第4話 政略結婚と同居生活
「――なんであんたが俺の部屋で優雅にくつろぎながら紅茶飲んでるんだ。学園長室に帰れ」
学園での退屈な授業を終えた俺が寮の部屋に帰ると、玄関には自分のものではない靴が二足並んでいた。
寮の職員が清掃に入る予定はなかったはずだし、おまけにそれはどちらも女性用。
なんとなく嫌な予感がしつつもリビングで目にしたのは革製のソファに深々と背を預けながら、我が物顔で紅茶のカップを傾ける少女――そうとしか見えない知り合いの姿だった。
袖も裾もすっかり余るほど大きなサイズの魔女服が童女のように小柄な体躯を余すことなく覆いつくしていた。
しかも人間との違いを示すかのように耳は長く尖っている。
それは本来、深い森の奥に棲むエルフの特徴だ。
俺の方へ視線を向けたことで頭の左右、高い位置で結われた金髪がふわりと揺れた。
前髪は線を引かれたかのように真っすぐ揃えられ、どことなく楽しげに弓なりになった翡翠色の瞳が俺を映し、
「良いではないか。不出来な弟子だとは前々から思っておったが、まさか
カップをソーサーに置き、下手な泣き真似を見せつけてくる。
「それとこれとは話が別だ、ノイ。人の部屋に勝手に入ってくるな用事があるなら学園長室にでも呼びつければいいだろ」
「この方が手っ取り早いからそうしたまでよ。そもそもわらわは学園長……このクリステラ王立魔術学園で最も偉いんじゃぞ? 学園の敷地である寮のおぬしの部屋でくつろいでいて何が悪い」
ふん、と鼻を鳴らして威張り散らかすノイに悪気や反省の意思は感じられない。
それどころか「茶菓子を持ってこい!」と俺を使用人のように扱う始末。
「茶菓子くらい自分で持ってこい」
「冷たい弟子じゃのう。魔術師の最高位、
魔術師には一から十の階級があり、自分が使える最高位の魔術階級を名乗る。
学園長で師匠ことノイは魔術師の階級としては最高位。
俺は
掛け値なしの天才魔術師であり、俺はそんな人から魔術を教わっていた……にもかかわらず、中級以上の魔術を使えるようにはならなかった。
正確にはある日を境に使えなくなったが正しいか。
原因に心当たりはあるものの解決の方法自体はどんな文献を漁っても見つけることは叶わず、俺はまともに現代魔術を使うのを諦めた。
俺が魔術学園に在籍しているのは親父との取り決めだ。
理論やら歴史やらはノイから直接教わっていたし、それを今も覚えている。
なのに成績が底辺間際なのは留年しなくて済むラインを見極めて結果を残しているからだ。
悪目立ちしているようにも思えるが、逆にいい結果を残すと面倒なことになる。
俺は『やる気なし王子』――将来のために誰にも期待されないダメ王子のままでいた方が都合がいい。
「俺の部屋に来るように頼んだ覚えはない」
「そうじゃな。これは単なるお節介……もとい、野次馬じゃ」
「野次馬?」
「丁度、来たようじゃな」
なんのことだ? と疑問を浮かべるのも束の間、どういうわけか浴室の方から音がして――
「さっぱりしたわ。部屋にお風呂があるなんて王族専用の寮は本当に贅沢ね。しかも綺麗で広いし……この他にも大浴場があるなんて。夜はそっちに行ってみようかしら」
今日、直近で散々聞いた声が部屋に響く。
まさかあいつが俺の部屋にいるわけがない……そう自分に言い聞かせながら恐る恐る声の方向へ視線を向ける。
「……………………は?」
辛うじて喉を飛び出たのは、自分でも拍子抜けするくらい間抜けな一言。
それにより相手も俺のことを認識したのだろう。
空のように透き通った青い瞳が俺へ固定され、対する俺の視線もその人物――どういうわけかバスタオル一枚を纏っただけの銀髪の女、リリーシュカを余すことなく映し出す。
バスタオルでは当然全ての肌を隠すことは出来ず、肩と太ももの際どい所までが露出していた。
湯上りで血行も良くなっているのだろうが、明らかにそれとは違う赤みがリリーシュカの顔に滲んでいる。
初めは驚き混じりだったのだろう。
だが、沈黙を経て数秒経つ頃には凶悪な魔物ですら逃げ出すであろう刃のように鋭く冷たい視線へと変わっていた。
当然ながらその矛先は俺である。
……この場合、驚きたいのは俺の方だ。
どんな理由があったらリリーシュカが俺の部屋の浴室からバスタオル一枚で出てくるなんて意味の分からない状況が生まれる?
「おお、リリーシュカ嬢……随分と大胆じゃな? ウィルが帰ってきたタイミングを見計らってバスタオル一枚で出てくるとは」
面白がっているかのようなノイの声。
一方でリリーシュカの雰囲気は北の果ての凍土もかくやというほどに凍えている。
いや、違う。
冷えているのはこの部屋で、その元凶は肩を震わせながら両手を強く握りしめ、ヌシと出くわした時と同じレベルで魔力を
証拠に部屋には薄っすらと霜が降り、吐きだす息は白く濁る。
そんな中でバスタオルを抑えながらリリーシュカはずかずかと俺へと歩み寄り、
「――この、変態ッ!!」
一切手加減のない平手が俺の左頬を撃ち抜いたかと思えば、リリーシュカは俺に目をくれることなく空き部屋だったはずの部屋へ消えた。
ひりつくような、じんとした痛みが平手を喰らった頬から広がる。
一体俺が何をしたって言うんだ? 俺が悪いのか? 常識的に考えて違うだろ。
「のう、ウィルよ。今どんな気分じゃ?」
「理不尽過ぎて怒る気力も湧かないが――どういうわけか事情くらいは説明してもらえるんだろうな?」
俺の疑問にノイが答えたのは、風呂上がりのリリーシュカが着替えを済ませて部屋を出てきてからだった。
ショートパンツにTシャツと、学園では目にすることのない非常にラフな格好に変わったリリーシュカの目は変わらず冷たい。
冷たいというより、もはや害虫を目の当たりにした時のそれに近いだろう。
リリーシュカはノイと並んでソファに座り、俺はその反対側に椅子を引っ張って来て腰を下ろした。
……なぜ俺が客人のような立場にいるんだ?
普通は逆だろう? これ以上状況をかき回したくないから甘んじて受け入れるが。
「で、理由はなんだ? 何があったら俺の部屋の浴室から他人がバスタオル一枚で出てくるようなことになる?」
「……着替えを忘れたのよ。寮からわざわざ荷物を運んできて汗もかいたって言ったら学園長がお風呂を使えばいいなんて言うから」
「なんでリリーシュカが俺の部屋に荷物を運んで来るんだ」
「本日よりリリーシュカ嬢がこの部屋で暮らすことになるからじゃな」
「……は?」
リリーシュカが、この部屋で暮らす?
一体どんな理由があったらそんなことに――
「……政略結婚か?」
「その通りじゃよ。おぬしは知らなかったようじゃが、リリーシュカ嬢はおぬしの政略結婚の相手。だからわらわが案内も兼ねてリリーシュカを連れてきたというわけじゃ」
そう告げるノイの声音は悪戯に成功したかのような雰囲気がありながら話の内容には筋が通っていて、それこそが真実なのだと如実に伝えてくる。
確かに俺は親父に政略結婚の相手を聞かなかった。
誰だろうと同じ……そう思っていたからだ。
なのに蓋を開けてみれば政略結婚の相手は貴族からは嫌われ、平民からも扱いに困るような孤高の存在、『氷の魔女』リリーシュカで――
「……ちょっと待て。てことはリリーシュカは魔女の国の人間? しかも政略結婚の材料にされるほど地位が高い。まさか家名を隠して通っていた?」
「やっと気づきおったか。そう、何を隠そうリリーシュカ嬢の家名はニームヘイン――魔女の国ヘクスブルフを治める大魔女の娘じゃよ」
俺の推測を裏付けるとんでもない爆弾が落とされてしまった。
驚き遅れてリリーシュカへ視線を送ると、どうしてか気まずそうに視線を逸らされながらも「……そうよ」と短い言葉で認めた。
大魔女の娘、直系ともなれば王族相当の地位だ。
そんな大物がどうして名を隠して学園に通っていたのか疑問は残るが……そういう理由があるのならリリーシュカが政略結婚の相手に選ばれたのも納得できる。
「文句を言いたいのはこっちよ、変態。政略結婚はともかくとして、なんであなたなんかと同居生活をしなきゃならないのよ」
「それはこっちのセリフだ」
「学園の生徒同士で婚約関係にあり、望むのであれば同居生活を許可しておる。今回の場合は……まあ、アレじゃ。国の意向という我々ではどうしようもない事情じゃな」
「わかっています。けど……」
リリーシュカの
「妙なことをしたら氷漬けにするから。さっきのは私の恩情で不問にしてあげる」
「ちょっと待てさっきのも俺のせいかよ」
「当たり前でしょう?」
こいつ素で理不尽だ。
魔術の威力がどうとか関係ない。
そもそも他人を思いやるとか、そういう思考自体が欠けている。
こんなやつと同居生活なんてやっていられるか。
「ノイ、早くこいつを連れてどっか行ってくれ」
「無理な相談だとわかっておるじゃろ? 無駄な抵抗はやめて観念せい。この結末はおぬしが政略結婚を承諾した時点で決まっておった。恨むなら無策のまま政略結婚を引き受け、面倒がって相手のことも聞かなかった自分を恨むんじゃな」
それを言われると俺としては何一つ言い返せない。
興味がなくとも相手くらいは聞いておくべきだったか。
……相手がリリーシュカだとわかっても俺は政略結婚以外の選択肢を取れないだろうが、心の準備くらいはできた。
「そういうわけじゃからおぬし、リリーシュカ嬢に寮を案内してこい。ここは他とは一味違う。おぬしも婚約者が他の入寮者に絡まれて面倒ごとになるのは避けたいじゃろう?」
「……ノイがすればいいだろう。リリーシュカは俺と一分一秒たりとも同じ空間にいたくないって顔をしてるぞ」
「妾は学園長、つまりは忙しいのじゃ。すごく、すごく忙しいのじゃ。本来なら寮の職員に案内を任せても良かったのじゃが、仮にも王族の婚約者。何かあってはよくないと思い妾が自ら送り届けたまでよ」
本当は俺に嫌がらせをしたかっただけではないか、とは言わない。
「リリーシュカ嬢も良いな?」
「……学園長が言うのであれば」
「聞き分けが良くて助かるのじゃ。というわけじゃからウィルよ、ちゃんとリリーシュカ嬢をエスコートするんじゃよ?」
「…………はあ。わかった、わかった。寮の案内くらいはしてやるが、その前に着替えてこい」
呆れ混じりにため息をつきつつ答えると、またしてもリリーシュカは青の
「……まさかあなた、そうやって私の着替えを覗く気じゃないわよね」
「違う。ここは王族専用の寮だぞ? 部外者がそんな恰好で寮を出歩いてみろ。面倒な奴らに絡まれても知らんぞ」
王族専用ということもあって他の寮よりは入寮者が少ないが、一人一人の濃さはどこよりも上だろう。
そんな奴らの目にリリーシュカが留まれば確実に問題が起こる。
問題が起こった場合、婚約者である俺も責任を問われてしまう。
可能な限り面倒事を避けたい俺としては、ここで苛立ちを堪えてリリーシュカに寮の案内をする方がマシだ。
リリーシュカの方は俺に案内されるなんて嫌だろうが、この際リリーシュカが俺に対して抱く感情は関係ない。
俺は俺の都合で動かせてもらう。
「…………ならいいわ。私を案内しなさい。変な真似をする素振りを見せたら――わかっているわね?」
「なんでそう上からなんだか。いいからさっさと着替えてこい」
まるで野良猫だなと思いながら言い返せば、リリーシュカはまたしても勝手に自分の物としたらしい部屋へ。
「さて、と。話が纏まったなら妾もこのあたりで退散するとしよう。――ああ、そうじゃ。そのうち婚約を祝ってのダンスパーティーが行われるらしい。心の準備はしておくようにな」
……本気か?
誰が俺の婚約を祝うんだよ。
「それともう一つ」
「……またくだらない話か?」
「一つ屋根の下で女子との同居生活とはいえ、羽目を外しすぎるんじゃないぞ? 寮の壁は厚いようで案外と音が通る。もしもことに及ぶのなら魔術や魔道具で音を遮ってからにするんじゃな」
「余計なお世話ださっさと出てけ」
―――
明日も多分二話更新です!
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