陽の章 第二十一項 ~王族~


「闘わなければならないのか、フェリ」


「相対する者同士、仕方ないでしょう、アゼル」


アゼルは短槍を手に、白銀の甲冑を纏って。

フェリアは双剣を手に、赤銅の軽鎧を纏って。

互いに完全な武装を施しながら、

尚も未練がましい声で、言葉を交わす。


有ってはならない事だと知りながら、

許されぬ想いだと知りながら、

それでも捨て切れず、

二人は互いの憧れを伝えあい、恋を確かめあい、愛を囁きあった。


「惚れた女に刃を向けるのは嫌なんだが」


「私だって貴方を斬りたくなんてない」


聖戦の後、この世界に男が生まれるようになってから、

白は白に、赤は赤に、緑は緑にしか恋をせぬものと、

誰もがそう思い、事実としてそう有った。

まさか白と赤の間に、ましてや白と赤の王族の間に、

相互の懸想が生まれようなどとは、誰も思いはしなかった。

だからこそ、見落とされ、見過ごされてきた。


「まったく面倒な生まれ方をしたものだ」


「えぇ、お互いに」


二人の逢瀬は公然の秘密のようなものだった。

誰かがそれを公に晒しさえしなければ、

或いは誰もが、有って無きものと捨て置いたかも知れなかった。

しかし、時世はそれを許さなかった。


「俺を殺すのか?」


「闘う以上は」


事ここに至り、白と赤の両国はいよいよ戦端を開く。

あと二年遅ければ、

フェリアの戴冠を迎えてさえいれば、

あらゆる声を跳ね除けて、争いを止めることが出来たかも知れない。

だが、アゼルとフェリアの嘆願も虚しく決断は覆らなかった。

それどころか、それは火に油を注ぐ結果にしかならなかった。

赤の王女と通じている。

白の王子と通じている。

それ故、敵国に利するように働きかけているのだ。

そうでないなら王族としての務めを果たせ。

敵を屠れ、と。


「炎を宿す赤の民なのに、冷たいんだな」


「所詮は叶わない想いだったのよ」


もっと早く誰かが諭していれば。

何かと理由をつけて行われる逢引を誰かが止めていれば。

ここまで頑なな想いにまで至らなかったのではないか。

今になってそう言う者もいる。

だが、立場を弁えた程度で諦められるものならば、

邪魔をされた程度で潰えるものならば、

そもそもここまで拗れはしない。


「諦めたくないんだけどな」


「女々しいわね」


幾度も唇を重ね、肌を重ね、心を重ねてきた。

互いを好き合う者同士の姿としては当たり前のものだった。

刃を向け合い殺し合うなど、

互いを想い合う者同士の姿としては似つかわしくなかった。

それでも、白と赤の王族の姿としては、最も相応しい有り様だった。


「それだけ好きなんだよ」


「……」


もはや隠す必要など無いだろうと言うかのように、

立ち会いの者達が睨みをきかせる中で、

アゼルが言葉を選ばず愛を吠える。


「……私だって、貴方が好きよ」


先に憧れたのは、アゼルだった。

でも、先に恋をしたのは、きっとフェリアだった。


「でも、闘う。覚悟してね」


幼きあの日、初めて逢った日、試合に勝ったのはフェリアだった。

得物はずっとあの日と同じまま。

アゼルが槍で、フェリアは双剣。

逢瀬の建前として繰り返してきた試合は、

睦み合いと呼ぶには激し過ぎたけれど、

何物にも代え難い大切な時間だった。


「安心して。私はずっと貴方を想い続けるから」


「……それはこっちの台詞だよ」


今や腕前は五分。

だが、勝敗は僅かにフェリアが勝ち越している。


「よし、じゃあ始めますか!

 どっちが勝っても恨みっこなしよ!」


「……あぁ、行くぞ!」


二人で過ごす最後の時を、せめて愛し合った二人の姿で。

フェリアがいつものように弾んだ声で開始を告げて、

アゼルが意を組んだように穏やかな声で応えた。



陽の章 第二十一項 ~王族~



赤の男達の襲撃から既に七日が経過していた。

後の始末を監視の者達に任せ、

王城に帰還したフィアシスとアルムは、

真っ直ぐにミヅキの部屋に向かった。

鎧と兜を装着しながら事の次第を説明するアルムに対して、

アルムが黒の鎧を纏ったままの姿であれば、

或いは襲撃そのものが起きなかったかも知れないと、

ミヅキは自らの軽率を悔いる素振りを見せていた。


赤の者が、白の王女に害を成そうとした。

その事実は極めて重い。

場合によっては、白と赤の新たな戦端ともなり得る。


報告を受けたレフィアは、赤の男達への尋問の結果を待ってから、

赤の王への文を認める腹積もりだったが、

事態はそこから更に悪化した。

厳重に拘束され、個々に牢に収容されていた赤の男達が、

一夜にして全員死亡したのだ。

如何様にして拘束を解き牢を出たのか、

男の一人が檻越しに他の者を絞め殺し、

その後自ら命を絶った、というのが、

牢番と共に現場を確認したアルムの共通の見解だった。


襲撃の直後に事のあらましを報告をして以降、

フィアシスは一度もレフィアに会えていない。

最後に見たレフィアの姿は、深く項垂れて頭を抱えたものだった。

フィアシスが城下に出ることを認めたのはレフィアだ。

自分の判断が愛娘を危険に晒し、赤との火種を生んだとなれば、

その自責と後悔の念は察するに余りある。

レフィアが赤の王への文を記し終えたのは、

襲撃から三日が経ってからのことだったという。


「……」


今日も、中庭の一角ではアルムとミヅキが静かに剣を向け合い、

フィアシスは侍従が淹れる茶を啜りながら黙って眺めている。


あの日以降、王城の警備はニニルの滞在時もかくやといった厳しさで、

フィアシスの周囲には、目に見えて護衛の人数が増えていた。

窮屈さを感じつつも、その意義は理解しているし、

アルムとミヅキとは今まで通りに接することが出来ているので、

フィアシスとしては別段不満もない。

アルムに向けられる目は、今までにも増して好悪が強まり、

フィアシスを守った働きを称える者もいれば、

嫌疑を口にする者もいる、といった様子だ。


「……?」


いつもならアルムとミヅキの稽古を黙して見守る者が多いが、

今日はその限りでは無いようだった。

中庭からは見えない、少し離れた区画から、

慌ただしく騒がしい声が漏れ聞こえている。

また何か起きたのだろうか、とフィアシスが胸騒ぎを覚え始めたところで、


「いやぁ、あの二人は相変わらず真面目だねぇ」


知った声が、背を突いた。


「っ!?」


椅子から立ち上がり、

声から逃げるように距離を取りながら振り返ったのは、

半ば無意識で反射的な動きだった。

聞き慣れるほど聞いたわけでは無いが、

この軽薄な声を、無条件に不快感を覚える声色を、間違えるはずが無い。


「おっと、まさかそんなに驚かれるとは」


振り返った先には、紛れもなく件の男が立っていた。

初めに現れた時と同じ黒の外套を纏った出で立ちで、

だが、今度は初めから顔を隠していない。

相変わらず造形としては美しいはずなのに、

侮るような瞳が、嘲るような口元が、

視界に入る全てがフィアシスに嫌悪感を抱かせる。


「フェナス!?」


異変を察知したアルムとミヅキがこちらに駆け寄り、

フィアシスの傍に立つ不審者の姿を認めると、

驚愕の声でその名を呼ぶ。


「あぁ、アルムちゃん! 我が麗しの姫君!

 君に会う日を俺は一日千秋の想いで待っ……!」


芝居地味た歓喜の声を上げながら、

抱擁せんと腕を広げ歩み寄るフェナスに対して、

アルムは身を屈めてその腕を交わし、

鞘に収めていた黒刀を抜き放ちながら、

その柄尻をフェナスの鳩尾に打ち込んだ。


「ぉっ……相変わらず、激しい愛情表現だね……」


「私をちゃん付けで呼ぶなと言ったはずだ」


膝から崩れ落ち、両腕で腹を押さえ蹲りながら、

断末魔のような掠れた声を上げるフェナス。

一方のアルムは、抜刀した刃の切っ先をフェナスに向け、

まるで嫌悪感を隠しもしない声を浴びせる。

声だけではない。

兜に隠れていても明らかに分かるほどの怒気が、

アルムの全身から発せられているようにフィアシスは感じた。


「何故、貴様がここにおる。

 いつの間にか姿を眩ましたかと思えば、

 先にこちらに来ておったようだし。

 職務放棄も大概にしたらどうだ」


横でその様子を見ていたミヅキもまた、

フェナスに向けて辛辣な視線と声を浴びせる。


アルムの留守中に起きた、

ニニルの来訪とフェナスの出現については、

アルムがミヅキを連れて帰還した後、

折を見てフィアシスから二人に伝えていた。

ニニルについてはともかく、

フェナスについて伝えた時の二人の態度は、

苦々しい、という言葉を形にしたようなものだったが、

知人であるということは否定していなかった。

今のやり取りを見るに、

やはりフェナスはこの二人と知己であり、

フェナスがアルムの性別を把握しているということも、

先程の言葉で察しがつく。

そして、フィアシスからすれば案の定と言って良いだろう、

フェナスはこの二人からも快く思われてはいないようだった。


「いやぁ、前回は独断で勝手に動いちゃったんで、

 割としっかり目に怒られたんだよねぇ。

 だから、今回はちゃんと職務を遂行してるよ」


「何だと? まさか……」


フェナスが苦悶で引き攣った笑みで二人を見上げ、

言い訳をするような声で応える。

その言葉を聞いたミヅキは、

露骨に眉を顰め、訝しむように問い質す。


「あぁ、連れてきたよ」


「っ!」


にったり、という言葉が似つかわしいほど、

わざとらしく口の端を吊り上げて、フェナスが告げる。

その声に一番大きく反応したのは、

ミヅキではなくアルムだった。

黒鉄の兜に遮られても尚はっきりと分かるほどに、

アルムが大きく息を呑んだ。


「どこにいる」


アルムが、フェナスに口調を強めて問う。

あからさまなまでの動揺の色が声に滲んでいる。

それは、フィアシスの記憶する限り、

今までに聞いたことの無いアルムの声色だった。


「謁見の間に。女王への目通りを申し入れ中だよ」


フェナスの回答を聞くや、アルムが手早く黒刀を収め、

謁見の間のある方向へと身体を向け、

駆け出そうとするが、


「待て。フィアシス殿を置いていくつもりか」


アルムの行動を先読みしていたように、

すぐさまミヅキがアルムの手甲に包まれた手首を掴み、静止した。

止めなければ、フィアシスにもミヅキにも目もくれず、

アルムは走り出していただろう。

はっきりそう確信できるだけの焦りの態度だった。


「……そうだな。

 謁見の間に向かう。一緒に来てくれるか」


「は、はい……」


ミヅキの諌めで冷静さを取り戻したか、

アルムが一度長く息を吐き、フィアシスに向き直る。

声色はすっかり普段のものに戻っているが、

まだどこか落ち着きの無さを残したような、

そんな態度だとフィアシスは感じた。

連れてきた、とフェナスが言ったからには、

誰かが、ここまでアルムを動揺させる何者かが、

白の王城に来訪したのだろう。

そういえば、先程騒がしさを感じた方角には、

謁見の間に続く大廊下があった。

アルムと連なる者がまた一人、この地に現れた。

その邂逅に不安と期待を抱きながら、

フィアシスは前を歩くアルムの背を追った。


「やれやれ……

 相変わらず、俺には目もくれない感じなんだねぇ」


蹲ったままの姿で捨て置かれたフェナスは、

ぬるりと立ち上がると、

いかにも気怠げに、膝に付いた砂を払う。

その呟きは、先に行ったアルム達の耳には届かず、

吹き抜ける風に霧散した。





イグリオール王城、謁見の間。

アルムとミヅキを伴ってフィアシスが辿り着いた時、

既に、そこには複数の人影が立ち並んでいた。


五段の階段の上の玉座、その中央に座するのはレフィア。

いつものように穏やかな笑みを浮かべてはいるが、

フィアシスがすぐに気付くほどの憔悴の色が見える。

先の一件の、赤の国との落とし所について、

相当に苦慮しているのだろう。


レフィアの脇には、腹心たる大臣。

フィアシスにとっては顰めっ面の印象しか無い人物だが、

今は、動揺や当惑といった雰囲気の、

何とも言えない表情を浮かべている。


他にも、国の重臣や騎士を束ねる将が、

身分に応じた位置に立ち並んでおり、

皆が一様に大臣と同じ様子で佇んでいた。


事前の通告も無しに現れた、突然の来訪者。

本来であれば女王レフィアへの目通りが叶う状況ではない。

だと言うのに、これではまるで、

集め得るだけの要人を集めて歓待するかのような光景だ。


アルムに連なる者が現れたとはいえ、

これは流石に只事ではない、と察したフィアシスは、

ごくりと唾を呑み、アルムの横に立つように足を進める。


「っ……!」


玉座の段の下に、一人佇む人影。

その姿を視認した瞬間、フィアシスは状況を理解した。


黒い髪。

アルムの兜やフェナスの外套のように、

何かで頭を覆っているわけではない。

はっきりと晒された黒がそこにあった。


「テュード様っ!」


暫しフィアシスの横で立ち竦むようにしていたアルムが、

声を上げ、眼前の黒い人影へ向けて歩み始める。

その声と歩調は、フィアシスの知るアルムとはまるで違う。

ミヅキと共にいる時とも違っている。

何より、聞き間違えということもないだろう、

アルムは目の前にいる相手の名を、様という敬称を付けて呼んだ。

それは紛れもなく、フィアシスが初めて目にするアルムの姿だ。


「やぁ、アルム」


背丈と髪型で分かっていたことではあるが、

名を呼ぶアルムの声に応えた声色は、男性のものだった。


「久しぶりと呼ぶには早いけど、会いたかったよ」


黒髪の人影がこちらに振り返る。

その瞬間にフィアシスが感じたのは、

かつて無いほどの大きさで脈打った自分の心臓の音と、

瞬く間に紅潮していく頬の熱さ。


美しい顔立ちというものを、

フィアシスはその人生の中で数多見てきた。

直近で言うならば、アルムやミヅキは、

紛れもなく万人が美しいと称する容貌をしているし、

癪な話ではあるが、フェナスの容姿に至っては、

フィアシスが目にしてきた中で一番美しい造形とさえ言える。

だが、それでも。

目の前にいる、テュードと呼ばれたこの人物こそが、

自分が今まで出会った人の中で、これから出会う人の中でも、

最も完璧な容姿の持ち主であると、

一目見た瞬間にそう確信してしまうほど、

フィアシスの思う理想を形にしたような姿だった。

そう、それこそ、長く夢想し続けていた、

兜で隠されたアルムの素顔を、そのまま顕現させたかのよう。


煌びやかな黒髪は、否が応でも視線を吸い寄せられる。

アルムに向けて微笑む目も、髪色に劣らぬ深い漆黒。

細められた目元には優しさと意志の強さが感じられる。

形の良く高い鼻、唇は程よく厚く整っている。

輪郭は細く、見た目の印象としては鋭さが目立つが、

表情や身に纏う空気からは、穏やかさや包容力を感じさせる。

細身ではあるが痩せているわけでもなく、

首も男性的な太さがあるが、無駄な肉はまるで感じられず、

よく絞られた逞しい体つきであることが分かる。

背丈はミヅキと同じか、もう少し高いくらいだろうか。

単純な見た目だけで言えば、

フィアシスと同じくらいの年頃の少年にも見えるし、

成熟した佇まいを考えれば、

それこそレフィアと同齢と言われても納得してしまいそうな、

そんな不思議な感想をフィアシスは抱いていた。


「テュード様、何故こちらに……!」


動揺と憂慮を隠しもせず、アルムがテュードに詰め寄る。

その声と態度だけで、フィアシスにも容易く察することができた。

これは、自分やレフィアに対して、侍従が示すものと同じだ。

それは即ち、


「アルム、レフィア女王の御前で無礼だよ。

 こちらの話は後にしようか」


「ですが……!」


「アルム」


「……」


この二人の間には明確な主従の関係がある、という事。

優しく諭すような語調に対して尚食い下がろうとしたアルムだったが、

テュードが短く放った窘める声に、即座に沈黙し、静止した。

そして、


「……」


アルムがテュードの傍で姿勢を正し、

レフィアの座する玉座に向けて、片膝をつき、頭を垂れる。


その光景に驚愕したのは、フィアシスだけではない。

レフィアも、大臣も、他の重臣達もまた、

有り得ないものを目の当たりにした、という困惑の表情を浮かべている。

白の国に現れて以来、アルムが誰かに跪いたことなど、一度として無い。

女王であるレフィアに対してすら、

まるで立場の差など無いかのように振る舞ってきた。

大臣がどれだけ声を荒らげようとも、まるで何処吹く風だった。

それが、テュードのたった一言で、いとも容易く。


「申し訳ありません。

 普段は礼節をしっかり弁えているし、

 他者への気遣いも欠かさないのですが、

 時々直情的に突っ走ってしまう所があるので、

 ご迷惑をお掛けすることもあったかと思います」


アルムが忠実に跪くのを見届けて、テュードがレフィアに向き直る。

テュードが語る、アルムの非礼を詫びる言葉は、

しかしフィアシスにとって、

まるで全くの別人の話を聞かされているような内容だった。


直情的、とは。

フィアシスの知るアルムの姿とは、

真逆を行く言葉とさえ思えてしまう。

常に冷静であり、的確であり、

寧ろ感情を排した判断こそがアルムの強さだと、

周りの者達からも評されているほどだ。

ただ、礼節については、

正しく理解した上で敢えて尊敬も謙譲も示さないのだと、

フィアシスはそう理解しているし、

これまで共に過ごしてきた時間の中で、

フィアシスをはじめ、他の護衛や侍従に対しても、

気を損ねるような言動は無きに等しい。

かの祝宴でのクレミアやティニアへの態度を見ても、

他者への配慮が欠けているとは決して思わない。

そも、警備の強化を望まない自分の意を汲んでくれたからこそ、

あの一件が起きてしまったとも言えるのだから。


「それでは、取り次ぎの方には伝えましたが、

 改めて自己紹介を」


テュードが、レフィアに向けて言葉を続ける。


「テュード=ディメイル。

 黒の国ディメイルの、今代の王です」


「……っ!?」


それは、まるで何も特別なことではないような語調だった。

勿体ぶるでもなく、誇張するでもなく、

ただ当然のこととして、初対面の相手に挨拶をしただけ。

本当にそれだけの言葉として放たれたのだろう。

だが、フィアシスにとってそれは、驚愕する他ないものだった。


ミヅキの存在が、既に青の民の現存を証明している。

聖戦から今日まで命が紡がれているならば、

相応の数の人間が生きているであろうことも察しはついた。

黒の国についても同様であろうと推察もできる。

だが、王という言葉は、重みが違う。

それはつまり、黒の国が、

国としての形を保ったまま今もそこに在り、

王族が代を重ねて統治し続けているという事実に他ならない。

青の国と黒の国は、六色の聖戦に於ける、

守星神シルヴィエと異邦人アルムとの戦いの中で消失した。

聖戦より後のリハデアで伝えられてきた歴史を、

真っ向から否定することになるのだから。


「黒の……王……」


レフィアに侍る大臣が、噛み締めるように声を漏らす。

段上の者達が皆一様に当惑の表情を浮かべている。

レフィアとて例外ではない。

平静な表情こそ崩しはしないものの、

問い返す言葉がすぐに出てこないという姿が、

その心中を物語っている。


「王というだけで、そこまで驚かれるとは。

 ミヅキさんの時は、さぞ吃驚されたことでしょう」


皆の反応が意外なものであるかのように、テュードが続ける。

その言葉の示すところを、フィアシスは暫く理解できなかった。

黒の民が現れた。黒の王を名乗った。

それだけで、既にフィアシスにとっては情報過多だというのに。


「テュード殿」


今までフィアシスの隣で成り行きを見守っていたミヅキが、

見兼ねたように、溜め息混じりで口を挟む。


「拙者は、まだ明かしておらぬ」


「おや、そうでしたか。

 てっきり早々に口を滑らせているものかと」


「……」


言葉を交わしながら、ミヅキがテュードの傍まで歩を進める。

アルムと話すよりも幾らか棘のある声は、

ミヅキとテュードの関係の気安さを物語っているようだった。

テュードの軽口に、呆れとも苛つきとも取れる大きな溜め息を漏らした後、

ミヅキは玉座のレフィアに向け、姿勢を改めた。


「テュード殿が名乗ったならば、隠す理由はなくなった。

 ミヅキ=ツキカゲ。

 青の国ツキカゲの今代の王だ」


「なっ……!?」


テュードの言葉で察せられていたとはいえ、

ミヅキの口から放たれた言葉は、

この場にいる白の者にとって驚愕を禁じ得ない。

玉座のレフィアは、周りの者達のように声を上げまではしないが、

それでも、眉や唇には力が入り、

フィアシスでも気付けるほどの動揺を顕にしている。


「あぁ、素性を明かしたからといって、

 拙者への振る舞いは変えてくれぬように。

 過剰な歓待や媚態は好かぬゆえ。

 今まで通りミヅキと呼び捨ててもらって構わぬ」


段上の面々の動揺ぶりを見て、

ミヅキがいかにも煩わしげに釘を刺すように言う。

その言葉にはフィアシスも共感し、

確かにミヅキは王族の産まれなのだろうと得心した。

二人が青と黒の産まれであるということは疑いようがないが、

それでも疑ってかかるのならば、

王であるという点については自称でしかなく、確かめる術もない。

だが、王族であるというだけで付いて回る、

臣下の者達の過度な配慮を煩わしく思うのは、

長くその立場に身を置いてこそだろう。


「では、ミヅキ。

 改めて、今なら貴方方の目的を教えてくれますか?」


ミヅキの言葉を受け、レフィアが閉ざしていた口を開く。

未だ動揺は隠し切れない様子だが、

それでも、努めて落ち着いた声色を保とうとしている。

フィアシスにはそう感じられた。


「それについては、僕から話します」


レフィアの問いに応えたのは、テュードだった。

邂逅の日、ミヅキは来訪の目的を問われ、

自分以外の誰かが話す、来るべきに話す、とだけ告げた。

それが、テュードであり、今この時である、という事だろうか。

期待の一方で、フィアシスは不安も隠せない。

聖戦で亡びた筈の、青と黒。

その二国の王がこの場に揃い、何を伝えるというのか。

あの日、悪い冗談とアルムに諌められていた、

ミヅキの宣戦布告が脳裏に浮かぶ。

その後で、害を成す意図は無いと断言していたが、

果たしてそれが本当なのか、こちらが真意を知る術はないのだ。


「とは言っても、目的そのものは、まだ話せません。

 それを伝える為の準備として、

 僕達はまず、五国の王族が一処に集うことを求めます。

 白の国イグリオール。

 赤の国グレイス。

 緑の国ステイルランド。

 三国の王、そしてその後継たる嫡子。

 そして、青の国ツキカゲの王ミヅキに、

 黒の国ディメイルの王テュード。

 これらが全て集った場で、僕達の目的を話します」


淡々と、やはり誇張するような言い回しは無く、

五つの国を数えるように指を折りながら、

テュードは己の要求を通告した。

それが受け容れられない可能性など考えていない、

というような、ある種の傲慢な口振りは、

やはり王族に産まれたが故のものか。

実際の所、ただ三国の王族が集うというだけならば、

決して難しい話ではない。

それこそ、フィアシスの誕生日の祝宴には、

赤の女王セシリアの辞退こそあったものの、

赤の王女二人と、緑の女王と王女が出席していた。

ただ、それは毎年決まった日に執り行われる催しだからであり、

日取りが予め決まっていないものを、

一から調整するとなれば、それなりの猶予が必要となるだろう。


「実の所、あまり時間を掛けられない状況でして、

 僕が今ここにいるのも、予定を早めての行動です。

 本来は、先にミヅキさんとアルムに伝えて、

 段取りをしてもらうつもりだったのですが。

 突然の来訪になってしまい、皆様には御迷惑を」


「テュード殿、それは」


「はい。予定が早まりました」


テュードの来訪が予定外であることは、

フェナスから告げられた時の二人の反応を見れば、

フィアシスにも分かることだ。

そして、今のテュードの言葉からは、

彼等の目的に何らかの時間的な制限があることも伺える。

テュードへ問い掛けるミヅキの表情もまた、

それが彼女達にとって憂慮すべき事柄であることを物語っていた。


「……他の二国の王を召喚することについては、

 手を尽くしますが、赤の国については障害が多く、

 時間を要するかも知れません。

 既にご存知のことかと思いますので隠さず言いますが、

 赤の女王セシリアは長く病床に伏しており、

 王城を離れるのが難しい状態です」


テュードの求めに対し、

レフィアは言葉を選ぶような慎重な様子で応えた。

赤の女王の容態については、公言こそされていないものの、

長く国外での催しを辞していることから、

半ば公然の秘密のような扱いになっている。

おいそれと口に出来ない類のものだが、

敢えて断言したということは、

少なくともレフィアは仔細を知っており、

そして、伝えても問題のない相手、

或いは伝えるべき相手と判断したのだろう。


「加えて、白と赤には、先日新たな火種が生じました。

 出来る限り穏便に済ませるつもりではあるものの、

 赤の側には死者が出ている」


目下、最大の懸念事項であり、

レフィアを憔悴させている原因でもある、フィアシスへの襲撃。

赤の国への文は届いた頃だろうか。

あの一件に対する赤の国の出方はまるで予想がつかない。

下手人がただの一市民であったのか、

何らかの勢力に属する者達だったのかさえ不確かなまま。

赤の内情は話に聞く程度にしか知らないフィアシスでも、

白の国と比して内部での軋轢の多い赤の国で、

それが政争の具となることは想像がつく。


「赤の女王については把握しておる。

 先日の件は、テュード殿はまだ知らぬだろうから、

 後で拙者から話そう」


「お願いします」


出し得る限りの誠実な回答をしたレフィアに、

ミヅキが微笑を以って応える。

襲撃の機会を作った一因と自戒するミヅキからすれば、

レフィアに不要な手間を取らせるのは本意ではないだろう。


「レフィア様。

 お手を煩わせてしまい恐縮ですが、宜しくお願いします。

 僕達は不用意に場を乱すことは望んではいませんが、

 同時に、目的の為ならば、如何なる手段をも厭わない。 

 僕達の力で解決できる問題であれば、何なりと申し付けてください」


胸に手を当て、姿勢を改めてテュードが告げる。

物腰は柔らかく、言葉も丁寧でありながら、

しかし、その声にフィアシスが感じるのは、

揺るぎない信念、確固たる自信、そして何より、

異を唱えさせぬほどの王としての威厳。

それこそまるで、白の女王レフィアさえも、

自らの束ねる臣下の一人である、と言わんばかりの。

例え自ら王を名乗っていなかったとしても、

それでも、目の前にいる人物が王だと確信していた、

フィアシスがそう思えるだけの威容だった。


「分かりました。 

 では一つ、答えられるようであれば、お答えいただきたいことが」


「何なりと」


そんなテュードを真っ向に見据え、レフィアが面持ちを改める。

いつになく、フィアシスには見た記憶が無いほどの躊躇いの声。


「……アルムは」


たっぷりと間を置き、大きく息を吸って、レフィアが問う。


「アルムは、何者なのですか?」


「……」


今なお言葉を発さずテュードの側で傅く黒衣の剣士。

彼等の中で初めにこの国に現れ、

禁忌の名を騙り、

青の王であるミヅキと師弟の関係にあり、

自らを黒の民と語る、

白い髪の者。

テュードとミヅキが自らを明かしても、

未だアルムだけは素性が知れないままだ。

あまりの事態にフィアシスの頭からも抜け落ちていた。


「アルムは……

 僕に最も忠実で、僕が最も信頼する者です。

 一国の王である僕やミヅキさんよりも自由に動けるので、

 先行させて、こちらの情勢などを調べさせていました。

 アルムと名乗らせているのは、

 五国の王族が集うための旗印だとでも思っていただければ」


レフィアの問いに、少しの間を空けてテュードが答える。

その声は、フィアシスには不誠実に感じられた。

伝えるべきことを伝えていない、という以上に、

問いそのものを拒むような、踏み込ませないような意図を感じる。


「……分かりました」


だが、レフィアはテュードの言葉にただ頷き、それ以上の追及を避けた。

アルムが女性であることも、白い髪であることも、

間違いなく監視の者達からレフィアには伝えられている筈だ。

それが公に明かされていないうちに、

この場に並ぶ重臣達が知ることを避けたのだろうか。

レフィアが口にしないならば、フィアシスも口を噤むしかない。


「暫くはこの王城に滞在していただく事になるでしょうし、

 これ以上の話は、また場を改めて。

 まずは部屋を準備させましょう。

 ミヅキは望まないでしょうが、王族用の客室に移っていただけますか」


脇に控える大臣にさえも視線を向けないまま、レフィアが話を締めに入る。

そもそもが突然に過ぎる来訪だ。

常に多忙の身であるレフィアが割ける時間には限りがある。

何より、齎された情報の過大さを思えば、

如何にレフィアといえど頭を整理する時間が必要だろう。


「まぁ、仕方あるまい」


王族の親衛隊であるアルムと同等の、

騎士の中では最高位の扱いとはいえ、

他国の王族を軍属と同等の待遇に置いておくなど、

白の国の王としての面子が許してはおかない。

そんなレフィアの事情を察してか、

殊の外素直にミヅキが承服した。


「アルムの部屋も同じ並びに用意します。

 お二方と離れているのは不便でしょう」


「ご高配に感謝します」


レフィアが重ねた提案に、テュードが喜色を顕にする。

親衛隊の任としてフィアシスの傍にいる時間以外を、

アルムは概ねミヅキと共に過ごしている。

フィアシスからしても、

アルムを伴ってミヅキの部屋を訪れる時間が増えた中で、

二人が自室に近い客室に移るのは歓迎したい話だった。


「では、拙者達は今の部屋の片付けでもしておくか」


「あぁ」


いかにも面倒臭げに、しかしどこか愉しげにも聞こえる声で、

ミヅキがアルムに向けて呼び掛ける。

テュードに諌められ跪いてからここまで、

まるで微動だにしていなかったアルムが応えた声は、

ミヅキと対照的で、いつも通りに抑揚のないものだった。


「客室の準備が整い次第、迎えの者を遣わします。

 フィアシス。貴女はテュード様の案内をお願いします」


「えっ、は、はいっ」


唐突に自分の名を呼ばれ、フィアシスが背を伸ばす。

他国の王の案内ともなれば、慣れた侍従達の方が良いのでは、

と思う気持ちも無くはないが、

アルムとミヅキに関して言えば、

一番長く共に過ごしているのは間違いなくフィアシスであり、

そもそもアルムはフィアシスの親衛隊としての任を負っている。

流石に荷運びなどは侍従の仕事になるだろうが、

この三人の応対を任せる相手を選ぶならば、

フィアシスをおいて他にないだろう。


「そういえば、

 アルムはフィアシス様の護衛の任に就いているんだったね。

 フィアシス様。

 アルム共々、宜しくお願いします」


テュードが振り返り、フィアシスに向けて凛と微笑む。

短い黒髪が、それでも絹糸の様にさらりと揺れて、

ただそれだけで辺りの空気が色めくように感じられて、

フィアシスは思わず息を呑んで固まってしまった。

鼓動の高鳴りが抑えられず、顔はどんどん熱くなり、

視線などとても合わせられそうにもない。

こんな人と正面に向き合って平気で話せてしまう、

レフィアやミヅキの方がきっとどうかしている。

そう思えてしまうくらいに、

フィアシスの心は酷く掻き乱されていた。


「よ、宜しく、お願いします……」


絞り出した声は弱々しく、言葉尻は消え入りそうなほど小さい。

気恥ずかしさで、顔が真っ赤になっていくのが分かる。

兜を脱ぐ前のアルムにだって、

ここまでの戸惑いを感じたことは無かったかも知れない。

それでも、アルムへの想いが確かにあったからこそ、

今の自分の心の動揺が何を意味しているのか、

フィアシスは直ちに理解出来てしまう。


「それでは、失礼いたします。

 改めて、突然の訪問という非礼を陳謝するとともに、

 レフィア女王のお取り計らいには、心より感謝申し上げます」


今一度レフィアに向き直り、テュードが謝意を告げる。

その背を、佇まいを見るだけで、

フィアシスには、彼が人を率い束ねる者であることが分かる。

彼を迷いなく信じ従う者がいることを理解できる。

例えるならばそう、六色の聖戦に於いて、

五国の女王を従えて神に挑んだ異邦人アルムとは、

きっとこんな風に人を惹き付ける存在だったに違いない、

などと、フィアシスが考えてしまうほどに。


「アルム、行くよ」


「はい、テュード様」


テュードの声に、アルムが素早く身を起こす。

その声から感じるのは、強く揺るぎない忠誠。

忠心を示すことが自らの望みであり、喜びである。

それをまるで疑わせないほどの、瞭然たる色だった。

今までのアルムの姿を知る者達からすれば、

中身が入れ替わったのかとすら思える姿。

段上の重臣達も、ただ呆気に取られたような表情だが、

きっと人心地ついた頃には、

女王や王女には頭を垂れもしないではないかと、

白の王族を軽んじていただけなのかと、

烈火の如く怒り狂うに違いない。


そんな事を想像しながら、

フィアシスはいつものように、アルムと並んで歩き出す。

アルムを挟んだ反対側にはテュードとミヅキが。

未だ彼等の目的は明かされないまま、

アルムの名を旗印に五国の王族が集う、

という要求だけが示された。

その中に自分も含まれているという実感は乏しく、

フィアシスはただ、新たな出会いに、

自分の胸に宿った新たな熱に、心を震わせていた。

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