Ⅳ 屍体裁判1

 墳墓大聖堂の礼拝堂の奥には、一般人は立ち入れないエリアがある。総主教庁のオフィスや世界各国の客人をもてなす広間があるが、ルゥたちが通されたのは円形のすり鉢状の広い議場だった。周りをぐるっと階段状に司教司祭が取り囲み、まるで古代の闘技場だ。


「あの人がラグナ教の総主教ですか?」

「そうだね。隣にいるのはサイアスさんだ」

 上手側の壇上に座している、金色の衣の人だ。鉄肺病に罹っているということは最長でも五十代と思われるが、ずっと年老いて見えた。


 階段状の議席の最前列には、大司教団と総主教庁の神官が右翼と左翼に分かれて並んで座っている。次に外側には各国の司教たちと、決選投票のために選抜された司祭たちだ。ルゥたちは下手側の末席に案内された。

 デビッキとノアムは総主教に正対するように、下手側に証言台が設けられている。そして総主教の前には、ベインが控えていた。


 白い祭服に山吹色の幄衣あくいを垂らした神官が手をかざすと、場内のざわめきが静まっていく。

「本日の処刑について、各司教司祭及び信徒からの反対声明を聖下は重く受け止められた。聖下のご判断により、ここに再審判を開始します」


「実に賢明なご判断です、聖下。デビッキは罪を償う機会を自ら捨てた。死への恐れに耐えられず、悪魔の囁きにほだされ逃げ出したのです。恐れに負け罪を重ねるなど聖職者として言語道断! 釈明の余地はありません。この場での即時処刑を求刑します!」

 息を吸う間にベインはもう訴えていた。しかしデビッキも間髪入れずに返す。


「処刑と私刑をごちゃ混ぜにしているのは誰だ? お聞きください。このベインは私に対し、明らかな殺意をもって街中で法術を使い、銃で撃った。幸い私は無事でしたが、私を救おうとしたノアム司祭が傷を負いました。尊い善意で行動した彼を悪魔などと侮辱するのは許されない。明らかな犯罪行為だ」

 証言台の近くのルゥには「お前に尊いって言われてもなぁ」とぼやくノアムの声が聞こえた。


「神の御許みもとから自ら逃げ出した重罪人へ、総主教庁の代わりに私が刑を執行しただけのことだ」

「おれは聖下の分まで罪を背負ってるんだよ。だから聖下の御前で、かつ信徒たちに見守られながら死ななきゃ意味がないでしょ? あんな路地裏でお前に殺されるのが処刑のわけないだろうが。勘違いも甚だしい。ラスパイユのようにこっそり死ぬなんて、おれはごめんだ」

 その言葉にベインの顔色がサッと変わる。


「汚い口でその名を呼ぶなと言ったはずだああぁぁッ!」

「何度でも言ってやる。ラスパイユを死なせたのは彼自身の心だ。おれを憎んではいても、そのせいで死んだわけじゃない」

「違う! 死なせたのは、死なせてしまったのは——!」


「違ってなんかいません」

 ルゥは立ち上がっていた。

 聖職者ですらない、ましてや知識人には到底見えない部外者の発言など一蹴されるかと思ったが、進行役の神官から「名前を名乗り続けてください」と促された。

 議場内全員の視線を浴びて、ルゥは大きく息を吸う。


「パドギア国ノールデン市から来ました、ルゥといいます。こちらのおれのオーナーとデビッキ司教が長年の友人なんです。おれの体には、ラスパイユさんの魂が憑依したことがあります。どういう仕組みかは説明できませんが、デビッキ司教の法術で。そのせいでラスパイユさんの記憶と感情がおれの中にあります」


「戯れ事ををぉ! あの方の墓は区画整理で道路に埋められている! もうこの世に戻ることはない!」

 ベインはもう金切り声だった。

「いいえ、それじゃあんまり気の毒だからと、デビッキ司教が改葬したんです。今はザナルーカ墓地で眠っています」

 本当に知らなかったのだろう。ベインは言葉を失った。


「五年前のドレーヌ大聖堂での転落事故の日、鐘楼の上であんたはラスパイユを待っていた。どうしても会いたかったんでしょう?」

 ルゥは弱気になるなと自分を鼓舞しながら語りかけた。ベインが否定しないことが、真実だという証明になる。


「けれどラスパイユは、鐘楼の階段を上りながらもう、その時点で死ぬつもりだったんだ」

 長い階段を上る間、最初はひどくわめき散らしていたような心が、階段を一段一段上るごとに冷えていったのを思い出す。


「もはや神でも救えないところまで罪を重ね続けてきてしまった。ラスパイユは分かっていたからこそ、あんたを帰した後、一人で死ぬつもりだったんだ。けれど鐘楼の上で待っていたあんたの姿を見た瞬間、全てをかき乱された。あんたは血を分けたたった一人の存在だから。なんていうか……、全身の血が泣いたみたいだった」


 血を沸き立たせ、体内を渦巻く感情は、ルゥの中のどこを探してもないほど強い愛情だった。だが一方で体の芯は暗く、冷え切っている。この感覚を思いだすと、またどうにかなってしまいそうだ。苦しさに背中を屈めると、隣のフランが背中に手を添えてくれた。


「ルゥ、もう少しだよ」

「わかってます。伝えなきゃ」

 吐き気をこらえて、ルゥは歯を食いしばった。

「ラスパイユは死への冷たい欲望に取り憑かれてしまっていた。だから誰にも止められなかったんだ。あんたが死なせたんじゃない。ましてやデビッキ司教でもない」


 デビッキへの恨みがあったのは事実だが、死に取り込まれたのはそのせいではないと、ルゥには断言できる。

 そしてあの時、発作的に爆発した欲望が、愛する息子の運命をも手に入れようと暴走したのだ。

「ラスパイユの死は、あんたにとって消せない焼印みたいなものだ。祈っても癒えることはなく、忘れることもできなかった。だから神を捨てて、温かな感情をずっと拒否するしかなかったんでしょう?」


『あの人の表情は異様だったよ。まるで甦らせたご遺体の苦しみや無念を代わりに引き取り、積み重ねたようだった』

 フランは教祖さまの印象をそう語っていた。今ならルゥにも、その表情をほんの少しは理解できる。

「けれど許すことで自分も救われる。誰よりそれをわかっているはずなのが、司祭なんじゃありませんか」


 悩める人を導くはずの司祭が、死と憎しみから己を解き放てないでいる。そんなのあまりに悲劇的だとシュルシェーズ村で最初に思ったのだ。

 言うべきことは伝えた。ベインは沈黙したままだが、あとは届くよう願うだけだ。

 着席すると、フランが肩をぽんとしてくれた。

「すごかったよ。こんな大勢の前で話せて」

「どうしても伝えなきゃと思って。今になって心臓がバクバクしてます」


 周囲では司教司祭たちがざわめいていた。婦女暴行で司教の地位を剥奪されたラスパイユに、まさか隠し子がいて、それを手元に置いていたとは考えもしなかったのだろう。

「そんな人物を次の総主教候補に据えられるとは、聖下は一体どういうおつもりなのかお聞かせ願いたい」

 大司教団が代表し、進言する。


 代わりに答えたのは大神官サイアスだった。

「聖下は鉄肺病ゆえ、長く話すことはままならない。ベインは教会の孤児院育ちであり、そのまま神学院へ進学していたため、血縁については聖下も把握されていなかったと証言する」


「ではこの話が真実なのかをまず検証するべきではないか。そして身からこのような嫌疑が出ること自体、総主教候補としての適性を疑われるというもの。ベインを候補にするかはご再考されるか否か、お聞きしたい」

 サイアスが総主教を見る。枯れ枝のような体が、錫杖しゃくじょうを小さく振った。答えは否だ。


「っ⁉︎ なぜですか⁉︎」

「そのような者を認めるわけにはまいりませんぞ!」

 大司教団の猛反発で怒号が飛び交い、場内は一気に騒然となった。


 すると、そんなものはどこ吹く風のデビッキが、こっちに身を乗り出して話しかけてくる。

「ルゥ君、大活躍じゃない。ラスパイユと親子ってのはおれも盲点だったなぁ。ドレーヌ大聖堂に行って気付いたの?」

 フランが「そうだよ」と答える。

「君はたくさん彼女がいるじゃない。もしかすると君にも知らないところで、子どもがいるかもしれないよ」


「あれ、おれがヒントだったの?」

「うん」

「もしかしてちょっと妬いてる?」

「全然」

「誤解があるようだけどさ、たぶんみんなが思うほどやってないからね?」

「告解室でイチャついてるってフーシェさんが言ってたよ」

「だからやってはないって。先輩はやってたけど」

「オレかよ? 教会あるあるだよ」


 総主教を前にした厳粛な場のはずが、何を話しているんだか。まずこっちを審判した方がいいんじゃないかと、ルゥは苦笑した。


「じゃあ、ルゥ君がいい感じに温めてくれたし、そろそろいこうか先輩」

「オレ何も聞かされてないからな?」

 おもむろにデビッキが手を挙げて発言を求める。「静粛に」という神官の声にざわめきが引いていく。


「聖下とベインがどうしてそんなに仲良しなのか、ノールデン市からここへ来る間にいろいろ考えてみました。一体どんな取引があったのか、何が起こったのか。あらゆるケースを想定しましたが、最初に審判の場で聖下にお会いして、全部外れだったとすぐに分かりました」

 デビッキの視線がベインを越え、その後方へと向けられる。


「屍体なのはおれじゃない。総主教聖下、あなただ」

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