第26話 呪われた力

 王城へ送られたときと同じように魔導車で学園に到着した頃には、日付が辛うじて回っていない時刻だった。

 深夜独特の静けさと、いつもより気持ち冷たく感じる夜風が吹き抜ける。


 だが、呑気に休んではいられない。


「真夜中に学園迷宮に潜るのは気が向かないが……今回ばかりは仕方ない。全力でやれば朝までには連れ帰れるだろ」


 楽観的な見積もりだとは思わない。


 学年でも底辺に近い成績の俺が何を言ってるのかと疑問に思われるかもしれないが、俺の能力を熟知しているのは俺だけ。


「そうと決まれば一旦部屋から武器を取って来て――」

「……あ、ウィルくんっ!! やっと帰ってきたっ!!」


 寮の前のベンチでこくこくと船を漕ぎながら座っていたレーティアが俺を見るなり目を見開き、立ち上がって駆け寄ってくる。


「レーティア? なんで寮の前にいるんだよ。普通は部屋で寝てる時間だぞ」

「リーシュ、まだ帰ってないんだよね。わたしも一緒に捜すから」

「場所は割れてる。学園迷宮らしい。だが、レーティアを連れてはいけない」

「どうしてっ!? 元はと言えばわたしがちゃんとウィルくんの部屋までリーシュを送っていけばよかったのに――」

「連れ去られたのにレーティアのせいなわけないだろ。意地悪で着いてくるなって言ってるんじゃない。俺が行くのはリリーシュカが婚約者だからだ。対してレーティアは言っちゃ悪いがただの友人。公爵令嬢という立場の人間が冒していいラインを越えている」


 これは最もな意見であり、レーティアの安全を保障するために必要なこと。

 それに……俺が本気を出した場合、レーティアでは着いてこられない。


 敏いレーティアは思考を読んだかのようにじっと俺を見つめながらも、悔しそうに口元を結んでいる。

 気持ちを落ち着けるためかゆっくりと呼吸を繰り返して穏やかな表情に戻り、


「……ウィルくんは優しすぎるよ。アレを使うくらいリーシュが大切なんだね」

「やる気がなくとも約束を違えるのは俺の信条に反する。それだけだ」

「それならわたしが言えることは一つだけ。――絶対、二人とも無事で帰ってくること。このままいなくなったりしたら許さないからね?」


 とん、と俺の胸にレーティアが凭れかかり、両腕が背に回され抱きしめられた。

 俺はそれを困りながらも突き放せず、ため息をつきながら頭を撫でてやる。


「わかってる。あと、こんなところを誰かに見られたら大惨事なんだが」

「こんな時間に誰もいないから大丈夫。もし見られても肩についていた埃を取ってあげていた――とか言って誤魔化すから」


 その言い訳は無理があるだろ。


 表立ってレーティアに盾突ける貴族は少なくても反抗の材料を与えるのは良くない。

 俺にはレーティアを庇えるほどの力も信用もないのだから。


 ひとしきりそうした後、レーティアは離れて笑みを浮かべた。


「ウィルくん、気を付けてね。本気なら心配ないと思うけど――」

「ああ。行ってくる」


 気負いなく告げて、いつぶりかの魔術を行使する。



「理を知る賢者は真実を見抜く。虚栄を正し、魔を導く仮初の手」



 魔力が熾る。

 左目の奥がじんわり熱を持ち――世界が七色に色付いたのと並行してリリーシュカを助けに行こうと思っていた気持ちが萎えていく。


 ああ、本当に……面倒だ。


 苛立ちを抑えるために唇を血が出るほど強く噛み締める。

 こうでもしないとリリーシュカから完全に興味を失ってしまう気がした。


「未知を求める心は果てへ。既知は須らく我が手の中に」


 どこからともなく聞こえた「そんな女なんてどうでもいいだろう?」という声をかき集めた意思の力で黙らせ、紡ぐ。


 俺にだけ許された神の御業を。



「『魔力改変イリミティブ・メノン』」



 瞬間、溢れた全能感と途方もない虚脱感に襲われる。

 何でも出来る気がするのに何もしたくない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 これこそが俺が子どもの頃に神から押し付けられた呪いであり、この世界を満たす魔力を統べる神代魔術プリミティブ


 矛盾を孕んだ感覚でおかしくなりそうな頭を軽く小突き、


「術式改変――『身心統一トランス』」


 普段なら使えない中級魔術を無詠唱かつ改良しての行使。


 一気に身体が羽根のように軽くなる。

 精神状態もマシになった。


 魔力消費も問題ない。

 使ったのは空気中に漂う誰のものでもない魔力がほとんど。


「――待ってろ、リリーシュカ」


 静かに息を吐き出し、万が一にも忘れてしまわないようにリリーシュカの顔を強く頭の中に思い浮かべながら学園迷宮へ向かった。





 正規のゲートから学園迷宮に入ったはいいものの、リリーシュカを連れ去ったと思われる奴らの痕跡は残っていない。

 奴らは目撃者を減らすために学園の敷地内にランダムで生成される非正規のゲートを使っているはず。


 色んな場所にあるそれを仲間内だけで共有し、秘密の抜け道として利用している。

 学園迷宮は治外法権……後ろめたいことを隠すには絶好の場所。


 だが、今の俺の目を欺くことは出来ない。


「術式改変――『追跡チェイス』」


 特定の対象を追跡する魔術『追跡』を改変し、リリーシュカだけに特化させて負荷を軽減することで俺にも使用可能な魔術になる。


 森の中で浮かび上がった淡い青色を帯びた線がゆらゆらと木々の間を縫い、奥へ奥へと続いていた。

 あとはこれを辿るだけ。


 なるべく直線距離で向かうため、風の力で空を駆ける魔術『風天駆』を行使。

 足元に風が渦巻いたのを確認してから跳び上がり、線に沿って空を駆け抜ける。


「……迷宮の空も綺麗なものだ」


 頭上に広がるのは星のない、蒼月だけが浮かぶ夜空。

 本来なら木々の枝葉が遮り目にすることのない景色。


 思えば俺が神代魔術に目覚めた日も似たような夜だったな。

 魔晶症で苦しんでいたレーティアをどうにかして助けられないかと考えたとき、思い出したのがノイから存在だけは教えられていた神代魔術プリミティブ


 しかし「あんなもの望んで手に入らんし、神代魔術プリミティブとは名ばかりの呪いじゃよ」と言っていたが、当時の俺が縋れるものはそれしかなかった。

 治療法が確立していないため魔術や薬による治癒も不可能な魔晶症を治すには、それこそ神の呪いが必要だった。


 俺は何日も何日も一心にいるかどうかもわからない神に願い続け――遂に手にした神代魔術『魔力改変イリミティブ・メノン』によりレーティアの魔晶症を改善することには成功した。

 俺は代償として好奇心を失い、やる気なし王子と呼ばれるまでになったが……後悔はしていない。


 ノイが呪いとも言っていた神代魔術に頼ることを選んだのは俺。

 しかも神代魔術プリミティブを授かるには才能も運も必須で、望みの薄い賭けではあった。


 それに勝ち、現代魔術プリスでは再現不能な力を使えるようになったのに、どうして文句が言えようか。


 ましてや有効活用しているのだから、俺は逆に神へ感謝しているくらいだ。


 そんなことを考えていると正面から翼を広げた大きな鳥――大鷲の群れが威嚇するようにがなり立てながら迫ってくる。


「邪魔だ」


 右手を翳し『魔力改変イリミティブ・メノン』で大鷲の魔力循環を乱してやると翼の挙動がおかしくなり、体勢を崩して一体残らず落ちていく。

 魔力を保有する生物は意識するまでもなく生命活動に関わっている

 それを乱せばこの通り、というわけだ。


 こんなことを出来る現代魔術は一部の治癒魔術を悪用したときくらいだろう。


 さらにそこから飛び続けること数十分。

 線の終点が見えて来たところで地上に降り、草木を掻きわけながら道なき道を突き進むと、


「……あの洞窟か。見張りまで立てて御苦労なことだ」


 線は洞窟の中へ続いていて、その入り口を守るかのように二人の生徒が立ち話をしている姿が目に映った。

 いや、見張りじゃなく俺にここがゴールだと伝えるためか?


 なにはともあれ……リリーシュカはそこにいる。


「草の音がしなかったか?」

「魔物でも出たのかもな」

「いや、第七王子かもしれないぜ」

「それこそ余裕だろ」


 なんて言いながら武器を構えてこちらの様子を窺いに来る。

 緊張感の欠片もない雰囲気なのは自分たちが一層の魔物にも俺にも後れを取ることはないと思い込んでいるからだろう。


 実際、俺は舐められるだけの能力しか見せていない。

 それが俺が培ってきた処世術だとは思いもしない。


 俺は姿勢を低くしながら茂みを飛び出す。

 なっ、と俺を見て息を呑む二人だが、反応が遅すぎる。

 強化された身体能力で叩きこまれた峰打ちが一撃で意識を刈り取った。


 それから少しばかり迷ったが、二人が魔物に襲われては寝覚めが悪いなと考え洞窟の入り口に座らせて、持ってきていた魔物除けのお香を焚いておく。

 これでもし魔物に襲われたら不幸だったと諦めよう。


「……頭痛が酷いな。力を使い過ぎたか」


 頭を抑えて顔を顰めながら呻くも、洞窟へ進む足は止めない。

 代償がなくても怪しかったやる気が足を止めたらどうなるかわからなかった。

 目の前まで来て「やっぱりやめた」とは流石にならないだろうと思っているが……生憎と俺は自分のやる気を信用していない。


 洞窟の通路は狭いが拠点として使っているためか整備はされていて、壁には灯りとして贅沢に魔道具のランタンが吊るされている。

 こうも高価なものを使っていられるのはフェルズが王子で権威行為としての側面もあるのだろう。

 俺としては松明を使う時に灯すだけでじゅうぶんだと思うのだが……やはり考えることがわからない。


 そんな時、俺の強化された聴覚が微かな声を捉えた。


「薄汚い侵略者がっ!!」

「惨めね『氷の魔女』」


 ……これ以上ない現状把握の材料をありがとう。


「リンチは好きじゃないんだがな。俺が語るのもどうかと思うが品性に欠けるし、報復が怖いと知らないのか?」


 戦争ではよく聞く話だが王国はこれを固く禁じている。

 理由は俺が言った通り戦争が終わった後も禍根を残すのと、周辺国家や国民からの非難を避けるためだ。


 その禁忌をフェルズは犯した。


 急がなければと足が早まる。

 偶然鉢合わせた男は出会い頭に気絶させて突き進む。


 途中、奥の方で膨大な魔力の気配を感じ取った。

 息が白くなるほどの冷気に眉根を寄せる。


「リリーシュカのものだな」


 相変わらずの規模を誇る魔術に感心しつつ、それが普通の魔術ではないことを俺の眼は見逃さない。


 リリーシュカが俺と同じだとしたらヘクスブルフを氷漬けにしたのは魔術の暴走ではなく、何もわからないまま手にしたばかりの神代魔術が正常に行使された結果。


「……やっぱり呪いだな、この力は」


 たった一度の行使で容易に人生を狂わせる。

 それでも生きていかなければならないのだから呪いと称するべきだろう。


 急がないとと足を速めると遂に突き当りまで辿り着くと扉には鍵がかけられていた。

 俺は身体強化に任せて扉を蹴破り、


「――面倒だ」


 腹から血を流して倒れるリリーシュカを目撃した。

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