Ⅲ 神の声

 棺桶が行列している。

 元々は小さな漁村なので、通りの道幅は荷車がすれ違える程度だ。暗闇の中に棺、棺、棺がひしめいているのは、不気味と言うほかない。そして生臭い匂いが漂っている。中の遺体が腐りつつあるのか、それともこれが海の磯臭さというやつだろうか。


 石畳で舗装されていない裏道には、雑草すら生えていない。

「たくさん棺を引きずったんだろうね」

「うぇっ! そんなに……」


 村の北東部にあるユング修道院の門扉は固く閉ざされていた。裏口へ回りノックを繰り返しても応答がない。フランは静まりかえった辺りを見回している。

「襲われたっていうし、警戒してるのかな」

「だろうね」


 デビッキが辛抱強くノックを繰り返し、ようやく覗き窓が用心深く開けられると「幸せの匂いは大地の匂いであるべきだ」と低く告げる。

 覗き窓がバシャッと閉まり、すぐに脇の木戸が開けられた。

「どうかご無礼をお許しください。兄弟と確証を得るまでは決して開けてはならないと院長より申しつけられておりますゆえ。どちらさまでしょうか」


「賢明だな。北方司教デビッキだ。修道士が殺害されたというのは本当か? ミデール院長は?」

「し、ししし司教さま⁉︎ ももっもっ申し訳ありません大変に失礼しましたぁ!」

 かわいそうなくらい動揺した修道士にわたわたと案内される。


 礼拝堂には外から目立たぬよう、か細く蝋燭ろうそくが灯されていた。仄暗い中に棺が安置され、集まった修道士たちが祈りを捧げている。

「あああ、来てくださったのですねデビッキ司教……!」

 修道士たちの奥から、足を引きずりながら急ぎ寄るのがミデール修道院長だろう。司教の名を聞いた修道士たちが、えっ⁉︎ という表情で皆一斉にデビッキへ頭を下げ、二歩下がった。


「ミデール、お前までやられたのか。よく無事だったな。何があったのか聞かせてくれ」

 縋りつくミデール院長はデビッキよりも年長の三十代半ばだろう。腫れ上がった顔に、修道服は血と砂埃で汚れ、哀れなほどに乱れた髪を整える気力も残っていない有様だった。さすがのデビッキもこれは叱り飛ばせないようだ。


「今朝早くのことです。まだ受付が始まっていない甦りの館の前で、ある男が叫びました」


『俺の四歳の娘は馬車にはねられ、痛いと泣き叫び三日間苦しんで死んだ。家族で毎週教会のミサに通い、献金もしてきたのに神はあの子を救ってくれなかった。ラグナ神は何もしてくれなかった! それどころか、甦りを邪魔してきたんだ! あの子は優しい子で、悪い事なんて一つもしてない。小さな手を合わせて毎週お祈りしてたんだぞ、生前の徳が足らないはずがない! なのに、全財産をかけてここまで来たのに甦れなかった。絶望した妻は自殺したよ。これは神の嫉妬だ! 教祖さまの奇跡にラグナ神は嫉妬して、邪魔をしてるんだ!』


「つまりその男は、自分の娘の甦りを依頼したが、成功しなかったんだな。ショックを受けた妻は自殺し、それで自暴自棄になっていたと」

「仰る通りです。よくある教会批判の一つですから、まともに取り合う類のものではありません。しかし……」

 犠牲となったチェルリ修道士は、たまたまその場に居合わせ、たまたま虫の居どころが悪かったのか反論してしまったという。


「悪童上がりで元々血の気は多かったのですが、まさかここまでになるとは思わず」

 両者の怒りはあっという間に暴力へ、そして集団暴行へと拡大した。

「知らせを受けて私も駆けつけましたが、その時にはもう……。私も修道士たちも、命からがら逃げるので精一杯でした」


「事態を収束したのは?」

「”教祖さま”です」

 館の上から見ていた男が雷のごとくバルコニーから一喝し、騒ぎを鎮めたのだという。

「教祖さまが正義になってしまったわけか」

 デビッキは苦い顔をした。


「このような事態になり面目ありません。私の責任です」

 深々と頭を垂れるミデール。デビッキは蓋が開いた棺へ近づいた。

 ご遺体の顔には殴打された痕が残り、頭部も変形してしまっている。デビッキの表情がふっと慈しみへと変わり、そして右手を伸ばした瞬間に雰囲気までもが一変した。ご遺体に向けて頭頂部、喉仏の下、左右のこめかみを指先で軽く突き、祈りを捧げる。


「修道士チェルリは暴言に屈することなく教義を説き、その魂は気高く最後まで信仰に忠実であった。道半ばであり神の召命にかなう充分な試練を得たとは言えぬが、修道士チェルリの行いを神はゆるされよう。魂は御許へ旅立たん」


 ルゥは自分の目と耳を疑ったが、ミデール院長はじめ周囲の修道士たちが全員跪いたので勘違いではない。

 目の前のデビッキは、ルゥが知るふざけたエロ司教とは全く別人だった。十字を切って祈る仕草も、発する声にも、何かが宿っている。

 神を前に、己という存在の小ささ、醜さを露見された気がする。だが全てを赦し受け入れると告げてくれた。言葉や表情はルゥへ向けられたものではないが、それでも小さな歓喜がルゥの中で産まれ、花開き、残るのは幸福感だ。


「あれが新市街の神さまだよ」

 フランの目にも心からの賞賛が浮かんでいる。

「はい……、なんか分かります」

 神に呼ばれ、使命を与えられることを召命という。デビッキはまぎれもなく召命された人なのだ。それもとてつもなく神に愛されている。ミデール院長と比べても次元違いなのが、ド素人のルゥにすら分かる。


「デビッキ、一つ聞いてもいいかな」

 フランの声にデビッキが振り返る。

「チェルリ修道士を甦らせられないのかな」

「なんだって?」


「暴動の原因は甦りなんだもん。無関係じゃないんだから生き返らせてくれてもいいのにって」

 するとミデール司祭が片手を少し上げた。

「実は、その提案は既に断っていまして」


「なに? 向こうから言ってきたのか?」

「はい。すぐにやれば成功率も上がるから、特別に順番を繰り上げるとのとこでしたが」

 断って当然だ。ラグナ教会が他の神による奇跡を肯定するわけにはいかない。しかしフランはそれを承知で提案する。


「受けたらどうかな。内情を見る絶好の機会と思うけど」

「フラン君……」

「ラグナ教会として難しいなら、僕個人の依頼ってことにしよう。ルゥと二人で行ってくるよ」

 しかしミデールは眉間に皺を寄せたままだ。


「ミデールさん」

 フランがキャプリーヌハットを脱ぎ、前へ進み出る。その仕草と赤い瞳に、ミデール司祭が吸い寄せられるのがルゥにも分かった。


「部外者の僕が言うのはお門違いだけど、チェルリさんはとても真面目な方だったようだね。神への冒涜に我慢ならず行動し、まさかこんなことになるとは本人が一番思ってなかったんじゃないかな。そして本当ならもっと修行を続けたかったはずだよね。だから甦りを受けるのは彼の本意に反しはしないと思う」

「それは……仰る通りですが」


「ミデール。フラン君は火葬場のオーナーなんだ。だから死者の尊厳を弄ぶようなことはしないよ。信用していい。あとはおれたちが信仰心と折り合いをつけられるかどうかの問題だ」

 合理主義のデビッキらしい。ミデールは少し考えたが、頷いた。

「わかりました。奴らをのさばらせてしまったのは私の責任です。デビッキ司教にもこれ以上ご迷惑はかけられませんし、真相を暴くべきでしょう。お願いできますか」

「うん」


 フランへ頭を下げるミデール。それから足を引きずって祭壇前でひれ伏し、祈りを捧げた。

「ありがとうフラン君。でも平気? おれも一緒に行こうか」

「ダメだよ。運転士さんが言ってたでしょ、君は声でばれるんだって。それに、最初から僕を潜入させるつもりだったくせに」

「あ、気付いてた? まさかうちの兄弟を甦らせることになるとは思ってなかったけどね」


 それから地図で位置関係を把握し、今夜は修道院の宿舎に泊まらせてもらうことになった。フランと二人、二段ベッドの部屋は狭く質素だが、シーツはからっとして洗濯したての匂いがする。

「暴動で亡くなったなんて気の毒ですけど、本当に甦らせられるんですかね」

 上段から返答はないので、もう寝てしまったのかとルゥも目を閉じた時だ。


「君は甦りが成功してほしいと思う?」

「え……、難しいこと聞きますね」

 祭壇にひれ伏したミデール院長の背中は、全く納得していなかった。それでも絶対的上司のデビッキの手前、苦渋の妥協をしたのだろう。甦りが成功するとは限らないが、そうなって欲しくない思いがありありだった。


「でもチェルリ修道士は死にたくなんてなかったでしょうし。だからおれは、成功したら嬉しいというか、よかったなと思います」

「いいね、ルゥらしいね」

「ラグナ教会の人には悪いですけど、善い悪いで決められるものじゃない気がして」


「肉体の死後に魂は神の裁きを受けて、天国か地獄どちらかへ向かうのがラグナ教会の考えなんだよ。だから甦るというのは神の裁きから逃れるか、神に背くことになるんだ」

「それでミデール院長は拒否してるんですね」


「うん。もし肉体は甦らせられたとしても神に背いた魂に安息はない。それを恐れているんだろうね。じゃあ教祖さまは、どうやって魂を救済するつもりなんだろう。≪神の家アストラル≫では都合よく救ってくれるのかな」

 赦しや魂は目に見えるものではないし、抽象的な話でルゥには答えようがない。


「フランさんは魂ってあると思いますか?」

「あると思った方がいろいろ説明がつけやすいんじゃないかな。人の手で魂を解明し構築できるかはね、デビッキの長年の研究テーマなんだよ」

「魂を?」

「論文をいくつも発表してるし、彼なりの理論はあるだろうね。だから教祖さまのことは内心穏やかじゃいられないはずなんだよ」

「そっか、甦りを成功させて先を越されたかもしれないから」

「だから僕を使って、何が何でも暴きたがっているはずでね。迷惑な話だよ」


 二段ベッドが揺れ、ゴソゴソと体勢を変える音が聞こえた。眠るつもりのようだ。ルゥも右の壁を向いた。

 それきり、気付くと朝になっていた。


 棺をリヤカーに固定し、ルゥが引いてフランが後ろで支える。

「さあ、甦りの館へ行くよ」

「はいっ!」

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