陽の章 第十七項 ~領分~


光。

世界を照らすもの。金色の神星より注ぐもの。

そして、エナフィアが自在に操るもの。


白の紡月が、風という本領を逸脱し、

光という守星神の領分を侵すに至ったのは、

聖戦の白の女王シルフィアが始まりだったとされている。

歴代の女王達はそれを継承してきたものの、

才無き者は発現にすら至らず、

才有る者でもシルフィアの跡をなぞるのが精々だった。


それを、破壊的に躍進させたのが、エナフィアだった。

白の女王の第二子として生まれた彼女は、

その有り余る才能と、持て余す時間を、光の紡月の探求に費やした。


神の威光は、純粋にして絶大な破壊の力。

慈悲もなく、容赦もなく、命を消滅させる力。

だが、エナフィアが光に惹かれたのは、

敵を確実に仕留められるなどという側面ではなく、

費やす紡月力に対して、得られる結果が大きいという効率面だった。


彼女の目標は、皆が光の紡月を使えるようになることだった。

もし、誰もが光の紡月を使えたならば、

紡月力に秀でた王族に頼り切りにならずに済むかも知れない。

そうすれば、王族が戦場に駆り出されることも無くなる。

紡月力だけで有能だ無能だと判じられることも無くなる。

大好きな姉と妹が、自分と比され蔑まれることも無くなる。


そう思っていた。

そう願っていた。



陽の章 第十七項 ~領分~



件の獣の被害、そして青の国の民であるミヅキとの邂逅から、

早くも五日が過ぎ、女王レフィアが帰還した白の王城は、

すっかりと平素の様相を取り戻していた。


元々、アルムという異質極まる存在が、

半ば日常の風景として溶け込みつつあったこともあり、

初めこそミヅキの存在に大きな動揺が広がったものの、

アルムの関係者、剣の師、

レフィアが滞在を許諾した相手であると知れ渡ると、

殊の外、城内は早く沈静化していった。


無論、今でもなお、

ミヅキの出で立ちは、髪色は、白の王城に於いて異質であるし、

見目の麗しさも手伝って、視界に入れば皆が目で追っているが、

アルムの時と同様、自ら会話を試みる者は無きに等しい。


当の本人は、他人の視線などまるで気に掛ける様子も無く、

アルムの部屋にほど近い位置に割り当てられた居室で、

本を読むなどして静かに過ごしている時間もあれば、

アルムがフィアシスの護衛の任から離れる休憩時間には、

二人連れ立って、剣の稽古に勤しんだりもしている。


「……」


騎士達の訓練場も兼ねた中庭の一角には、今日も三色の人影が佇む。

白がフィアシス、黒がアルム、そして青がミヅキだ。


アルムとミヅキは、互いに全く同じ姿勢で、

それぞれ自らの得物を正眼に構え、対峙している。

二人から少し離れた位置で椅子に腰掛けるフィアシスが、

なるほど確かに剣の形も同じなのだな、などと感じたのも、

もう三日も前のことだ。


初めこそ、二人の邪魔にならないようにと、

少し離れた場所に突っ立って見守っていたフィアシスだったが、

王女に立ち見をさせるなど以ての外と、

すぐに観覧用の椅子を用意され、

二日目からは更にテーブルやら茶器やらが追加され、

この一角はさながら、王女のための演舞のお披露目の場と化していた。


「……」


侍従が淹れた茶のお代わりには口も付けず、

フィアシスは稽古を静かに見守る。

周囲で鍛錬に励む他の騎士達も、気もそぞろといった様子だ。

稽古と言っても、昨日も一昨日もその前も、

その時間の大半は、全く動きの無いものだった。

二人は互いに刃を向けあったまま、

ただ黙って、身動ぎ一つせず、静止し続けている。


四半刻は過ぎただろうか。

アルムは休憩時間が終わればフィアシスの警護に戻る。

時間には正確であり、

フィアシスが自室にいようが書庫にいようが、

休憩時間の終わりまでにアルムが戻らなかったことはない。

だから、そろそろだろう、と考え始めた矢先、


「っ……」


フィアシスは息を呑み、止めた。

二人の構えは未だ変わらないが、二人に纏わる風が変わった。

意志も無く、形も無く、阻むものも無い筈の風が、

向かい合う両者の狭間を嫌うように避けて通る。


フィアシスに感じられるものは、やはり冷気だった。

ミヅキが紡月を放っている訳ではない。

光を呑むような黒剣から、光に透くような青剣から、

それを握るアルムとミヅキから放たれる気配が、

冷たさに感じるほどの緊張と恐怖を、

これほど離れた場所に座るフィアシスに齎している。

視線を向けはしないが、傍に立つ侍従もきっと、

喉を引き攣らせ、全身を強張らせていることだろう。


フィアシスが固唾を呑んで見守る中、

両者は身に纏う冷気に似た殺気を更に強めていく。


「っ!」


刹那、刃の結ぶ甲高い音が耳を劈いた。


フィアシスに捉えられる情報で言うならば、

それは正に瞬間の出来事だった。

動きの仔細まではフィアシスの眼では到底追えない。

互いに切っ先を向けあった姿勢のまま睨み合う二人が、

右足を踏み出し、右の片手に持ち替えた刀を左薙ぎに振るった、

ということだけは、動きの始点と終点を見て辛うじて把握できたが、

フィアシスには、その間二人が姿を消したようにすら感じられた。


少し遅れて、剣戟で弾き飛ばされたかのように、

フィアシスの前髪を風が大きく揺らす。

そこでようやく、フィアシスは瞬きを思い出した。


またしても寸分違わぬ姿勢で動きを止めた両者が、大きく長く息を吐く。

鏡写しのように正確に、同じ時間だけの呼気。

それを見届けるようにして、

フィアシスもまた止めていた息を吐き、胸を撫で下ろした。


「うむ」


先にミヅキが右足を引き、右腕を下ろし、

満足とも不満とも取れない表情で小さく頷く。

それが姿勢を戻す許しであるかようにアルムが続くが、

黒鉄の兜の中の表情は窺い知ることはできない。


「まぁ、こんなところか」


宝玉の如き刀を鞘に納めながら、ミヅキが呟く。

その語調からは、少なくとも喜色は感じられない。


「後出しで拍子を合わせられるようでは、まだまだ遠過ぎる」


一方のアルムもまた、納得には程遠い声とともに、

輝石の如き刃を鞘に納めた。


「その重苦しい甲冑の影響も少なくなかろう」


「生身でも結果は変わらないのは分かっている」


先の一撃への批評を語りながら戻ってくる二人に対し、

フィアシスは語るべき言葉を持たない。

話している内容を聞けば、

ミヅキとアルムの実力に開きがあることは分かるが、

それは、フィアシスが見て理解できない領域の話だ。

白の王族として生まれ、

剣を握ることを求められたことも望んだことも無いフィアシスに、

口を挟む余地などあろうはずもない。


そして、あともう一つ、二人の会話の端々から察せられるのは、

当然といえば当然かも知れないが、

ミヅキはアルムの兜を取った素顔を知っている、ということだった。

この五日の間にフィアシスの耳に届いた範囲だけでも、

ミヅキは既に何度も、アルムの纏う鎧や兜を、

邪魔なもの、動きを妨げてるものとして話している。


「済まない、待たせた。今から警護に戻る」


座するフィアシスを見下ろし、アルムが告げる。

時間は、寧ろ定刻よりも少し早いくらいだ。


「あ、はいっ」


済まない、などと、アルムは以前から口にしていただろうか。

少なくともフィアシスの印象の中には無い。

それは、ミヅキと共にいるから出てきた言葉なのか。

それが、アルムにとって自然な姿ということなのか。

そんなことを考える度に、フィアシスの心に重い澱が溜まっていく。

自分は、アルムにとって、特別ではない、と。


「フィアシス殿は、書庫で過ごすことが多いのだったか」


そんなフィアシスの想いなど知る由も無いだろうミヅキは、

嫋やかな微笑を浮かべて問う。

青である、という特別さを差し引いたとしても、

白の王族たるフィアシスが見惚れてしまうほどの美貌。

城内にミヅキの噂が流れる際にも、

『青の民』という言葉の前後に、

『大層美しい』という言葉が常に付いて回っていた。


「はい。書庫で本を読むことが多いです」


フィアシスはミヅキを見上げながら、

努めてにこやかに、柔らかな声で答えた。

元より、同性異性を問わず、

美しいものには惹かれやすいフィアシスだ。

ミヅキに対しては複雑な感情を抱いているが、

それでも、親しくなりたいという気持ちも強い。


「ふむ。

 不躾だが、次に書庫に赴く際は拙者もお供して良いだろうか?」


やや遠慮がちな声色で、ミヅキが問う。

フィアシスの親衛隊長という役職を持つアルムに対し、

ミヅキの立場は食客である、ということを気にしてのものだろうか。

これまでのアルムの態度を鑑みれば、

ミヅキの振る舞いは、まだ常識的にすら見えてしまう。

無論、一切の恭謙が無い言葉選びや姿勢は、

見る者が見れば卒倒し兼ねないばかりものであることに変わりはない。


「ええ、それは問題ありませんが……

 何なら、今から書庫に向かおうかと思っていたところで」


「おぉ、それは助かる。

 こやつからもある程度は聞いておるが、

 こちらの現状について、色々と知っておきたいのでな」


意図的なのか、自然と漏れ出ているだけなのか、

ミヅキは言葉の端々に、彼女らの素性に繋がりそうな言葉を滲ませる。

『こちら』と『あちら』、或いは『向こう』といった言い方を、

この数日の間にフィアシスは何度も耳にしている。


「分かりました。では、早速参りましょう」


六色の聖戦より後、この大地で青や黒の民が存在したという記録はない。

であるならば、今日までその血筋が永らえてきたのならば、

人の住まう地が別に在る、と考えるのが自然だろう。

六色の聖戦の時代を記した書によれば、

青と黒の国はその国土ごと消滅したとされているが、

それが誤りで大地が分かたれたということなのか。

或いは、命あるものは住めぬとされる常夜の氷の大地、

『閉塞の大陸』こそが彼女らの地なのか。

いずれにせよ、まるで物語の中の設定のようだ、と、

想像する度にフィアシスは興奮を抑えきれない。


アルムを、ミヅキを、問い詰めてみたいという気持ちもある。

だが、答えを返してもらえる筈もないだろうし、

避けられる、嫌われるのではないかという不安も大きい。

フィアシスは立ち上がり、侍従に礼を伝えると、

アルムとミヅキを引き連れて歩き出した。


「今日も史書で良いのか」


「はい。

 物語調で読みやすいものがあれば教えてください」


アルムの問いに、フィアシスは屈託の無い声で答える。

白の王城に帰還したその日、

『フィアーナ戦記』を読了したことを伝えたフィアシスは、

続けざまに、他にアルムの勧める書が無いかを尋ねた。

単純に興味を惹かれる内容であったこともそうだし、

共通の話題を増やしたいという気持ちもあった。

勿論、アルムが熱を持って話すようなことは無いのだが、

たとえ言葉は少なくとも、

自分の読んだ書についてアルムと語らう事ができるのは、

フィアシスにとって、この上ない至福の一時だ。


「物語調に限定するとなると、そうだな……」


ふむ、と小さく漏らしてアルムが思案する。

アルムの勧めならば、きっと間違いはないだろうし、

何より、アルムが自分のために本を選んでくれるという事実に、

フィアシスは喜びを感じずにはいられない。

史書であれば良し、と、レフィアも小言を口にしなくなり、

フィアシスにとっては良いことずくめだ。


アルムとミヅキに対する諸々の不安は心の隅に追いやり、

フィアシスは喜色満面で書庫に向かうのだった。

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