第18話 勝手に同情なんてしないで

「……魔動車なんて初めて乗ったわ」

「富裕層にしか普及していない上に魔動車を開発したのはクリステラの技術者だ。他国の人間からすれば珍しいものの一つだろうな」


 陽が沈んで薄明色に染まる時間。

 俺とリリーシュカは送迎の魔動車に乗って王城へ向かっている最中だった。


 魔動車はこの間乗った路面魔車を個人向けとして制作されている乗り物で、まだ上流階級の人間が個人的に運用する程度の段階に留まっている。

 小型の機体に車体を動かすための魔導機構を組み込まなければならないため、技術コストが高いことに比例して値段も上がっているのだ。


 がたんごとんと機構が奏でる音と揺れ。

 隣に座るリリーシュカの顔色は明るくない。


「やっぱり緊張してるか」

「…………当たり前でしょう? 初めての本番が王城でのダンスパーティーなんて見世物にされる気分よ」


 はあ、と深いため息が車内に響く。

 今日は待ちに待ったダンスパーティー当日。


 ドレスは王城の方に恙なく届いているとの知らせがあったし、リリーシュカの方も必死にダンスレッスンに取り組んだ。

 成果は……まあ、そこそこといったところか。


 付け焼刃にしては悪くなく、自信をもってお披露目するには足りない部分が目に付くくらいの出来栄え。

 しかし、ダンスレッスンを始めたばかりの頃を考えるとかなり進歩している。


 パーティーで踊ることになったのは仕方ない。

 俺は出来る限りのフォローをするだけだ。


 とはいえ、過度に緊張されるとパフォーマンスが下がってしまう。

 王城に着くまでにどうにか緊張を解せればいいのだが――


「参加者の方もそれなりだろうが、遠方の貴族は旅程の問題で不参加か学園に在籍している子息子女を参加させるはずだ」

「陰口とあらぬ噂が横行しそうで気が滅入るわね」

「言いたい奴には言わせておけ。余程の馬鹿じゃなければパーティー会場で主賓に不敬は働かないさ」


 なんて話している間に魔動車が止まった。

 車窓から外を覗けば王城へ繋がる門があり、確認を済ませたところで再び緩やかな速度で発進する。


 それから先、リリーシュカは黙り込んだまま魔動車は王城前へ辿り着く。

 運転手に開けられたドアから俺が先に降り、


「――お手を拝借しても?」


 演技っぽく口にしてリリーシュカに手を伸ばす。

 今の俺に求められるのはリリーシュカの婚約者の第七王子としての振舞いだ。


 面倒だが、それが一番面倒を避けられる。


「……ほんと、あなたって妙なところで真面目よね」

「そう見えるなら俺の役作りが完璧か、リリーシュカの目が節穴ってことになるな」

「前者であることを願うわ」


 呆れ混じりに笑ったリリーシュカは俺の手を取り魔動車を降りた。


 俺を見ても表情を崩さない衛兵と共に王城へ。

 途中すれ違った貴族と挨拶を交わしたが、表向きは友好的に接された。

 あるいは嫌われ者の王子だとしても学園で噂の『氷の魔女』と婚約することになった俺を憐れんでいたのかもしれない。


「こちらがリリーシュカ様の着付け室になります」

「……ありがとう。それじゃあ行ってくるわ」

「後で会おう」


 リリーシュカが着付け室に消えて、俺も別の部屋に通される。

 そこで礼服に着替え、髪やらなんやらを整えられ、リリーシュカが準備を終えるのを待っていると扉が控えめにノックされた。


「リリーシュカ様をお連れいたしました」


 侍女の声がして、扉が開く。

 すると、侍女に連れられてドレスアップしたリリーシュカがおずおずと入ってくる。


「…………ウィル。私、変じゃない……わよね?」


 ダンスレッスン中の何倍も自信なさげな調子で口にするリリーシュカは当然、仕立て屋で注文した通りのドレス姿だ。


 纏うのは夜空の色にも似ている紫黒色のワンピースドレス。

 控えめながら膨らみを主張する胸元には段状のフリルと、魔晶石を加工したと思しき蒼色のネックレス。

 スカートは前が膝下、後ろは足首まで隠れる長さで非対称なため脚の露出は少なめに抑えられている。

 足元も練習で履いていたのと同じ高さのヒールが飾っているのだが、やはり慣れが足りないのか歩きにくそうにしていた。

 いつもは背に流しているだけの銀髪も後頭部で一つに纏められていて、綺麗に見えるうなじが妙な色気を醸している。


 一通りリリーシュカの様子を上から下まで眺めたところで、


「……ねえ、ウィル。約束覚えてる?」

「約束? …………ああ、そうだったな。ドレスが似合ってたら正直にそう言え、だったか」


 ドレスの仕立てに出かけた日に言っていたことだ。


 リリーシュカの目は真剣そのもの。

 というか、縋るような雰囲気すらある。


「率直な感想としては正直、ドレスに着られている感はある」

「……そうね。本当に私には勿体ないくらいのドレスよ。こんないいものを着たのは生まれて初めてかも」

「だが、それを補って余りあるくらいには似合ってるぞ」


 あっさりと、俺は伝える。


 お世辞は一切抜きだ。

 リリーシュカの容姿は元から整っているのだから似合わない方がありえない。


「どうした? 似合ってるって言われたかったんじゃないのか?」

「それは――っ、……そうだけれど、本当に言ってくれると思っていなくて」

「こんなつまらない嘘はつかない。もっと自信を持て」

「……無理よ。ドレスの着付けをされている間も、終わってからもずっと緊張が解れないの」


 緊張、ねえ。


「リリーシュカはこういう場は初めてだったよな」

「そうね。……本当に幼少期の頃なら経験がなくもないけれど、ないものとして扱っておいた方がいいわ」

「なら確認だが、今日の主役は俺とリリーシュカだ。ダンスパーティーの目的は俺たちの婚約を周知させるため。参加者はクリステラ国内の貴族がほとんど。俺を嫌っている連中で、学園生徒ならリリーシュカのことも知っている」

「……嫌われ者の自覚を持て、ってこと?」

「部分的には、な。繰り返すようだが俺たちは嫌われ者だ。なのに王のご機嫌を取るために上辺だけの感情でわざわざ集まってるんだぞ? 緊張するなんて馬鹿らしい。美味い飯を食べてちょっと踊って王城観光を満喫するくらいの気軽さで良い」


 こんな一夜で人の見る目は変わらない。

 悪評はすぐに広まるが、善評は長い時間をかけて積み上げる必要がある。

 もちろん悪評を上塗りするのは論外ではあるものの、そんな考えならリリーシュカは懸命にダンスレッスンには取り組まなかったはずだ。


「――そうじゃぞ、リリーシュカ嬢。バカ息子の言う通り、緊張なんてせんでよい。人の努力を笑うような奴は器の小さいろくでなしと決まっておるからなぁ」


 瞬間、扉が開く音がして、聞き覚えのある声が同意を示しながら笑う。


 頬が引き攣る感覚を覚えながら声の方を向けば、こんな場所にいていいはずのないクソ親父――クリステラ国王、ゼフが薄く笑みを湛えて佇んでいた。


「……おい、クソ親父。パーティー会場はここじゃないぞ? 少し見ない間に耄碌したか?」

「それが父親へ吐く言葉か、バカ息子。せっかく緊張を解してやろうと合間を縫ってサプライズをしにきたというのに」

「頼んだ覚えはない。あと、クソ親父のせいでリリーシュカがビビってるんだが?」

「………………ビビッてないわよ。本当よ」

「ならせめて震えた声をどうにかしろ」


 はあ、と額を押させつつため息をつく俺の肩をリリーシュカが揺する。


「……この白髪でガキ丸出しの精神性を引きずったまま歳を重ねたジジイがクリステラの王、ゼフ・ヴァン・クリステラだ。信じたくはないが俺の父親でもある。信じたくはないが」

「育ての親に向かってなんと失礼極まる言い草。――改めてわしからも名乗らせてもらおう。わしがクリステラを治める王、ゼフじゃ。リリーシュカ嬢と顔を合わせたのはこれが初めてじゃな。一国の王以前に、バカ息子の婚約者に挨拶も出来ていなかったことを恥じるばかりじゃ。すまぬな」


 頭を下げるクソ親父にリリーシュカが狼狽える。


「そんな……っ、私こそ驚きが先行してしまいご挨拶が遅れました。リリーシュカ・ニームヘインと申します。この度はパーティーへ招待いただき誠に――」

「畏まらずともよい。バカ息子を押し付けた詫びとでも思え。なんといっても国内貴族からは相手にされなくなったろくでなし王子の婚約じゃからな。この機会を逃せないのはこちらの方。バカ息子が迷惑をかけておらぬか?」

「…………むしろ私の方が迷惑をかけているかと思います」

「別に気にしてないしお互い様だって話は何度もしたはずだが?」


 俺も婚約生活が円滑であることをアピールするために口を挟むと、クソ親父は驚いたかのように俺を見るなり声を上げて笑った。


「これは面白いものを見させてもらった。バカ息子に婚約生活なぞ早いと思っていたが……思いのほかうまくやっているらしい」

「生憎と面倒事から逃げるのは上手いんでな」

「……ウィルよ、そこまで王になりたくはないか?」


 ゼフの目が細められる。

 クソ親父ではなく、一国を統治する王としての目。


「何度聞かれても答えは変わらない。俺は将来、三食昼寝付きの堕落した生活を目指しているんだ。可能なら何もしたくないが、王子の立場がそれを許さない。だから最低限の義務を果たすため、望まない政略結婚を継続させようとしている」

「それは表面上の理由じゃろう? ウィル、お前の本心はそこじゃない。わしやルチルローゼの当主、その才女は知っておる」

「…………だったら猶更、わかるだろ」


 ああ、嫌だ。

 自分が逃げ続けているだけだと突き付けられているようで頭に血が上っていく。

 それが逆説的にクソ親父の論を認めている証拠になる。


「俺は何もするべきじゃない。王になるなんてもってのほか。政略結婚の相手に選ばれたリリーシュカには心底同情する。どうしようもなく堕落したやる気なし王子を押し付けられるんだからな」


 そうだ。

 俺は独りでいるべきなんだ。


 それが全員、幸せになれる選択で――


「馬鹿なことを言わないで」


 気迫のこもった鋭い声が思考を斬り捨てる。


 俺の手をほんのり冷たいなにか……リリーシュカの手が握っていて、青い瞳が真っすぐに射抜く。


「疑うことも、困ることも、嫌なこともなかったと言えば噓になるけれど……それ以上にあなたと婚約してからの生活を私は楽しいと思っているわ」

「…………」

「あなたがいなければ私は学園で独りのまま、毎日を消費するだけだった。けれど今は気軽に話せる友達がいて、目標があって、皮肉交じりに支えてくれるあなたがいる。勝手に同情なんてしないで」


 わからなかった。

 俺が抱いた感情も、リリーシュカがどうしてこんなことを俺に伝えているのかも。


 違う。

 俺が知ろうとしないだけだ。


 何年も前に諦めた行いが、ここにきて返ってきている。

 これが奇跡に縋った代償だと言うのなら――本当に、救えない。


「っ……こんなときに、」

「ウィルっ!?」


 酷い頭痛がして頭を抑えると、すぐにリリーシュカが心配そうに名前を呼んで身体を支えた。


「……倒れるほどじゃない。大丈夫だ」

「…………体調が悪いなら休んで。顔色、凄く悪いわ」

「いや、これは持病みたいなものだ。ちょっと休めば治る」


 痛みに耐えながら意識して思考からリリーシュカのことを遠ざける。

 疑わしい目つきで覗き込んでいたリリーシュカだったが、「……なら、ちゃんと休んで」と座るように促してきた。

 そういう顔も出来るんだな、なんて初めて見た一面を記憶に刻んで、腰を落ち着けてから息をつく。


「…………クソ親父、いつまでいる気だ」

「ちょっと挨拶をして立ち去るつもりじゃったよ」

「ならさっさと出て行け」

「そう怒るでない。先行きが不安じゃったが……この分なら心配せんでもよかろう。パーティーも期待して待っておるぞ」


 ではな、とクソ親父が部屋から去る。


 なにが「期待して待っておるぞ」だ。

 面白がってるだけだろうが。


 心の中で悪態をつきつつ、


「勝手に可哀想なんて決めつけて悪かったな。こんなやる気なし王子との婚約で楽しんでくれる物好きとは知らなかった」

「……私に自信ないって指摘する割に、あなたも自信がないのね」

「事実を客観的に判断したまでだ」

「そういうことにしておくわね」


 リリーシュカは今のやり取りを照れ隠しとでも判断したのか薄っすらと笑む。


 そうじゃないんだが、否定するほどそう取られる気がしたので放置し、パーティーが始まるまでしばしの休息を挟むことにした。


―――

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