Ⅶ 夢の中でだけ

 フランが朝の散歩へ逃げ出した間、デビッキは総主教庁宛てに報告書をしたためていた。


「総主教ってどこにいるんですか?」

「ラグナ教の総本山は聖地モッゼ。ノールデン市のずーっと西で、隣の国だよ」

「へぇ。そこも汽車で行けるんですか?」

「汽車と蒸気車を乗り継いで丸一日くらいかな。おれが子供の頃は汽車なんてなかったからさ、近くなったもんだよ」


 報告書には難解な文章が書き連ねられているが、教会法違反、強制立入り、解体という不穏な単語はルゥにも分かった。

「この後はどうなるんですか?」

「違反が立証されれば≪神の家≫アストラルは解体させられて、教祖さまは島流しかな」

 しかしルゥは『近いうちに、また』と言っていた教祖さまの不気味な笑みに、どうしても不安をぬぐいきれない。


 ミデール院長たちに別れを告げ、午後の汽車で帰途に着いた。

 ノールデン中央駅から歩いて十五分ほどの聖ザナルーカ教会へ戻ると、司祭がダッシュで飛び出してくる。


「お前が慌てるなんて珍しいな。どうした? フーシェ」

 フーシェはこの教会の主席司祭で、実務のほとんどを取り仕切っている。背高のっぽがいつも取り澄ましたような顔をしていて、笑ったところをルゥは見たことがなかった。


「大変です。司教が出発された入れ違いで聖地から使者が来まして。総主教庁の査察が来ます」

「えぇ⁉︎ いつ来るって?」

「もう二日経ってますので、明々後日しあさってです。しかもサイアス大神官が自らお越しになると」

「げっ!」


「デビッキ、査察って何かまずいことになったの?」

「非常にまずいね。総主教庁のボスで権威の権化みたいな奴が来ることになった。あいつに重箱の隅をつつかれ摘発されて、左遷・更迭・還俗に追い込まれた司教司祭がどれほどいるかな。次はおれを潰すつもりか。面白い」

 まずいねと言いつつ、デビッキの表情は状況を楽しんでいるようでもある。


「とりあえず帳簿の点検から始めさせています。あと論文のことで確認いただきたいのですが」

「わかった、荷物置いたらすぐ始めよう」

 休む間もないようだ。


「忙しくなるね。僕たちはこのまま帰るよ」

「フラン君、悪いけど明々後日にまた来てくれないかな。このタイミングだから甦りの状況報告を求められるはずで。教祖さまに実際に会ったのは君たち二人だけだし」

「二、三時間なら構わないよ。僕も明々後日しあさってまでできる限り調べてみようと思う」

「はあっ、嬉しい。キスするね」

 油断も隙もありゃしない。すんででかわして別れると、フランとルゥは火葬場へ向かった。


「おかえりなさい、オーナー」

「あれ、どうしたの?」

 今日は火葬場は臨時休業にしているが、モノリがいる。それと明らかに従業員ではない二人が待っていた。


 薄汚れて擦り切れた軍服姿の大柄な男が大股で寄ってくる。

「どうしたって、火葬場を休みにしたって聞いたからよ。また倒れたのかと思って来たんだよ」

「心配してくれたの?」

「ナユがな。心配だからどうしても確かめに行くって聞かねえんだ」

 髭面の大男は名をバルドという。隣では銀髪おかっぱ頭の少女、ナユが白杖を手に、フランの声がする方を見ている。


「フランさん、お体はだいじょうぶなのですか?」

「体は何ともないんだよ。休んだのは、デビッキに頼まれて遠くまで行ってきたからでね。心配かけちゃったね」

「それならよかったです。ルゥさんの言いつけを守らなかったのかと思いました」

「そんなぁ。ちゃんと野菜は食べてるよ? お酒も少しにしてるし」

 ナユの前でたじたじになるフランに、ルゥとモノリは顔を合わせて笑ってしまった。


 元罪人兵士のバルドと、盲目の少女ナユに血縁関係はない。かといって恋仲というのでもない。建前上バルドが養っていることになるが、彼は常に無職だ。一方のナユはバンドゥリアンハープという弦楽器の名手で、この街でも評価され始めている。どう見てもナユの方が稼ぎ頭だった。


「そろそろお帰りの時間かと思いまして、待っていました。お疲れでしょう」

 安定の火葬技師長モノリが郵便物を揃えて手渡す。

「留守の間どうだった?」

「ご遺体は問題ありません。私が作った防腐剤を試してみたんですが、多少の効果はあったかと」

「へえ! すごいね」

「しかし個人的には自然な状態のまま火葬してあげたいものですね」


 それからオーナー室でフランは甦りの話を始めた。会話を背に、ルゥはガスストーブに火を入れてやかんで湯を沸かす。

「なるほど、そんなことが。人の命と奇跡で金儲けですか。デビッキ司教もお怒りでは?」

「うん。あのデビッキが、金儲け主義めって言ってたからね」

 村のマルシェで買った二種類の柑橘を茶葉と一緒にティーポットに入れ、湯を注ぐ。ナユが「とっても良い香りですね」と微笑んだ。


「デビッキ司教ってそんなに儲けてるんですか?」

「聖ザナルーカ教会はほんの十数年前までボロボロで閉院寸前だった。それがデビッキ司教が主席司祭になるや否や経営方針を変えて立て直し、今の立派な姿になったんだ」

 モノリはこの道二十年のベテラン火葬技師だ。ノールデン市のこともよく知っている。


「え、そうだったんですか⁉︎ 今じゃこの街の観光名所になってるし」

「去年は一棟丸ごと図書館を増築してたしね。僕もすごいと思うよ」

 昨今は新しい活版印刷機が開発されたおかげで本の値段はかなり下がったらしい。しかし教会が所有するような書物や文献は未だ高価なはずで、それを収蔵するためだけの建物なんて途方もない気がする。


 会話が途切れると、ぽつりとナユがこぼした。

「甦りのことですがわたしは、偽りでも死んだ人を甦らせられるなら、おとうさんとおかあさんにもう一度だけ会いたいと思ってしまいました」

 ナユは旅楽団一座の娘だった。バルドと出会うきっかけになった事件で野盗に襲われ、両親や身内を全員亡くしている。


「そうだね。僕もわかるな。夢の中でもなかなか会いに来てくれないしね。もう一度だけでいいから話したいなぁ」

 残りが少なくなったティーカップを見つめるフラン。モノリもバルドも何と言っていいか分からない様子だ。


「お茶、おかわり要りますか?」

 とっさにかけた声が少し虚しい。フランは首を横に振り、モノリは「今夜はゆっくりお休みください。三号炉の修理も終わって明日は久しぶりにフル回転になりますので」と席を立つ。

「俺たちも帰るぜ。用があったら呼べや」

「うん。ナユさん、またね」

「ごちそうさまでした。明日は演奏でまた来ます」


 オーナー室が二人になると、フランも立ち上がった。

「さてと、君も疲れただろうし今日は帰りなよ」

「え、夕飯は?」

「何か買うから作らなくていいよ」


 そんなことをさせると干しブドウだけとか、チョコレートだけとかになるのだ。あるいは食べたいものが見つからないとかで、飲まず食わず。それで明日「なんかお腹がヘン」と言い出すのが目に見えている。

「ダメです。今すぐ作ってきますから十分だけ待っててください」

「え、でも」


「早くお帰りになりたいなら、ご自宅にお持ちしますから」

「わかったよ。じゃあそんな焦らなくてもいいから、君の分も作っておいで。そしたら食べて帰ってすぐ寝られるでしょ。ここで待つからさ」

 そう言って、さっき受け取った郵便を金色のペーパーナイフで開封しだした。


 急いで厨房へ下りていく。今日は料理長も休みで、調理器具は全てきれいに乾いている。

 クロックムッシュを作ろうとハムとチーズを厚めに切って、作り置きの飴色玉ねぎソテーと共にスライスしたパンではさむ。バターを溶かしたフライパンで焼いて、本当ならベシャメルソースを塗るのだがフランの胃には重たすぎるので、卵を溶いてパンにまとわせる。少し砂糖とミルクをきかせるのがフランの好みだ。


 以前、フランの自宅で玉ねぎのスープを作ったことがある。フランは料理ができないが、調理器具は一通りそろっていたのだ。鍋には埃が積もっていて最近使われた形跡はなかったが、底の焦げ跡はきちんと料理がされた証拠だ。それに収納の仕方がなんとなく女性っぽかった。


 夢の中でしか会えない。もう一度だけでも話したい。そういう人がいたのだ。

 そしてモノリとバルドの反応に、その人の喪失からまだ立ち直れていないのだと感じた。


 存在すらルゥは知らない。フランの秘書兼料理人になってまだ五か月しか経っていない。聞けば、フランは話してくれる気がする。

「けど……」

 寂しさでフランの顔を曇らせたくないし、かける言葉をルゥは持っていない。フライパンの中身を返し、じっと待つほかなかった。

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