『夢十夜』夏目漱石著 を読んで  竹久優真

『夢十夜』夏目漱石著 を読んで

                             竹久優真



「こんな夢を見た」から描き始められる十の夢。そんな、小説ともとれるような、エッセイともとれるような名著である。

 その文章は、あくまで夢の話。と名打って描かれているのだが、よくよく読み解けば、社会風刺のメタファーであったり、漱石自身思い悩んでいる事柄や、思い残した懺悔ではないかと深読みできるが、そんな表立って言えないようなことをあくまで「夢」を見ただけだということでいかようにも逃げ道を創った本音なのではないかと考えたりもする。


 僕は、この本を今でも時々寝る前に読みふけることがあるのだ。もう、何度読んだか知れない。

 なぜならば、この本を読んで寝ると、大概決まってあの夢を見るのだ。




 ――こんな夢を見た。


 燦々と輝く夏の太陽。白い砂浜。静かな潮風にさざめく渚。その波打ち際はさながら現実世界世夢の世界との境界線のようにも思えた。

 ひざ下までが海につかる波打ち際で瀬奈と更紗がじゃれあうようにはしゃいでいる。

 瀬奈がふざけてかける水しぶきで、化粧が落ちてしまうと言いながらも仕返しとばかりに懸命に反撃をする更紗。

 僕は、浜辺のパラソルの下でそれをずっと眺めている。ずっと、眺め続けたいと思っている。

「そんなだったらいっそのこと、君もあの波打ち際まで言って一緒に遊べばいいじゃないか」

 僕の隣で水着姿のまま液晶タブレットを片手に必死に絵を描いている栞さんがつぶやいた。

「残念だけど、僕はもう、あの間に割り込んでいくような元気はないよ」

「それは、百合の間に挟まるような無粋な真似はしないという意味?」

「そうじゃなくてさ、もうそういう歳じゃないってことだよ」

「かわいそうに」

「それよりも、栞さんこそあっちに言って一緒に遊んだほうがいい。そのほうが、僕も眺めがいがあるというものだ」

「見て分からないかな?」彼女は手元の液晶タブレットを掲げて見せる。「締め切りが近いんだよ。遊んでいる余裕はないんだ」

「やめてくれないか。そういう現実っぽいことつぶやくのは。いいかい、夢っていうのはね、それが夢だと気づいてしまうと醒めてしまいがちなんだよ」

「なんだ。やっぱりたけぴーはこれが夢の中だって気づいているんじゃないか」

「そりゃあ気づくよ。こんな世界は、現実にはあり得なかった世界だ。今からいくら望んでも、到底実現しそうにもない、それこそ夢のような世界だ」

 瀬奈と更紗の美しすぎる水着姿をもう一度しっかりと見つめ、たとえ夢が覚めてもこの風景を覚えていられるようにと願った。

「それにさ、僕はたぶん、この夢の世界に何度も音連れているんだろうなってことにも気づいているんだよ。それこそ、もう十万回くらいは繰り返しているかもしれない。

 でもね、やっぱりこのあり得なかったはずの夏休みが、これから先も終わることなく繰り返してくれればいいと願っているんだ」

「たけぴー、少ししゃべりすぎじゃないかな。そんなにあれこれしゃべると、夢から覚めてしまうよ」

「そうだな。しばらくは黙って見つめていよう」


 太陽に光をいっぱいに受けて、瀬奈の栗色の髪が銀色に輝く。その笑顔はきらめくほどに、僕の胸を強く締め付ける。

 更紗の白い肌が、太陽の日差しを受けて真っ赤になっている。きっと日焼けしてしまったことを僕に八つ当たりするんじゃないだろうかと想像してしまう。それも悪くない。

 はしゃぎ疲れた瀬奈と更紗が海から上がり、僕の前までやってきて、前かがみに僕をのぞき込む。

「ねえ、ユウ。いつまでそこにいるつもり? ほら、一緒にいくわよ」

「無理だよ。僕はもう、そんなに若くは……」

「あー、もうつべこべ言わない。ほら!」

 瀬奈が手を差し出す。

 僕は少し迷ったが、差し出されたその手を握った。


  ――雪のように冷たい。


 その冷たさに、夢から醒めてしまった僕は、ひとりで泣いていた。


 窓を開け、夏の朝日を浴びる。もう少し夢を見ていたかったと思い返すが、どんな夢を見ていたのかさえ思い出すことはできなかった。


 目の前に、ひとりらの雪が舞い降りた。

 今は、確か夏ではなかったかと思いながら、そのひとひらの雪をてのひらで受ける。


 手のひらの上で静かに溶けて消える雪。


 だけども確かにそれは、冷たかったのだ。

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