Ⅴ 屍体裁判2
今度は一体何を言いだしたのか。ルゥだけでなく多分、ここにいる全員がそう思ったはすだ。だがデビッキはいつも以上に自信に満ちた口調で続ける。
「あなたは既に亡くなっていて、ベインの甦りを受けている。他の聖職者たちは騙せても、おれの目は誤魔化せない」
確かにシュルシェーズ村では、甦りを受けて戻ってきたチェルリ修道士を、
「一般人への甦りよりもかなり念を入れて巧妙にカムフラージュしているから、誰も気付かなかったのは無理もない。知っていたのは術者のベインと——」
デビッキの視線が紺色の髪の人物へ向けられる。
「大神官殿だけだろうな」
大神官が担う至上の役目。それは総主教の懺悔を聞き、赦しを授けることだ。総主教とて人にすぎないのだ。そして死を悟った者が、これまでの人生を振り返り全ての罪を告白することを総告解という。
「聖下は総告解で甦りを望まれた。違うか?」
デビッキはサイアスへ問いかけた。
肉体の死後、神の審判により魂は天国か地獄どちらかへ向かう。甦りは神の裁きから逃れることになるため、魂の安息は永遠に失われるのだ。いわば神への背信行為であり、それを神の代理人たる総主教が自ら希望したなど、まさに前代未聞だ。水を打ったように静まり返る場内が、デビッキが与えた衝撃の大きさを物語っている。
「告解の内容を明かすわけにはいかない。そんなことは言うまでもないだろう」
毅然とサイアスは言い放つ。しかし。
シャラァァン
総主教が持つ錫杖がやわらかな音を鳴らす。はっとしたサイアスが総主教の目線に高さを合わせると、「構わぬ」とかすれた声が告げた。
「聖下……」
サイアスが小さな老人に向ける目は、間違いなく慈しみに満ちていた。枯れた手を取り、フリージアの紋様の指輪に口づける。それから立ち上がり全体を見回してから、少し間を空けて話し始めた。
「デビッキの言う通りだ。聖下が崩御されたのは二か月前になる。そして私が極秘にベインを呼んだ。だが聖下は死の恐怖から逃れるために甦りを望まれたのではない。ただもう一度だけデビッキに会いたいと願い、魂を繋ぎとめようとされたのだ」
サイアスの澄んだ声が場内を抜ける。
今目の前にいる人が屍体なのか? そう疑うと、見えている世界そのものをだんだん信じられなくなる。ルゥを含めた全員が固唾を飲んで聞き入っていた。
「私は七歳の時に神学院でデビッキに出会ったが、彼以上に神から愛された存在を知らない。わずか七歳にして既にいくつかの法術を使い悪魔祓いを行う少年に、当時大神官だった聖下も同じ印象をお持ちだった。だから特別目をかけられていたのは、語るに及ばないだろう」
サイアスの目が少し上を向く。当時を思い描いているようだ。
「上級生や周りの大人たちにも物怖じしない彼が、聖下がいらっしゃる前の晩は眠れず、我々に優しい言葉をかけてくださる間もずっと萎縮しているのに私は気づいた。あの人が怖いのだと打ち明けてくれたのは、ずっと後になってからだ」
事実なのだろう。デビッキも口を挟まない。
「最終試験を終えた晩、客室には聖下とデビッキの他にもう一人——、私がいた。ベインが廊下で聞いていたものを、私は全て見ていた。あの時、デビッキは司祭にはならないと申し出たのだ。それに聖下は激しく怒り、なじった。罵詈雑言を浴びせて、激情のまま部屋にあったラグナ神の銅像で彼の頭を殴打した」
恐ろしい光景に司教たちから小さなどよめきが生まれる。
「聖下がそこまでお怒りになった理由は、私たちが愛し合っていたからだ」
サイアスは言葉を止め、離れた場所にいるデビッキと視線を合わせた。
「十三歳だった。胸と体を駆けぬける衝動全てが愛だと疑いもせず、私たちは約束された将来を追いやり、互いの今だけを求め合った。だからデビッキは教会から身を引こうとしたが、聖下は許されなかった。神の子として天塩にかけ育て、誰よりも将来を嘱望してきたのに、その子は己の欲の為に生きると告げてきたのだからな。ラグナ教会そのものを裏切ったとお感じになられても無理はない」
デビッキが髪をかき上げる。
「たぶんこの辺に傷跡があるよ。髪が生えてないと思うんだけど」
隣のノアムが確認すると、確かにと頷いた。
「死んだのかと聖下は問われたが、デビッキは気を失っただけだった。その場で彼の記憶を封じたのは、聖下ではなく私だ」
壇上から下りたサイアスがデビッキへと向かう。うなだれているベインの横を通り過ぎ、証言台の前で聖護札を一枚取り出した。何の紋様も描かれていない、白紙のものだ。
「朝起きられなくてムチで打たれた以外にも、矯正させられたことがあるな。本来の君は左利きだ」
だがラグナ神が祝福と許しを与えるのは右手だ。どの絵画や銅像でも右手で描かれていて、左はない。
「だから何もかもを右手でできるようになり、強力な紋様が描けるようになるまで、君は孤児院で窓のない狭い部屋に一人、ずっと閉じ込められていたんだったな。度を超えた折檻を神の愛と受け入れるには、君はまだ幼すぎた」
証言台に白紙の札を置き「ペンをここに」とサイアスは命じる。
「君の紋様を取り戻せ」
「無理だよ、左でなんてずっと描いてないし」
「できないのか? おまえが? 自称神なのに?」
クールなサイアスの煽りに、フランとルゥは顔を合わせて、思わず笑ってしまった。
「……やるよ!」
「今でもたまに左手で文字は書いてるだろうが。論文のインクの伸び方を見ればわかるし、右と左で微妙に筆跡変わってるぞ」
「あーうるさいうるさい。ていうかちゃんと読んでるんじゃん」
「論文の査読は総主教庁の仕事だ」
「言い訳だな。ホントはおれのを読むの楽しみにしてたくせに」
「気持ちの悪いことを言うな」
「あんな性格悪いコメントを書けるのはお前だけだもんな。毎回毎回しっつこいし、後出ししてくるし、いつまでも終わんないし」
「私だと気づいていたか。しかしおまえ、私とのことを覚えていたのか?」
「全然。けど神学院の同期だったことは覚えてたし、女性を抱いても何か違うと感じてた。だから失った過去に相手がいたのかもしれないとすると、その相手は一人しか考えられなかった」
デビッキが描きあげた札を渡すと、サイアスは懐かしさでいっぱいの顔でしばらく眺める。普段、デビッキが右手で描くのは太い線と細い線を使い分けて描く繊細で華麗なものだ。一方左手で描いたのは、曲線を多用して重なり合う、力強いものだった。
「昔、こっそり左で描いて見せてくれただろう」
そう言って古くなり変色した帳面を取り出した。そこに描かれた紋様と、今描いた紋様は同じだ。
「そんなのをずっと大事に持ってたわけ?」
「私しか知らないおまえだと思ってたからな」
「ストーカー?」
「おまえの代わりに覚えておいたんだ! 他にもあるぞ。幼児期のトラウマで閉所が怖いとか、無駄に代謝が良くて年中薄着とか、性行為の時に噛み癖があるとか」
「ちょっ! ここで人の性癖をバラすか⁉︎」
「昔はかわいかったのにな。どこで間違えたらこう育つんだ」
「それは先輩のおかげだよ」
ガシッと肩を組まれたノアム。嫌な顔をするかと思いきや、ドヤ顔で大神官へ答えた。
「お上品な総主教庁と閉院寸前だった聖ザナルーカじゃお育ちが違いますわね。それじゃ、みんな聞きづらいでしょうから、私がへき地へ飛ばされるのを覚悟で質問させてもらいますよ。よろしいですか?」
神官に問うと、構いませんと促される。
「まず最初。最終試験の晩以降、お二人は会った事がありますか?」
「ないよ。おれはずっと忘れてたし」
「今回聖ザナルーカへ査察に入るまで一度も会っていないし、手紙を含めた個人的なやり取りもない」
「結構です。神学院を最後に連絡すら取っていなかった。そして卒後から今日までのお二人の功績は説明するまでもありませんね。では二つ目。大神官様はなぜデビッキの記憶を封じたのですか? わざわざそんなことをせずとも、若さゆえの過ちだったと無かったことにするのもできたのではありませんか?」
「そうだな……、君の言う通りかもしれない。けれど私は彼を甦らせたかった」
その時のサイアスの目は、今までになく温かいものだった。
「虐待で彼の体に刻み込まれた恐怖を忘れさせたかった。恐ろしい過去を話してくれた時の、あんな沈んだ目はもうしてほしくなかった。これほど神に愛された男の天職が、聖職以外のはずがないだろう? だから彼には信仰を捨てられるはずがないし、何にも囚われず信徒と教会を導く姿を見たかったんだ。私との記憶は消滅させるべきだったが……、消せなかった。いつか思い出してくれたらと、こんがらがった術をかけたのは、神の思し召しではなく私のエゴだな」
記憶を取り戻したデビッキはそれに気付き、総主教と大神官の清算すべき過去を一人で引き受け、処刑されようとした。デビッキが死ねば、あとは本人たちが喋りさえしなければ過去は闇に葬り去られる。
「最後にもう一つ、お二人に聞きます。過去を過ちと認めて悔い改めますか?」
二人が視線を合わせた。先にデビッキが口を開く。
「おれは過去をなかったことにはしないよ。だから悔いることも、過ちだったとも思わない。命懸けで恋した相手がたまたま男だっただけだ」
それを聞いてサイアスが、固く結んでいた口元をほんの少しだけ緩ませた。
「初めてキスをした時、そして愛し合った時、神に祝福されたと鮮烈に感じた。たった一人の恋した人が同じ気持ちでいてくれた奇跡を、何よりも神に感謝した。私にとってかけがえのない経験だ」
「それ言ってて恥ずかしくないの?」
「おまえもな?」
「お二人ともですよ」
笑顔のノアムがウンウンと頷き「質問は以上です」と締めくくる。
続けてサイアスが発言を求めた。
「聖下はあの晩のことを生涯悔いておられた。あの時怒らずに受け入れてさえいればデビッキはそばにいてくれたのだろうか、許せなかった自分が愚かだったと、何度かこぼされた。もしあの時に戻れるなら許し、抱きしめてやりたい。そんな叶わぬ願いを持ち続けている聖下に、胸が締め付けられる思いだった」
ルゥはフランの横顔を見上げた。最後の朝にメイベルと言い合ってしまったと話してくれたのを思い出したのだ。
「だからもう一度だけ会いたいという聖下の願いをどうしても叶えて差し上げたかった。なのにおまえが私の呼び出しにちっとも応じないから、聖下はお前に会うために甦りまでされ、最後の手段で審判を……。そのようなことを、本来お止めするのが大神官の役割だが、私にはどうしてもできなかった」
サイアスが拳をキュッと握る。そして千切れそうな声で頭を下げた。
「デビッキ、頼む……!」
靴音を響かせて、ゆっくりとデビッキが進む。サイアスの横を抜け、ベインの横を通り、全員の視線がデビッキを追う。壇上に上がり、膝を落として総主教と同じ目線になった。
「ここまで来るのに、随分と長くかかってしまいました」
「す……まなかっ……た」
「よしてください。謝られたら私も悪かったと思わざるを得なくなる」
「我が子と思い、愛していた」
残された力を全て声に込めたのだろう。その言葉は場内の全員へ確かに届いた。
「私はあなたの愛に報いることはできなかった。親不孝者です。けれど、神の御名のもとにあなたを
デビッキが総主教を抱擁する。その手には、さっき左手で描いた聖護札が青白く光っている。
「
デビッキの肩越しに、総主教の目から光が消える。そして手から離れた
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