第8話 退屈な授業
「――これにて授業を終了とする」
「ふぁぁ……やっと終わったか」
淡々とした教師の声でうたた寝をしていた俺は目を覚ますと、凝り固まった身体を解すために軽く伸びをした。
パキパキと小気味いい音が背中の方から鳴り、細く息を吐きだしながら授業内容の記された黒板をぼんやりと眺める。
さっきまでやっていた授業は魔術概論……要は魔術そのものについての知識を深めるための授業だ。
魔術学園はその名の通り魔術師を育成するための学園なのだが、魔術と呼んでも大きく四種類に分類される。
一般的に魔術として扱われるのは
火水風土の四大元素魔術と属性変換をしない無属性魔術を基礎として、特殊属性魔術や東方の国を発祥とする一部の呪術、
多いのは
流石の人間も神への信仰を効率化することはできなかったらしい。
それら二種の魔術の中で凶悪な効果を秘めているが故に使用を禁じられている
基本的に魔術学園で学ぶのは
特殊属性については本人の資質による部分が多いため、授業ではカバーしきれない。
というのも
伝聞形で語るくらいしか現代まで伝えられている情報がなく、学園ではその数少ない知識を伝えるくらいしか出番がない。
……とまあ、これはほんのさわりの部分ではあるが授業でやっているであろう内容は既にノイによって叩きこまれているため、担当教師には何の罪もないが魔術概論は格別に授業を受ける気になれないのだ。
「次の授業は……合成学か。確か前回の終わりに実験って告知されていたな」
実験で居眠りは無理だ。
ある程度は真面目に受ける必要があるらしい。
実験棟は普通の教室がある校舎からは少し離れた場所にあり、その二つを繋ぐ通路を移動中にも見られているのはわかっていたが完全に無視。
合成実験室と書かれた部屋に入り、空いている席を探すと……あろうことかリリーシュカの隣しかなかった。
関わりたくないのは理解できるが、ここまで露骨にしなくてもいいだろうに。
まあ、それもこれも俺が言えた話ではないし、原因の一端は俺にもある。
それくらいのことは甘んじて受け入れるとしよう。
「隣、座らせてもらうぞ」
「勝手にしなさい。どうせあまり物の席なんだから」
一声かけるも素っ気なく返され、リリーシュカは今日行う実験の手順が書かれたページへ再び視線を落とす。
テーブルの上には今日行う実験の材料が人数分並んでいた。
俺も念のため実験手順を確認していると、始業のベルが鳴ってすぐに教師が入ってきた。
壮年の男性教師は険しい目つきで教室を見渡すと、
「全員そろっているな。これより合成学を開始とする。本日行うのはアシッドポーション――銅や鉄を溶かす酸性液の合成だ。材料はそれぞれのテーブルに準備してある。手順通りに合成すれば危険はほぼない実験だ。仮に間違えたとしても多少爆発する程度の被害しか起きんが、失敗した者は減点とする」
教師がひとしきり説明をすると、実験開始が告げられる。
この程度の実験で失敗することはないだろう。
教科書に手順が書いてあるのだから冷静に一つずつ進めていけばいい。
「まずは鍋に満たした水を沸騰させ……って、俺はコンロを使わなきゃならないやつか?」
残念ながら俺は属性魔術が一切使えない。
無属性魔術に熱を発生させるようなものはないため、これは素直に魔力式のコンロを使うしかなさそうだ。
教師に事情を説明してやや古い型の魔力式コンロを借り受け、それに魔力を通して鍋に満たした水を加熱する。
この手の魔道具には使い手が魔力を自分で供給する魔力式と、魔石を用いて魔力を供給する魔石式の2パターンがある。
魔術学園の備品は大抵が魔力式だろう。
水を沸かしている間に岩塩を3グラム、砂糖を5グラム計っておき、材料となる魔力草と黄酸草を器具を使って荒めに磨り潰す。
適当な具合になったところでもう一つの材料であるシビレカエルの麻痺袋を加えてペースト状になるまで再度磨り潰し、最後に計っておいた岩塩と砂糖を軽く混ぜ合わせる。
すると目の奥に染みる、やや酸っぱい匂いが漂い始め、窓際で実験をしていた誰かが窓を開けて換気を始めた。
「染みるわね……」
隣のリリーシュカも嫌そうに呟きながら手の甲で目を擦ろうとしていたが、思い出したかのように手を止めて両目を瞑った。
ここで擦ると余計に症状が酷くなってしまう。
魔術的な実験を行う際の注意点の一つとして、実験の最中はみだりに目や口、素肌に触れないというものがある。
これは触れただけで肌が爛れたり、失明などの危険のある素材を扱うときになるべく被害を抑えるための予防策だ。
今回の材料にそこまで強い効果を持ったものはないが、危険度の低いうちから意識づけしておくことでミスを避けるためだろう。
俺も黙々と材料を磨り潰し、混ぜ合わせた黄緑色のペーストを鍋へ透過する。
するとさらに強い匂いを放ちながら沸騰した湯に溶け始め、あっという間に鍋が黄緑色に染め上げられた。
俺と同じくらいのタイミングで鍋を煮始めた生徒が多く、換気が意味をなさなくなるほどの匂いが教室へ一気に充満し、
「こほっ……凄い匂いだな。目も痛いし、こんなところに長時間居座ったら本当に体調を悪くしそうだ」
匂いの原因は黄酸草と麻痺袋。
この二つは魔力草と共に合成することで酸性を示し、副作用的にこのような匂いを発生させるらしい。
だとしても……もう少しどうにかならなかったものか。
実験後には中和剤で匂いも消えるが、やってる間は相当辛い。
鍋を煮続けながら浮かんでくる灰汁を都度取り除き、僅かに色が濃くなってとろみも出て来たところで火を止める。
その鍋を時間経過である程度冷ましてから流しに持っていき、目の細かい布で液体を
これを数度行うと、鍋には深緑色のさらりとした液体だけが残っていた。
あとはこれを掬い取ってガラス瓶に流し、封をすればアシッドポーションの完成だ。
「……やっと終わったか」
失敗するとは思っていなかったが、なんといっても匂いがきつい。
あちこちで他の生徒も完成し始めていたため、俺はさっさと教師へ提出するために短い列の最後尾に並び順番を待つ。
少しして俺の順番になり、教師へ作ったアシッドポーションを手渡すと、封を開けて試験用の極薄の鉄板に数滴落とす。
すると鉄板に穴が空き「合格だ」と短く告げられ、それ以上話すこともない俺は一礼の後に列を離れて使った器具を洗いに戻る途中。
「うわっ!」
上がった誰かの声に反応して振り向けば、何かに躓いたのか床に倒れる男子生徒と――彼が持っていたであろう鍋が宙を舞っていた。
鍋の中に白い布が入っていることから液体そのものはガラス瓶に映し終えた後だが、
酸としての効能も当然有したそれの落下地点にいたのはリリーシュカ。
しかも鍋が飛んできているのに気づいた様子がない。
「リリーシュカっ!」
辛うじて出た警告の声に反応して俺の方を向き、はっとした表情に変わる。
落ちてくる鍋の存在に気づいたのだろうが、もう目の前にまで迫っていた鍋の落下地点から数歩後ずさるのが精いっぱいだった。
バーンっ!! と鍋が床に叩きつけられ、布に包まれていた搾りかすと染み出していた液体が周囲に飛散する。
それは当然のように無防備だった間近のリリーシュカへ降りかかり、
「…………」
顔を伏せたまま沈黙。
しかし何を思ったか自分の頭へ手を伸ばし、髪留めを外して手元で確かめると胸元で祈るように握り込んだ。
まずいと誰もが思ったのか、異様な沈黙だけが教室を満たす。
転んだ男子生徒はリリーシュカを見ながら顔を青ざめさせていて、教師も突然のことに呆気に取られているのか場を眺めるのみ。
見たところ目や口には入っていないだろう。
体表に魔力を纏わせての抵抗も間に合っている。
制服には余すところがないくらいかかっているが、物は新調すればどうとでもなる。
見渡す限り誰も動こうとする者がいないことに苛立ちを覚え、舌打ちをしつつ手持ちのハンカチを濡らして絞り、
「リリーシュカ、目には入ってないか。入っているなら擦らず流水で洗い流せ。髪にかかった分は拭くぞ。制服は諦めて新しいものを揃えた方が賢明だ」
一方的に告げて髪に付着している黄緑色の液体や搾りかすを拭き取ると、やや遅れて両瞼を開けたリリーシュカが俺のことを困惑気味に覗きこんでいた。
「……目は問題ないわ。被害は制服と髪だけよ」
「ならいい。髪について見えている分はあらかた拭き取ったが、今すぐシャワーを浴びるなりして洗い流せ。抵抗は間に合ったようだが念のためな」
「…………そうさせてもらうわ」
「わたし、替えの制服を借りるついでに付き添います!」
どことなく呆けた様子のリリーシュカを放っておけなかったのだろう、教師からの評価も貰って片付けも済ませていたレーティアが手を引いて教室を出て行く。
レーティアが一緒なら悪いようにはならないはずだ。
二人の背を見送ると他の生徒も我を取り戻したのか、慌ただしく動き始める。
俺も床にぶちまけられた黄緑色のそれを眺め、流石にこれを片付けるのは俺の仕事じゃないなと結論づけて自分の席に戻ろうとすると、
「――申し訳ありませんでした……っ!」
真後ろでなにやら謝罪する声が聞こえる。
振り向くと転んで鍋を手放し、中身をぶちまけた男子生徒が深々と頭を下げていた。
「謝るべきは俺じゃない。悪いと思ってるならリリーシュカに直接伝えるんだな」
「……っ!」
「許してもらえるかはあいつ次第だが、誠心誠意の謝罪を
適当に返事をしてその場を去る。
彼の処遇は俺が決めることじゃない。
穏当に許されることを祈るばかりだ。
―――
明日から一話更新(18時過ぎ)です~
話の進みが遅めなのは申し訳ないなと思いつつこれ以上どうしようもなかったのだ……
フォローと★★★を頂けるとモチベーションにもなりますのでどうかお願いします……!
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