「ふう。やっぱりそうか……」


「で、あの女の子はいったい誰なの?」


「言い逃れは、できそうにないな」


「できないわよ」


「栞さんに頼まれたの? おれのことを監視するように」


 ――『栞さん』。漫画研究部の部長である葵栞さんのことだろう。まさか彼女の名前がここで出てくるなんて思ってもみなかった。瀬奈に頼まれて、というならまだしも、ウチが彼女にものを頼まれることなんてまずないだろうに。それでもそう思うのは、きっと竹久にとって葵栞はそれほどに脅威なのかもしれない。ならばそれを利用してみようと思う。


「そうよ。だから隠しても無駄。正直に答えて」


「ああ、彼女はね。おれの中学時代の友人なんだけど、どうやら朝の満員電車の中で痴漢被害に遭っているらしいんだ。それで、彼女に頼まれて犯人探しと護衛をしているわけなんだ……。決して、やましい関係じゃないよ」


やましい関係、という表現が余計にやましいけれど、竹久がそう言うからにはそれ以上突っ込んで質問してもなかなか答えてはくれないだろう。

もちろんウチは竹久の言葉を信じてなどいない。痴漢の犯人を捜すにしても、あの笑顔は不自然すぎるし、ずっと前から毎朝のように続けているというのも不自然だ。もしかするとその女性というのは……


いや、とりあえずのところは余計な詮索はやめておこう。


「これからじっくり調べていくから」


と、ウチは宣言する。


「これから?」


「栞さんに頼まれているもの。だから、まだしばらくの間こうして朝、この時間の電車でウチも尾行を続けるからね」


もちろん、栞さんの頼まれているなんて嘘だ。でも、そうすることで朝。二人でこうやって登校することに対する理由付けだってできるし、それから教室で一緒に朝読書をする理由にだってなる。そして、やはりあの電車の中で逢っているだろう女性の正体だって気になっているのだ。


「まいったな」


 空を見上げる竹久の隣を、少し浮かれた気分でウチは歩く。

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