Ⅳ 教祖さま

 団体名そのまま≪神の家アストラル≫と名付けられた館は、それぞれの年代の持ち主が増築を繰り返してきたのだろう。入り口側が新しく、奥へ進むほど古くなっていく。

 待合室で待つように言われ、白い革のカウチにルゥは身を沈めた。


「長かったぁ……、フランさん大丈夫ですか?」

「足が棒になったね」

 フランも足を曲げてふくらはぎを揉んでいる。


 朝一番から、受付のために行列すること三時間。それでも暴行事件の犠牲者だからと順番を繰り上げられてだ。徹夜組もいて、通常なら五時間は並ぶという。

 そして申込用紙を受け取った段階で課金が始まる。まずは故人の生活歴や職歴や既往歴、死因や死亡事の状況等々事細かに書かされるのだが、そこにも大金がかかるというのでルゥは鼻血が出そうだった。


 三時間並んで受付で申込用紙を受け取るだけで100万Lロン、説明を聞いて故人の情報を記入するのに100万、甦りを受けられる状態か審査を受けるのに800万。ルゥたちは今ここだ。

 審査の結果甦りを受けられなくても最初に支払った金は戻らないし、審査に通り甦りを受けても必ず成功するとは限らず、その場合も返金はない。100万かけた説明の最初に口酸っぱく言われ、同意書まで書かされた。


 漆喰の白壁に開け放たれたバルコニーの待合室には、ルゥたちだけだ。

「受付だけで100万って。詐欺ですよ詐欺!」

「それでも大切な人を甦らせられるわずかな可能性があるなら、お金はいくらでも払う。ここに来ている人はみんなそういう気持ちなんだよね」


「でも甦りが成功したら追加で1000万かかるんですよ。おれなんかじゃとても払えないし。一体家が何軒建つんですか」

 現に、フランはトランクケースから札束を次々に取り出しここまで来た。誰にでもできることではない。

「良心的な金利のローンも組めるみたいだし、内臓よこせとかブラックなのはなさそうだね」


 そう言われて、一度だけフランについて行った闇オークションを思い出す。出品される品には銃器や密輸品もありというのだったが、金持ちの物欲と見栄と競争心は凄まじく、もうこりごりだ。


 すると奥の扉が開いて、やけにぴったりした黒服の女性が現れた。

「お待たせしましたぁ。教祖さまの審査が合格しましたので、これから甦りの儀式に入りまぁす。まず最初に教祖さまからありがたぁいお言葉がありますので、こちらのお部屋へどぅぞぉ」


 キラキラした大きな目と、真っ赤な唇が甘い声で告げる。宗教施設では覆い隠されるべきたっぷりした谷間の胸元を、思わずルゥはガン見してしまった。

 奥に広がるのはこちらも白い漆喰壁の部屋で、中にいる五人の黒い僧服たちが浮き上がるようで不気味だった。


 五人の中央で一人だけ、白髪に茨の冠を被った男が両手を広げる。

「よく来てくれました。実に痛ましい事故でしたので、我々もぜひ力を貸したいと思っていたのですよ。ミデール院長には断られてしまいましたが、あなたのようにご理解あるご遺族がいてくれて良かった」

 教祖さまだろう。その目は濁った土石流の激しさがあり、宿す光の鋭さは確かにただ者ではない。目の下には色濃いクマと大きなたるみ。しかし頬はこそげて、日焼けというには顔色がどす黒い。


「その割には順番繰り上げてくれただけで、料金はしっかり取るんだね」

「全財産を投げうってでも生き返ってほしい。そのようなご遺族の願いの強さは甦りに不可欠なのです」

「ふぅん」


 こいつ、見え透いた嘘をつきやがって。フランの代わりにルゥは睨んでやった。

 代理遺族のフランが甦りを強く願っているとは思えない。本体のミデール院長がそれを望んでいないのだ。にも関わらず審査をクリアしたのだから、遺族の願いなど無関係のはずだ。


「ところで支払いのことで相談だけどね、甦りが成功した場合、追加で払う分の現金を持ちあわせていないんだ」

「ローン払いで構いませんよ」

「これで支払ってもいいかな」

 そう言ってトランクケースから取り出したのは、直径三センチはある大きな紫水晶だ。あらゆる方向から光を捉えると目に焼き付くようなあでやかな紫色を放つ。まさに息を飲む美しさだ。


「アメジストですか? これほどのを見たのは初めてです。一体どこで手に入れられたのか?」

「ベルジェモンドって知ってる?」

「闇市場にのみ出回る幻の宝石と……。まさかこれが?」

「うん。査定額だと1000万は下回らないって。これが鑑定書」


 教祖さまが信じられないという顔でフランを見る。鑑定書に書かれた作り手フランの名前と、目の前のふわんふわんの白金髪が一致したのだろう。

 天使の白き炎フランベルジェ——フランの魔法の炎で焼かれた遺体は、あまりに高温のため骨すら残らない。灰の中に残るのは死者の魂とでも言おうか、一粒の美しい石だ。大きさや色、輝きも千差万別で、どれ一つとして同じものはない。

 他人の死体から採取したものなど汚らわしく不謹慎。それでいて鉱石よりも遥かに美しい禁断の果実は闇市場のみに流通し、極めて高値で取引される。それがベルジェモンドだ。


「なるほど。近くで見ても?」

「どうぞ」

 フランが教祖さまの手にベルジェモンドを乗せる。あれを間近に見て、これまで誘惑に勝てた人をルゥは見たことがない。そして教祖さまも例外ではなかった。


「いいでしょう。甦りが成功した分はベルジェモンドで構いません」

「審査の800万は?」

「そこまでは……」

「200でどうかな」

「それはさすがに」

「じゃあ300でもいいよ」

 フランの赤目が見つめる。生命力に溢れた大きな瞳は、ベルジェモンドよりもずっと深く美しい。


 あなたをずっと待っていた。あなたのすべてが欲しい。

 そう囁かれたと錯覚してしまうほど、思考を超えた感覚の奥深くに直接触れてくる目をしている。

 教祖さまがふうっ、と大きく息をついた。


「仕方ありません。希少な宝石を譲ってもらいましたので、審査分の500万もお返ししましょう」

「助かるよ」

「ではこれより儀式に入りますので、続きの間でお待ちください」

「甦りの瞬間は見せてもらえないの?」

「それはさすがにできません。さあ、あちらへ。お連れしなさい」

「はぁ~い、どぅぞぉ~」


 強烈色っぽいお姉さんといかつい修道服に背中を押され、続きの間という廊下へと強制退室させられる。背後でバタンとドアが閉まり、何も聞こえなくなる。フランが戻ろうとするが、既にドアは施錠されていた。

「なにがなんでも見せないってわけですね」

 ドアに耳をぴたりとつけてフランが中の様子を伺うが、駄目だと首を横に振った。


 待たされたのは十五分ほどだ。それからお姉さんに付き添われて現れたラグナ教会の修道服に、ルゥもフランも言葉を失う。

「あのぅ、私を甦らせてくれたのはお二人だと聞きました……、誠に失礼ではありますがどちら様でしょうか」

 動いて喋るチェルリ修道士を見るのは初めてだが、その目は清らかで血色も悪くない。何より陥没していた頭が復元し、自力で立って歩いている。


「失礼」

 チェルリ修道士の横から猛然とフランが部屋を戻る。そこには空になった棺に蓋をする黒服たちと、両手を広げて微笑みを浮かべる教祖さまだった。

 ドアは二つ。待合室から入るドアと、続きの間へのドアだけだ。


「甦りは成功しました。あなた方には奇跡を受けるに相応しい資格があったということです。棺はお持ち帰りになりますか?」

 勝ち誇ったような微笑みと、土石流の瞳が放つ光はかえって凶々しい。


「そうだね……、念のため持ち帰らせてもらうよ」

 フランですらそれだけ返すのがやっとだった。ぽかんと立ち尽くしているチェルリに「帰ろうか」と促し、続きの間へと進む。


 扉を閉める前に、背後から教祖さまの声がした。

「ノールデン市から来たそうですね。聖ザナルーカ教会のデビッキ司教を知っていますか」

「同業仲間だよ」

「もし会う機会があれば伝えてください。近いうちにまた、と」

「あなたの名前を聞いてもいいかな。教祖さま」

 男は答えない。暗闇からじとっと貼り付くような視線に得体の知れない気色悪さを感じ、ルゥは教祖さまの顔を直視できなかった。


 外に出ると館の裏玄関だ。どうやら中は一方通行で、審査で脱落した人とは交差しないようにしているらしい。

 のそのそ歩くチェルリと共に修道院に帰り着くと、若い修道士たちが駆け寄ってくる。チェルリの体や頭に触れて確かめると、驚きと感激なのかよく分からない声を発し合っている。


「もしかしらた別人なのかもって疑ってたけど、本物のチェルリさんで間違いないみたいだね」

「はい。……っ⁉」

 驚いたのは、目の端に映ったデビッキとミデール院長にだ。


 歓喜の中、あの二人だけが一切笑っていない。デビッキは固い視線でチェルリを見ているが、ミデールに至っては明らかに青ざめている。

 するとデビッキが小声で告げた。


「ミデール、いいかな」

「はい。どうかお願いします」

 ルゥとフランにしか聞こえていない会話。嫌な気配にルゥの背中がぞくっとする。


「修道士チェルリ。主のご加護に感謝しなさい」

 わずかに震える声でミデール院長が告げる。チェルリは祭壇の前に跪き、感謝の言葉を発しながら床へ伏して祈りを捧げた。


 その背後にデビッキが音もなく近寄る。右手の中には聖護札が見えた。伏せた上体を修道士が起こした時——


静死フェイダム


 青白く発光する聖護札を背中に貼られたチェルリの体が、糸が切れたように崩れ落ちる。

 あれは確か、心臓を止める術のはずだ。

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