Ⅵ 染みついて消せない

 調べものに行くというフランと分かれ、修道士の案内でルゥは海沿いの市場マルシェに来ていた。昼食のメルルのおいしさが忘れられず、他の海産物をどうしても見てみたくなったのだ。思った通り、ノールデン市のマルシェとは品揃えが全然違って、ワクワクが止まらない。


「うっわああぁ! なんだこれ、本当においしいんですか?」

 手のひら大の大きな貝を開けてもらうと、中には灰色がかった白くてつるっとした身と黒いビラビラが詰まっている。うまそうにはとても見えないのだが、レモンを絞ってこのまま生で食べるのだと言われ、緊張しながら大口でいってみる。


「⁉」

 最初に感じたのは磯っぽさ。けれどつるんとした歯ごたえの後に予想外の濃厚な旨味がやって来た。他に無いようなクリーミーな旨味だ。牡蠣カキというらしい。

「すご! これすご!」

 それしか言えなくなり、同行してくれたエルヴィン修道士に笑われながらいろいろと買い込んだ。


 修道院では自給自足だけではなく、意外にも地産の魚と貝はよく食べるのだという。これにはデビッキの個性が強く表れているらしい。

「暦で断食をする時期もありますが、それ以外はしっかり食べて体力をつけないと、神にも信徒にも声は届かない。院長はデビッキ司教に教えられたそうです。しかし他の司教区では必ずしもそうではないと聞きます」


「へえ。デビッキ司教ってやっぱり異端児なんですか?」

「そんなめっそうもない。カリスマです。インフルエンサーですよ。めちゃくちゃ出世してるのが証拠です」

「でもライバルたちをたくさん蹴落としてきたみたいですし」

「そ、それは政治力があるという意味ですきっと! 聖職者の世界は常に勢力争いなので」


「そうなんですか? 確かに上下関係は厳しそうですけど」

「ええ、私は関わりたくないので一生ヒラのままでいいです!」

 と言うくらいなので、きっとルゥの想像以上にえげつない世界なのだろう。雇い主がフランで本当に良かったと思う。


 生牡蠣のおいしさをフランにも味わってほしいが、体調によりひどい腹痛を引き起こすことがあると聞いたので、火を入れることにする。

 下ごしらえがひと段落して食堂を覗くと、帰ってきたフランがデビッキ、ミデールとテーブルについたところだった。


 お茶を淹れようと、グラグラ沸かしすぎないよう注意してやかんを細火にかける。ポコポコと泡が上がるのを待つ。

 鉄肺病により人の寿命は百年から五十年になった。寿命が半減すると何にでも時短効率化を求めがちになるが、こうして身近な人のために時間をかけて待つのは、決して無駄だとは思わない。


 茶葉はフランが好きな炒り茶を持参していた。湯を注ぐと、ふかふかの落ち葉のような香りが上る。

「どうぞ。どちらまで行かれたんですか?」

「ありがとう。村役場であの館の所有者を調べてきたんだけどね」

「そんなことができるんですか?」

「うん。これがあればね」


 見せてくれたのは、”業種:火葬業、飲食業” ”発行:ノールデン市” ”事業主:フラン=エーヴェル” と書かれた商業ライセンスだ。五年以上継続して一定の課税額を満たした事業主に発行されるものだという。あらゆる登記情報を引き出せると同時に、役所や銀行等へ情報が提供されることになる。


「なるほど、おれたち宗教人には無理だね」

「でしょ。持ち主の遍歴を見たところ、ずっと所有していた一族が手放した後、四ヶ月前にベイン=キューズという人が土地屋敷を買い取っている。教祖さまがこの村で活動を始めたのはいつから?」

「半年より前だったと思います。最初はあの場所ではなく、海岸近くの空き倉庫を使っていました」


「ということは稼いであそこに移って拡大した。つまりベインさんが教祖さま、もしくは近しい人物で間違いなさそうだよね。この名前に心当たりは?」

「全然ない」

 デビッキは相変わらずだが、ミデールは思い出そうと額を押さえている。

「ベイン……ベイン。聞いた気がするのですが、どこかにいませんでしたか?」

「だから覚えてないって」


「君の耳に留まるほどの人物じゃなかったってことかな。それが今になって強力な力を身につけて現れた。元々素質はあったけれど開花しなかったのか、あるいは開花する前に……」

「おれが排除したって言いたいのね。覚えてないから否定もできないし」

「私が当たります。すぐに」

 ミデールが痛む足をかばいながら食堂を後にした。


「教祖さまの顔は異様だったよ」

 茶を含みながらフランが呟く。


「大概のご遺体は安らかな顔をしているものでね。死がどんなに壮絶であっても間際の苦痛から解放された顔や、死の恐怖を受け入れ穏やかに息を引きとった顔をしている。もしかすると何が起こったか分からないままの顔なのかもしれない。けれどあの人の顔は、まるで甦らせたご遺体の苦しみや無念を代わりに引き取り、積み重ねたようだったよ。深い憎しみが染みついていた」


「死への憎しみか。理不尽な事があったのかな」

「どんな感情も時間が経てば薄れるものでしょ。憎しみだって例外じゃないから、ずっと忘れないのは想像以上に大変なことだよ。ほとんどの人は心や体が先に壊れてしまう。彼は安らかな感情を拒否して、憎しみを忘れまいと闘ってきたんだろうね。あの焦げきった感情は消せないな」


 人を救うはずの教祖さまがそうだとしたら、あまりに悲劇的だ。それに甦らせても二度目の死が避けられないのなら、恨むべき死を克服したことにはならないだろう。

 じゃあ教祖さまは何をしたいのだろうか?


「客の方はどうだった?」

「富裕層と全財産を投じて来てる人と半々かな。わらをもすがる思いで来てるのはみんな同じ」

「そこまでして甦らせたいものかねぇ。フラン君なら分かるか」

 それには同意も否定もせず、フランは別の問いを返した。


趕屍かんしの術を成功させるにはかなりの制約があるの?」

「術者次第だよ。条件が整っているほど少ない力で済むからね」

「色々根掘り葉掘り聞かれて、最後には遺族の強い思いが必要だって言われたよ」

「遺族とか一つも関係ないし。まぁでも、悪魔祓いの術で金儲けするのは教会法違反だね。そういうわけで今夜はホテルを取ったから」


「え、なに?」

「このまま居たらフラン君、襲われちゃうよ?」

「修道院ってそんな怖いところなの?」

「明日の昼の汽車で帰るから、少しゆっくりしようよ。焦ったところで良い方には向かないしさ」


 デビッキが切り上げたので早めの夕食を摂ることになり、煮詰めた白ワインと卵黄とクリームを混ぜて牡蠣にかけて、オーブンでサッと焼いた。新鮮なので全く臭みがなく、フランも気に入ってくれた。

 ホテルまでは少し距離があり、海風を感じながら坂と階段を上っていく。

「この辺りは新しいホテルが多いんですね」

「甦りブームで次々新築されたらしいよ」

「へー、すごい経済効果ですね」


 デビッキが取ったのは見晴らしの良い丘に建つプチホテルで、特等席のバルコニーから海に沈む夕日を眺めるのは、とても贅沢だった。階下の庭から伸びた木には黄色の果実がたわわになっていて、ちょうど手に取れる高さだ。名前は知らないが、皮をむいて口に入れると甘酸っぱい。


「男三人じゃなかったらなぁ」

 思わず漏らすと、瞳をキラッとさせたフランが食いついてくる。

「えっ、ルゥは好きな人がいるの?」

「いませんよ! いませんけどそう思っただけです」

「なんだぁ」

 本当は火葬場の受付のカナンさんが気になっているのだけど絶対言いたくない。


「カナンなのかと思った」

 ギクッ!

「あ、受付のかわいいコでしょ? 他に出会いはなさそうだし図星だな?」

 こっ、この大人二人っ!


「ち〜がいますって言ってるじゃないですかぁ。もう」

 落ち着けおれ。ここで焦ったら相手の思うツボだ。

「カナンはいい子だよ。ただちょっと難しいのがね、」

「………なんですか?」

「気になる?」

「気になりません!」

 大人二人が同時に吹き出した。くそ、完全に遊ばれている。


「もーいいです! 先に風呂使わせてもらいますからねっ!」

 頭にきたのでせっかく贅沢な気分も台無しだ。こうなったら石鹸泡立てまくってやる。歯磨き粉も山盛りにして贅沢してやるからな!

 

 ちなみにフランはオーナーだが、あまり贅沢はしない。着るものが上等なくらいだ。

 フランの秘書兼専属料理人になって五か月が経つ。食事でオーナーの健康を維持管理するのがルゥの仕事だが、その間体調を崩したことは一度もないし、体つきは今でも細身ではあるが以前より健康的になったと思う。

 野菜はやだとか肉が嚙み切れないとか辛いのはムリとかフランの注文は多いが、それでもこの人を元気にするのが自分の使命だという気持ちに揺らぎはない。


 風呂から上がると、フランは部屋に戻っていたが、デビッキはまだバルコニーから海を眺めている。

 ベッドは二つしかなく、ルゥは床に敷かれた簡易マットレスで伸びをした。いい気持ちだと思ったのを最後に、瞼が急激に重たくなる。


 次に気づいたら部屋が静かで暗い。

「寝落ちてたのか……」

「起きたの」

 暗がりから急に声がしてビクッとするが、デビッキだ。窓のところで燭台を灯し、読書だった。


「今、何時か分かりますか?」

「三時過ぎたとこ」

 細い光に灯されページをめくる顔は蝋人形のようで、いつもの人間味が感じられない。


「もしかして寝てないんですか?」

「寝て起きたよ」

「早っ」

「修道士じゃないからもう朝課なんてしなくていいのにさ。どんなに疲れてても昔と同じ時間に毎日目が覚める。おれの体、そういう風に作られてるんだよ」

「作られてるって、人形じゃないし……。二度寝すればいいじゃないですか」

「ははははっ、いいねそれ。してみたいな」


「二度寝したことないって、どこまで神なんですか」

「うん。でもこうしてフラン君の寝顔見てたらさ、朝なんてあっという間だよ」

 隣のベッドを見上げると、うつ伏せになったフランの寝顔が燭台の淡い光に浮かび上がる。


「おれのベッド使っていいよ。そこじゃ腰痛くなるでしょ」

 眠れるかどうか分からないが、断るのも申し訳なく「じゃあ」と移動すると、いつの間にかウトウトしていた。


 「ぃひゃあああああっ!」という悲鳴で跳ね起きる。窓の光がさっきよりもずっと明るくなっていて、叫んだのは隣のベッドのフランだった。

「なんでこっちにいるの⁉︎ ちょっ、どこ触ってんの⁉︎ 息が気持ち悪い!」

「だってぇ、ひどいんだよ? 夜中にルゥ君におれのベッド奪われちゃったんだもん。寒くてさぁ」

 

 ふつふつと怒りが湧きたつ。

「こんのエロ司教ぉ——ッ! 今すぐ離れろぉぉぅ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る