第17話 楽しそうにしていてくれ

「まさかドレスを選ぶだけでこんなに時間がかかるとは思わなかった」

「仕方ないでしょう? 色々考えていたら……ちょっとだけ、楽しくなっちゃったのよ」


 仕立て屋を出て通りを歩きながらぼやくとリリーシュカが消え入るような声量で反論し、顔を反対側へ背けた。

 ドレス選びを楽しめたのなら今後の花嫁授業にもいい影響を及ぼしてくれるだろう。


 そういう意味では有意義な時間だった。


 今は昼食を取ろうという話になっていて、俺の案内で店に向かっている最中。

 必然と出来る間の話題は先ほどのドレス選びになりそうだ。


「仕立て終わるのは一週間後だったか。元からある既製品のサイズを整えるだけだからこの程度で済んでいる。一から作るとなると何倍もかかったはずだ」

「……改めて思ったけれど凄い手間がかかっているのね」

「職人技だからな。魔道具師がそういった工程を画一化して生産性を上げようとする試みもあるみたいだが、なかなか人の手には追いつけないらしい」


 なんといってもクリステラは魔水晶関連の産業で栄えてきた国。

 エネルギー資源でもある魔水晶を自国で産出可能なメリットを活かさない手はない。


 今すぐには無理でも何年何十年と技術を継承させれば技術革新の日が来るだろう。

 そうなれば職人が立場を追われる可能性があるものの、実際どうなるかは王の国政に委ねられている。


 流石にできたばかりの技術に頼って元からいた職人を追い出すようなことはないと信じたいが……王にならない俺にはどうすることも出来ない。


「いつか私たち魔術師も不要になるのかしら」

「どうだろうな。魔術は良くも悪くも生活に浸透している。日常的に魔道具を使っているし、魔術がある前提は今になって覆らない。それに――クリステラとヘクスブルフがやっていたように戦争でも使われる。人の命を奪うための道具として、な」


 極論、人を殺すのに道具を使う必要すらない。

 原初の武器は拳で、人間なんて殴れば死ぬ程度の脆弱な生き物。

 武器や魔術を戦争に使うのは効率的に敵を殺すためだ。


 だが、もし魔術よりも戦争に適した道具が現れたら躊躇いなく使うだろう。


 そんな国と争えば敗戦は必死。

 傍観していた国は協力関係を持ち掛けるか、危険因子と判断して他国と共謀して国を滅ぼそうと試みる。


 その後の戦争は新戦術を前提として始まり、乗り遅れた国は呑み込まれるのみ。

 国を守るためにはやむを得ないこととわかっていても心から進んで賛同は出来そうにない。


「魔術に罪はないわ。人間が悪用しているだけだもの」

「…………」

「急に黙らないでよ」

「いや、リリーシュカは本当に魔術が好きなんだと思ってな」

「……それしか縋れるものがなかっただけ。魔術が嫌いではないけれどね」


 静かに零した呟きはすぐに周囲の声で掻き消される。


 魔術しか縋れるものがなかった、か。

 その気持ちは少しだけわかる。


 俺が縋ったのは魔術よりも奇跡で、奇跡だと思っていたものが呪いだったわけだが。


「ウィルは魔術が嫌いなの?」

「好きでも嫌いでもない。目的を果たすための道具でしかないからな」

「考え方が冷たいのね」

「最優先事項は三食昼寝付きの自堕落生活を送ることだ。そこに魔術への感情が入り込む余地がない。無駄に疲れるだろう?」

「その割に魔術が大好きなティアとは一緒にいるのね」

「話が別……というか、レーティアから絡んでくるのにどうしろと?」


 俺がどれだけレーティアを拒絶しようと俺のことを気にかけ続けるだろう。

 それは俺がかけてしまった呪いだ。


「はあ……ダメね、私。ティアの名前を出したことは忘れてくれる?」

「婚約者の立場で疑問を持つのは当然だ。俺は気にしない」

「そうじゃなくて――」


 ため息をつくリリーシュカに返せば、今度は難しい顔をしながら目を伏せる。


 なにやら迷っている気配を滲ませたので更なる反応を待っていると、観念したようにちらりと俺を横目で見つつ、


「……嫉妬じゃないから。私にそんな感情を向ける資格なんてないのに」


 そう、重い声音で吐き出す。


 しかし、俺としてはだからなんだという話。


「嫉妬は神ですら逃れられなかった感情とも聞く。王子も市民も魔女も纏めて神より下等な人間なんだから仕方ないと割り切った方がいいと俺は常々考えている」


 淡々と珍しく真面目に語れば、リリーシュカは呆気にとられたようにぼーっと俺を見上げ、ふふっと堪えきれなかったのか緩い笑みが漏れる。


「なにそれ。励ましてるつもり?」

「誰の役に立つかもわからない自論だ。気休めにはなるだろう?」

「誰の役にも立たないなんてことはないわ。私は好きよ、そういう考え方」

「そりゃどうも」

「お礼を言うべきは私の方のはずなんだけれどね」

「どうでもいいさ」


 礼を望んだわけでもないのに感謝されるのは気が引ける。

 素っ気なく返したところで目的の店が目に入った。


「昼はそこの店のつもりだったが大丈夫か?」

「……ねえ、私の見間違いじゃなければあそこってクリステラ一のレストランと同じ名前なんだけれど」

「そうだが?」

「…………突然来て席が空いているものなの? 数日前に連絡とか、空いていてもドレスコードとかないの?」

「連絡は事前にしてある。ドレスコードは個室を予約してあるし、制服なら最低限は満たしていると思っていい」

「私、全く聞いてなかったのだけれど」

「余計に緊張させたら悪いと思ってな」


 リリーシュカはテーブルマナーを学んでいる真っ最中なのに、こんなレストランで食事となればどうなるかは目に見えている。

 俺としては気遣ったつもりなのだが、あまりお気に召さなかったらしい。


「次からはちゃんと伝えて。心臓に悪いから」

「善処する」

「…………」

「わかったわかった。約束するから怖い顔をしないでくれ」

「怖いなんて失礼ね」

「美人は怖い顔も似合うと聞くが本当らしい」

「……揶揄うのも禁止」


 むくれるリリーシュカは照れ隠しのつもりか繋いでいた手を強く握ってくる。

 だが悲しいかな、握力が弱すぎてこれっぽっちも効果がない。

 微笑ましさすら感じてしまう。


「私はてっきり紳士的にエスコートしてくれるものと思っていたのだけれど」

「じゅうぶん紳士的だろう。こうしている間もリリーシュカを狙う男たちに目を光らせているんだからな」

「それはそれ、これはこれよ」

「ひとまず店に入ろう」

「誤魔化し方が下手ね」


 ため息をつくリリーシュカを連れて店に入れば、待ち構えていたのか何人ものウェイターから出迎えられた。

 案内された個室は特に位の高い貴族しか使えない特別な部屋。

 どうやら今日は誰も使う予定がなかったらしい。


 頼んでいたのは旬の食材を用いたコース料理。

 これならテーブルマナーの確認もできると考えてのこと。


 俺はともかくリリーシュカの素性まで伝えていないが流石は一流レストランで、探るような気配はどこにもない。

 不躾な視線に晒されず食事が出来ることに感謝しつつ、提供される料理に二人で舌鼓を打つ。

 リリーシュカは初めこそ緊張していたが、練習の成果を実感しているのか合間合間で料理の感想を口にしていた。


「存外、様になってきたじゃないか」

「……そう?」

「もっと喜んでいいぞ。ここには俺しかいない」

「喜ぶより先に安堵がくるの」

「そういうものか」

「そういうものよ」


 しれっと答えるリリーシュカ。

 今日はやけに大人しいな。


「一応目的は達したわけだが、他に寄りたい店はあるか?」

「そうね……服を少し探してみてもいいかしら」

「服か」

「これまではある程度、身なりを整えていればよかったけれど……あなたが隣にいるのなら話は別。それを今日、身をもって知ったから」

「……元から止める気はない。いい店を案内しよう」

「付き合ってくれるの? 女の子の買い物は長いのよ」

「帰るまでがエスコートだ。俺のことは荷物持ちとでも思っていればいい」


 あと、リリーシュカを一人にするのが単純に心配だ。

 話がまとまったところで支払いを済ませて店を出て、俺が知っている女性服の店へ。


「階層によって置いてある服は違うが、ここなら一通り揃う。必要なものはとりあえず買えばいい。外出の機会は少ないからな。値段も高くないから俺の懐も気にしなくていいぞ」

「……最後の言葉、必要だった?」

「俺の手を借りずに買いたいものがあっても大丈夫だぞ、と伝えただけだが」

「…………ほんと、あなたって変なところで察しがいいわね」


 呆れ混じりの視線を向けられ、ため息までつかれる。


 リリーシュカは真面目だ。

 生真面目と言ってもいい。


 エスコートされるとわかっていても、どこかで俺に寄りかかっているんじゃないか――なんて思考をしていても不思議じゃない。

 今日の支払いは全て俺持ちだし、店のセッティングも相談なしにしてしまった。


「本当に気にしなくていい。もし仮にリリーシュカが俺になにかを返したいと思っているのなら……表面上だけでも楽しそうにしていてくれ。俺の行いが無駄じゃなかったとわかる」

「……具体的には?」

「わかりやすいのは笑顔だろうな」

「難しい注文ね」

「一般的には普通のことらしいぞ」


 楽しければ笑うのは普通だ。


 けれど、俺もリリーシュカも普通には程遠い。


「これも花嫁授業?」

「個人的な理由だ。王子としてクリステラを楽しんで欲しいと思っている。それが婚約者ならなおのこと。長い年月を過ごすことになる街を嫌いになったら人生楽しくないだろう?」

「……ウィルは私と長い年月を過ごすことになると思っているの?」

「さもないと俺が王にさせられるからな」


 王になるよりはリリーシュカと生涯を共にする可能性の方が高い。


「もちろん、どっちかが愛想を尽かして事実上の破局状態になるかもしれないが――遠い未来のことは預言者じゃないからわからん。国交を取り持つためにも婚約の形だけは残すのが一番あり得そうな話だが」

「私も国に迷惑はかけたくないから賛成ね。国に帰っても居場所はないから」

「大魔女の直系だろう?」

「関係ないわ、そんなこと」


 話をしつつ手ごろな服を数着とったリリーシュカが試着に向かい、手持ち無沙汰の俺は女性服売り場に一人残される。

 なんとなく、気まずい。

 疚しい事情が欠片もないのだから堂々としていればいいとわかっているが……なぜか他の客から生暖かい視線を向けられていた。


 その原因を考え――


「……学園生の制服デートとでも思われたか?」


 限りなく正答に近いであろう結論に思い当たる。

 そして同時に頭を抱えた。

 事実とほぼ同義でもあったからだ。


「先ほど試着室に入ったのは彼女さんでしょうか?」


 唸る俺へ店員さんが話しかけてくる。

 俺のことを学園に通う平民の生徒と考えているのだろう。

 貴族連中は見栄を張るためにもっと高級な店にしか行かないからな。


 まさか自国の王子とは思うまい。


 プライドばかり肥大化した王族貴族であれば「自分を知らないとは何事だ!」なんて急に怒り、不敬罪と称して彼女を罰するのかもしれないが、生憎と俺はやる気なし王子。

 王族と名乗ってもいないのに不満を示す気もなければ、王族だからというだけの理由で敬って欲しいとも思っていない。


「彼女……まあ、婚約者だから似たようなものだ」

「……ということは、もしかして貴族様でしたか? これはこれは失礼をいたしました」

「いや、いい。気にするな。それよりあいつが……リリーシュカが俺とそういう風に見えたのか?」

「わたくしからは初々しい恋人のように見えましたが、婚約者であれば納得です」


 俺たちの事情を何も知らない外部からの評価。

 表面上は上手くやれていることを喜ぶべきか。


「――どう、かしら」


 すると、リリーシュカが試着室の仕切りを開けて姿を見せた。


 着ているのは少し先の夏に備えてか白のワンピース。

 所々にフリルがあしらわれ、少女感と清楚さを同居させたそれは普段の冷たい印象を払拭するくらいにはリリーシュカに良く似合っていた。

 表情が心なしか明るく、ぎこちないながらも薄っすらと笑みを浮かべている。


 俺の言ったことを律儀に守ってくれるらしい。


 だが、リリーシュカが徐々に目じりを下げて、


「何か言ってよ。不安になるじゃない」

「普段のリリーシュカと違くて見蕩れていた――って言ったら信じてくれるか?」

「……まるで普段は可愛くない、みたいな言い草ね」

「深読みしないで人の厚意を素直に受け入れろ。誰も幸せにならない」


 とはいえ褒められて嫌な気はしないのか「今はそれで納得してあげるわ」と言い残し、またしても試着室の仕切りを閉めた。


 それから何度か似たようなやり取りを繰り返し、最終的に数着の服が入った袋を提げて店を出る。


「こんなに買ったのは初めてよ」

「その割に控えめだったな」

「……あれで控えめ?」

「あれくらいの価格なら貴族連中は棚の端から端までで買っていくぞ。そんなに使うはずがないのにな」


 実用よりも外聞を重視する性質は本当に厄介だ。


「私、他のお店は今日のところはいいわ。もう買い過ぎだもの」

「なら、今度は俺の買い物に付き合ってもらおう。仕立て屋で教えてもらったチョコレートという菓子なんだが、美味かったから部屋で食べる用に買っておきたい」

「……ウィルって甘い物が好きだったの?」

「まあな。色々忘れるには丁度いい。女性こそ甘味が好きと聞くが」

「好きと呼べるほどお菓子を食べたことがないわ」


 嫌いよりも悲しい返答だ。


「王子の婚約者なら見聞を広めておくに越したことはない。金で解決できることなら相談しろ。クソ親父も政略結婚のためだと説明すれば納得するはずだ」

「豪胆というか、なんというか……ウィルもちゃんと王子よね」

「政略結婚という責任を果たすために使えるものを活用して何が悪い?」


 俺はあくまで最善を尽くそうと努力しているだけ。

 ……俺より努力という言葉が似合わない男も珍しいとは思うが。


 なんにせよ仕立て屋で教えてもらったチョコレートの店に向かい、自分たちの分と花嫁授業に付き合ってもらっているレーティアにもお礼を兼ねて買っておく。

 店は凄い混んでいたし客層は市民も貴族も混合だったので、食に関する興味関心は強いんだろうなと実感する。


 店を出るころにはもう日が傾き始めていた。

 茜色の影に染まるクリステラは朝とは全く違う様相を醸していて、リリーシュカは景色に思わずといった風に見入っている。


 優しく吹いた風に髪が靡く。

 リリーシュカは手で髪を抑えながら目を細め、感嘆の息をついた。


「――やる気なし王子やら『氷の魔女』やらと呼ばれていても、街に出ればこんなものだ」

「……それを伝えるために今日一日を使ったの?」

「あくまで本題はドレスの仕立てだ。これはただの副産物。避けられない面倒なら効率を考えるべきだと思わないか?」

「詭弁ね。でも、そういうことにしておいてあげる」


 夕陽を背にし、口元を隠して上品に笑むリリーシュカ。


 それは『氷の魔女』なんて呼ばれる少女には似合わない、歳相応の表情に思えて。


 ――ねばつくような視線をどこからか感じた。


 急速に思考が冷える。

 気配と魔力の元を探るも隠密の心得があるのか発見することは出来ない。


 ……まあ、今は気にしなくてもいいか。

 相手に俺やリリーシュカを害する目的があったのなら既に手を出されているはずだ。


 それに直接的な被害がないのにこっちから手を出せば面倒なことになりかねない。

 警戒をするだけに留めておこう。


「さてと。そろそろ帰ろう。この時間の路面電車は混むから覚悟しておけよ」

「……ちゃんと守ってくれるのよね?」

「帰るまでがエスコートだからな」


 両手が袋で埋まってしまうのでリリーシュカにチョコレートを持ってもらい、余った手を繋いで歩調を合わせながら駅へ向かうのだった。


―――

不穏を見せつつもうちょっとラブコメ。


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