涙月
はいぐろ
陽の章 ~序詞~
あの人は剣士。
その瞳には常に闘うべき相手のみが映り、
私の姿など真っ直ぐに見てくれた事も無い。
でも、それがあの人の譲れないものだから。
そして、私の想うあの人は、闘っているあの人だから。
だから。
例え貴方が生きる事に絶望しても、
きっと闘い続けて下さい。
私は愛しい貴方のその姿を、見守り続けます。
陽の章 ~序詞~
これで一体、幾度目か。
「ぜぇぇぇいっ!」
フィアシス=イグリオール親衛隊の若き隊長であるザマロの振り下ろした大剣は、
漆黒の長剣に、僅かにその軌道を反らされ、
目の前にいる剣士の鎧には一切掠りもせず、敷き詰められた石版を穿つ。
「剣の重みに振り回されているな。
もう少し自分の腕力に見合った剣を使った方が良い。
でなければ……私に一太刀浴びせる事など不可能だ」
剣を引き抜いていて隙だらけのザマロに対し、
異邦の剣士アルムは、その得物を向ける事すらせず、
静かな声で忠告を与える。
「何ぃっ!?」
引き抜いた大剣の切っ先とともに、
怒りに満ちた眼差しをアルムに向けるザマロ。
現在、ザマロとアルムが闘っているのは、
イグリオール王国主催の剣術大会、その決勝の舞台である。
仮にもザマロは前々回、前回の剣術大会を、
この大剣と共に闘い抜き、優勝を果たしている。
そして今大会もまた、彼はその剣技に磨きを掛けてきた。
常に自らと共にあり、己をこの地位にまで導いた、
そして何より、フィアシス王女の守護を任された自分の剣が、
何処の馬の骨とも知れぬ者に難癖を付けられるなど、
ザマロには到底耐えられるものではなかった。
「貴様ぁ、愚弄するかぁぁっ!」
「……」
激昂し、大剣を振り被り、猛然と突進するザマロに、
アルムは初めて、長剣の切っ先を向けた。
その構えは、喩えるならば、鋭く尖った氷柱だろうか。
呼気すらも感じさせず、周囲の空間ごと静止したようなその佇まいには、
穏やかに全てを包む白の風すらも、避けて流れているように感じられた。
「うおおぉぉっ!」
必中の間合い。
ザマロが勝利を確信し、大剣を振り下ろした刹那。
「三日月」
その視界からアルムが消えた。
アルムは、僅かに身を捻りながら右足を踏み出し、
すれ違いざまに、漆黒の長剣でザマロの白銀の鎧を薙いでいた。
ただ、その動きが予兆もなく瞬間的に行われたために、
ザマロにはアルムの姿が捉えられなかったのだ。
「月撫!」
完全にアルムを見失ったザマロの右脇、
高速の踏み込みを瞬間的に静止させ、アルムは身を翻す。
続けてアルムは右足を引き戻し、上体を起こしながら開き、
背後にあるザマロの背に対して、
右の片手に持ち替えた長剣を振り下ろした。
「……」
直後、拍子を同じくして両者は静止する。
ザマロの振り下ろした大剣と、アルムが薙いだ長剣。
ザマロの一撃の間に、アルムは二撃。
最終的な両者の立ち位置は、
またも大剣で石版を穿つ結果となったザマロに対し、
アルムはザマロの背後で、半身を向ける形となった。
アルムの放った二つの斬撃は、
常人には始終を知覚するのが困難な速さだっただろう。
しかし、ザマロが纏う、美しく磨き上げられた厚い白銀の鎧の、
その胸と背に深々と刻まれた、罅一つない断面を見れば、
誰の目にも、この戦いの勝敗は明らかだった。
「続けるか?」
答えなど聞くまでも無い。
そう言うかのように、アルムは静謐に、長剣を鞘に納める。
審判の合図はまだだ。ザマロも己の敗北を宣言していない。
それでもアルムは、一切の迷いを見せなかった。
闘いの最中に己の得物を仕舞うなど、相手を侮辱する行為に他ならない。
「……参った」
惜敗ですらない、無惨な敗北。
だが、いっそ現実感の乏しさすら感じてしまうほどの、
圧倒的な力量差であったからこそ、
ザマロは、アルムの不遜に対して怒りを感じることも無く、
己の敗北を言葉にできたのかも知れない。
「しょ……勝者アルムッ!!」
『ワアアァァァァッ!!』
七回戦までは『異邦人アルム』の名に恐怖を抱き、歓声を上げなかった観客も、
準々決勝以降、そしてこの決勝戦ですら全くの余裕を見せつけて勝利したアルムに、
割れんばかりの歓声と拍手を浴びせるのだった。
アルムは歓声の中、客席の一点を見遣る。
王族と侍従のみが立ち入る事の許される、特別観覧席。
控えめに拍手をする女王レフィアへ向けられた、
黒鉄の兜の隙間より覗くアルムの視線は、
氷のように冷ややかで、闇のように暗い色を宿していた。
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