第11・5話 『マクベス』シェイクスピア著 笹葉更紗
「『やまない雨はない』っていうけどさあ。結局は今、雨に濡れるのが嫌だっていう話なんだよ」
放課後の下駄箱の前。降りしきる雨を前に竹久とふたりになった。相変わらず戯言をつぶやいているようだ。
「今、目の前にある苦難がいつまでも続くことを悲観しているのではなくて、今目の前にある苦難をいかに避ける方法がないかと考えているんだよ。誰だって雨に濡れるよりは濡れないほうがいいに決まっている。
それなのに『やまない雨はない』なんて言葉を返されたところで、それは何の意味もないと思うんだよな」
「それで? いったい何の話をしているの?」
「いやさ、身に降りかかった不幸に対して愚痴を言っているだけだよ」
「ふーん、なるほど。要するに、傘を持っていないのね」
「いやまったくだよ、うつろいやすいのは乙女心だけにしてほしいよね。天気予報に反して雨が降ってきたのはいいけれどさ。まさかこうもやまないとまでは考えていなかったよ。
部室で本を読んでいるうちに止むだろうと考えていたんだけど、さすがにもうそろそろ帰らないとね」
「そうね、それは気の毒ね」
言いながら、ウチは下駄箱横の傘立てに差してあるたった一本の無色のビニール傘を手に取る。
「ウチは傘、持っているのだけれどね」
すこし自慢するように竹久に見せつける。
「え、それ。笹葉さんの傘だったの? 随分シンプルな奴だから笹葉さんのやつじゃないと勝手に思い込んでいた。もっと、かわいらしいのを持っていると思っていたんだけど」
「意外?」
「いや、失言だったかな?」
「大切にしているものなのよ。これ」
「そうなんだ……あぶなかったよ。この雨の中、目の前にある持ち主のわからないその傘を、いっそおれが盗んで帰ろうと思ったくらいだ」
「それは嘘ね。竹久はそんなことをするような人じゃないから」
「それは買いかぶりすぎだよ。必要に応じて〝借用した〟と自分に言い聞かせることくらい造作ないさ」
「でも、盗られた人が困るのではないかを考えてそんなことなんてできないでしょ。でも、竹久が盗んで帰ったのならウチは許すけど……」
「え、なんで?」
――だってこの傘は、元々あなたにもらったものなのだから。
あの夏の日に、雨に濡れて泣いていたウチに渡して去って言ったあの時の傘。
彼はそのことなんてすっかり憶えていないのだろうけれど、『大切にしている』なんて言葉を言ったばかりに迂闊には言い出せない。
「――それよりさ。竹久……」
――傘、一つしかないけど二人で使う?
そんな言葉を頭の中で反芻しながらも、それでもうまく言葉に出せずに勇気を振り絞っていた。
「あっ! ユウ! それにサラサも!」
そこに、軽音楽部の練習を終えた瀬奈がやって来た。手には、折り畳みの赤い傘を持っている。
雨を目の前に立ちすくむ竹久の姿を見て、彼女は状況を理解したようだ。
「ユウ、もしかして傘持ってないの? よかったらさ――」
言いかけたその言葉をふさぐように、ウチは慌ててビニール傘を竹久に差し出す。
「竹久覚えてないの? これ、夏休みにあんたに借りた傘よ。あの時は助かったわ。だから今日はこれ使って」
「え……」
困惑している様子の竹久は、一瞬息をのんだ。おそらくあの夏の出来事を思い出したのだろう。少し、気まずそうに瀬奈の顔色を窺う。
無論瀬奈はあの日のことなんて知らないだろうし、それが何の意味を持っているのかなんてわからない。差し出しかけた赤い傘を少し手目に引き、固唾をのんで見守っている。
「借りたものはちゃんと返させて」
彼の胸元に、押し付けるように傘を差し出す。
「で、でも……」
「ウチは大丈夫よ。瀬奈とラブラブパラソルをするのだから」
「あ、ああ……そういうことなら」
竹久はビニール傘を受け取り、傘をさして下駄箱を離れる。
その少し後ろ。瀬奈の赤い傘の下に二人で身を寄せ合って竹久の後ろをついて行く。
「サラサ、今朝はアタシのラブラブパラソルの誘いを断ったのにぃ」
ねめつけるように言う瀬奈にひとこと返す。
「乙女心と、秋の空……」
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