陽の章 第四項 ~騒宴~
●季節のフルーツの蜂蜜煮
春を代表する果物アロ、モブル、パルールを使った、温かいデザート。
冷やして食べても、ゼリーにしても美味しくいただけます。
次頁にはフルーツタルトの作り方も掲載しています。
1.皮を剥いたモブルを賽の目に切り、水にひたしておきます。
2.アロは皮を剥いて八つ切りにし、芯を取ります。
3.パルールは皮を洗って薄く輪切りにします。
4.鍋の底にモブルを入れます。
5.モブルが浸る程度に水を入れ、蜂蜜を加えます。
6.モブルの上にアロを並べます。
7.アロの上にパルールを敷き詰め、全体に砂糖を振ります。
8.鍋に蓋をして、弱火で四半時ほど煮ます。
9.蓋を空けて、崩れないように全体をかき混ぜます。
10.再び蓋をして、水分が少なくなるまで煮詰めます。
陽の章 第四項 ~騒宴~
月が、その紫の光を大地に注いでいる。
紡月の起源とされる混沌の色の光は、
神星の沈む夜にも、人々に幾許かの視界を与えている。
しかし、今宵のイグリオール王城に集う人々に限っては、
誰も月の明かりなどに頼ることは無い筈だ。
「フィアシス様、十八歳のお誕生日、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
宴の会場となった中庭のほぼ中央の位置で、
フィアシスは来賓から祝福攻めを受けている。
間もなく、フィアシスが言葉を交わした賓客の数は、三桁にも達するだろう。
それでもまだ、フィアシスに周囲には、
自らの拝謁の巡を待つ人垣が、二重にも折り重なっている。
「……」
一方、宴の開始前から、常にフィアシスの傍らで、
一片の言葉を漏らさず護衛に付いているアルムは、
何の感情も感じさせず、時折僅かに首を巡らせる程度の、
それこそ宴席に飾られた美術品のような佇まいで、
ただフィアシスに近付く一人一人に目を光らせている。
初めはその異容に警戒心を抱いていた賓客達も、
平時には目通りの叶わない王女の美姿を前にして、
実害のない者への猜疑は長く続かなかった。
「……?」
祝福の言葉も、流石に飽きが否めなくなった頃。
不意に、フィアシスの左側の人垣が、
僅かなどよめきを伴って、外から開き始めた。
隙間からその正体が見え始めるよりも早く、
フィアシスの傍らで終始無言を貫いていたアルムが、
小さく、敵意のような声を漏らす。
「ステイルランドか」
暫くの後。
ようやく開き切った壁の向こうに見えたのは、緑の一団だった。
十数名の兵を率いて先頭を往く、ステイルランド女王ファナン。
彼女が静々と足を踏み出す毎に、狂人族の証たる、
美しく伸びた八本の尻尾と、天に向く細い耳が優雅に揺れる。
気品と威厳に満ちた空気を纏う狂人の王は、
参席者の花道には一度も視線を向けることなく、
フィアシスの眼前まで歩を進め、足を揃えた。
「イグリオール王女、フィアシス様。
この目出度き日を無事に迎えられましたことを、
心よりお慶び申し上げます」
凛と響く声で祝辞を告げ、恭しく頭を垂れるファナン。
フィアシスも一国の王女として、
公の場での立ち居振る舞いには十分な経験知がある。
しかし、それでも、この緑の女王を前にして、
フィアシスは明らかな格の違いを感じずにはいられない。
母のレフィアが癒しの風の具現であるなら、
ファナンは大樹を体現する王だ。
ただそこに在る、というわけで見る者を圧倒する。
「ありがとうござ……」
「フィアシスッ! 久しぶりなのだっ!」
ファナンへの畏怖を隠し、フィアシスが頭を下げようとしたその時、
突如、後方の兵の群れの中から、場違いなほど能天気な声と共に、
緑の影が一つ、勢い良く中空に飛び出した。
「ぇっ……きゃぁっ!?」
紫の月の逆光に飛び込み、一回転した緑の影は、
真っ直ぐフィアシスに向かって降下を始める。
フィアシスは影の正体と、その影が自分に迫っている事に気付くと、
右手を額の上に遣り、眼を固く瞑り、次に来るであろう衝撃に備えた。
「……」
「……うぅ」
フィアシスが衝撃に備えて身を固くしてから暫く。
訪れたのは落下速度のままに抱きつかれる衝撃ではなく、
ただ困り果てたような、幼い少女の声。
疑問を感じたフィアシスが眼を開けて見ると、
そこには、フィアシスに抱きつこうとした恰好のまま、
中空に静止している緑の王女、ニニルの姿があった。
「ア、アルム様っ」
無論、人間が宙に浮くなどという芸当は、
一定以上の紡月力を持った白の民にしか出来ない。
ニニルが浮いているように見えたのは、
先程までフィアシスの背後に控えていたアルムが、
フィアシスの眼前に躍り出て、
左腕でニニルの胴を抱えるようにして受け止めていたからだった。
そして、その身長差の為に、ニニルの脚は地に付かず、
空中に揺れているのだった。
「はぅ……
フィアシス、何なのだ? この黒いの」
アルムに掴まれたまま、手足を力無く垂らし、
柔らかな耳と尻尾を萎れさせて、
ニニルはやや間延びした声で、
フィアシスにアルムの存在についての説明を求める。
「ア、アルム様……!」
アルムの腋越しに見える、眉根を顰めたファナンに、
その背後に控える侍従たちの殺気立った気配に気付き、
フィアシスは慌ててアルムの背に声を投げる。
武具の持ち込みを禁止された会場だが、
狂人特有の身体能力をこそ武器とする緑の兵からすれば、
一方的に力を振るえる状況とも言えるだろう。
無論、先にニニルが粗相を成そうとした以上、
アルムの行動に護衛として何ら落ち度はないのだが、
甲冑姿の敵国の人間が、王女の身を拘束しているとあっては、
彼女達が安穏としていられよう筈もない。
「うぅ、離すのだぁ~っ!」
手足をバタバタと振り、ニニルはアルムの手から逃れようとする。
アルムはフィアシスの懇願に近い表情を見遣ると、
小さく溜息を吐いた後、手を離し、ニニルを開放した。
「はぅ」
地に下ろされるや、僅かに涙を滲ませた横目で、
恨めしそうにアルムを睨むニニルだが、
しかしその表情は、彼女自身の容姿のせいで、
悪戯を咎められた幼児のようにしか見えず、
フィアシスがそこに感じたのは可愛らしさだけだった。
「フィアシス様。この者は一体何なのですか?」
ニニルの姿にフィアシスの心が僅かに和んだのも束の間、
事態を静観していたファナンが、フィアシスへと問いを投げ掛ける。
あくまで穏やかな口調ではあるが、極めて無感情な声からは、
思わずニニルが身を竦めるほどの怒気が感じられた。
「あ、あの、この方はアルム様といって、
つい先日私の親衛隊の隊長に……
あの、ニニル様へのご無礼は、その……」
三国の王は、程度の違いこそあれ、
いずれ自らの跡を継ぎ、国を治める王となる自らの娘を、
常に自らの側に置き、過保護に過干渉に育てる。
それは聖戦の以前から続く姿であり、今代の女王達も例外ではない。
フィアシスはファナンの怒りを察し、謝罪の言葉を告げようとするが、
「ニニルについては、彼女に非がありますので謝罪は不要です。
そして、残念ながら聞き間違いではなかったようですね」
ファナンは小さな溜息とともに瞼を伏せ、フィアシスの言葉を遮った。
「フィアシス様」
再び開かれたファナンの瞳に宿るのは、敵愾の光。
「何故、その禁忌の名を騙る者が、処刑されるどころか、
王族の警護に当たっているというのです」
先ほどまで冷淡であった声色には、
今は刺し抉るような非難が込められている。
「宗派は違えど、神教に於いて、
アルムの名が絶対的に禁じられているのは、貴国も同じ事の筈。
加えて、その者の纏う黒鉄の鎧。
この場限りの悪い冗談だと言うのであれば、
ここは貴国の祝宴の席ゆえ、敢えて目を瞑りますが……
返答次第では、この会場を少々騒がせる事になりますよ?」
「ぁ、あの、その……」
赤の第一王女ティニアが最強と謳われる現在に於いても、
緑の女王ファナンこそが、と語る者は少なくない。
初めて目の当たりにする緑の女王の静辣な敵意は、
戦場を知らないフィアシスにとって、まさに未知の恐怖だった。
口からは辛うじて声が漏れたものの、
細く掠れたそれは、言葉としての体裁を成さない。
「アルムを騙る剣士。
貴方自身の口で弁明しても良いのですよ」
「……」
フィアシスの口からの説明を早々に諦めたファナンは、
耳の毛を逆立たせ、アルムに視線を移す。
ニニルからフィアシスを庇った立ち位置のまま、
口を開く気配もなければ、敵意を表すでもなく、
アルムはただ真っ向から、
緑の女王の攻撃的な視線を受け続けるのみだ。
「語ることが何も無いというのであれば……」
アルムを騙る者に対しては、私刑が許される。
前に重ねていた手を離し、ファナンが拳を握るのとほぼ同時、
「お待ち下さい、ファナン女王」
剣呑たる空気を撫で宥めるように、
人の壁の向こうから、穏やかで柔らかな囁き声が響いた。
「……レフィア様」
それはまさに囁きと呼ぶに相応しい声量であったが、
紡月の風に乗せて運ばれた声は、ファナンには、
耳元で囁かれたかのように感じられただろう。
「事の次第を説明して頂きましょうか。
全能の王とも呼ばれる貴女が、まさかこんな事で、
我々の信頼と親交を礎に成っている、
今の関係を壊すつもりでもないでしょう」
人垣の花道を通り、静々と歩み寄るレフィアへ、
ファナンは先程よりも柔らかな、しかし棘を残した声色で問う。
二人の女王の互いへの信頼は厚く、
レフィアが姿を表した時点で、既にファナンの心は半ば害意を失い、
逆立てていた耳と尾は、力が抜けて毛が寝ている。
それでもやはり、アルムの名を騙る者については、
彼女にとって許容出来るものではないのか、
ファナンの声や表情から疑念の色は消えない。
「お耳を」
「……」
レフィアはファナンに更に歩み寄ると、
手で口を隠し、周囲に目を配りながらファナンに告げる。
この状況に於いて、ファナンへのみ説明するという態度は、
一見すればより深い疑惑を生みかねない行為だろう。
だが、ファナンは疑う素振りも見せずにレフィアへ歩み寄り、膝を折り、
毛皮に包まれた柔らかな耳を、彼女の口元へと近付けた。
「……」
「っ……
なるほど。そういう事、ですか……」
たった数秒。
恐らくは一言二言程度のレフィアの耳打ち話を聞いたファナンは、
一度目を見開き、表情を驚きに硬直させながら、
得心というよりは、懐疑と思しき声で呟く。
表情からも、レフィアの言葉への納得は感じ取れないが、
それでも、身に纏う空気からは完全に敵意が消え去っている。
固唾を飲んで事の成り行きを見守っていた兵達は、
女王が納得したのならばと、一斉に四肢の力を抜き去った。
「それならば、私から申し上げることは何もありません。
ニニル、帰りましょうか」
瞼を伏せ、小さな沈黙を経て、
ファナンは穏やかさを意識したような笑みをニニルに向ける。
「えぇ~!
まだフィアシスと全然遊んでないし、
ちゃんとお祝いもしてないのだ。
ニニルはもう少し、フィアシスと一緒にいるのだ」
柔らかく諭そうとしたファナンの言葉に、
ニニルは全くあからさまな拒絶の意志を示した。
あまりに子供染みたその態度に、ファナンは困惑の溜息を吐く。
「我が侭は……」
耳の根元辺りに右手を遣り、
髪を梳くように指を滑らせたファナンは、
流れるような動きで、その手をニニルの眼前まで伸ばす。
膨れっ面でファナンの動きを見詰めていたニニルは、
不意にその意味を思い出し、咄嗟に身を引こうとするが、
「はぅっ!?」
それを合図にするかのように、ファナンの掌で、
ポンッと、白く細い花弁の一輪の花が弾け咲いた。
「いけませんよ?」
恐らくは催眠作用を持つ類のものだろう。
ファナンの掌に収まる程度の花が開くと同時に、
ニニルの瞼は垂れ落ち、身体が小さく左右に揺れ、
いくらもしないうちに膝が崩れ落ちた。
力を無くしたニニルの身体を胸に抱き留めたファナンは、
そのままニニルの膝の裏へと手を差し入れ、
軽々と幼い肢体を抱え上げる。
「娘共々、お騒がせ致しました。
席の途中ではありますが、私達はこれで失礼いたします」
「ええ、この話はまた後日」
ファナンの会釈に対して、レフィアは穏やかに微笑む。
狂人族の長であるファナンは、その華奢な外見を裏切る腕力で、
羽毛を抱えるかのようにニニルを抱き、
「……」
最後にアルムへ一瞥をくれると、
一人で歩くのと大差ない荘厳な足取りで、緑の一団を引き連れて立ち去った。
「あの、お母様……
一体ファナン様にどのような説明を?」
事の大きさに加え、
ファナンがアルムに向けた絶対的な嫌悪にも関わらず、
あっさり引き下がったという結果に、
途轍もない怪しさを感じたフィアシスは、
レフィアのすぐ真後ろに寄ると、小声でレフィアに問う。
無論それは、この場に居合わせた者全員が感じていた疑問だが、
「ふふ……
それは秘密としか言えませんね」
フィアシスの問いに対するレフィアの答えは、
口元を隠した、意味ありげな微笑のみだった。
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