『千歳くんはラムネ瓶のなか』裕夢著
『千歳くんはラムネ瓶のなか』裕夢著 竹久優真
白く輝く太陽にラムネ瓶を透かし、世界をひっくり返したビー玉越しのカレイドスコープを眺める少女、宗像瀬奈。
「これ、飲み終わったらビー玉取り出そう」
そう言って、キツネのように目を細め「ししっ」っと笑う。
「とりだしてやるなよ。たぶんそこが一番居心地がいいんだからさ」
「引きこもってるやつを救い出してあげることも、アタシの役割の一つなんだよ」
ラムネ瓶を抱えながら、引きこもりを外に連れ出すなんて言い出すものだから、僕はつい『千歳君はラムネ瓶の中』を連想した。
通称『チラムネ』と呼ばれるその品は――。いや、今更説明する必要もないな。『このライトノベルがすごい』でも殿堂入りしているような傑作ライトノベルだ。ここで会えて説明する必要もない。
待ち合わせに笹葉さんが遅れてくることは珍しい。まあ、瀬奈がひとりで決めて急に呼び出したのだ。多忙を極める彼女が遅くなることに誰が文句をつけられようか。
まあ、僕としても瀬奈とこうして二人で待っている時間も悪くないので、当然不満などないわけだが。
「あ、ユウ。知ってる? ラムネの中に入っているのは、本当はビー玉じゃないんだよ」
「ああ、それなら聞いたことがあるよ。確か、ラムネ瓶の蓋ができるほど正確な球体の玉がAランクの玉、すなわちエーダマで、その規格に外れたBランクの玉がビーダマだという話だよね?」
「なーんだ、やっぱり知っているのか。ユウはなんでも知っているね」
「なんでもは知らないよ。知っていることだけだ」
――なんて、一度は行ってみたい言葉ランキングの上位に入るこの言葉を不意に言えた自分をほめてやりたかった。
「そう言えば、『千歳君はラムネ瓶の中』というタイトルは、リア充ど真ん中の千歳朔は、当然Aランクだから、ラムネ瓶の中にいられるっていう意味なのかな?」
「え? そんなのアタシに聞かれても知らないわよ」
「ごめん、僕だって、なんでも知っているわけじゃないからね」
「知らないことがあるほうが、世の中は面白いのよ」
そう言って瀬奈は、ラムネ瓶に口をつける。
太陽を仰ぎ、静かに目を閉じ、その唇に触れる発泡を深く感じ取ろうとしているかのようなその姿に、思わず息をのむ。いうなれば、炭酸しか飲まない天使のようだ。
その視線に気づいた瀬奈が、口から離したラムネ瓶を差し出す。
「なに? そんなに欲しいの? 一口だけね」
ぼくは、ラムネ瓶の結露が瀬奈の小さな手を伝い、しずくとなって地面に落ちてアスファルトに小さな染みを作る姿をじっと見つめ、そのままうつむいた状態で手を差し出した。
だけと、そのラムネ瓶を掴もうとしたときに急に横から現れた白磁のようなその手に奪われてしまう。
遅れて到着した笹葉さんはラムネを口へと運び、そのすべてを飲み干してしまった。
――僕のラムネ……
その言葉を発すると同時に「アタシのラムネ!」という瀬奈の言葉がこだました。
「ごめんなさい、喉、乾いていたから」
まるで悪魔、小悪魔のような微笑みを浮かべてからになったラムネ瓶を瀬奈へと差し出す。
もう、いっそのこと空になったそのラムネ瓶を、僕は横から奪ってやろうかとさえ考えるが、当然そんなことをするよ勇気はない。
「言っておくけどね――」と笹葉さん。「ラムネ瓶の中にあるビー玉が、本当はA玉だっていう話、デマだからね」
「え? そうなの?」
「ネットなんかでは、まるで事実のように語られていたりもするけれど、それは全くのデマゴギーで、ポルトガル語でガラスを意味するビードロの玉、略してビー玉というのが本当の意味らしいわ。
ウチが思うにはね、千歳朔は空にかざしたラムネ瓶を仰ぎ見た時のビー玉だと思うの。
みんなが憧れる、その中央で光り輝くビー玉。
だけど、それは見る人にとって様々な思い違いをされてしまう存在でもあるのよ。
カレイドスコープ。ラムネ瓶の中のビー玉は万華鏡になってしまうのね。ビー玉越しの世界が逆さまになってしまうように、羨望や妬みで誹謗中傷にさらされたりもする。
だけど、その向こうにある世界はキラキラ輝く万華鏡で、誰もがそれに憧れてしまう。それがあの作品のタイトルに込められているのではないかしら」
「なんだよ、少し前から話を聞いていたんじゃないか。それなのに、一番肝心なところまで声を掛けずに黙っているなんて、あまりにも――」
「あまりにも、なに?」
「いや、なんでもない。です……それにしても、笹葉さんはすごいな。なんでも知っている」
そう言うと彼女は、勝ち誇ったように返した。
「なんでもは知らないわ。知っていることだけ」
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