第11話 花嫁授業

「……慣れないことはするものじゃないな。気分は怠いし、無限に寝られる気がするし、そもそもベッドから起き上がる気力すらない。今日はやっぱり自主休講だな」


 閉め切ったカーテンの隙間から零れてくる眩い光で朝の到来を確認した俺は重いまぶたを上げる努力すら惜しみ、そのまま枕に顔を埋めて二度寝を決行しようとした。

 授業? 単位? とてもじゃないが今日は無理だ。


 俺が休んでいても誰も気に留めない。

 こういう時、やる気なし王子である利点をひしひしと感じる。


 普通なら取り巻きの貴族やらが付きまとってきてサボるどころじゃないだろうしな。


 そんなわけで俺は二度寝の旅へ出ようとしたのだが。


 コンコン――控えめに自室の扉がノックされて、


「……ウィル、私よ。聞きたいことがあるの。入ってもいいかしら」


 同居人がこんな時間から珍しく俺に用があるらしいことを扉越しに告げてきた。


 正直、今はろくに話す気力もない。

 寝ていたことにしてもいいだろうか。

 大事なようなら顔を合わせたときに聞いてくるだろう。


 それに無断で互いの私室に入らない、という取り決めもしてある以上、ここが俺の聖域であることに変わりない。


 そう思い、枕から顔を上げようという思考すらないまま数秒が経って。


 あろうことか、扉の金具が軽くきしむような音が聞こえた。


 ……まさかリリーシュカが決めごとを破って部屋に入ってきた?

 枕に顔を埋めていた俺は真偽を判断できず、仕方なく寝返りを打つふりをして扉の方を薄く開けた目で確認――


「……やっぱり寝たふりだったのね」


 開けた扉の前に立ち止まり、俺を見下ろすように眺めていたリリーシュカがため息を一つ。


 まんまと誘い出されたことを知った俺はどうしようかと迷ったが、何も聞かなかったことにしてもう一度寝返りを打とうとして。


「部屋の季節を冬にされたくなかったらさっさと起きなさい」

「…………最悪のモーニングコールだな」


 部屋をめちゃくちゃにするぞと脅されてはかなわず、いずるようにして起き上がった。



「……俺に聞きたいことがあるんだろ? なるべく手短にしてくれ。今日は自主休講を決めていてな。二度寝の予定が詰まってるんだ」

「それはそうなのだけれど……あなた、体調でも悪いの? いつにも増してだらしないし、目に人間としてあるべき光がないわよ」

「誰しも調子には波があるだろう? 気にしなくても数日経てば元に戻る」


 いぶかしげにこちらの顔を覗きこんでくるリリーシュカへ、ソファの背もたれにぐったりと身体を預けたまま返す。

 今日はもう部屋を出る気がなかったため、リビングでも部屋着のままだ。

 対するリリーシュカは授業もあるために制服を隙なく着こんでいるが、遅くまで髪留めを探していて寝不足なのか目元には薄っすらと隈がある。


「……そういうことにしておくわ。それよりも――私が聞きたいのはこれのことよ」


 制服のポケットに手を入れ、取り出したものをテーブルに置く。


 見間違いでなければリリーシュカが必死になって探していた銀の髪留めだった。


「昨日、私が部屋に帰ってきたらテーブルの上に置いてあったわ。……これを拾ってきたのはあなたね?」

「リリーシュカと話してから寮に帰るまでに偶然それっぽいものを見つけたから確認のために置いておいただけだ。よかったな、見つかって」

「あのあたりはあなたと会う前に念入りに探したわ。はぐらかさないで正直に答えて。これをどこで見つけたの? そもそもあなたが探す必要はないでしょう? ……何が目的? 私にさせたいことでもあるの?」


 深まる疑念が視線に乗って伝わってくるも、俺は肩を竦めて鼻で笑うのみ。


「もっと人を疑った方がいい。もしその髪留めが盗まれたとして、盗んだ者に指示をしたのが俺なら髪留めを持っている理由にもなる」

「こんな無駄なことをするとは思えないし、私は犯人を解き明かす術を持っていない。髪留めが返ってきたことは嬉しいけれど、もし本当にあなたが見つけてきたのなら相応のお礼はしなければ気が済まないから」


 リリーシュカの意思は硬そうだ。


「疑うなら好きにしろ。俺がそれを偶然拾ったのは事実だ。これでいいか?」

「……埒が明かないからそういうことにしておくわ。ともかく――ありがとう、ウィル。形はどうあれ髪留めを見つけてくれて」


 まだ俺に隠し事があるんじゃないかと疑ってはいたものの、髪留めを取り戻したことで相殺されたのか、リリーシュカは端的な謝礼の言葉に続いて頭を下げた。


「偶然の産物に感謝されてもな」

「この際なんでもいいわ。私にとって大事なのは髪留めが見つかったことだから」


 しみじみと呟き、手に取った髪留めをそっと撫でる。

 リリーシュカの表情はいつにも増して穏やかだ。


「――この髪留めは母親から貰ったもの……らしいのよ」

「らしい?」

「九歳のとき、数年分の記憶を失ったのよ。だからこの髪留めを母親から貰ったことも覚えていない。でも、母親との間に残っているものはこれだけだから、なんとなく手放したくはなかったのよ」

「……俺の記憶違いかもしれないから一応聞くが、大魔女はまだ生きているよな?」

「ええ。精神的な繋がりの話よ。らしくないって思うでしょ?」


 自嘲気味に笑って、再び髪留めを指先で撫でる。

 綺麗な銀の光沢と青い小さな魔晶石がきらりと輝くが、一部だけくすんだ黄緑色に変色していた。


「銀細工師に頼めば直してもらえると思うが」

「私にそういう人の伝手があると思う?」

「必要なら依頼を送るくらいはしてやる。費用の分は貸し一つでいい」

「……頼らせてもらってもいいかしら」

「折を見て送っておこう。俺の名前を出せば邪険にされることもあるまい」


 これでも王子だからな、と最後に足して言ってやれば、顔をくしゃりとさせて泣きそうな雰囲気を醸しながらも「……ありがとう」と再び口にする。


 いつもこれくらい素直なら関わりやすいんだがな。


「……昨日は心配させて、ごめんなさい」

「心配していたのはレーティアだ」

「でも来たのはあなたでしょう?」

「昨日のうちに安否確認だけはしておかないと、どこぞのご令嬢に際限なくリリーシュカの捜索に連れまわされそうだったんでな。レーティアと顔を合わせたら無事を言い聞かせておいてくれ」

「…………ちゃんと言っておくわ」


 まさかそこまでレーティアに心配されているとは思っていなかったんだろう。

 これで一件落着。

 リリーシュカの話も終わっただろうと席を立とうとしたのだが、


「待って。もう一つ、話しておきたいことがあるの」

「……一限に遅刻するぞ?」

「構わないわ。どこかの誰かと違って成績には余裕があるもの」


 口角を僅かに上げて笑むリリーシュカ。

 早々に撤退を諦め、再びソファに座り直す。


「今回の一件で改めて思ったの。私は異物なんだって。本来ならここにいるべきではない……それどころか政略結婚で異国の王子と婚約なんて、ただ迷惑をかけるだけなんじゃないか――そう思えて仕方ないの」


 打って変わって神妙な面持ちで告げられたのはそんな言葉だった。

 自分が異物で、迷惑をかけるだけじゃないか……ねえ。


「私が学園にいる理由は国家間で結ばれた休戦協定の担保として選ばれたからよ。大魔女の娘なら色々と利用価値もある。そう判断されたんでしょうね」

「そうか。お互い不幸な政略結婚だったわけだ」

「しかも私は学園に馴染めなかった。根本的な部分から学園の生徒とは違うのよ。記憶は失くしているし、培ってきたものは魔術の知識や経験ばかりで他の人と関係性を築くという思考がどうしようもなく不足していた。結果、私は異物として扱われる現状を変えようとすら思えなかった」


 これはつまり、あれか。


「他の奴らが羨ましいのか?」

「…………そう、かもしれないわね」


 リリーシュカは歯切れ悪く答え、俯いた。


 さらりと流れる銀髪の隙間で色付く青の瞳にはどこか影がある。


 俺も王子として将来を期待されていた時期があった。

 毎日のように礼儀作法、剣術魔術、勉学と一日の中に王子として必要な事柄が詰め込まれていて、俺はそれを当たり前のこととして受け入れていた。


 それが変わったことに俺は後悔をしていないし、戻りたいとも思わない。

 他の誰もが俺を見捨てても、俺を信じてくれる人が少なからずいた。

 だから完全な孤独にはならなかったが……果たしてリリーシュカにそういう人はいるのだろうか。


 何もかもを曝け出しても認め、受け入れてくれる人が。


「他人に理解されない言動ばかりなのは自覚してる。でも、それでよかったのよ。一人なら傷つくことも、傷つけることもない。けれど政略結婚の話が出て、そうも言っていられなくなった」

「俺やレーティアがいるからか?」

「……言ってしまえばそうよ。しかもその二人は私なんかのために時間を使うお人好しだったのよ? ――感情を濁すことなく言葉に換えるなら、少なからず嬉しかったんだと思うわ」


 リリーシュカは静かに言葉を紡ぐと、おもむろに顔を逸らす。

 自分のイメージとは違うであろう内容だったからか恥ずかしくなったのだろう。


「……ウィルと婚約したら私の立場は王子の妃。あなたがやる気なし王子なんて陰で日向で呼ばれるようなどうしようもない人だとしても、王子であることは変わらない」

「リリーシュカは自分が王子と婚約することに自信がない、と?」

「今のままの私では恩を仇でしか返せない。誰かの重荷になんてなりたくないのに……どうしていいのかわからないのよ」


 リリーシュカは心底悔しそうに呟いて、膝の上で拳を握った。


 俺も自分が悪く言われることに文句はない。

 そう評価されるだけのことをしている自覚があるからだ。

 だからといって関わりのある人にまで被害が及ぶのは別の話――リリーシュカの言葉を纏めるとこんなところか?


 奇しくもそれは俺の思考とほぼ同じものだった。


「それに、レーティアにウィルのことを頼まれたから。愛のない政略結婚でも周りからとやかく言われるのは外聞が悪いでしょう? 不甲斐ない私のせいであなたやティアに迷惑をかけるのは嫌……そう思ってしまったのよ」

「面倒な性格してるな」

「……あなたにだけは言われたくないわね」


 僅かに顔を上げたリリーシュカが俺をジト目でにらむ。

 反論する気すら湧かないな。


「何事もなければ一生涯、死ぬまで俺たちが別たれることはないわけだから、何かあるたびにリリーシュカを理由として迷惑をかけられるのは面倒ではあるな」

「……その逆もあり得ると思うけれどね。私たち、似た者同士らしいから」

「あいつらも上手い皮肉を言ったものだ」


 今度会ったら誉めてやろうかと思ったが、興味がなさ過ぎて顔を覚えていなかった。


「そういうわけだが、無益な支え合いなんて期待しちゃいないだろう? 今の面倒と将来の面倒を秤にかけるなら……辛うじて前者の方がマシか」

「……つまり?」

「俺が王子の婚約者……ひいては未来の妃にとって必要なことを教える。手始めに一般常識からだな。ヌシに真っ向勝負を挑むよりは簡単で度胸も要らないと思うぞ?」


 俺がそう言ってやると、リリーシュカの視線が一瞬だけ泳ぎ、


「…………一体なんのことかしら。ああするのが最善と思っての行動よ。私がああしなきゃ今頃ヌシの腹の中かもしれないでしょう?」

「それで怒ったヌシから時間稼ぎをしたのを誰だと思ってるんだ……?」


 あれが無かったらリリーシュカが上級魔術を行使する時間はなかったかもしれない。


「……まあ、リリーシュカの魔術の腕前は俺もよく知っている。推薦入学の実戦試験で俺をボコボコにした張本人だからな」

「ボコボコにはしていないでしょう? 記憶が確かなら全部躱していたから一度もまともに当たっていなかったじゃない」

「反撃する隙がなかったものでな。それはともかく――知りたいことがあれば教えるし、政略結婚に必要なら協力も惜しまない」


 政略結婚が破綻はたんして困るのは俺も同じ。

 王子の地位を維持したまま悠々自適な生活を続けるために必要なこと。


 そういう建前で割り切れば納得できる。


「同居生活を始めるときに決めごとをしたよな。『お互いに迷惑を掛けず、婚約を目指して同居生活をする』って。リリーシュカがこんな弱気だと部屋での気分が落ちて迷惑するんだが?」


 ダメ押しとして決めごとのことを持ちだせば、リリーシュカは長い沈黙の後に「そうね」と呟きながら顔を上げる。

 真摯しんしさをたたえた青い瞳にくっきりとやる気なさげな俺の顔を映し、


「……わかったわ。ウィル、私に教えて。あなたの婚約者として必要なことを全部」


 決意と共に口にした言葉を「任せろ」と受け入れる。


 俺が政略結婚をするのは王になりたくないから。

 そのためなら多少の面倒は引き受けよう。


 どうせ人と関われば大なり小なり面倒は被ることになる。

 政略結婚をした段階でそれは覚悟しなければならない。

 だったらより少ない方へ舵を切るのが先決――そう、これはリリーシュカを想ってのことじゃなく、徹頭徹尾自分のための決断にリリーシュカを巻き込んだだけ。


 とはいえ一度引き受けたのなら最後まで貫き通すつもりだ。

 面倒事は嫌いだし、なるべく自堕落に過ごしたいのは変わらないが、約束を破るのは信条に反する。

 話をひっくり返した時にどんな面倒が待っているかわからないからな。


「――他人は基本的に変えられない。独りが嫌なら自分を変えろ。本当に現状を変えたいのなら、俺から言えることはそれくらいだな」

「含蓄の籠った言葉ね。肝に命じておくわ」

「そうしてくれ。ところで、もしかすると俺はリリーシュカに花嫁修業のようなことをさせなければならないのか?」

「将来のことを考えるとそうなるわね。学園生徒、というところを加味すれば、花嫁授業の方が適切かもしれないけれど」

「教師になったつもりはないんだがな」

「婚約してるんだから二人で学び合うってことでいいじゃない。今はウィルから学ぶことの方が多そうだけれど」


 それはどうだろうか。

 蓋を開けたら俺の方がダメダメだった、みたいなことにならなければいいが。


「早速で悪いんだけれど……学園長が今度、私たちの婚約を祝うダンスパーティーがあるって言っていたわよね」

「それがなにか?」

「実は私、ダンスが踊れないの」


 ……はい?


「なんで今まで黙ってたんだ」

「言えるはずがないじゃないっ!?」


 逆にキレられても困るが、リリーシュカの気持ちもわからなくもない。

 望まぬ政略結婚で険悪な雰囲気なのにそんなことを言い出せば余計に話が拗れるし、更なる不和に発展していてもおかしくなかった。


 救いがあるとすればもうしばらく先で、準備期間が残されていることくらいか。

 まずはリリーシュカにダンスを仕込むところから始めなければならないらしい。


「ともかく……これからよろしくね、ウィル先生?」


 薄く笑んだリリーシュカのそれに「先生はやめてくれ」と真顔で返しながらも、俺たちの婚約生活がやっと前進した気がした。


―――

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