第5話 第五王子
クリステラ王立魔術学園は何代も前のクリステラ王が設立した、由緒正しい歴史と実績を兼ねる魔術師育成機関だ。
王都の東部に広大な敷地を保有し、時代が進むにつれて設備に関しても最新のものへ改築を重ねられている。
生徒が授業を受ける校舎はもちろんのこと、数えきれないほどの建物があちこちに
学園規則に乗っ取って行われる決闘の舞台として活用される決闘場。
生徒全員を詰め込んでも余裕のある大講堂。
魔術関連だと実験棟や工房も備えられていて、深夜まで生徒が入り浸って魔術の探究にいそしんでいる姿を見るのも珍しくない。
生徒の憩いの場として開放されている食堂やカフェテリアは常に賑わいを見せていて、特に平民でありながら入学を許された優秀な生徒たちが食事の安さと美味さに感動しているとか。
そんな魔術学園だが、遠方に住んでいて毎日通えない生徒のために寮が存在している。
しかも身分ごとに分かれた寮だ。
学園側は平民と貴族の間に身分の差はないと表では公表しているものの、生徒の意識まで変えられるほどの効力はない。
だから寮は区別し、無用な争いを避けているというわけだ。
「――ノイから聞いているだろうが、ここは王族専用の寮だ。入寮者は軒並み王族か世話をするために主人と共に入学している使用人の生徒くらいだろう。稀に囲っている者を傍に置いていることもあるが……俺たちが気にする必要はない」
寮の廊下を歩きつつ、着かず離れずの距離を保ちながら隣を歩くリリーシュカのために説明をしておく。
念のため本当に聞いているのかと横目で確認すると「なによ」と不機嫌そうな声音がすぐさま返ってきた。
馴れ合う気はないという意思表示だろうが、せめてもう少し協力的になって欲しいものだ。
その姿勢を見せているのが俺の助言に従って制服に着替えたことだと言われると俺としてはお手上げなのだが。
「リリーシュカのことは寮監づてに入寮者に伝えられるはずだ。まともなやつは絡んでこないだろうが、俺たちは残念ながら嫌われ者だ。あまり一人で出歩くのはおすすめしない」
「……まるで籠の中の鳥ね」
「言いえて妙だ。一人で出歩くのはおすすめしないとは言ったが、リリーシュカの行動を制限するつもりはない。出歩きたければ好きにすればいい。幸いなことに入寮者自体は少ないからな」
そもそも俺はリリーシュカが問題を起こさない――なんてあり得ない未来を前提とはしていない。
俺もリリーシュカも嫌われ者。
こっちが問題を起こそうとしていなくても厄介事は寄ってくるし、大体全部俺たちの悪評が広まって終わりだ。
「とりあえず寮の施設を巡っていこう。基本的なものは他の寮と変わらないが規模も質も違う。食堂では頼めばいつでもフルコースを提供してくれるし、大浴場は時間を問わずに入浴が可能だ。洗濯や掃除が面倒なら寮の職員に頼んでおけば勝手にやってくれる。各々の部屋に風呂が備えられているのも王族専用の寮だけだな」
「至れり尽くせりね。嫉妬と批判が相次ぎそうなものだけれど」
「だからこそ地位の高いやつらは軒並み高い成績を取っている。高貴なる者の義務ではないが上に立つ者としての才覚を示すからこそこんな贅沢が許されている訳で、俺みたいな落第寸前でしがみついてる不出来な王子が
皮肉交じりに言ってやるもリリーシュカの表情は変わらない。
返事をしたのも気まぐれで、俺には案内人以上の役割を期待していないのだろう。
それでも構わない。
俺は必要最低限の案内をするだけだ。
やたらと広い寮の中を歩きながら、都度設備についての説明を挟む。
食事もできる広々としたラウンジ、本格的な身体のメンテナンスやマッサージをしてもらえるエステ、入寮者が同行していなければ入れないサロンなどなど。
この寮にしかない設備について紹介すると、心なしかリリーシュカも驚いているように見えた。
特に食いつきが良かったのは大浴場だ。
他の寮は部屋にはシャワーしかなく、湯船につかるには定められた時間の中で大浴場を利用するしかないのだが、ことこの寮にはそれらしい制限が存在しない。
浴場自体が男女で別れていて、一日を通して湯が張ってある状態――つまりは時間を選ぶことなく入浴が可能なのだ。
「……本当にいつ入ってもいいの?」
「入寮者ならな。他に利用する人数は五人もいないからほぼ貸し切り状態だぞ」
「良いことを聞いたわ。今夜早速入ってみようかしら」
「今度は着替えを忘れるなよ? バスタオル一枚で廊下を歩いて部屋に戻るのはな」
「うるさいわね。それくらいわかってるわよ。さっきはたまたま忘れただけで――」
リリーシュカはむっとした顔のまま言い返してくるが、途端に口を
俺とは雑談をする気もないらしい。
「……学園の施設もだが、ここまで充実してるのは他国への威信を示すためだろうな。学園には他国からの留学生も多数いる。生半可なものを見せれば国力を舐められるとでも考えたんだろう」
クリステラは魔術師と共に成長してきた国で、魔術触媒となる魔水晶の産出地として有名だ。
街のインフラ整備、魔道具作成、大規模魔術に使用する触媒――と、活用法を上げれば暇のない資源を自国で産出出来るアドバンテージを活かすためにも、魔術的な技術の向上は不可欠だった。
魔術師の育成に余念がないのも各地の魔物に対抗する力を貴族諸君に身につけさせるためだったり、軍事転用や生活を豊かにするための研究を目的としているからだろう。
「おかげで俺は何一つ不自由なく学園生活を送れているわけだ。どれだけ不出来な成績を残していようとも俺は学生で王子。この贅沢極まるサービスの対象であることに変わりない」
「最低ね」
「世界の構図がそうなっているんだ。俺に文句を言われても困る」
肩を
「――部外者を連れ込むとは感心しないな、ウィル」
傲慢さを隠すことのない刺々しさを伴った男の声。
俺はうんざりしながらも声の主へ嫌々ながらも視線を送る。
長い前髪で片目を隠した、眼鏡の奥で眼光の鋭い
この寮の入寮者でありクリステラの第五王子フェルズ・ヴァン・クリステラ……血縁上の兄と呼ぶべき男がそこにいた。
面倒な奴に絡まれたな。
俺は横目でリリーシュカに「余計なことはするな」と視線で圧を送ると、訝しむかのような視線が返ってきた後に小さく頷く。
「残念ながらこいつは新しい入寮者だ。リリーシュカ――名前くらいは知っているだろう? 加えて言えば、信じられないことに俺の婚約者でもある。今は寮の施設の案内中だ」
「……なんだと?」
フェルズの眉がつり上がり、
「疑うなら学園長にでも確認すればいい。さっき帰ったばかりだからその辺にいるんじゃないか?」
「……くれぐれも余計な真似をするなよ。目障りだ」
正当性はこちらにあることを主張すればフェルズも流石に強くは出てこない。
苛立ち混じりに忠告だけすると、その足でサロンの方へ去っていく。
「……あの人って」
「第五王子だ」
「随分と傲慢な物言いなのね。王子なら納得だけれど」
「俺はお前が多少なりとも空気を読もうとしたことに驚いたな」
「……ああいう男の人は苦手なのよ」
苦虫をかみつぶしたかのような表情で答えるリリーシュカ。
こいつにも苦手なものがあったんだな。
「寮の案内はこれくらいにしておこう。珍しく人とまともに話したから疲れた」
「……本当にやる気がないのね」
「こればかりはどうにもならん。リリーシュカもそのつもりでいてくれ。政略結婚についても同じだ。俺は王……親父に脅されていてな、政略結婚を引き受けないとクリステラの次期国王にされるところだった」
「……本気で言ってるの?」
「冗談ならどれだけよかったか。親父はやると言ったらやる。だから政略結婚を受けたが――どうせ政略結婚だ」
ふああ、とあくびをしながら部屋の方へと踵を返し、リリーシュカに背を向けて歩き始めながら、
「お互いに愛は必要ない。求められるのは建前だけ。表面上は婚約者としてやっていれば親父も魔女の国も文句は言うまい」
「……つまり?」
「嫌われ者同士、なるべく迷惑をかけずにやっていこうって話だ。ただでさえ悪い居心地をこれ以上悪化させたくはないだろう?」
後に続いてくる足音だけを聞き、顔も見ずに提案する。
俺は成績最底辺の『やる気なし王子』。
リリーシュカは魔術に関する成績は良いものの非常識な言動が目立ち、集団からは浮いている『氷の魔女』。
普通にしていても周囲には負の感情を抱かせてしまうのだから、それを許容する関係性の構築は必要不可欠。
その上、リリーシュカの態度を見るに政略結婚には乗り気じゃないらしい。
俺も政略結婚を引き受けたのは王になりたくないというだけの理由。
「私、周りのことはどうでもいいと思っているけれど困ったことがないの。どうせ深い関係にならないから気を遣う必要がない。あなたも似たようなものでしょう?」
「そうだが、そうも言っていられない状況だ。俺とリリーシュカは婚約者で、しかも同居生活を強要されるとなると、どうやっても関わることになる」
「大変不本意なことに、ね」
「……だからこそ最低限の協力体制だけは構築しておく方が楽になると思うが、どうだ?」
期待せずに問う。
これは俺の望みだ。
可能な限り楽に事を済ませるために前提条件を整えておきたい。
「あなたの想定する最低限はどこまでのことを言っているのか私には理解できないわ。なるべく具体的な例を挙げて」
「そうだな……例えば互いの私室に無断で入らないだとか、入浴の際は札をかけておくとか、そういうどちらかが不利益を被る事柄を最低限としておこう」
「構わないわ」
リリーシュカの答えは意外にも端的な承諾だった。
てっきり断られてもおかしくないと思っていただけに内心安堵しつつも顔には出さないよう感情を呑み込む。
「意外だったって顔をしているわね」
「どうしてわかったんだ?」
「隠さなくていいわ。私も利があれば人の言葉を聞き入れるくらいの冷静さと知能はあるつもりよ。大抵のことは私が一人で魔術を使った方が手っ取り早いってだけ。今日だって可能な限り巻き込まないように魔術を使っていたはずよ」
「……あれで?」
余裕がある今思い返しても巻き添え上等としか思えないんだが?
まあ確かに上級魔術を間近で放ったにしては俺たちへの被害は軽微だったが、だからといって許せるかと言えばそれはまた別の話。
……いや、もう何も言うまい。
価値観が違い過ぎることを理解した。
今はリリーシュカとの消極的な協力関係が築けただけでもよしとしよう。
「……ともかく部屋に戻ろう。演習と政略結婚のあれこれで疲れたし腹も空いた。俺は自室で食事を取るがリリーシュカはどうする」
「部屋まで運んでもらえるの? なら私も自室で……いえ、リビングを借りることにするわ。部屋に匂いがつくのは避けたいし、私一人で食堂を使っていたらさっきみたいに変な人に絡まれるかもしれないから」
私、王族じゃないし、と呟くリリーシュカは本当に自分が大魔女の直系……対外的には王族とさして変わらない血筋だとは思っていないように見えた。
―――
18時過ぎにもう一話更新です!
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