Ⅲ やっぱエロ司教

 処刑台のある広場から二、三分歩いたところに、ガラス張りの美しい天井を持つ高級商店街ガレリアがある。

 四つ辻の角に赤い扉と柱が構えられたリッチなカフェで、黒服を脱いで珍しく柄物のブラウスに着替えているフランは、優雅にカップを傾けていた。雑誌を広げて、あたかも朝からずっとここにいましたと言わんばかりだ。


 ここで落ち合う約束になっていた。外からルゥがウィンドウをコンコンすると、ウェイターに会計を渡して雑誌を丸め、フランは店から出てきた。


「そのシャツどうしたんですか?」

「前にブラッドサッカーからもらったの。お高いものなんだってさ。目立つ服をと思って初めて着たんだけど、恥ずかしいよね?」

 有名な人物画をモチーフにした、人の顔がたくさん描かれているブラウスだ。よく見るとちょっとグロテスクでもある。

吸血鬼ブラッドサッカーが異名の闇宝石商ですからね。芸術性はおれには分かりません」

 ちなみに本体は柄物に柄物とアクセサリーをじゃらじゃら重ねる、ド派手な好青年だ。


「うまくいきましたね。どこもお怪我はないですか?」

「うん。君は?」

「おれも、囮で走った聖ザナルーカの司祭さんたちも平気です。けど遠くないところで銃声がして」


 歩きながらフランの顔が強張る。

「人が死んだっていう騒ぎにはなってないみたいですけど。ナユちゃんが守備兵と接触してたんで、多分ルートBになってると思います」

「となるとノアムさんも心配だね。無事だといいけど」


 汽車と蒸気車を乗り継ぎ、二人が聖地へ到着したのは二日前だ。先に現地入りしていたバルド、ナユと落ち合い、すぐにこの計画を練り上げた。バルドが綿密に下準備をしていたのがルゥには意外だったが、「伊達に八回戦場から生還したわけじゃないよ、彼は」とフランに言われてしまった。


 そして昨日処刑台の下見をしていた時、墳墓大聖堂の入り口で司祭たちから処刑反対の署名を集めていたノアムに出会ったのだ。エタンゼル市のホテルではあなた方には申し訳ないことをしたと謝ってきて、協力させてほしいと自ら申し出てくれた。

「集めた署名は大神官に叩きつけてやるって、息巻いてましたからね」


 そして途中で何があろうとも、最後はバルドがデビッキを回収する手はずになっている。

「バルドは歴戦の元兵士だし、剣がなくても強い。きっと大丈夫だよ」


 集合地点は一般の民家だ。家主は処刑台を組み立てた大工の親方で、これもバルドが味方につけていた。

 離れに作業小屋をもつ広い家で、フランとルゥが小屋のドアを開けると「神父さま——っっ!」と女性の声が耳をつんざく。


「懐かしぃー! 神父さま全然変わってないしー。あたしのことわかる?」

 白い祭服姿のデビッキに抱きついているのは、親方の嫁だ。はつらつとして、若い頃から綺麗な人だったのだろうと思う。

「えぇっと、間違ってたら本当にごめん。アネット……かな?」

「キャャワワ——っ! 十年も前のことなのに思い出してくれたんだぁ。感激で涙出てきちゃった!」

 なんでもノールデン市の出身で、その昔デビッキの彼女の一人だったらしい。


「あの時、あたし婚約破棄されてもう死にたいと思ってたのに、神父さまがやさしく励まして抱いてくれたから人生やり直してみようって思えたの。男が暮らしてるノールデン市は離れたかったし、どうせなら巡礼の旅をしてみようって。それで聖地まで来たら今の旦那と知り合ってね。子宝にも恵まれてさ、あたしの今の幸せは全部神父さまのおかげなんだよ! ずぅっと感謝を伝えたいと思ってたんだぁ。だからこうやって役に立てて本っ当によかったぁー!」


 女性一人を悲しみから救ったのはさすがだが、わざわざ抱く必要はあったんだろうかと思う。デビッキの後ろのバルドも、そしてフランも同感なようで、三人で肩をすくめた。

「まさにエロ司教ですね」

「その時代はまだエロ司祭だよ」

「十年前からしてることは変わんねぇな」

 ナユも見えない目でデビッキをじーっと見ている。


「なんか視線が痛いな。でもどうしてアネットが協力してくれることになったの?」

「ウチの旦那がよりによって処刑台の組み立てを請け負いやがってさ! 仕事だからってのは分かるけど、ねぇ? それで処刑反対の署名活動をしてたら、バルドが声かけてくれてね。話聞いたら、神父さまを助けるんだっていうじゃない。だから旦那の首根っこ捕まえたってわけ」

 そのおかげで、絞首台の下にフランが隠れられる場所を作ってくれたのだ。


「じゃフラン君はずっと隠れてたの?」

「うん。実は早朝からずっと」

 小さくなって何時間もじっとしていたのだから、フランは大変だったと思う。


 するとドアが開き、聖ザナルーカ教会の二人の若い司祭が入ってきた。二人とも粗末な僧服で、目くらましのために走り回っていたのだろう。

「デビッキ司教!」

「よくご無事で! 銃声がしたので心配しましたよ」

「二人とも、こんな遠くまで。なんか……悪いな」

「何をおっしゃいますか! 墳墓大聖堂をこの目で見られて幸せですよ」

「ベインのヤツをギャフンと言わせてやらないと」

 デビッキは少し笑って頷いた。


「ねぇデビッキ、ノアムさんは?」

「あいつは腕を撃たれた。命に別状はないけど、今頃守備兵が病院に連れて行ってるはずだ。多分ベインも一緒に」

「本人が自ら襲ってきたの?」

「そ。ついやり返しちゃった」

「だとすると、急がないと街を出られなくなるかもしれないな」

 ノアムは喋らなくても、ベインは自分に都合よく話すだろう。デビッキを逃さないために包囲網が敷かれるかもしれない。


「あたし、駅とバスターミナルを見てくるよ。神父さまたちはすぐ出られるように支度しておいて」

 アネットから言われた通りに、全員それぞれの服に着替えて荷物をまとめた。


 しばらくして戻ってきたアネットだが、興奮して早口でまくしたてている。

「駅はもう多くの守備兵が目を光らせてたし、バスターミナルでも乗車前の検問が始まってたよ。でもそれより今すぐ外に出てみて!」

 作業小屋から押し出されると、全員があっ! と同じ方向を見た。


「あれっ、火事じゃないですか⁉︎」

 墳墓大聖堂のドームが見えなくなるほど、真っ黒な煙がもうもうと上がっているのだ。そこら中で警鐘が鳴り響いている。

「神父さまの処刑に反対する市民たちが、壊れた処刑台を燃やしたんだよ! 爆破してちょうど運びやすくなったからね!」

 興奮したアネットが腰に手をやり、どうだと言い放つ。


 巨大なキャンプファイヤーが、ベインの焦げついた恨みも、デビッキの決意も、何もかもを瓦解させる。余計なものを燃やし尽くして、炎が真実を露わにする。そんな気がした。


「デビッキ。君の真実は? 過去を取り戻したんでしょ」

 皆に聞こえるようにフランはたずねた。

「うん。思い出したよ。何があったのか、何を隠したかったのか、全部」

 話すべきだと思ってはいるのだろう。しかしそうと分かりつつ、簡単には言葉を紡げそうにないようで、デビッキは表情を曇らせた。


「言えないなら、今ここで言わなくてもいいけどさ。でももう次は自分から屍体だとか火葬してなんて言わないでよね」

 審判はやり直しになるだろう。デビッキはフランを見つめ、それから全員順に視線を合わせた。口を開きかけると、すかさずフランが先に刺す。

「あと礼も言わないでよ」


 ニヤッとしてルゥも続いた。

「そうですよ。神なんだから愛されて当然って顔してもらわないと」

「俺たちは愛した覚えねぇけどな」

「わたしはデビッキ司教のこと好きです」

 バルドも乗っかったが、続いたナユの言葉に二人して目を剥いてしまった。


「ナッ、ナユ……、いいか悪い事は言わねぇ。あいつだけはダメだ。頼むからやめてくれ」

「教会で演奏の後は、いつも礼拝堂の一番後ろの席で二人でお話をするんです。中庭のすももの花が咲いたとか、修道士の人が神学院に合格したとか、この間挙げた結婚式のこととか。いろんなことをたくさんお話ししてくれて、とっても楽しいんです」

「だからみんなそうやってハメられてな……」


「嬉しいなぁ。おれもナユ君のこと好きだよ」

 さりげなくデビッキに手を取られ、ナユは花が咲いたように微笑んだ。これは恋する乙女の顔っていうやつじゃないか?


「くぅーっ! エロ司教めぇ! どうすんだよバルド!?」

「あいつ、ナユが育つのを舌なめずりして待ってやがんな。やっぱ死んでもらうか」

 阻止するにはそれしかない気がしてきた。ようやくナユの手を離したのは、「神父さま、やっぱり変わらないねぇ!」とアネットにガハハと笑われてからだ。


「じゃあ真面目な話をするけど、さっきベインはおれを直接殺害しようとした。処刑と私刑は別だよ。しかも怪我を負わされたのは何の関係もないノアムだし。これは警察に突き出してもいい犯罪行為だ。だから今度はおれが奴を審判にかける」

「でも、ベインさんには総主教がついているでしょ? 総主教の言動もおかしいよね。それなのにできるの?」


「おれ神だから。しかも天使と信徒が味方してくれてるんだ」

 うっとりとフランを見つめている。

 天使以外におれたちもいるんだけどな。とルゥは言いたかったが、これが本来のデビッキなのだから仕方ない。

「じゃっ、みんなでノアムさんを迎えに行きましょう!」


 病院まではアネットが案内してくれ、全員で向かう。病室のベンチには腕を三角巾で吊ったノアムと、総主教庁の神官が待っていた。見張りだろう。

「ノアムさん。傷はどうなの?」

 真っ先に寄ったのはフランだった。自分の計画で負傷させただけでなく、死んでいたかもしれない事態に責任を感じているのだろう。


「痛いよ。でもオレよりデビッキの心の方が傷んでるはずだけどな」

「え? 神に祈っとけば?」

「んだとぉ!?」

 ノアムが蹴飛ばすと、デビッキはフランに抱きついて避けた。


「なんだ元気じゃん。それじゃフ~ラン君、処刑台からの続きで法悦エクスタシー感じ合おうよ」

 ふわんふわんの髪にチュッチュしてくるのを押しのけ、フランがノアムの隣に転がり込む。

「ねぇノアムさんっ、僕たちはこれから墳墓大聖堂に行くんだけど、来られる?」

「もちろん。オレが行かなきゃ、ベインの殺人未遂の証拠にならないでしょう」


「ベインさんはどうなったの?」

「病院には来ていないみたいだけど。でも行き先はオレたちと一緒だよ」

 立ち上がるのにフランが手を貸すと「天使だねぇ。あの時はほんっとゴメン。でも大神官のせいだから!」とまた謝っていた。


 処刑台があった広場には、鎮火されてぶすぶす燻る木材と、きな臭さと共に、まだ多くの市民が残っている。デビッキの姿を見つけると「無実を勝ち取ってください!」「頑張って司教さま!」「俺たちは信じてるぞー!」などと大きな歓声と拍手が沸いた。


「デビッキ司教って、やっぱり信徒からは大人気なんですね。ノールデン市から遠く離れてるっていうのに」

 言いながらルゥは自分も応援されたような気になり、ちょっと興奮してしまった。

「僕たちにもまだ切り札があるしね」

 フランに言われて、ルゥも力強く頷く。

 全員そろって見上げるのは、墳墓大聖堂の巨大な金色のドームだ。

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