第三章 星芒煌めく時

Ⅰ 元祖エロ司祭

 結局無実を証明できぬまま、デビッキは大神官と共に聖地モッゼへと旅立ってしまった。

 それではいよいよ教祖さまの天下かと思いきや、新市街は静かなままだ。デビッキが築いてきたラグナ教の地盤が強固なのだろう。甦りよりも神の御許で魂の安息を願う人が圧倒的に多く、盛り上がりは初日がピークだったようだ。


「フーシェ司祭の言う通りになりました。ザマ見ろですよ」

 手作りいちごジャムの朝食を食べながら毒づくルゥへ、フランはドレーヌ大聖堂を訪れるつもりだと言う。

「主席司祭が事故当時のことを調べてくれてるみたいで。このまま何もしないで待つだけなのも、ちょっとね」

「ラスパイユとベインが居た教会ですよね。おれも行きます」


 午前中の火葬を終えて、ノールデン中央駅から蒸気機関車に乗り込んだ。北のエタンゼル市までは一時間ほどだ。汽車が動き出すと、フランがチョコレートを差し出した。

「ベインさんはラスパイユさんを甦らせたいと願うほどに慕っていたでしょ。どうやら恩人みたいだね」

「もしかしてミデール院長が調べたんですか?」


「うん。昨日郵便が届いて。司祭になるためには神学院で何年も学んでから難しい試験を受けるんだけど、ベインさんはギリギリ合格だった。狭い世界だから、成績の良し悪しだけで司祭としての序列が決まっちゃうんだって。だから本来ならベインさんは、片田舎の小さな教会の司祭で一生を過ごすはずだったんだ」

「成績だけで上下関係が決まっちゃうんですか。やっぱり怖い世界だなぁ」


「それがどうして花形のドレーヌ大聖堂で採用されたかというと、ラスパイユ司教の指名だった」

「司教って確か雲の上の存在なんですよね?」

「そう。そんな人が成績ビリの人をわざわざ採用すると思う?」

「考えにくいですね」

「でしょ。二人の間に何かあったのかな」

「恋愛……とか」


 ルゥはフランと視線を合わせた。

 墓まで持っていかなければならない秘密があるんだろと、デビッキが問い詰めていたのを思い出す。同性間の恋愛なら充分だろう。

「でもラスパイユさんには多くの女性を暴行した事実があるよ。それも若い頃から繰り返していたみたい」

 フランの言わんとしていることが分かり、思わず目を見開いた。


「まさか、親子ですか」

「二人の年齢差は十六歳。無くはないでしょ」

 ラグナ教の聖職者は妻帯禁止だ。高位の司教に隠し子がいるなど知れたら、まさに宗教裁判ものだ。

 ベインが父親と認識していたかまでは分からないが、ともかくラスパイユを慕っていた。ではラスパイユの方はどうか。愛すべき存在だったのか、自分を脅かす迷惑な存在だったのか、あるいはその両方で側に置いておこうとしたのか。


「あ……っ」

 ラスパイユの魂はベインの名に強く反応していた。その動悸が再びルゥの胸を打つ。

「ルゥ? だいじょうぶ? まず深呼吸しよう」

 向かいのフランがルゥの背中に手を当て、顔を近づけた。花の香水の香りに息苦しさが和らぐ。


「あのね、君をドレーヌ大聖堂に連れて行くのは、実は賭けなんだ」

 ルゥの背中に当てられた手が上がって、肩を撫でた。

「転落死の現場を目にすることで、ラスパイユさんが君の中に残した記憶の波紋が浮き上がるかもしれない。けどそれって、トラウマを呼び起こすようなものだ。君にまた苦しい思いをさせるかもしれないのに」


「それ、言い出したのはデビッキ司教じゃないですか?」

「うん……。先入観を与えないために、黙って連れて行けって言われて。ごめん」

「なら言っちゃダメじゃないですか!」

 ルゥは苦笑した。嬉しかったのだ。

「やりますよ。おれだってこのまま何も役立てないのはシャクですから」


 古くから大都市だったエタンゼル市には、天へ近づく高い塔を持つ教会がいくつもある。二人とも訪れるのは初めてだったが、駅の案内所で聞くまでもなくルゥにはどれがドレーヌ大聖堂なのか分かっていた。

「既視感があります。たぶん元司教の記憶です」


 冷たい風の中、上着の襟を立てて石畳を進む。

 川岸に鎮座する古城、エタンゼル城の東側を占めるのが大聖堂だった。敷地内には現在はホテルとして運用されているかつての司教公邸や、参事会員の古いが豪奢な住居が並ぶ。

「この国で一番権威のある教会なんですよね」

「大聖堂の歴史がそのまま権威の証として続いているんだね」


 そびえる双子の鐘楼を見上げた。古めかしい扉をくぐって大聖堂に入れば、ホールには3廊式アーチの柱がずっと奥まで直立し、祭壇は遥か遠すぎて豆粒だ。平日だが観光客や多くの信徒で賑わっている。


「司教って、自分で勝手に居場所を決めていいんですか?」

「駄目だと思うよ。だからデビッキは本当ならドレーヌ大聖堂に赴任しなきゃならないのに、近いからとか理由をつけてずっと従わないみたい」

「司教公邸にも住んでませんよね」


「公邸どころか、自宅は小さなアパルトマンの一室なんだよ。ほとんど執務室で寝泊まりしてるから荷物置きなんだって」

 ラスパイユは時代遅れの貴族のような生活をしていたのかもしれない。清貧ではないが実利派のデビッキとは水と油だろう。


 訪いを告げてから二十分ほど待たされ、ようやく白い祭服に丸メガネのスラッとした司祭が現れた。

「お待たせして申し訳ありません、主席司祭のノアムです。元は聖ザナルーカにいましたので、フランさんの事も知っていますよ」

「初めましてじゃないんだね。すみません、僕は覚えていなくて」


「デビッキが本気を出した相手はあなたとラスパイユ元司教だけじゃないかな。あ、今は彼の方が上の身分だけど、つい昔の癖で」

 くだけた口調と親しみやすい笑顔で、ノアム司祭は聞いてもいないのに話し出した。八年前にフランが火葬場を買い取った時、同業者として立ちはだかったのが、当時聖ザナルーカ教会で主席司祭のデビッキだったという。


「あなたが市から買い取ったはずの土地の所有権や測量結果に異議を申し立てたり、火葬場の建物のデザインがこの街にはそぐわないとか、火葬が増えては治安が悪化するとかね。完全にいちゃもんだったでしょう。頭が切れるだけにデビッキは難癖も理詰めだし、けどあなたも全然諦めないで通ってきたし。よく嫌にならなかったよね」

「かなり悩まされましたよ」


「それがいつの間にかデビッキをも味方につけていてね。不思議な方だなぁ。デビッキは元気にしてます? 近いのに何年も会う機会がなくてね。大変なことになっちゃって」

「元気は元気ですよ」

「聖ザナルーカに来た頃はこっちがあごで使ってたのに、今じゃ総主教候補だもんなぁ。変わらずモテるだろうね。というかフランさんも女性が放っておかないでしょう」

「ノアムさんほどじゃないと思うな」

「うまいことを! デビッキに女性の口説き方を教えたのはオレなんだけどね。オレもあの顔に産まれてたらなー」

 おしゃべりな元祖エロ司祭というわけだ。


「ノアムさん、聞きたいことがあって」

「ああ、ラスパイユ元司教のことだよね。デビッキから依頼されて、オレも当時の司祭たちに連絡を取って調べてみたんだけど、転落死は確かだ。朝課の修道士が発見して、夜間は施錠する鐘楼の鍵が祭服のポケットにあった。目撃者は誰もいなくて、騒ぎや抵抗した痕跡も見られず、自殺と断定している」

「遺書はあったの?」

「ないよ。衝動的な行動だったようだ」


「ラスパイユさんは罪を抱えていた。けれどそれで自殺してしまったら永遠に安息はなく、罪を上塗りするだけだよね。司教ともあろう人がそんなことをするかな?」

 フランの言葉に、ノアムの顔が急に厳しいものになる。

「それはもっともだけど、一方で彼には欲望を止められず罪を重ね続けたという面もある。司教といえど信仰に忠実だったわけじゃない」


「死への欲望も止められなかったというわけかな」

「己を欲望と自己愛から解放し神の意志と共にあること。神職の基本のきなんだよね。偉くなる前からラスパイユにはそれが欠けていたけど、誰も見抜けなかったんだ。唯一、デビッキだけが気づいた」

 祭壇前で、ラグナ神の彫像にノアムは祈った。表向きには煩悩を忘れられないエロ司祭も、どうやら芯の部分は神に捧げているらしい。

 

「事故現場の鐘楼に上がらせてもらってもいいかな?」

「構わないよ。がんばって上ってね」

 

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