陽の章 第五項 ~諍宴~


約束の時はもう、すぐそこに迫っている。

深い深い紫の闇の中で、全てを見下ろす紫の月の下で、

私は彼が現れるのをただ待ち続けていた。

彼を初めて知ったのは、いつの事だったろうか? 

今となってはもう思い出せない。

それは遥か昔のようで、酷く近い時間だっただろう。

楽しかった。きっと楽しかった。

胸を張って言える、私は彼といて楽しかったと。

知らなければ良かったのだ。

下らない好奇心など持たなければ良かったのだ。

与えられる優しさに満足し、身を委ねておけば良かったのだ。

だが、知ったという事実は、決して変える事は出来ない。

やがて、彼はこの場所に現れるだろう。

その時が、私と彼の永久の別れの時となる。

私の持つ刃が彼を貫くか、或いは私が命を終えるか、どちらにせよ。

でもきっと、私は死なない。彼はどこまでも優しいから。

だから私は、彼を殺さなくてはならない。例えそれを心が拒んでも。

約束の時はもう、すぐそこに迫っている。



陽の章 第五項 ~諍宴~



「あの……」


ファナンが立ち去るや否や、レフィアもまたその場を去った。

秘密、の一言で片付けられた事に納得のいかないフィアシスだったが、

不意に訪れた、袖を軽く引かれるような感覚に、

その後に続く小さな呼び声に、

普段の彼女からは想像もつかないほど機敏な動きで、後ろを振り返った。


「お久しぶりです」


その声は、フィアシスが振り返った正面ではなく、

フィアシスの眼下から、細く可憐に伸びた。

決して、フィアシスと声の主に大きな身長差があるわけではない。

声の主が深々と首を垂れているのが原因だ。

彼女との挨拶にもすっかり慣れたフィアシスは、

眼下にある柔らかな淡紅の髪を見下ろしながら、

頭をぶつけないように半歩後ろに足を引き、返礼した。


「お久しぶりです、クレミアさん!」


こちらが頭を上げてからでなければ、クレミアは頭を上げない。

フィアシスは、軽い会釈程度に下げた頭をすぐに上げ、

赤の国の中でも極めて淡い部類に入る、

赤と言うよりは桃色に近い色のクレミアの髪へ視線を落とした。


「本日は、お誕生日おめでとうござ……」


フィアシスが頭を上げてから十分な間を置き、

クレミアはゆっくりと腰を伸ばす。

自分よりもやや高い位置にあるフィアシスの顔を見詰めながら、

誕生の日を祝う言葉を紡ごうとするクレミアだが、

それは、フィアシスが次に取った行動によって途切れてしまう。


「あの、フィアシスさん。

 流石に人前では恥ずかしいのですが……」


クレミアを抱き寄せ、光沢に満ちた髪へ頬を擦りつけ、

フィアシスは悦に入った表情を浮かべる。

ここ数年、フィアシスとクレミアの再会は、

まずはこの一方的な抱擁から始まっている。


「……」


クレミアも流石に慣れたものではあるが、

普段の密会とは違い、今は衆目の只中。

少しばかりの照れと困惑を呈した面持ちで、

クレミアは周囲に目を配らせる。

フィアシスが正気に返り、腕を放すまでの時間、

睦まじく触れ合う白と赤の王女に注がれる賓客達の視線に、

好意的な感情は、決して多くはなかった。


「改めて、お久しぶりです」


他人の害意に疎いフィアシスは気付かない。

多くの白の民にとって、

クレミアが怨敵であり仇敵であるという事に、

そもそも彼女は思い至りもしないだろう。

その点、グレイスの第二王女という生い立ちから、

クレミアにとって確執や軋轢は身近なものだった。

人の悪意を敏感に察したうえで、

気付かない振りをして受け流すのは、

この歳にして彼女が身につけた処世術だ。


「お久しぶりです。また一段と可愛くなられて……」


クレミアの容姿を称えるフィアシスの口調は、

まだ陶酔気味で、興奮を抑え切れていない。

因みに、前回フィアシスがクレミアに会ったのは、

半年前のクレミアの誕生日。

僅かに身長差が縮まったとはいえ、

別段、クレミアの容姿に大きな変化は無い。


「そんな。

 フィアシスさんこそ、相変わらずお美しいです」


フィアシスの賛美に少しはにかみながら、

クレミアはフィアシスに褒辞を返した。

両者は互いに、世辞を述べているつもりはなく、

フィアシスはクレミアの可憐な容姿に、

クレミアはフィアシスの佳麗な容姿に憧憬している。


「フィアシスさんは今年でもう十八歳。

 あと四年で王位継承、フィアシス女王の誕生ですね」


リハデアの三国の王位は、第一王女が二十二歳を迎えた日に、

先代の女王から譲り渡されるのが慣わしとなっている。

二十二という数字に特別な意味は無く、

守らねばならない規則というわけでもないが、

六色の聖戦の時代から続くこの慣習が破られた事例は、

女王が退位を待たず死を迎えた場合に限られている。


「ま、まだ四年も先の話ですよ……」


フィアシス女王という響きに対する擽ったさと、

不勉強な自分の女王としての姿が想像出来ない困惑に、

フィアシスは手をもじもじとさせる。


フィアシスの言葉の通り、彼女が女王となるまで四年。

今代の女王になり、白と緑の友好的な関係が続いている一方で、

赤の国は、白と緑のどちらとも戦線を展開し続けている。

フィアシスの誕生以降で、レフィアの出陣は五回。

クレミアもこの歳で、既に戦を経験している。

レフィアの過保護によって、フィアシスはまだ戦場に出ていないが、

フィアシスの女王即位までに、両者が、

戦場で相見える可能性が無いわけではない。

或いは、一方が戦場で命を落とすことも。


「それに、それを言うなら、

 ティニア様があと二年で王位継承ですよ?」


「そうですね。でも……」


フィアシスが照れを紛らわす為に口に出した言葉に、

クレミアは途端に表情を曇らせ、視線を下げる。

その変化を見るまで、フィアシスは自分の言葉が、

クレミアにどのような感情を与えるのか忘れていた。


クレミアは、姉のティニアが王位を継ぐ事を是認していない。

それは自分が王位に就きたいという欲からではなく、

グレイスの血を色濃く示すティニアの気質を恐れてのことだ。

赤の国の中でも、特に深い真紅の髪と瞳を持つティニアは、

その色の濃さに比例するかのように、非情に好戦的な性格をしている。

一方、グレイスの民にしては珍しく、

戦による犠牲を由としないクレミアにとって、

自分とフィアシスを巻き込む全面戦争の勃発に繋がり得る姉の即位は、

決して、諸手を上げて喜ぶことの出来ない未来だ。

しかし同時に、ティニアの王女としての誇り、気位の高さは、

正しくグレイスの王に相応しいとも、クレミアは感じている。

故に、自国の王位継承の話題が出る度に、

その幼貌に見合わぬ陰鬱な影を宿すことになるのだ。


「それよりもフィアシスさん。

 後ろ髪はやはり腰まで伸ばすんですか?」


折角のフィアシスとの再会。祝福すべきフィアシスの誕生日。

自分の都合一つで、そこに影を落とすのは益体もない。

クレミアは無理矢理に笑顔を作ると、

話題を、肩甲骨の辺りまで伸びたフィアシスの髪に移した。


「勿論です」


クレミア自身も返事に詰まるだろうと思った、

そんな唐突に過ぎる話題転換だったが、

殊の外、フィアシスは間を置く事も無く、

しかも妙に感情の篭った声で即答した。


「ファーナの髪が私の目標ですから」


幼少より、レフィアを真似て、

肩までの高さに切り揃えていた髪を、

フィアシスが伸ばし始めた理由が、

小説の登場人物に強く感化されたからである。


両親を失い、住む家までもを失った少女ファーナは、

貴族の家に引き取られ、侍女として仕える中で、

御曹司である少年と恋に落ち、

二人の仲を引き裂かんとする家人達との諍いを経て、

最終的に、二人は家を捨て、辺境の村で静かに暮らす未来を選んだ。


物語自体は陳腐なもので、

フィアシスも話の顛末には何の魅力も感じなかった。

ただ、およそ二年前に読んだその本の中の、

たった数枚の挿絵に描かれる主人公の容姿は、

そして、苦境をものともしない直向きな心根は、

彼女のように在りたい、とフィアシスに思わせるに足るものだった。

その憧れは、或いは境遇の違いによる無いものねだりかも知れないが、

ともかく、憧れたものには偏執的に一途なフィアシスは、

先ずは髪の長さから真似てみようとしているのだ。


「あれから良い本は見つかりましたか?」


専ら、この二人の共通の話題は、自分が見つけた面白い本の話だ。

公私に大きな制約を設けられる王族の趣味など、

凡そ似通ってくるものではあるが、

それでも娯楽小説を選ぶ者は多くない。


「ええ、『時を求む者の夜』という本なんですが……」


期待に満ちたクレミアの瞳に、フィアシスは自信に満ちた笑みを映す。

三日前に読んだばかりのその物語は、アルムとの邂逅も相俟って、

強く、鮮明に、フィアシスの心に刻み込まれていた。


「時を求む者の夜……知りませんね」


「随分昔に出た本で、少し話が複雑なんですが、

 後半からはもう感動の嵐で……

 終章の、結末に向けた怒涛の展開は必見ですよ? 

 私の中では五本の指に入るかもしれません」


小首を傾げるクレミアに対し、

フィアシスは瞼を伏せ、かの物語の世界に想いを馳せる。

アルムと出会ったその日の夜、

「言葉が陳腐」とアルムが評したあの本を読んだフィアシスは、

とても嗚咽を抑えることが出来なかった。


「時を求む者の夜、ですね?

 私も書庫で探してみる事にします」


「えぇ、是非」


ただ、人並み以上に涙脆いフィアシスではあるが、

物語を読んで涙を流した、ということを、

読了後の感想として語ることは多くない。


物語の何を尊び、何を評価し、何に感激するか、

それは個々人の感性に依るものなので、

人に語り聞かせる評価基準にはならない、

というのが読書家としてのフィアシスの持論なのだが、

そこはそれ、感性の似通っているクレミアは例外だ。


「クレミアさんは、何か面白い本を見つけましたか?」


「はい、つい最近出たばかりの本ですが、

 なかなか変わった世界観で……っ!?」


フィアシスに話題を振られ、

誇らしげに答えようとするクレミアだったが、


「えっ!?」


瞬間、フィアシスの知覚を置き去りに、幾つもの風が動いた。


フィアシスに捉える事が出来たのは、

自分の目の前にいたクレミアが不意に表情を強張らせ、

視線をフィアシスから外したことと、

直後、突き飛ばされるように、

彼女が横倒しに姿勢を崩したことだけだった。


「クレミアさん!?」


未だ事態を把握出来ずにいたフィアシスだが、

地に膝をついたクレミアが、左の脇腹を手で押さえており、

その指の隙間から、紅い血が溢れていることに気付くや、

すぐさま傍に座り込み、傷口を押さえるクレミアの右手に、

自身の両の手を重ねた。


「ヒールウィンドッ!」


戦場を知らずとも白の王族。血は、傷は、遍く癒すもの。

誕生以前より刷り込まれ続けた、その白の本能が、

原因を考えるよりも早く、フィアシスに癒しの風を紡がせる。

傷の深さに対して、無為なまでに膨大な量で注がれた治癒紡月は、

瞬く間に出血を止め、傷口を塞ぎ、

一呼吸を終える頃には、傷跡すらも消失させていた。


「何のつもりか、と問う必要は無さそうだな」


フィアシスにとって、もう既に聞き間違える事の無い声。

いつにも増して冷たく響いたその声に顔を向け、

フィアシスはようやく、クレミアの負傷の『理由』を知った。


視界に入ったのは、漆黒の甲冑を纏うアルムと、

アルムの右手で左腕を捻り上げられた、白いドレスの女性。

女性の手には、僅かな血液が付着した短刀が握られており、

混乱に呑まれたフィアシスの頭でも、

それをクレミアの傷と結び付けることは容易だった。


クレミアを治癒したフィアシスの手際は、

熟練の兵が見たとしても驚嘆に値した。

ただ、それよりも賓客や警備兵が息を呑んだのは、

その直前の、黒衣の剣士の挙動だ。


「離してっ! 離せっ!」


目を血走らせて喚き散らし、

尚もクレミアに襲いかかろうと身を捩る白の女。

フィアシス達を囲む人垣から、

この女がクレミアの背を目掛けて飛び出した瞬間、

既にアルムの足は動き始めていた。

一歩を踏み出しながら伸ばした手でクレミアの肩を押し、

更に次の一歩で、女の左手を掴み上げた。

その時点で、周囲の白と赤の侍従達はまだ、

危機を察して、反射的に身体を動かし始めたところだった。


「この女!

 この女のせいで私の夫は……!」


職責を果たせなかった彼女達に言い訳を許すならば、

人垣が厚く、二人との距離が短かったこと、

両国の王女が手の触れるような距離で立っていたこと、

そして、この場が次代の女王の祝宴であったことを挙げるだろう。

王族の祝宴というものは謂わば聖域であり、

交戦中の二国の兵卒であろうと、

この会場では互いに手を取り、盃を交わすものだ。

もし酒に呑まれて、問題を起こすようなことがあれば、

敬愛する王の顔に泥を塗ることになる。

だから誰もが、王の名の下に開かれた宴では、

節度を守り、私情を排するのが当然の筈。

アルムはそんな油断とは無縁だった。

無論、黒鉄の甲冑の重量を疑わせる程、

鋭敏で正確無比な動きであったことは言うまでもない。


「そうか」


「っ!?」


アルムは女の訴えを途中まで聞くと、

手甲に包まれた左手の指を真っ直ぐに伸ばし、

そのまま女の腹部へと、素早く突き込んだ。

呼吸器に直接衝撃を抉り込まれ、

息を吸うことも吐くことも出来ない女は、

瞼と口を大きく開いて暫く小刻みに痙攣した後、

アルムに掴まれた左腕から吊るされる恰好で脱力した。


「この女を牢に入れておけ。落ち着き次第、尋問にかける」


手近にいた一人の兵に女を引き渡すと、

アルムは、自分を見上げるフィアシスとクレミアへ身体を向け、

音も立てず歩み寄り、膝をついて視線の高さを揃えた。


「大丈夫か」


「はい。ありがとうございました……」


既に完治済みのクレミアの脇腹を診てアルムは安否を問う。

アルムが振るった無遠慮な暴力に、

フィアシスは僅かな恐怖を覚えていたが、

クレミアはただ穏やかな表情で、アルムに対して率直な礼を述べた。


「こちらが招いた客人を、こちらの人間が傷付けた。

 感謝などされる理由は無い」


そんなクレミアの言葉にも、アルムは口調を変えない。

白の王族のみならず、他国の王族に対してもまた、

どうやらアルムは高圧的な態度を貫くつもりらしい。


「ですが、貴方が私を押し飛ばしてくれなければ……」


この剣士に守られていなければ、

女の凶刃は背を貫き、臓器に達していた。

それが、クレミアの自分の負傷に対する評価だった。

存分な褒称に値することを伝えようとしたクレミアだったが、


「クレミアッ!」


「っ!」


唐突に辺りに響いた怒号が、それを掻き消した。

フィアシスとアルムを初め、周囲にいる者全てが、

その声の主へと顔を向けるなか、

クレミアだけは、表情を硬直させ、視線を地に落とす。


「これはどういう事か説明してもらおうか」


糾弾の声を低く発しながら、大股で近付く、

緋色の長髪と瞳を殺気立てた長身の女。

クレミアの姉、赤の第一王女『緋鳳』ティニアだ。

騒ぎを聞きつけ、この場に駆けつけたのだろう。

クレミアの手と腹に残る血痕、寄り添うフィアシス、

そして二人の傍らに佇む、漆黒の甲冑を見比べ、

怒りに眉を吊り上げたティニアは、ゆっくりと三人に歩み寄る。


「漆黒の鎧……

 アルムの名を騙っているという剣士だな。

 お前がやったのか?」


恐らくは彼女自身、これがアルムの仕業とは思っていないだろう。

だが、この場にいる誰かを下手人として疑うならば、

考えるまでもなく選択肢は一つに絞られる。

ティニアは怒りの標的をアルムに定め、燃え盛る双眸を向けた。


「違います姉さん、この人は私を助け……」


「お前は口を挟むな! 俺はそこの剣士に聞いてるんだ!」


あるまじき言い掛かりを止めさせようとクレミアが口を開くが、

暴力的な威圧の声でもって、ティニアはそれを遮る。

こうなってしまっては、ティニアは自分の話など聞いてくれない。

諦観に唇を結び、クレミアが眼を伏せた一方で、

あらぬ疑いを掛けられているアルムは、音も無く立ち上がると、

正面からティニアと対峙し、漆黒の仮面の下の口を開いた。


「私ではないが、下手人は白の人間だ」


「……なるほど。話が出来る人間ではあるみたいだな。

 下手に言葉を選んで取り繕う馬鹿よりは好感が持てる。

 ならこの非礼、どう詫びてくれるんだ?」


小さく息を吐いた後、全く臆する事も無く、

平時のように冷たい口調で告げたアルムに、

ティニアは眉を上げ、幾らか表情を和らげて問う。

アルムはその問いにも動じる事無く、

厚い兜の奥から答えを出した。


「今この場は、

 フィアシス=イグリオール親衛隊隊長である私が、

 代表して頭を下げよう」


特に口調を変えるでもなく言うと、

アルムは腰から身体を前に折り、深く上体を倒す。

アルムが頭を下げる、という初めて見る光景に、

暫し唖然としていたフィアシスだが、

不意に、自分がすべき事を思い出すと、慌てて立ち上がり、

両手を前で重ね、深々とティニアに向かって頭を下げた。


「後日改めて、

 女王から謝罪の文と慰謝の品が、そちらに送られる筈だ。

 状況の説明については、周りにいた赤の兵がしてくれるだろう。

 何も見ていなかった、などという無能ばかりではない筈だ」


頭を上げたアルムは、口調を変えることもなく、周囲を見渡して言う。

言葉は完全に赤の兵達に対する侮蔑の内容だが、

ティニアは怒りを増すどころか、毒気を抜かれたような表情を見せた。


「礼儀のれの字も知らん奴だと聞いていたから、

 気に障る事があれば、直ぐにでも炭屑にしてやるつもりでいたんだが。

 まぁ、態度の大きさは少々気に食わんが、

 妹の傷はそこの王女様が治したみたいだしな」


その口調からも先程までの怒気は感じられず、

フィアシスとクレミアは、思わず揃って胸を撫で下ろした。


そも、ティニアからすれば、クレミアが負傷するような事態に於いて、

その責を問うべきはクレミアの侍従達だ。

王族の護衛を仰せつかりながら、その使命を果たせなければ、

無能と罵るのは自分の役目と言っても良い。

無論、犯人を自らの手で縊り殺すのは当然だが、

白の国で白の民が起こした罪ならば、

裁くのは白の王に任せるしかないだろう。

白の国には死刑を与える制度は無いが、そこは妥協せざるを得ない。


「ところでお前。

 剣術大会で優勝したくらいなんだから、

 余程、剣の腕が立つんだろうな?」


クレミアの怪我については解決済みと言わんばかりに、

ティニアは早々に話題を変え、アルムに問い掛ける。

元よりティニアが、この祝宴の場おいて、

アルムと語りたかったのは、

妹の怪我に対する責任の所在などではない。


「私は、自身を強いと自惚れるほどのものではない。

 ただ他の者は私より弱かった」


「……なるほど、気に入った」


気に入った、という言葉を聞いた瞬間、

クレミアは息を呑み、それまで地に伏せていた視線を上げた。

ティニアが、闘いに身を置く者を前にして、それを口にする時。

後に続く言葉を知っているからだ。


「アルム。俺と剣で勝負しろ」


喜悦に満ちた笑みと共にティニアが言い放った言葉に、

その場に居合わせた全員が戦慄した。

アルム個人に対してとはいえ、この剣士は白の国の軍属の人間。

これは、紛うことなき宣戦布告だ。


「……」


皆が一様に固唾を呑む。

ティニアは典型的な好戦派の赤の王族。

強者と語られる者がいれば、剣を交えずにはいられない。

アルムの返答次第では、

それこそ、六色の聖戦以後の歴史において初めて、

この白の王城が戦場になり兼ねないだろう。


「邪魔立てが入ったとはいえ、今宵は祝宴だ。

 後日、正式な文書で戦場を指定するならば、いつでも受けよう」


そんな周囲の憂虞を知ってか知らずか、

アルムはその不遜な態度を微塵にも揺るがさず、

事務的に、まるで子供の我侭を宥め賺すように告げた。

アルム自身がどこまで意図したのかは不明だが、

それは、危惧された最悪の状況を回避する内容だった。


今ではなく、日を改めて。

この場ではなく、別の戦場で。


己の要求に是と答えたアルムに満足したのか、

ティニアは口端を大きく吊り上げ、

無邪気にさえ感じられる笑みを浮かべた。


「良し、その言葉忘れるなよ。

 クレミア、帰るぞ」


今も尚、フィアシスと寄り添うように座り込んでいるクレミアの、

細く引き締まった薄褐色の腕を引いて立たせると、

ティニアはクレミアの返事も待たずに歩き出す。


「フィアシスさん、ありがとうございました。

 またすぐに連絡しますので……」


姉に抗っても無駄と知るクレミアは、

作り得る精一杯の笑みと共にそれだけを言い残し、

ティニアに腕を引かれるまま、人垣の向こうへ消えていった。




「……アルム様」


「何だ」


「何故、受けたのですか?」


緊張と恐怖から解放されたフィアシスは、

先程のやり取りを思い返しながら、アルムに問う。

噂にしか知らない『緋鳳』ティニアの強さ。

同じく噂にしか知らないアルムの剣が、

最強と謳われるティニアに勝るのか否か。

武芸に無頓着な自分には分かろう筈もない。

フィアシスの心にあるのは、アルムの身を案じる不安と、

戦いを選択したアルムへの誹議だった。


「断って諦める相手でもないだろう。

 赤の王女に傷を負わせてしまった時点で、

 どのみち衝突は避けられないのだから、

 いっそ相手が分かっている方がやりやすい」


「前線で、戦うおつもりですか?」


「私が出なければ、彼女は納得しないだろう」


「ですが……」


アルムの言葉を否定できない。フィアシスにはその資格が無い。

クレミアを命の危機から救ったのも、犯人を捕まえたのも、

頭を下げたのも、この会場での戦いを回避したのも、全てアルム。

自分はただ狼狽し、アルムの後を追って頭を下げただけだ。

或いは、レフィアなら。

フィアシスの思考は最終的に母の姿に辿り着いたが、


「そんな顔をせずとも、心配は無用だ。

 この国とお前は、私が守るのだからな」


次にアルムが告げた言葉に、

フィアシスの悲観的な思考は霧散した。


「えっ……」


それ以上言葉を続けること無くアルムは立ち去り、

件の女が連行された牢の方向へと歩いていった。


去り際にアルムの放った言葉。

親衛隊長の言葉としては、当然ともいえる言葉。

それでも、フィアシスの心は大きく揺れ、

胸の鼓動は乱れ、頬は自分で分かるほどに上気した。


信じられないほどの熱さ。


つい先程まで、クレミアの身を案じ、

戦争への不安に影を落としていた筈の瞳は、

今はもう、ただアルムの背を見詰めるだけで、

世界そのものが煌めいているようにさえ見えていた。

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