陽の章 第三項 ~閑談~
なぜだろう……
ボクは気がつけばあいつのことを見ている気がする。
いつもボクをからかって、バカにして、いじめて……
あんなヤツ、ボクは大っきらいなのに!
なのに、ボクは今も、あいつの事を見つめていた。
きらいなはずのあいつ。ただのいやなヤツなはずなのに。
あいつを見てると、どうしてだろう、顔が赤くなる。
友達に相談したらあっさり「恋だ」なんて言われてしまった。
本当に? ボクは、あいつに……?
陽の章 第三項 ~閑談~
イグリオール王城の東西を結ぶ大廊下の一つを、
フィアシスはアルムと侍女二人を連れて歩いている。
軽快な調子で歩を進め、上機嫌な笑みを浮かべるフィアシスだが、
侍女二人については、気もそぞろに表情を強張らせている。
何せ、目の前にいるのは『アルム』を名乗る剣士である。
その強さも、先日の剣術大会を観た彼女達は承知している。
もしもアルムの目的が、フィアシスの命であるなら。
或いは、フィアシスを誑かし、国の未来を奪うことなら。
などと考えれば、常にアルムの一挙手一投足に、
細心の注意を払わなければならない。
王族の侍従を任される彼女達には、礼節や教養だけでなく、
武装した屈強な戦士を素手で捻じ伏せられる程の武術の素養と、
そして何より、王族の為に命を投げ打つ覚悟が求められる。
誰を相手にしても、決して己が主には触れさすまいと誓う二人だが、
今の彼女達を襲う焦燥は、まさに命を削るほどに重く鋭利なものだった。
「三日後が誕生日なのか」
フィアシスが切り出した話題に、
アルムは幾らかの興味を感じさせる声を漏らした。
求めていた類の反応ではない筈だが、
それでもフィアシスは嬉しげに声を高くする。
「そうなんです、年に一度の誕生日なんです。
今年も大きなパーティーを開いていただけるそうなので、
アルム様も是非楽しんで下さいね」
誕生パーティー、と一言で言うものの、
一国の王女ともなれば、その規模は一般人の想像とは大きく離れる。
王城の中庭を丸ごと装飾した会場は、まさに絢爛豪華にして十全十美。
潔白のクロスの上に並ぶのは、考え得る限りの美食美酒。
意匠を凝らした綺羅びやかな装束を纏う各国の要人を饗すのは、
三国一と謳われる、礼法を極めた給仕達。
社交の場に不慣れな人間が居合わせたならば、
居所を失くし、せいぜい周りの目を伺いながら、
遠慮がちに一皿分の食事を取り分けるのが関の山だろう。
「他国の要人も招く事になるな」
「ええ、そうなんです。
クレミアさんに会うのは久しぶりです。
お元気でいて下されば良いのですが……」
フィアシスはアルムの言葉に促されるように、
親友であるクレミアの名を挙げ、瞼を伏せた。
胸の前に手を重ねて想いを馳せる姿は、
まるで恋人の背を想う乙女のようですらある。
「クレミア……
グレイスの第二王女、クレミア=アクタ=グレイスか」
フィアシスとクレミアの親交の始まりは、
およそ十年前、クレミアの六歳の誕生パーティーに遡る。
気が弱く、読書を趣味にする者同士で意気投合し、
その日の内に、互いが互いにとって無二の友となった王女達は、
以来、頻繁に手紙のやり取りを続け、
時には暗号文を使って日時を決め、国境付近で落ち合うこともある。
勿論その逢瀬は、両国の女王と限られた忠臣の黙認の下、
両者の親衛隊が警護についている前提で行われている。
また、二人の王女は友情を示す証として「様」という敬称を捨て、
互いを「クレミアさん」「フィアシスさん」と呼び合うようになった。
「はい、私とクレミアさんは親友なんです。
あぁ……早く逢いたいです……」
やや陶酔気味の口調で目を輝かせるフィアシスには、
実に色濃く、レフィアの血が受け継がれている。
クレミアはフィアシスよりも歳が一つ下だが、
身長が低めで、顔立ちも幼く、控えめな性格も相俟って、
まだまだ彼女の風貌には無垢な幼さが目立つ。
そんなクレミアを、逢う度に抱き締めて頬擦りをするのが、
ここ数年のフィアシスの、一番の楽しみだ。
フィアシスのクレミアへの偏愛は徐々に度を増しており、
最近ではクレミアを「世界一可愛い少女」などと、
人目も憚らず宣うまでに重症化している。
「ならば、今からでも北門の警備を強化するよう手配すべきだな。
西門が国賓の出入り口になる都合上、警備が緩くなる。
招かれざる客が紛れ込むならば、北門からだろう」
「……」
フィアシスに向けて、というよりも、
恐らく後ろの二人に向けて発したのであろうアルムの言葉に、
フィアシスは思わず驚きで目を見開いた。
アルムがフィアシスの親衛隊隊長に任命されたのが昨日。
この僅かな時間に、当日の警備の計画まで確認したのか、
或いは、過去の警備の記録に目を通したのか。
口振りから察するに、後者の可能性が高いだろうが……
そこまで思い至ったところで、寝不足のフィアシスの頭は、
仕事熱心で凄い、という結論に落ち着いた。
「どうかしたか?」
どうやら、本人にとっては特筆すべき内容でもなかったらしい。
アルムは微かに心配を感じる声でフィアシスに問いかけた。
そんなアルムの声で我に返ったフィアシスは、
提言の正当性を理解しながらも、遠慮がちに反論する。
「いえ。
ですが、それはすべきではないと思います」
「何故だ?」
一方のアルムは、フィアシスの反応を予測していたのか、
意図をフィアシスに問い質しながらも、
その声には、既に否定の色が強く滲んでいた。
「一人でも多くの方に来ていただいて、
祝っていただけた方が私は嬉しいですし、
王族の誕生日だからといって通行を禁止するというのも、
あまり私は、良い事だとは……」
「そう思う者も、少なからずいるだろう。
危険が無いという確証があるなら構わないが、
王城と賓客の安全を確保する事が最優先のはずだ」
自分の価値観で主張するフィアシスだが、
やはり語られる前に予想していたのか、
アルムは寸分の迷いもなく、フィアシスの言葉を断った。
しかし、悠然にして毅然なる母の背を見て育ったフィアシスは、
例えアルムの言葉こそが正であると理解しても、
自らの信じる想いを曲げようとはしない。
「大丈夫ですよ。そうそう問題なんて起こりません。
今までだって……」
「万が一を考えて守りを固めなければ、国は守れない」
「それは……
そう、かも知れません……
でも……」
尚も、己の命主の言葉に逆らうアルムに対し、
困惑しながらも言葉を探すフィアシス。
強張った表情で様子を伺う侍女達は、
二人の間に流れ始めた諍いの気配を感じ、
矢庭に総身を殺気立たせた。
「……」
「……書庫なら今の道を左だが」
暫時の沈黙の後、アルムは一切声色を変えずに告げる。
あまりに突然、何の前触れもなく話題が変わったため、
フィアシスはその意味を一瞬理解出来なかったが、
すぐに、自分が向かうと決めていた行き先を思い出した。
「えっ? あ、そうでしたね」
ちなみに、フィアシスはアルムに行き先を伝えてはいない。
先ほど目を付けたあの本。
アルムが「言葉が陳腐」といった小説だが、
結局、あれは書庫の机の上に置きっぱなしになっている。
レフィアが急ぎの用だ、と伝えられたフィアシスは、
後で取りに来ようと決めて、本を置き去りに書庫を出たのだ。
「では、改めて……」
口に出してもいない行き先が、
アルムに知られていたことについて、特に疑問は感じない。
レフィアをはじめ、城内の人間に逐一居場所を把握され、
フィアシスの中では、既にそれは慣れ親しんだ事象とも言える。
幼少の頃こそ、どうして分かるのかと訊ねることもあったが、
今では気に留めることもすっかり無くなった。
「お前が命令しないなら、北門の警備は薄いままだ」
踵を返したフィアシスの背に、アルムの細い呟きが届く。
その声は無骨でありながら、今までのものよりも幾らか柔らかく、
どこか、レフィアがフィアシスの我侭を不承不承聞き入れる時のような、
そんな雰囲気を感じさせる声だった。
「あ、ありがとうございますっ」
小さく声を弾ませ、フィアシスは頬を紅潮させる。
その心に宿り始めたのは、安堵に最も近く、
しかし、今までに読んだどの物語よりも胸を高鳴らせる、
そんな不思議な感情だった。
今から読み始めるあの本は、きっと、素敵な物語に違いない。
書庫に向かうフィアシスの足取りは軽かった。
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