Ⅵ お腹がすいた

 ラグナ神に最も近い存在の総主教が、過去に殺人未遂を起こしていた。そして少しの間とはいえ屍の身で君臨していたのだから、何もかもがこれまでに前例のないスキャンダルだ。教会の存続すら問われかねないと、司教司祭も総主教庁も大いに慌てた。左右に分かれて座っていたのが一つになり、話し合いを始めたくらいだ。


 それからもう三時間以上は待たされている。いい加減ルゥはお腹がすいてきた。今日は早朝から動き続けていて、長い一日だ。隣ではバルドが座ったままいびきをかいている。ナユがバルドの膝枕で眠っているのが微笑ましい。


「ところでベインはどこへ消えたんでしょうね?」

 総主教の二度目の死を確認している間に、ベインの姿が見えなくなっていたのだ。

「彼は総主教を甦らせて、自分を次の総主教に指名させた。そしてデビッキへの復讐を遂げようとしたんだよね」

 しかしベインすらも知らなかった真実がサイアスから告げられ、全てが泡と化した。

「逃亡したとするとちょっと心配だね。無事だといいけど」

 やっぱりフランだ。自分は同じことは言えないなと思いながら、ルゥも頷いた。


 そしてようやく、大司教団の発表が始まった。最初に述べられたのは大神官とデビッキのことで、「一度過ちを犯したからといってそれで終わるわけではない。つぐなう意志を持つ者には罪を許すのが主の教えであり、その後のデビッキ、サイアス両名の功績と教会への貢献は他の追随を許さぬものであることからも、己を自戒し浄罪していることは一目瞭然だ」という内容だった。本人たちは悔い改めていないにもかかわらずだ。


「デビッキは信者に人気だし、寛容を見せることで教会の信頼を取り戻そうとしたのかな。それに二人へ貸しを作ろうとしてるのかもね」

「えらい人の考えはよく分かりませんが、貸した分を素直に返してくれる二人だとはおれには思えないんですけど」

「それ言えてる」


 大司教団の発言は続く。

「教会は未だかつて経験したことのない危機に直面しています。現に今日は処刑台が燃やされ暴動寸前の事態となりました。かしいだラグナ教会の信頼を取り戻し、神のしもべたる我々と信徒たちを導いていただきたい。大司教団と総主教庁は共に、大神官サイアス殿を指名します」

 つまり難しいところを全部押し付けてきた格好だ。サイアスは立ち上がる。

「このような事態を招いた責任の一端は、大神官たる私にあります。双方からの指名を謹んで承り、身命を賭して教会の信頼回復に努めます」

 一礼すると、場内から拍手で受け入れられる。デビッキも手を叩いている。


「なお司祭ベインは教会より永久除名処分としますが、元司教デビッキの処遇は新総主教のご判断に一任します」

 その言葉とともに、審判は解散となった。


「サイアスさん、おめでとう」

「フランさん。エタンゼル市では申し訳ありませんでした。私がノアム司祭に指示したことです」

 サイアスが頭を下げた。するといきなり横入りしてきたデビッキが、フランのふわんふわん頭やほっぺを撫でくりまわす。


「聞いたよ。フラン君は火傷はなかったんだよね? あぁもう、こいつら二人とも許せない。同じ目に遭わせてやろうか。ノアムが撃たれたぐらいじゃ全然足りないんだよ」

 ここに処刑したがっている人がまだいた。


「全てが明らかになれば、彼が秘密と共に自ら消えようとするのは分かっていました。だからあなたたちを真実に近づけたくなかった」

「それで僕たちを審判が終わるまで足止めしたかったんだね」


「聖下の会いたい気持ちを利用し、デビッキを審判で呼び出すようにベインは聖下を仕向けたのです。聖下には元から裁くおつもりはなかったし、真実は包み隠したまま終わらせる方が都合が良かった。なのにおまえがいきなり自分が屍体だとか言い出すから全部狂ったんだ!」

 態度を一変させたサイアスがデビッキに食ってかかるが、デビッキは肩をすくめただけだ。


「じゃあこっちも言わせてもらうよ。ラスパイユに趕屍かんしの術をかけてみようと言い出したのはフラン君だけど、推し進めたのはおまえだったよな。あそこで聖下とベインの関係に注目させないよう、ラスパイユの方へミスリードしたわけだろ」

「主席司祭が『ベインと総主教に何か関係があるのでは?』と言っただろう。あれには焦った。それにいくらおまえでも、まさか本当に魂を呼び戻して、私ですら知らなかったベインとラスパイユの真実へ辿り着くとは思わなかった」


「それでフラン君を危険な目に遭わせてさ。あぁ許せない。都合の悪いことだけ包み隠そうとするからだ」

「そういう言い方をするな。誰かに都合の良いように過去を曲げられたくなかっただけだ」

 記憶と同様に過去も、話す人によりいくらでもすり替えられたり、アレンジされてしまう曖昧なものだ。


「だからこそ、私たちのことは誰にも踏み荒らさせたくなかった。お前が処刑台に上がっても言わなかったのは、決して過去を恥じていたからではない。己の保身のためでもない」

「一人で抱え込むのってよくないよ? そのくせずっと助けてくれって顔してさ」

「ずっと? してないぞ」

「してたよ。最初に聖ザナルーカ教会に来た時からずっと」

「バカ言うな。していない」

「してた。おれには分かるの」

 ルゥが「あの二人、ほんとは仲良かったんですね」と小声で言うと、フランも「だね」と頷く。


「私はフランさんと話していたんだ。処分は追って伝えるから、お前は早く聖ザナルーカ教会へ帰れ」

「言われなくても帰るって。これからもここへは来るつもりないから、もう呼び出さないでよ」

「呼び出されたくなかったら、物議を醸すような論文は控えることだな」

「どうかな。ま、がんばれよ」

「身命を賭すと言った。二言はない」

 デビッキが出口へ向かうと、ノアムが一礼して後に続く。


「じゃあ、教会の人たちの気が変わらないうちに僕たちも帰るね。どうか体に気をつけて」

「私の知るデビッキはいつも孤独でしたが、今は違う。これからも彼を頼みます、フランさん」

「あなたもね。これからのことを思うと反発する人もたくさんいるだろうけど、僕たちは味方だよ。困ったことがなくても、たまに連絡してね」

 フランとサイアスが握手し、ルゥはナユと一緒に手を振って別れる。巨大なドームの下をくぐり、外の空気を吸ってもデビッキは振り返らず、一言呟いた。

「お腹すいたな」


 荷物をまとめバスターミナルに向かうと、帰りのバスがちょうど待っていた。

「俺も腹が減ったぜぇ。食糧担当!」

 八名の団体なので最後部の座席を占領することになった。バルドの腹がぐうぐう鳴っている。

「はいはい、今お弁当を買ってきます。みんな、おれにお任せでいいですか?」

 全員頷くが、若干一名だけ「野菜と辛いのはやだよ」と注文をつける天使がいた。


 ターミナルには弁当屋の屋台がずらりと並んでいて、乗客だけでなく近所で働いている人も、夕飯を買い求めに行列している。

「ここはサンドイッチに、こっちは鶏肉のロティか。いい匂いだなぁ。うわぁ、うまそう!」

 見るからにシャキシャキの葉物に、たっぷりと鶏肉のロティが盛られ、更に色とりどりのプチトマト、ジャガイモ、ツナ、ハム、ゆで卵、黒オリーブがトッピングされたボリューミーなサラダボウルだ。フォカッチャがついてくるのではさんで食べてもいい。


 大量の弁当を持ってバスに戻ると、間もなく出発した。

「野菜……生野菜大量……」

 デビッキが牛のようにもりもり食すサラダボウルに、隣でフランの顔が恐怖に固まっている。

「安心してください、フランさんのはこっちです」

 紙に包んだ拳大のを手渡す。まだ温かくてよかった。

「なぁにこれ? 大きいコロッケ?」

「アランチーニといいます。細かく刻んだ野菜と肉とご飯を炒めてチーズを包んで丸くしたものに、パン粉をつけて揚げました。さっき荷物を取りに行った時、アネットさんにキッチンを借りて作りました」


 炊いた米と具材はアネットから分けてもらい、チーズは初日に市場で買っておいたのだ。聖地の料理は味が濃いうえ、初日にフランは古い油にあたってしまい、ずっと調子が悪い。そして今日は早朝から体力も神経も消耗しているから、安心なものをどうしても食べさせたかった。

 アネットに断りを入れて新しい油を使わせてもらい、持参した普段の調味料で味付けした。それに本来アランチーニには野菜をあまり入れないようだが、即興でアレンジした。


「いつの間に作ってくれてたの? 魔法みたい。……うん、おいしい!」

 その笑顔に、ルゥは心の中で会心のガッツポーズだった。

「よかったです」

「これなら野菜も食べられるよ。また作ってね」

 聖地に来て初めて食べ、うまかったので真似してみたのだ。屋台のおばさんが「これを嫌いな人はいないよ!」と言った通りだ。

「俺たちの分はねえのかよ?」

 フラン以外の全員がじとーっとこっちを見ている。人は、食べ物の恨みは忘れないものだ。

「かっ、帰ったら作りますからっ!」


 お腹が満たされしばらくすると、デビッキもノアムも互いに寄りかかって、みんな眠りに落ちた。隣のフランは、窓の外を一人眺めている。


「デビッキ司教は彼女がたくさんいますけど、サイアスさんが大恋愛してたのは意外でしたね。おれの人生には到底ない気がしますよ」

「君は恋してるでしょ? カナンに」

「うえっ⁉︎」

 否定できないでいると、天使ににんまりと微笑まれてしまう。出発の時にもらったキャンディを、実はまだ大切に持っているのだ。


「おっ、おれじゃカナンさんには……、ほらっ、カナンさんはオーナー狙いかもしれないですし」

「それは逃げの妄想だよね。僕だって、メイベルの職場に押しかけて何度追い返されたことか」

「押しかけたんですか? だいぶ迷惑ですよね」

「だってこっそり後をつけて家を割り出すわけにもいかないでしょ。連絡先教えてくれないしそれしかないじゃん」

「本気で詐欺だと疑われてたんですね」

「そう! 最初は本っ当に頑固だったんだから。だから君もチャレンジもせずに無理と決めつけないの」

「は、はい……」


「君にメイベルの話をしたでしょ。あの後、夢に出てきてくれたんだ。なんにも喋らないでただニコニコしてるだけだったけど。僕の記憶が見せた、僕に都合の良い姿なのかもしれない。けどその顔を見てるだけで、夢の中では幸せだった。久しぶりにいい目覚めだったなぁ」

 窓枠に肘をついて手に顎を乗せたフランの顔に、ルゥの胸がチクっとする。


 さっきデビッキが、一人で抱え込むのはよくないとサイアスに言っていたが、フランも同じだ。言葉にするのはまだつらい時もあるだろう。

 けれどそれを引き出せるような人に、フランが安心して話せるような人に自分はなりたいと思う。

「フランさん。もし気が向いたら、また聞かせてくれませんか。おれの今後の参考のために!」

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