第20話 ただの自己嫌悪よ

 レーティアとのダンスを終えて別れた俺は席にリリーシュカがいないことに気づいた。

 料理でも取りに行っているのだろうかとリリーシュカの魔力を探すが……どうやらそういうわけでもないらしい。


 パーティー会場から繋がるベランダの扉を開けると、流れてくるのはほのかに冷たい夜の風。

 空を埋め尽くす満天の星と半月。


 そして、夜色のドレスを纏う婚約者が風に銀髪を靡かせながら、退屈そうに夜景を眺める後ろ姿が目に入る。


「主役ともあろうお方がこんな場所で独りぼっちとは」


 声を掛ければリリーシュカはゆっくりと振り向き、不満げに視線を送る。


「……誰でも一人になりたいときはあるでしょう?」

「だからってパーティーの最中じゃなくてもいいだろうに。会いたくないくらい嫌いな奴でもいたか?」

「…………ただの自己嫌悪よ」


 棘のある態度は変わらないものの、自嘲気味に笑って髪を耳にかける。

 それだけの動作が衣装のせいか妙に様になって見えた。


「こういう場は苦手みたい。意味もないのにあることないこと考えてしまうから」

「人が多いとどうしてもな。俺も同じだ。ひとけのないベランダは落ち着く。主役二人がこんなところに逃げ込んでるのはどうかと思うが」

「私たちを探すのなんてティアくらいよ。他の人はいてもいなくても構わないと思ってる。みんなダンスや食事、交渉事に夢中だから」

「邪魔は入らないってわけか。内緒話をするにはうってつけだ」

「……なにか話でもあるの?」

「ないこともない」


 まさか本当にあると思っていなかったのか、リリーシュカの顔が少しだけ引き締まる。


「それは、例えば私の過去のこと……とか?」

「気にならないこともないが雰囲気に乗じて聞き出す気もないし、俺の秘密を打ち明けるのも今じゃないと思ってる」

「私には興味がないのね」


 何気ない一言に俺は言い返せない。


 事実として俺はリリーシュカに興味を抱けない。

 俺が冷たいとか情がないとかそういった話ではなく、もっと根本的な――言うなれば治ることのない持病のようなもの。


「……まあ、なんだっていいわ。そろそろ中に戻りましょう? 私たちがいないとパーティーが終わらないわ」


 興味なさげにリリーシュカは身を翻し、会場へ戻ろうとして。


 夜に溶け切れていない嫌な違和感を感じ取る。

 頭の奥が冷え、怪しい気配と魔力を探り――城の屋根に闇に紛れるための黒い外套を被った人の顔と輪郭が映った。


 不審者の手は俺とリリーシュカへ向けられていて、魔術の発動は間近。

 俺はすぐさま視力の強化を施して術者の口元を凝視し、読唇術で使うであろう魔術にあたりを付け、


「リリーシュカッ!!」


 遠ざかる背に手を伸ばす。

 肩を掴み、有無を言わさず抱き寄せ、自身の直感に従って即座に魔力を練り上げる。


「隔て遮れッ!」


 障壁の魔術を展開した瞬間、術者から紫電が放たれた。

 夜空を紫紺に焼いた雷撃は障壁と衝突し、俺とリリーシュカへ届くことがないまま周囲へ拡散して消えていく。


 気付くのが遅れていたらと考えるも、それより先にすべきことがある。


「鳴り響け、天の号哭――『空鳴』」


 俺たちに奇襲の魔術が防がれ動揺したところを逃さず狙って放つのは、空気を震わせて発生させた音の共鳴で意識を奪う無属性第二階級魔術『空鳴』。

 夜の静けさを引き裂き、耳に響く高音が波紋のように広がっていく。


 直撃した術者は耳を抑える素振りをしたまま屋根を転がり落ち、中庭へ落下した。

 万が一にも死なれないように『障壁』の魔術で衝撃をある程度和らげてはいるが、逃げられては敵わない。


「侵入者を捕らえろッ!!」


 音を聞いて集まってきた衛兵へ強い口調で命令すると、慌てたように会場を飛び出していった。


「……今のは」


 怯えを伴う震えた声でリリーシュカが囁く。


「ちょっと雷が飛んでくる気がしたから抱き寄せただけだ」

「…………雷が飛んでくる気がしたってなによ」


 緊張を解すためにも冗談めかして答えたのだが、お気に召さなかったようで上目遣いのまま睨まれる。


 その後、侵入者は逃げること敵わず捕らえられ、パーティーは当然中止となった。

 俺とリリーシュカは二人揃って同じ部屋へ護送のような形で案内され、「何かあれば構わず衛兵を呼ぶように」とも言いつけられた。


 彼らとて俺たち二人が狙われたことなど理解しているはず。

 だから俺とリリーシュカを一緒の部屋に置いて守りやすくするという結論は間違っていないのだが……


「……どうやら一緒のベッドで寝ろということらしい」


 肝心のベッドが一つしかなかった。


 いくら婚約者でも同衾はしないだろう。

 リリーシュカがそこまで気を許しているとも思わない。


「……今日に限っては我慢してあげてもいいわ」

「…………」


 羞恥と葛藤を入り混ぜ絞り出した答えに俺の方が驚かされる。

 恐怖で思考が麻痺しているのかもしれない。

 そういうことならやぶさかではないが……原因は恐らく俺にある。


 ならば迷惑料ということで納得もしよう。


「もしかして雷が苦手なのか?」

「仕方ないでしょっ!? ……あの音も光も、昔のことを思い出すから苦手なの」


 涙目で訴えるリリーシュカにやっぱりそれもあるかと安堵する。


「悪いとは言っていない。リリーシュカがいいなら俺は構わん。……ああ、間違っても手出しはしないから安心して寝るといい」

「…………そこまで言われると逆に腹が立つわね。それより……お風呂には入れるのかしら」

「メイドを引き連れていくことになってもいいなら入れるはずだ」

「……よかったわ。ダンスパーティーで王城に泊まるって聞いていた時から楽しみにしていたんだもの。それだけは譲れないわ」


 ほっと胸をなでおろすリリーシュカ。

 本当に風呂が好きなんだな。

 これで心の平穏を保てるのなら安いものだ。


 衛兵を呼び、リリーシュカを風呂まで送るように頼み、ついでに紅茶の支度をしてもらってから俺は部屋で静かに思考を巡らせる。

 部屋の外では朝起きるまで衛兵が常に護衛してくれる手筈になっている。


 あの雷撃はまず間違いなく俺かリリーシュカ、またはどちらもを狙ったからの攻撃だ。

 俺たちの間にある共通項は政略結婚。

 普通に考えるのなら俺たちの婚約で不利益を被る人間からの反応に他ならない。


「それに……今日、俺たちが確実にあの場にいると知っているのは身内か招待された貴族のみ。加えてリリーシュカが魔女の国の人間だと事前に知れるのは――」


 そこまで考えて深いため息をついた。


 推測が正しければ俺の嫌いな権力闘争に巻き込まれたのだろう。

 それなら次が確実にある。


 真実へ辿り着かれた場合、窮地に立たされるのは襲撃者の方だ。

 俺なら口封じを試みる。


「なんにせよ警戒だけはしておこう。本当に面倒だが、な」





「――此度の失態、お前はどう責任を取るつもりだ?」

「申し訳ありません、フェルズ様」


 誰もが寝静まった深夜の学生寮にて、その密談は行われていた。


 夜景を眺めながら足を組み、紅茶を嗜む男――クリステラ王国第五王子フェルズ・ヴァン・クリステラへ頭を下げるのは彼の派閥に属する貴族家の当主。

 フェルズは失態と言っていたが初めから期待はしていなかったようで、興味なさげに視線を半月の浮かぶ夜天へ向けている。


「……まあいい。何が起こったのか全て、詳細に報告しろ」

「…………昨夜王城にて行われた第七王子とその婚約者――魔女を主役としたダンスパーティー中に二人を狙い、同士の魔術師が『雷撃』の魔術にて奇襲しました。しかし、即座に第七王子が『障壁』の魔術を行使し無傷で防がれ、魔術師は王城の衛兵によって捕縛されました」

「口封じは当然してあるな?」

「勿論でございます」


 貴族の男が恭しく礼をする。

 計画に失敗し、敵に捕まった時点で死の運命は免れない。


「まさか不出来な第七王子があの・・『氷の魔女』と政略結婚するとはな。このままではヘクスブルフとの関係で第七王子が先頭に立つことになる。かの国との利権を求める貴族のいくつかは奴につくだろう。奴が頭角を現す前に潰しておかねば」


 フェルズはウィルを出来損ないと称してはいるが、その目に油断の色はない。


「フェルズ様、第七王子はそこまで警戒するほどの人物なのですか? わたくしには王子の責務を全うしない堕落者にしか見えませんが……」

「おおむねはその通りだが、奴には恐るべき魔術の才がある」

「……魔術の才、ですか? 確かに魔術学園に推薦入学したと聞きましたが、あれは王子としての箔をつけるためのものと」

「…………あの学園長がそんなことをするわけがない。なぜかわかるか? 俺が推薦試験を落ちているからだ」

「それは……学園長に見る目がなかったとしか」


 貴族の男はフェルズをおだてて機嫌を取ろうとするが、逆に零度の視線を向けられてたじろぐ。


「事実はありのままを受け止めなければならない。その慢心で誤算を起こすのは低能のやること。――幼少期は学園長が奴の魔術の師をしていたこともある。何かが目に留まったんだろう」

「そんなことがあったのですか」

「実際、奴の魔術は年齢と比較して相当に練磨されていた。今となっては見る影もなくなったと思っていたが……どうやら爪を隠していただけらしい」


 気分を落ち着けるように紅茶を啜るフェルズだが、やはり目の奥にはウィルに対する強い感情が見え隠れしている。

 一言で表すなら嫌悪だろうか。

 それと、僅かばかりの嫉妬も。


「もういい、下がれ。今後の方針は追って伝える」

「御意に」


 深々と頭を下げ、貴族の男は部屋を去っていく。


 一人になったところでフェルズはゆっくりと瞼を閉じて背を深く凭れさせた。

 脳裏に浮かぶのは自分にとって因縁とも呼ぶべき男の姿。


「――お前は昔から目障りだった。幼い頃の才気あふれる姿も、王位継承権が俺より下にもかかわらず周囲の期待を浴びていたことも、まるで俺を意識する素振りすらなかったことも」


 一つ一つ確かめるかのように口にして、紅茶と共に再び呑み込む。


 クリステラ第五王子フェルズ・ヴァン・クリステラにとってのウィルはやる気なし王子と呼ばれていようとも、後々王位争いをするであろう敵の一人。

 明確な敵意を幼いころから積み上げ、ウィルを消す機会を淡々と狙っている。


「最後は俺が王になる。他の王子王女も、嫡子だなんだと馬鹿にしていた貴族どもも全員消して、俺がクリステラを未来へ導く。手始めにあの二人だ。後の障害は纏めて潰しておくに限る」


 薄く開いた目には昏い光が宿っていて。


「……俺も動くとしよう。他人に期待するのは馬鹿らしい。煩わしいことこの上ないが……計画が無に帰すよりは余程いいか」


 紅茶を飲み終え、カップをテーブルに置いたフェルズはゆっくりと立ち上がり、そのままの脚で自室へ。

 そして保管してある細身の剣を取り、フェルズは供も連れずに一人で寮を出た。


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