第一章 魂の行方

Ⅰ 黒い天使と光の御子

 告解室には二人きりだ。

 礼拝堂の片隅にある木製のボックス部屋で、懺悔をする信者とそれを聞く司祭の間は壁で仕切られている。通常司祭は小窓越しに応対するのだが、今は司祭側の部屋に二人だった。


 外と遮断された狭い空間では、唇を吸い合う音がよく聞こえる。膝の上のセーラはそれに一層興奮を覚え、デビッキの体に巻きついてきた。


「ねえ、あたしのこと好き?」

「もちろん大好きだよ」

「どこが好き?」

「そうだなぁ、つやつやの肌と、くりんとしてかわいい目と、あとこの鼻」

 指で鼻の頭をはさむと、セーラは鼻の中央にしわを寄せる。


「鼻はいやなの。低いし鼻の穴見えるし」

「おれは好きだよ、この形。全然欠点なんかじゃないと思うけど?」

 セーラはぷるんと顔を振った。


「そうかしら。でも神父さまって顔も良いし声も良いし本当にステキよねー。どうして結婚できない神父になんかになったの?」

 セーラの両親は、高額な献金を納めてくれる新市街きっての裕福な信徒だ。一人娘も熱心に祈りを捧げに教会へ通っていると信じてやまない。まさか熱心にこんなことをしているとは思いもしないだろう。


「おれは孤児院育ちでね。将来は総主教になるように育てられたんだ」

「総主教ってラグナ教で一番えらい人でしょ? すごいのね。ねえ、あたし結婚なんてしたくないわ。神父さまの力でどうにかならない?」

 かわいらしい唇で耳たぶを挟まれる。ふわふわやわらかくて気持ちいい。


「いいじゃない。会社をいくつも経営しているお金持ちの長男で、将来安泰なんでしょ」

「親が強引に決めたのよ。そんな将来なんていらないわ。結婚したって鉄肺てつはい病ですぐ死ぬかもしれないもの。それよりステキな人に毎日ときめいて過ごしたいし」

「旦那が早死にしたら財産は丸ごと君のもので、なお最高の未亡人ライフじゃない。そうだ、結婚式はおれが挙げようか」

「そんな事されたら泣いちゃ……んっ」


 キスを返しながら、流行のプリーツスカートの下から手をしのばせる。指の腹で撫で、それからゆっくり中指を押し込むと、セーラの口から吐息が漏れた。この声が好きだ。

「しー。聞こえちゃうよ」


 中指に力を入れていくと、セーラの舌が音を立ててデビッキの舌を絡めとった。潤んだ視線と、高まる鼓動と、あがる吐息と、衣服越しの体温を感じ合う。

「ねぇ、お部屋に連れて行って。これだけじゃいや。最後までしたいの」

「来客があるんだ。だから今日はだめ」


 わざと乱暴にブラウスの前を開け、よく育った胸に顔をうずめて唇で探ってやる。声を上げたいのをこらえて、セーラはデビッキの髪を掻きむしり、衝動に耐えかねるように腰を前後に振りだした。

 乱された頭をもたげると、はあはあしながら口を開けて欲しがるセーラの顔。開いた唇をゆっくり舌先で味わって、耳元で囁く。


「もう一本入れてほしい?」

「わざわざ聞かないでっ……あ」

「だってかわいいんだもん」

 やわらかい中に薬指も埋めると、セーラが上半身をよじる。指の速度を上げると、声が漏れないようにセーラは自分の口を腕につけて塞いだ。


 うん、いい感じ。あとちょっとかな。

 一つ一つにいちいち反応してくれるのだからたまらない。恥ずかし気に隠そうとするところもいい。浮気に慣れた女や、火遊びと割り切った人妻ではこうはいかない。

 かわいいよなぁ。ほんと、食べちゃいたいくらいだ。


「あんっ、痛いっ」

 そんなことを考えていたら、弾力のある乳房に歯形をつけてしまっていた。

「ごめん、ごめんね。あんまりかわいくてさ」

 確かめると出血はしていない。デビッキはいたわるように丁寧に口づけ、スカートの下から右手を抜き出した。


「はあっ、どうしよう。こんなに気持ちいいの、あたし許されるかしら」

 涙目になって腰振って欲しがって、人の指を二本とも根本まで濡らしておいて。まったくかわいいなぁ。

 とはいえ、こういう懺悔をし出すのはセーラに限ったことではない。ここは告解室なのだから。


 デビッキは温かく濡れ光る右手の指を、舌を出して舐め取る。それから信者へ語りかける司教の威厳と美声をもって答えた。

「もちろん。おれ神だから」


 セーラを帰すと手を洗い、乱された髪を整えて別棟にある執務室へ向かう。聖ザナルーカ教会といえば金箔で壮麗に飾り立てた礼拝堂なのだが、それとは対照的に執務室の建物は古いままにしてある。天井まである本棚に囲まれた穴ぐらのような部屋が、デビッキの安らぎだった。


「お待たせ。ごめんね、思ったより告解が長引いちゃって」

 扉を開けると、ふわっと花の香水の匂いがデビッキの鼻をくすぐる。

「おかえり。ご苦労さま」

 迎えてくれたのは包み込むような低音だ。


 暖炉の前のアームチェアで、彼はティーカップを傾け寛いでいた。横顔が炎に照らされている。くっきりとした顎と鼻のラインはまるで生きた彫刻さながら。今日は比較的暖かいが、寒がりの彼のために火を入れておいて正解だった。熱に染まった紅の唇が、炎を映した赤色の大きな瞳が、ゆっくりとデビッキを向いて微笑みかける。

 その瞬間、さっきまであんなにかわいらしいと思っていたセーラの顔が、もう思い出せなくなった。


「忙しそうだね。今日はこれを渡しに来ただけなんだけど」

 ふわんふわんの白金色の髪には、黒い服がよく似合う。立ち上がった彼は、風呂敷に包んだ箱を手渡した。


「誕生日おめでとう。デビッキ」

「え。フラン君、わざわざこのためだけに来てくれたの?」

「そうだよ。開けてみて」

 センターテーブルで包みを開くと、ガラス製のオイルランプだった。


「へえ、きれい。去年もオイルランプくれたもんね。これもアンティーク?」

「ううん、オーダーしたんだ。明るさと、あと手の影が映りにくいように細工してもらって。去年のはちょっと暗かったしね」

 言いながらフランはデスクのオイルランプを見る。しかしデビッキが口をつぐんだままなので、下から覗き込むように顔を持って来た。


「二つもあったら邪魔だったかな」

「あ、ううん。そうじゃなくて。おれのこと考えてオーダーしてくれたんだなって思って。ありがとう。大切にする」

 すると前髪ををふわっとかき上げながら、見上げてくる顔が笑った。この世のあらゆる教会の天井画や装画のどれよりも天使だ。


 うわぁ。心をわし掴みにされるとはこのことだ。腰が砕けそう。これをずっと独り占めできたら天国だよ。ほんとなら今すぐ顔中に吸いつきたいけど、そんなことしたら嫌われちゃうよなぁ。

 だから軽いハグで我慢することにする。

「はあぁっ、フラン君っていい匂い」


「ねぇデビッキ、聖護札見せてくれない? インチキじゃないやつ」

「インチキ呼ばわりするけどさ、ちょびっとは邪除けになるんだよ?」

「わかってる。でも今は君の本気を見たいの」

 さりげなくハグから抜け出されてしまった。


「いいけど。はい、これ。ちょっと強めの術だからフラン君は触らない方がいいよ」

 デスクの引き出しから一枚取り出し、机上に置いた。ポルターガイスト現象が起こるという家からの依頼で作成中のものだ。顔を近づけてまじまじと見ている。


「どしたの? そんな真剣に」

「ちょっとね。ありがとう、もう大丈夫」

「ところでフラン君さ、明日は休みだったよね? もう何日か休み取れない? 一緒に行きたい場所があるんだ」

「え? そんな急に言われても困るよ」

 

「いいじゃんたまには。遺体の心配してるならうちに回してくれていいからさ」

 フランは川の対岸の旧市街で火葬場を営むオーナーだ。ザナルーカ墓地を管理するデビッキとは火葬と土葬の違いがあるとはいえ、いわば同業仲間だった。

 そして火葬場で遺体を燃やすのはガスの炎ではなく天使の白き炎フランベルジェだから、オーナー不在では火葬ができなくなる。


「ご遺体のことだけじゃないよ。従業員のことだってあるし。急には無理だよ」

「あと三日、いやあと二日でいいから。お願い! 火葬場を始めてから八年間、ずーっと連休なんて取ってないでしょ?」

「だから無理だって言ってるよね?」


「じゃああと一日だけ。で、今から出発しよう」

「ちょ、人の話聞いてる⁉ 全然ついていけないんだけど?」

「時間は……と、最終列車まで時間がないな。詳しくは汽車の中で説明するから。すぐ二泊分の支度してきてよ」

「ねえデビッキ! 汽車って⁉ 一体どこへ行くつもりなの?」

 フランの声が大きくなる。


 デビッキは一度唇を引き結んだ。フランを巻き込むのは正直気が進まないが、信頼できる人間が必要だ。


 それから新市街の信徒に絶大な人気を誇る『光の御子』の名に相応しい、輝くようだと自負している笑顔を向け、告げた。

「甦りの街だよ」

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