第7話 面倒な同居生活

「……どこへ行っても私たちの話題ばかり。学園には暇人しかいないの?」


 授業が終わって寮の部屋に戻ると、あからさまに機嫌が悪そうなリリーシュカが珍しくリビングで紅茶をたしなみながらため息とともに悪態をついていた。

 どうやら俺よりも先に帰っていたらしい。

 うちの学園の授業形式は単位制だから、もしかすると授業自体が俺より少なかったのかもしれない。


「俺たちじゃなきゃ祝福ムードで終わりだろうが、残念なことに嫌われ者だ。しばらくはこの空気感が続くだろうな」

「……帰ってくるなり盗み聞きなんて感心しないわね」

「なら独り言をやめてくれ。俺だって聞きたくて聞いたんじゃない」


 目を合わせないままネクタイを解き、羽織っていただけのジャケットも脱いでしまう。


「そういえば、レーティアと話していた時は随分と大人しかったな。さしもの『氷の魔女』様も三大公爵家が相手となれば敬意を払う対象に成り得ると」

「その呼び方はやめて。偶然の一致だとしても嫌。誰も彼も丁度いいからって勝手に呼んでるのはわかっているけれど」

「偶然の一致?」


 ヘクスブルフでも呼ばれていたのだろうか。


「あと、公爵令嬢だからって敬意を払うのなら、それより身分が上のあなたにも敬意を払うべきだと思うのよ」

「単純に人間性の違いってわけか。俺に対してぞんざいな態度なのも頷ける」

「よくわかってるじゃない」


 満足げに頷くリリーシュカ。

 婚約者とはいえ王子に物怖じしないあたり貴族社会のあれこれは向いていそうだと思ったが、全部暴力的な魔術で解決しそうだからやっぱりダメかもしれない。


「そもそもあなた、王子として敬われたいなんて思っていないでしょう?」

「好きにしてくれとは思ってる。王子らしいことをしてる自覚はないが、どうやっても王子だ。だから『やる気なし王子』なんて捻りもない呼び名が定着している訳だが」

「あなたという人間を端的に表しているいい言葉ね」

「全くだ。初めに言いだした奴には王子として何か褒賞でも用意した方がいいのかと考えたこともあったが、探し出して中身を考えるのも面倒でな」


 肩を竦めて答えればリリーシュカも鼻で笑う。

 いつもはここまで話す機会はなかったが、今日は言いたいことが溜まっていたのだろう。

 俺が相手でも吐き出した方が楽ならそれでいい。

 機嫌が悪いままリビングに居座られる方が個人的には嫌だ。


「俺はしばらく休んだら夕食にする。今日はラウンジで食べようと思っていたが、リリーシュカはどうする?」

「あなたが部屋以外で食べるなんて珍しいわね」

「たまには気分を変えたいってだけだ。こんな日は特に。ついてきたければ好きにしろ」


 一方的に告げるとリリーシュカは少しだけ迷うような素振りを見せた後に「……私は部屋で食べるわ」と断り、飲み終えたカップに紅茶を注ぎ直すためかキッチンへ。

 俺も身体を休めるため部屋にこもり、窓から見える外の景色が暗くなってきたのを見計らい、文句をつけられない程度に身支度を整えてからラウンジへ向かった。



 ラウンジで提供されたコース料理に舌鼓を打ち、そのままの流れで大浴場で湯につかってから部屋に戻ると、浴室の方から水音が聞こえてきた。

 当初の取り決め通り、扉にも入浴中の札がかかっていることからリリーシュカが入っているのだろう。


 リリーシュカ曰く、好きな時に好きなだけ入れる風呂の価値は女性にとって途方もないものらしい。

 言葉通りに一日二度は浴室を使っていて、その時間も中々に長い。

 俺としては部屋の浴室が空いていなければ大浴場を使うだけだから構わないが、そんな頻度で風呂に入ってすることがあるのだろうかとは思う。


「紅茶でも淹れよう」


 俺は何かをする際、手元に飲み物が欲しいタイプの人間だ。

 そのくらいのことなら職員を動かすより自分でやった方が手っ取り早いし、もしものことを考えると安心する。


 政争には可能な限り関わりたくないと思っているが『やる気なし王子』でもクリステラの第七王子。

 なにかの拍子に恨みを買っていて、職員を買収した何者かが俺の食事に毒を盛ったりして暗殺を試みないとも限らない。


 対策として食事も自分で作れたらいいのだろうが、自分で食べるものにそこまでの気力を割けない上に、本職の料理人が出す味へ到達するのに何年かかるやら。

 大して食に執着がなくとも、好き好んで不味い料理を食べたくはない。


 それに、なんだかんだで茶を淹れるという行為が嫌いではなかった。

 特段こだわりがあるわけではないが、単に茶を淹れている間は何も考えなくていい気がして楽という身もふたもない話かもしれない。


 キッチンに立った俺は手馴れた手順で紅茶を淹れ終え、少し迷ったがリビングで飲むことにする。

 部屋の座椅子よりリビングのソファの方が座り心地がいい……それだけの理由だ。


「にしても……本当にこの本は重い。内容が内容だから仕方なく読んでいるが」


 紅茶のお供として部屋から一冊、本を取って戻ってくる。

 やや古めかしくも気品漂う装丁の分厚い本――面倒くさがりの俺にはかなり似合わないその本は、学園入学当初にノイから「おぬしはこれでも読んでおけ!」と押し付けられたものだった。


 タイトルは『魔術の時代による変遷について』。

 内容をかいつまむと、時代によって変わってきた魔術に関する解釈や魔術そのものについてが記されている。

 この本、どうやらその筋では割と有名らしく、レーティアにこれを読んで……眺めているところを見られた際にはかなり食い気味に詰められ早口で捲し立てられたこともあった。


 借りて一年は経っているが、俺は半分も読めていない。

 文字を追っているとどうしようもなく眠くなり、最終的に諦めて寝るというサイクルが出来上がりつつあった。


「……だがまあ、眠気の誘因という意味で言えばちょうどいい」


 湯で火照ったままでは寝付くのに時間がかかるからな。

 ページをめくりつつ合間に紅茶を飲み、自分が知りたいことに関連した単語だけを拾いつつ文字を追う。


 内容をちゃんと頭に入れる気がない読み方だと読書好きには怒られそうなものだが、存外こうしているだけでも頭には入ってくる。

 前提知識はノイに仕込まれているからだろう。


 そうしている間にカップの中身が空になっていたことに気づき、二杯目を求めてポットを置きっぱなしにしていたキッチンへ。

 淹れようとすると少しだけ冷めていることに気づいたが、俺は構わず淹れてしまう。

 リリーシュカはなるべく温かい方が好みらしく毎回温めているが――と考えて、思わず笑ってしまった。


「興味がないと言っておきながら意外と俺も人のことを見ているんだな」


 自分への新たな発見に少しばかり驚きつつ、紅茶を補充したカップを持ってリビングに戻って続きのページをめくっていると、


「きゃあああああぁぁぁぁぁあああっ!?」


 甲高い悲鳴が浴室から響いた。

 何事かと思って浴室の方に視線が向くと、すぐにどたばたと足音が鳴ってから勢いよく扉が開き――リリーシュカが必死の形相で飛び出してきた。

 しかも、全裸で。


 肌はほんのりとした朱色。

 水気を帯び、しっとりと濡れた銀髪が身体の起伏に沿って張り付いている。


 リリーシュカの肢体は服越しに見るよりもよほどほっそりとした印象を受けるが、それでも女性的な丸みを帯びていた。

 起伏は少ないながらも均整の取れたそれに興味がないと思いながらも目を引き寄せられてしまう。


 それ以上に興味を引かれるものが胸の下に刻まれていた。

 水滴を帯びた艶めかしい肌色に刻まれた、薄っすらと白い線の紋様。

 なにかの傷跡のようには見えず、自然と馴染むかのようにそこにあった。


 リリーシュカは自分の状況に気づいていないのか、気づく余裕すら失っているのかわからないが、咎める言葉も視線もないまま俺を見つけるなり腕を引っ張って、


「お風呂にアレが!! 黒いアレがっ!!」


 ……なにかと思えばそういうことか。


 浴室に虫が出たのだろう。

 しかも特に苦手な人が多いアレが。


 いくら寮が立派と言えど虫が入るのはどうしようもない。

 王宮でさえそうなのだから期待するのが間違っている。


 俺も虫はあまり好きではないが、過度に嫌いでもない。

 処理くらいならしてやるが……その前に伝えることがあるか。


「わかったからまず身体を隠せ。丸見えなのわかってるか?」

「……、…………っ!?」


 後で何か言われるんだろうなと思いながらも告げるとリリーシュカの視線がゆっくり自分へ向き、全裸だったことに気づいたのかはっと息を呑んで顔が真っ赤に染まる。

 釣りあがったまなじり。

 人を殺せそうなほど鋭い視線を浴びながら「これは俺が悪いのか?」と答えの出なさそうな自問自答をしていると、リリーシュカは部屋へ直行した。


 叱責は後回しで、浴室のアレも俺に丸投げするつもりらしい。


「本当に面倒だな……」


 これも同居の弊害か……なんて考えながら、目先の問題を解決するべく浴室へ。

 湯気の立ち込める浴室。

 水気を帯びた床で滑らないように注意しつつ魔力を探れば、ごく小さな黒い姿をした虫が目に入る。


 俺はそれをどうしようか少し迷った挙句、殺すのは忍びないと思い開けた窓へ魔術を使って誘導し、逃がすことにした。


「隔て遮れ『障壁』」


 虫と窓との間に魔力で作った透明な道を作って押し出すと、驚いた虫は羽を広げて夜空へ飛び去って行く。

 面倒だから二度と入ってくるなよと見送った俺はリビングに戻ってティータイムを再開すると、しばらくしてから辛うじて身体を隠すために薄いコートを巻き付けたリリーシュカが部屋の扉から顔だけを出して様子を窺っていた。


「風呂場のはなんとかしておいたぞ」

「……っ! ………………ありがとう」


 問題解決したことを伝えると長い沈黙の後、囁くような感謝の言葉が返ってくる。

 こういうところは素直なのか。


 しかし、それとこれとは話が別と訴えるように俺を鋭く睨んで、


「それより……見たのよね、私の身体」

「あの状況で見てないって言って信じられるか? 悪かったとは思ってるが不可抗力だ。忘れる努力はするから許してくれ」


 本心から「すまなかった」と謝罪をするとリリーシュカはじーっと青色の瞳に俺を映し続ける。

 その目には怒りよりも懐疑や不安の色が強く、俺は不思議に思ってしまう。


 だが、最終的にリリーシュカも顔だけを出したまま「いきなり飛び出した私が全面的に悪いわ。私の方こそごめんなさい」と静かな口調で謝っていた。

 身体を出そうとしない理由については想像できているので文句をつける気はない。


 俺は互いに謝罪も済んだことでこの件を解決したものとして扱い、淹れてきたぬるい紅茶をすする。


「気にしてないから安心しろ。険悪なまま暮らすのは面倒だからな」

「……それはそれでなんだか腹が立つわね。まるで私の身体に何一つとして魅力を感じなかったと言われているみたいで」

「知り合って間もない政略結婚の相手に言われて嬉しいなら言ってやるが」

「…………あなたは私の身体を見て綺麗だとか、そういう感情を抱いたの?」


 試すような視線。

 これは失敗したな、と思いながら「俺の方が気まずいから勘弁してくれ」とぞんざいな態度で話を逸らそうとするも、リリーシュカの視線は固まったまま。


 何かしらの答えを提示するまでは話を終わらせてくれそうにない。


 本当に、面倒だ。


 忘れると言った手前、あまり思い出したくはなかったが、そのときの感情をなるべく詳細に掘り起こし、


「綺麗だったと思うぞ。少なくとも負の感情を抱くことはなかった。体型も痩せすぎず太りすぎずで健康的。俺が伝えられることはこれくらいだな」


 率直な感想を伝えれば、俺の言葉を聞き届けたリリーシュカは長い沈黙の後に「……そういうことにしておくわ」と浮かない表情のまま話を終わらせてくれた。

 やはり言わない方が良かったんじゃないかと思っても、一度表に出した言葉は取り消せない。

 嫌なら嫌とはっきり言ってくれた方が楽なのだが、リリーシュカの反応を見るに俺への文句をつける気はないのだろう。


 まあ、これで「変態」などと暴言を投げられるのは結構な理不尽だと思うが。


「騒がしくしてごめんなさい。虫も追い払ってくれてありがとう。お風呂、入り直してくるわ」


 そういえば入浴の途中だったリリーシュカが浴室に移動するのを視界に収めないようにして、扉が閉まったことを音で確認してから息をつく。


 これが異性との……もとい、婚約者との同居生活。

 何を考えているのかさっぱり理解できないリリーシュカとの同居生活はまだ始まったばかり。


 再び紅茶を飲み干した俺はカップを洗い、これ以上の面倒事を避けるために自室へ引きこもった。

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