Ⅵ 一時休戦

 聖地からの神官を執務室で迎えて、デビッキは直立のまま神官が巻物を読み上げるのを聞いている。だが早速待ったをかけたのがサイアスだ。


「総主教の勅書だと⁉ ありえない。私は聞いていないし認めていないぞ」

「聖下が直接したためられました。印影もございます」

「聖下が私を通さず直接などあるか!」

「しかし印影がございます」

 花の印影の指輪を持つのは、大神官サイアスと総主教のみだ。

「く……っ、聖下は一体どういうおつもりなのだ」


 神官が告げたのは、大司教団に指名されたデビッキが総主教候補にふさわしいかどうかを"審判"するため、聖地モッゼへ招聘しょうへいするというものだった。

「司教デビッキ、もし聖下のお言葉を拒否されれば、今ここで司教の地位を剥奪する権限を私は与えられています。どうかご承諾を」

 淡々と告げる神官だが、またも遮ったのはサイアスだ。


「待て、一体何の審判なのだ」

「申し訳ありませんが、大神官様といえどお答えするわけにはまいりません」

「君も”審判”の意味が分からぬはずがなかろう! デビッキ、承諾する必要などない。私から聖下に話す。この件は保留だ」

「なりません」


「なぜ彼が宗教裁判で裁かれる必要がある!?」

「お答えできかねます」

「理由も伝えず強制的に招聘するだと⁉ いくら聖下のご意志とはいえあんまりだろう!」

「聖下直々の勅書です。恐れながら大神官様といえど内容を変える権限はございません」


 ルゥにもようやく話が見えてきた。デビッキに何らかの嫌疑があり、審判という宗教裁判にかけるから聖地まで来いと命じられているようだ。

「宗教裁判って火あぶりの刑とか魔女狩りのやつですか?」

 隣のフーシェに聞いてみる。

「古くはそうです。今の時代に総主教の審判なんてあり得ないですよ」

 なるほど、サイアスが猛抗議するわけだ。


「デビッキ司教とサイアス大神官は共に次の総主教候補です。そして聖下が指名したのは大神官様の方ですから。もしこれが対立候補を貶めるための審判だとしたら……」

「総主教も随分とセコいことしますね」

 フーシェの口からは出せない毒を、代わりにルゥが吐いた。


 神官は表情を変えずにじっと勅書を掲げるが、サイアスと視線が合うと唇をキュッとし、少しだけうつむいた。その仕草に、サイアスの噴き出そうな怒りがふっと鎮まる。

「聖下は何をおっしゃった?」

 それは部下を労う上司の口調だった。


「これは聖下の筆跡じゃない。最後のサインは直筆で間違いないが、他は君が口述筆記したのだろう? 聖下は何をなさるおつもりなんだ?」

「どうかご勘弁ください」

「フィン、君を罰したりはしない。それにもし問われたら、私に脅されたと正直に言えばいい。こんなやり方はあまりに横暴だと君も感じているだろう。聖下とて判断を誤ることもあり、それを修正するのも総主教庁の職務だ」


 神の声に名を呼ばれた神官は少し瞳を泳がせた。総主教庁の神官として正しいことをしたい。しかしデビッキを聖地へ連れて行くという任務を失敗したくないと揺れて葛藤している。


「わかりました、しょうがないんで行きますよ。大神官殿にそんな責められたらフィン君がかわいそうじゃないですか。ねぇ?」

 もう一つの神の声が、デスクに頬杖をついて沈黙を破った。


「おまえ! 私の呼び出しはガン無視するくせに、総主教の不当な招聘は理由も聞かず承諾するのか⁉」

「だってフィン君が気の毒だなぁって」

「だってじゃない! 本っ当にいい加減な男だな。私は——」

「はいはいはい。でフィン君、いつまでに行けばいいの?」

「い、五日後です」


「てことは明々後日しあさって出発すればいいか。それまでに査察は撒きで終わらせましょ。引継ぎもしなきゃだし。いいですね大神官殿」

「おまえが指図するな!」

 神の声が止むと、フィンという名の神官がおずおずと告げる。


「あの……。総主教は、屍体裁判と仰いました」

 その瞬間、デビッキとサイアスが一瞬視線を交わした。


 千年もの昔、亡くなった総主教の遺体を掘り起こし趕屍かんしの術で生き返らせ、尋問したというやつだ。

「屍体って……」

「まさか」

 ルゥは背の高いフーシェを見上げる。凸凹な二人のやり取りに、サイアスが「どうした?」と疑問を投げかけた。


「実はさっき、ベインが言ってたんです。『デビッキ司教こそが屍体だ』って」

「なにそれ。ウケ狙いなら大スベリだよね」

 鼻で笑うデビッキ。

「それと……」

 言い淀んだルゥに代わり、フーシェが後を続ける。


「屍体である証拠に、司教にはただもう一度だけでも会いたいと思う人がいないはずだ。そして間もなく、地獄からの使者が屍体を迎えにやって来るとベインは言いました」

 デビッキの笑いが少し固まったようだった。

「三流詩人の比喩は解釈に苦しむね。ま、聖地にはちゃんと行きますから。汽車の切符は取っておいてくださいね。もちろん一等車で」


 使者の神官が去って行くと、サイアスがフーシェに詰め寄る。

「どういうことだ。ベインはなぜ『地獄からの使者が来る』と。まるで神官が招聘状を持ってくるのを知っていたようではないか」

「私も焦りました。まさかベインと聖下につながりがあるのでしょうか」

「あるわけがない!」

 鼻息を荒くするサイアスに、ルゥはおそるおそる小さく挙手する。


「あの、大神官様。実はもう一つ気になることがあるんです」

 別れ際、ライザ署長に言われたのだ。

「ラスパイユ元司教の死因は本当に自殺だったのか、だと?」


「はい。ライザ署長は当時、エタンゼル市警だったそうです。聖職者の自殺なら大きな騒ぎになるはずなのに、事件の記録を見てないし、警察署長だったご主人からも取り扱った話を聞いたことがないって。それにラグナ教では自殺は最大のタブーのはずなのに、捜査を入れなかったのは妙だと」

 これにはデビッキも意外そうな顔をして、デスクに肘をつき顔の前で手を組んだ。


「そうだったのか。事件の処理は総主教庁ですか?」

「いいや、裁判になる前だったから関わっていない」

「すると警察にも届けず、完全にドレーヌ大聖堂内での処理だったわけか。飛び降り自殺って話からして怪しくなってきたな」

「当時の状況を知る者はいないのか?」

「ほとんど異動させましたので、どうだか」


 そこへ、ふわんふわんの白金髪が執務室へ入ってきた。

「フランさん!」

「さっき初めて見る神官さんとすれ違って、顔が真っ青だったよ。思わず大丈夫って声かけたけど。何かあったの?」

「いろいろあったんですよぅ!」

 朝からの出来事をとめどなく話すルゥに、「盛りだくさんだね。ちょっと整理させて」と確認しながら見解を述べる。


「つまり総主教はデビッキを宗教裁判にかけようとしているけど、嫌疑の内容はサイアスさんにすら知らされていない。もちろん君は全然心当たりないんでしょ?」

「ないよ」

「なのに総主教のしていることとベインさんの言動には奇妙な一致がある。サイアスさんですら知らない何かが聖地では起こっているんだね。そして次代の総主教選定とは別口の、ライザ署長からの指摘」

 フランの赤色の瞳がきらりと光る。


「これは僕個人の意見だけど、一連の出来事は過去を辿るのが鍵になると思うんだ。君とベインさんとの接点がラスパイユ元司教の死なら、そこは避けて通れないんじゃないかな」

「もう一度あの件を洗い直すってこと?」

「うん。思いもしなかった真実が隠されているかもよ」

 全員がデビッキを見る。


「ちょっ、待ってよ。みんなもしかしておれが殺したって思ってる?」

「この流れだとね。ラスパイユ元司教の死因は何だったの?」

「飛び降り自殺ってことになってるよ」

「ふむ……。誰かに突き落とされた可能性も無くはないな」

 受けたサイアスは半ば断定の口調だが、デビッキは肩をすくめただけだった。


「私は精神は削りますが、生命を脅かすようなことはしませんよ。しかも部外者の私が侵入して突き落とすなんてハイリスクなこと」

「確かに、おまえならもっと巧妙にやるだろうな。だが聖下が裁判で明らかにしたがっているのはそれかもしれない」


「あのなぁ! おれをやってもいない殺人犯に仕立てる気か? 呆れた妄想だな。総主教もあんたも、そんなにおれを次の総主教にしたくないか」

 さすがのデビッキもこれには腹を立てたようだ。タメ口であんた呼ばわりされた大神官だが、目くじらを立てるわけでもなく冷静だった。


「しかし審判に召喚するということは、聖下は何か証拠を掴んでいるのかもしれない。やはり丸腰のまま向かうのはどうかと思うぞ」

「もう行くって言っちゃったしぃ」

「私は止めたのに、おまえが勝手にな」


「ねぇデビッキ、サイアスさん。丸腰じゃなくて、僕らで先に無実を証明できないかな」

 二人の視線がフランを向く。

「例えばだよ、屍体裁判の昔話があったじゃない。あれみたいにラスパイユさんを甦らせて、その時の状況を話してもらうのはどうかな?」


 二人ともぎょっとしているが、赤目の天使は挑発的に微笑んだ。

「一時休戦、してくれるよね?」

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