第6話 お友達
「おい、あの話もう聞いたか?」
「二回生の問題児、我らがクリステラの第七王子『やる気なし王子』と『氷の魔女』が婚約するって話だろ?」
「そうそれ! 俺初めて聞いた時は自分の耳を疑ったね。王子の方はともかく、相手はあのとっつき難い『氷の魔女』とか信じられるか」
「俺は腹がよじれるくらい笑ったな。学内掲示板に張り出されてて、学園長の印まであるってことはまず間違いなく事実なんだろうが……」
同居生活を始めて数日経ったある日の朝。
一限の授業が開かれる教室へ向かっていると隠す気のない話し声がそこかしこから聞こえてきて、思わず表情にまで辟易とした気分が移ってしまいそうになる。
俺とリリーシュカは政略結婚に伴い、寮での同居生活を強いられた。
それはもうどうしようもないこととして受け入れたのだが、今度は俺たちの婚約を学内にも周知させるようにとクリステラ国王……クソ親父から通達があったらしい。
仮にも一国の王子である俺が婚約するのだから貴族の子息子女が集まる学園で告知するのは理にかなっている。
また、婚約者であるリリーシュカの身柄にもしものことがあれば魔女の国ヘクスブルフから責任問題を問われかねない。
これで関係が
とはいえここまで注目されるとは思ってもいなかった。
普段は見下している『やる気なし王子』なんかの婚約には興味なんて抱かないだろうと高をくくっていたのだが、存外に学園内の注目度は高いらしい。
「……まったく、ほとほと嫌になる」
しばらくはこの注目が続くだろうと考えると元からないやる気がさらに萎える。
昼食などもできる限り人目のない場所で取ったり、授業を受ける際も最後方の席を選ぶように――これはいつも通りだったか。
流石の俺でも最前列で堂々と居眠りをするのは気が引けるからな。
人に迷惑をかけたいわけじゃない。
ここは魔術学園で、大半の生徒は真面目に学びたいと思っていることだろう。
その邪魔をする気はない。
そんなことを考えている間に教室の扉の前まで来ていた。
扉を開けて中に入ると、それなりに座席を埋めていた生徒の視線が一斉に俺へ向く。
……本当に勘弁してくれ。
なるべく表情を変えないように努めながら既に俺専用の特等席となりつつある窓際最後方の座席――いい具合に陽射しが入ってきて、面白みのない授業を聞きながら居眠りするには最適の席に腰を落ち着ける。
授業が始まるまでの猶予は数分ほど。
それまで視線やらひそひそと話す声やらに耐えなければならないのかと悟り、現実逃避がてら机に突っ伏そうとすると、
「――ウィルくん。隣、座ってもいい?」
馴染みのある、よく通る声が間近から
とてもじゃないが名指しで、知る限り一人しかこの呼び方をしないとわかっていれば無視なんて出来るはずがない。
ここで話すのは非常に気が向かないが仕方なく声の方へ顔を向ければ赤い髪の少女……レーティアが椅子を引きながら楚々とした微笑みを浮かべていた。
「……勝手にしてくれ。俺に座席を決める権限はないからな」
素っ気なく言えば「じゃあお言葉に甘えて」と流れるように隣に座り、授業で使う教科書を自分の前に揃えて置く。
「こんな後ろの席にいていいのか?」
「大丈夫だよ。後ろだからって誰かさんみたいに居眠りしたりサボったりしないし、二回生で受ける内容はほとんど頭に入ってるから。授業は復習の意味合いが強いし――って、こんな話をしに来たんじゃないの」
ずい、と詰め寄ってくるレーティア。
炎を思わせる赤色の前髪が軽く浮かび、ぱちりと蝶の羽にも似た睫毛が瞬く。
その奥に
「……レーティアも婚約の話か?」
「それ以外あると思う?」
「ないだろうな」
今の状況で俺を問い詰める理由なんてそれくらいしかない。
あまり声量を上げなくてもいいようにか、レーティアが普通に座るよりも距離を近づけてくる。
「ウィルくんの反応からして、あれは本当の話ってことでいいんだよね」
「まあ、な。相手についても同じだ」
「……そっか。まさかウィルくんが婚約するとは思ってなくて、わたしすごくびっくりしたんだから。しかも相手があのリリーシュカさんで、さらにびっくり。時期を考えるとリリーシュカさんは――」
言葉を続けようとしたレーティアだったが、わざわざ口にする必要はないと思い直したのか軽く頭を振って誤魔化した。
「公爵令嬢のお前になら事情は察せられるだろ。俺も一応、一国の王子だ。政治交渉の材料として使うには都合がいい」
「そうだけど……だとしてもウィルくんが婚約するなんて思ってもいなかったから」
「俺も不覚の事態だ。婚約なんて面倒だって気持ちは変わってないし、できることなら今すぐ破棄したいが、俺の一存で決められることじゃない。それに今更そんなことをすれば俺にもリリーシュカにも不都合が生じる」
俺が次の王にさせられることとかな、とは言わない。
確定事項でもない未来を下手に口にして、それを誰かに聞かれでもすれば話がねじ曲がって広まる可能性がある。
そうなればあらぬ批判や誤解を生み、今よりも王子として生きにくくなる。
下手をすれば王の座を狙う他の王子王女に命を狙われるかもしれないし、対象が俺だけでなくリリーシュカやレーティアへ向かないとも限らない。
「そっか……ウィルくんも遂に婚約かあ。わたしにはもう縁のないことだから、ちょっとだけうらやましいかも。元々、わたしがウィルくんの婚約者だったのにね」
「もう何年も前の話だな」
「あの頃はわたしたちも小さくて、無邪気で、純粋で――世界のことをなんにも知らなかった。それが楽しくもあったんだけど、まさかわたしが魔晶症にかかるなんて思いもしなかったから」
レーティアがそっと自分の左目のあたりを撫でながら口にする。
魔晶症は突然変異的に体内の魔力が結晶化し、激痛と共に継続的に魔力が吸収されて最終的に死に至ってしまう、治療法が発見されていない不治の病だ。
レーティアの場合、その症状は普段前髪で隠されている左目に現れていて、赤い結晶が眼球の代わりに収まっている。
「でも、ウィルくんがいたからわたしは生きてる。婚約者のお話はなくなっちゃったけど、それは公爵令嬢として仕方ないこと。いつ死ぬとも限らない人を王族の伴侶には出来ないから」
「……俺の伴侶になるのがさも幸せみたいに言うな」
「わたしにとっては幸せなことだし、恩返しをしたいと思うのは当然じゃない?」
純粋極まる言葉に俺はつい黙り込んでしまう。
あれは……俺にとっても事故と呼ぶべきものだった。
子どもながらに奇跡を望んだら運よく力を与えられ、結果的にレーティアを助けられただけのこと。
俺が自発的にしたことでレーティアが感謝の念を抱え続けることに多少なりとも罪悪感がある。
レーティアの命を文字通り握っていると言っても過言ではないからだ。
「最近調子はどうだ?」
「お医者さんからも進行は緩やかだって診断されてるし、症状も特にないから大丈夫。心配してくれてるの?」
「そりゃあするだろ。一度面倒見たのなら途中でほったらかしは無責任が過ぎる」
「……そういうところは昔から変わってないよね、ウィルくん」
微笑ましい目を向けられるのはむず痒い。
昔のことも知っているレーティアからとなれば猶更だ。
雑談に花を咲かせていると、教室の雰囲気が変わったことを肌で感じ取る。
なにかと思い様子を
レーティアも気づいたらしく、何を考えたのかリリーシュカの元へ駆け寄り少し話をしたかと思えば俺の方に連れてきてしまった。
座席の並び順は俺、リリーシュカ、レーティア。
レーティアが婚約者同士を並べようとか、いらない気を使ったのだろう。
半ば強引に連れてこられたリリーシュカの困惑気味な青い瞳が俺とレーティア、それから気分を逸らすためなのか穏やかな晴れ模様の窓の外を行き来する。
助けを求めているのかもしれないが、生憎と困っているのは俺も同じ。
「…………これはどういうこと?」
「俺に聞かれてもわからん」
「リリーシュカさんにもお話を聞かせて欲しいなあと思って」
「……ルチルローゼさん、よね。三大公爵家の」
「そうだけど、あまり堅苦しく考えないで欲しいかな。わたしたちは同じ学園に通う生徒なんだから。ウィルくんと婚約するのなら是非とも仲良くしたいと思って」
「私と?」
「リリーシュカさん以外に誰がいるの?」
「確かにリリーシュカは私しかいないけれど……私と仲良くなんてしていたら評判に傷がつくわ」
「リリーシュカの心配はもっともだが、なら俺と話すのも良くはないな。貴族平民問わず馬鹿にされるやる気なし王子だ」
何も変わらないだろう? と皮肉交じりに言ってやれば「それもそうね」と全く
俺たちとレーティアが一緒にいたところで批判はレーティアへは向かない。
落ち目の王子や他国の留学生よりも有力な公爵家というわけだ。
そのレーティアがリリーシュカの両手を取り、
「わたし、リリーシュカさんとは一度ちゃんとお話してみたいと思っていたの。あなたの魔術、本当にすごいと思っていたから」
知的好奇心をこれでもかと目線に押し出したレーティアがリリーシュカを捉える。
始まった、と俺は一人ため息をつく。
レーティアも魔術学園には推薦枠で入学を果たしている。
魔術的な技能よりも知識研究の面を大きく評価された結果だ。
魔術のこととなると目がなく、二回生の中だけでなく学園単位で見ても特に魔術を得意としているリリーシュカには興味があったのだろう。
「四大元素の中でも氷……水の上位属性を扱えるだけでも凄いのに、中級魔術も簡単に使っているでしょう? 展開も早いし、威力も申し分ない。相当使い慣れてるって一目見てわかった」
「…………そんなことないわ。時間さえあれば誰にでも出来ることよ。暇な時間に出来ることが魔術の練習くらいしかなかったの」
リリーシュカが「私って寂しい人間だから」と反応に困る一言を最後につけ足す。
この状況でそれを口にするのは協調性という言葉が頭から抜けているからだろうか。
社交的なレーティアでさえ「え、わたし変なこと言っちゃった……?」と惑うように視線をオロオロさせ、俺へ助けを求めてくる。
「レーティアは魔術のこととなると目がなくてな。二人とも成績上位者かつ同性だから、俺よりは話も合うんじゃないか?」
「それ、ウィルくんに言われると皮肉たっぷりにしか聞こえないよ? 本気を出せば学年一位くらい簡単に取れること、わたしは知ってるんだから」
「……そうなの?」
「ウィルくんはめんどくさいからって考査の点数が赤点ギリギリになるように調整してるの。その方が明らかに面倒だと思うのにね。答えた問題は全問正解できるって確信がないと出来ないから」
「授業をちゃんと聞いてれば全問正解できる作りだから不都合はない。点数調節をしているのは満点を取る方が面倒なことになるからだ。考えてもみろ。大多数が見下していた『やる気なし王子』が学年首席になったら、ただでさえ多いやっかみがさらに増えかねない」
考査の点数調節は必要経費と割り切っている。
なるべく平穏な学園生活を送るためには仕方のない犠牲だ。
……まあ、それも今日で終わった気がするが。
「でも、そうだね。わたし、リリーシュカさんともっとお話したいな。ウィルくんとの婚約についてもそうだし……普通に話せるお友達はずっと欲しいと思っていたの」
「……私がルチルローゼさんと友達に?」
「もしかして嫌だった、かな」
「そんなことないけれど……本当にいいの? 私といると陰口とか、よくない噂とか、色々迷惑かけるかもしれないわ」
「大丈夫。いざとなったらウィルくんが守ってくれるから。ね?」
「肝心なところは俺任せかよ」
「本当に困ったときはウィルくんが助けてくれるってわたしは信じてるから。普段はだらしなくて素直じゃないし人の気持ちをまるで考えないように見えるけど……いざという時は優しくて頼りになるのは昔のまま。だからリリーシュカさんもウィルくんをほんのちょっとでいいから信じて欲しいかな」
レーティアが俺のことを好き放題言っているが、取り合う気はさらさらない。
「……こんな私でよければ今後も仲良くしてくれると嬉しいわ、ルチルローゼさん」
「レーティアでいいよ。わたしはリリーシュカちゃんって呼ばせてもらってもいい?」
「…………ちゃん付けはちょっと可愛すぎないかしら、その……レーティア、さん」
「さんもなし。お友達でしょう?」
「慣れていないのよ……」
照れているのか伏せた顔は僅かに赤い。
リリーシュカは胸元を手で摩って呼吸を落ち着けてから再びレーティアと目を合わせ、僅かに溜めを作ってから、
「……でも、名前で呼ぶとウィルと被ってしまうわね」
「それならティアって呼んで! 家族や仲のいい人はそう呼ぶから。ウィルくんはもう呼んでくれなくなっちゃったけどね」
「なら……ティア。これで本当にいいのね? 変じゃないわよね?」
「うんうん、いい感じ。どうせならわたしもそういう風に呼ばせてもらおうかな。リリーシュカだから――リーシュなんてどう?」
「構わないけれど……リーシュと呼ばれたのは初めてね」
やいのやいのと盛り上がるレーティアと微妙についていけていないリリーシュカの対比は、傍から見ている限りは面白い。
元々人望も厚いレーティアの存在が緩衝材として機能しているのか、リリーシュカを嫌う貴族連中の視線も幾分か和らいでいる。
俺に対しての負の感情は一切変わらず、なんなら強まっている現状には若干の理不尽を感じないでもないが、気にしても仕方のないことなので諦めた。
「少し可愛げがあった方がいいから丁度いいな」
「なんとなく馬鹿にされている感じがするからやめて」
「レーティアはいいんだな」
「同性だし、いい人なのは評判として知っていたから」
「リーシュにもそう思って貰えてたのなら嬉しいな。わたしもリーシュはもうちょっと硬い人なのかなと思っていたけれど、思いのほか面白い人だとわかったから」
面白い人と評価されたリリーシュカは「これは褒められているのかしら?」と小声で呟くも、答えを返せる人間はいない。
ともあれ二人の仲が良くなるのはいいこと……多分いいことだ。
レーティアは自分が間に挟まることでリリーシュカへの風当たりが弱まれば上出来と考えたのだろう。
人気と地位を上手く使っているあたり、やっぱり公爵令嬢なんだなと実感する。
俺たちが話していた時間は思いのほか長かったのか始業を告げるベルが鳴り、授業を担当する教師が教室に入ってきた。
形だけは真面目に授業を受けているように見せるため教科書など必要なものを机に広げて、退屈を噛み殺しながら前を向くのだった。
―――
明日も二話更新です~
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