第27話 忘れるくらいの理由だったのよ

「…………ウィル……ごめん、なさい」

「喋るな。傷が開く」


 途切れ途切れの声で俺に謝るリリーシュカにかけより、怪我を精査する。

 見たところ腹部の傷が一番の深手で、他は切り傷や打撲くらいの軽傷。

 魔力欠乏の症状もありそうだ。


 治癒魔術を素人が使うのはあまり良くないのが緊急事態だ、仕方ない。


「術式改変――恵みは天の贈り物『快癒の雫』」


 腹の傷の上に手を翳して魔術を行使。

 半透明の雫が傷へ滴り、貫通するほどだった傷がみるみるうちに塞がっていく。


 本来の『快癒の雫』ではここまでの効果を発揮できない。

 術式改変で治癒力を高め、リリーシュカの魔力と同調させて馴染みやすくしている。


「……お前、なんだその魔術は」

「ただの治癒魔術だ」

「そんなわけないだろうっ!? 『治癒の雫』がそんな治癒力のはずが――」


 フェルズは急に騒ぎ立てたかと思うと、はっと表情を固めながら「……まさか、神代魔術か」と絞り出すように呟いた。

 それにつられて治りたてのリリーシュカの視線も集まるが、驚きよりも納得感と安堵の方が強いように見えた。


 俺が直接答える義理はないだろう。


「……ウィル。どうして来たのよ」

「そりゃあ来るだろ。リリーシュカとの政略結婚がなくなると俺が困る」

「…………婚約破棄、してくれないのね」

「その答えを改めて聞きに来たんだが……ちょっと待ってろ。先にあいつを片付ける」


 抜いていた剣の切先をフェルズへ。


「第五王子フェルズ・ヴァン・クリステラ、お前の目的は俺を王位継承戦の前に排除すること……そうだな?」

「…………」

「沈黙は肯定と受け取ろう。まさかあの第五王子様が俺みたいなやる気なし王子を警戒していたとは本当に驚きだ」

「……不確定要素は早急に排除して当然。お前が政略結婚に伴ってヘクスブルフからの利益を総取りした場合、勢力図がどう転ぶか不明瞭になる」


 フェルズは苛立ちを滲ませながらも答える。

 プライドが高い分、こうして計画をぶち壊されている現状に耐えられないのだろう。


 取るに足らないと思い込んでいた俺が神代魔術の適格者だったのは大きな誤算。


 理由についても予想がついていただけに驚きはない。


「俺が王位継承戦に備えて派閥を作るとか……そんな面倒なこと誰がするか。学園と婚約生活で手一杯だ。生憎と手のかかる婚約者がいるんでな」

「……手がかかって悪かったわね」


 頬を膨れさせながら呟くリリーシュカに返事はしない。

 どうせ怒っていないとわかっているだろうし、いちいち口に出すのは面倒だ。


「俺としてはリリーシュカを連れ帰って今回のことを明るみにしてもいい。流石の第五王子でも同じ王子とその婚約者を暗殺しようとしたとなれば罪は免れない」

「……なぜ逃げられる前提で語っている? お前が悠長に話している間に、俺は次の手を打っているぞ――ッ!!」


 叫ぶとともに感じる発動寸前の魔術の気配。

 隠蔽構築の隠密性は五回生の首席として相応の腕を持っていることが窺え、無詠唱ともなれば魔術の難易度は格段に跳ね上がる。


 矢継ぎ早に放たれたのは『雷撃』の魔術。

 しかも狙いは俺ではなくリリーシュカだった。


 この至近距離では回避不能の必中魔術になるが……


「無駄だ」


 俺は呆れながら『雷撃』の魔術を『魔力改変』で霧散させる。


 フェルズの反撃に備えて魔力循環を常に確認していた俺からすれば不意打ちでもなんでもない。


「魔力が関わる行動は全て筒抜けだ」

「…………ッ!!」

「そのうえで、お前に一度だけチャンスをやろう」


 精神的な優位を取ったところで告げる。


「俺とお前、一対一の決闘だ。ルールはなんでもあり。決闘中にどちらかが命を落としたとしても一切不問。勝者は敗者の全てを得る。どうだ?」


 絶対的な戦力差を見せた後でもフェルズは乗るしかない。

 俺はフェルズの追撃をものともせずにリリーシュカを連れ帰れる確信があり、そうなればフェルズは自分がした行いが明るみとなり罰を受ける。

 王子、並びに他国の婚約者の暗殺未遂ならば軽くて放逐、重ければ死罪になっても不思議ではない。


 絶望と呼べる状況に俺が一本の細い糸を垂らしたとなれば……それが完全に自分を終わらせるための算段であるとしても縋るはず。


 煽るために「3、2、1――」と数えてやれば、フェルズは憤慨に表情を染めながらも「……決闘を受ける」と口にした。


「ならすぐに始めるぞ。リリーシュカ、立てるか?」

「ええ、なんとか……」


 ふらつくリリーシュカを支えながら立たせ、壁際の方へ寄ってもらう。


「ここなら俺も守れる。決闘の合図を頼んでいいか」

「…………本当に、するの?」

「ああ。ここで全部終わらせる。まさか俺が負けるとでも?」

「違う、けど……」


 歯切れ悪く言い、少しだけ迷うような素振りを見せてから手を握り、上目遣いの青い瞳が俺を射抜いた。


「あなたのそれが神代魔術プリミティブなら、何かを代償に捧げているのよね」

「そうだな」

「それは一体何? 私のためなんかに使っていいものなの?」


 リリーシュカが真剣な目で訴えてくる。


 ここで明かすのはどうかと思ったが影響があるのは俺だけだ。


「代償は好奇心の減退。だから俺は日常的にやる気がない」

「……そうだったのね。だから髪留めを探してきた日もあんなに怠そうに……」


 代償を明かしたことでリリーシュカは全てに納得したかのように頷いた。


 俺の代償は長期的に作用し、俺はやる気を失ったままの生活を余儀なくされる。

 以前使った時は呼吸も食事も睡眠も、おおよそ生きる上で最低限必要な日常動作ですら面倒になり、死の淵を彷徨ったこともあった。

 結果的に死ななかったのは事情を知る一部の人がずっと付きっ切りで看病してくれていたからだ。


 リリーシュカの髪留めを探すときも使ったが、あの短時間でも回復するのに数日を要している。


 だが……俺たちの平穏な将来のためならば支払っても構わない代償だとも考える。

 元からやる気のない俺からさらにやる気がなくなるだけ。

 休んでいればある程度までは回復する。


「リリーシュカの価値は自分で思っているほど低くない」

「…………っ」

「それに婚約者を守れないような男だと思われていたら、いつ婚約破棄されるか分かったものじゃないからな」


 どうしたら信じてもらえるだろうかと考えた俺の手は自然とリリーシュカの頭へ伸びていた。

 そっと頭に触れ、髪を梳くようにして撫でる。


 昔、レーティアをこうして宥めたことがあった。

 大泣きして大変だったな……なんて懐かしみつつ撫でていると、


「……本当に、ずるいわね」


 涙ぐんだ声が聞こえた。


「信じていいの? 愛を忘れた私のことを。あなたが私を愛してくれることを」

「俺たちは政略結婚で、愛は本来必要ない。建前と虚偽で成り立つ関係性。それでも愛を求めるのなら――まあ、善処するさ。最高の花嫁に育て上げるって約束したからな。愛のない花嫁じゃあ胸を張って最高だって言えないだろう?」


 こんなの約束の範疇を越えている。

 それでも口にしたのは俺なりの誠意で、誓いだった。


 だが、もう相手をしている暇はない。

 痺れを切らしたフェルズが凄い形相で俺を睨みながらレイピアを構えている。


「離れてろ。守りながらはやりにくい」


 肩をとんとんと軽く叩きながら告げてリリーシュカを背に隠す。

 本当ならもっと離れて欲しいところだが狭い空間ではそれも難しい。


「非公式の決闘だが名乗りくらいは上げておこう。――二回生、ウィル・ヴァン・クリステラ。手加減は不要……全力で来い。俺の全てで正々堂々叩き潰すことを約束しよう」

「…………五回生、フェルズ・ヴァン・クリステラ。生きて帰れると思うなッ!!」


 名乗りと共にフェルズは身体強化魔術『心身一体トランス』を行使。

 跳ね上がった身体能力を以って仕掛けてくるのは魔術を絡めた近接戦だった。


 俺に『魔力改変イリミティブ・メノン』がある限り魔術の打ち合いでは敵わないと考えたのだろう。

 それは正しいが……俺は普通の魔術よりも剣の方が得意だ。


 そして『魔力改変イリミティブ・メノン』により無駄をなくした『心身一体トランス』も継続中のため、身体能力には差がほとんどない。

 背格好も似ているからリーチも同程度。


 それを頭に入れながらフェルズの穿つような鋭い刺突を目視で躱し、勢いをそのままに懐へ潜り込む。

 しかし反応も早く、即座にバックステップで距離を取られて牽制の雷撃が間髪入れずに飛んでくる。


 狙いは足と腹、回避先を読んでか身体一つ分右。

 仕留めるよりは動きを制限するかのような魔術の使い方は流石と言わざるを得ない。

 本来なら左にステップを入れてこちらも牽制しつつ距離を詰めるところだが、俺には全ての魔力現象に対して優位に立てる『魔力改変イリミティブ・メノン』がある。


 俺は横薙ぎに振り払った剣で雷撃を受け止め、


「『雷鳴纏身』」


 電気信号により身体能力を向上させる魔術へ改変する。


 踏み込みの音が雷鳴の如く響く。

 床が罅割れ、洞窟の至る所から嫌な音が聞こえてくる。


 紫電一閃。

 雷速の一撃はフェルズの反応を越え、その喉元へ切っ先を届かせ――


「…………情けをかけるつもりか?」


 怒りを湛えたフェルズの声。

 俺の剣は喉笛を掻き切る寸前でピタリと止まっていた。


「降参しろ。血を分けた兄を殺すのは気が引ける」


 正面切っての降伏勧告。

 正気か? という視線がフェルズから向けられるものの、状況は正確に理解しているのか反抗する素振りは見られない。


「……俺を生かしておけば後々後悔するぞ」

「決闘の約束を破るほど不誠実な男だとは思っていない。仮にも王子だ。外聞は気にするだろう?」

「…………チッ。いい気になるなよ。お前が俺に勝てたのは神代魔術の力だ」

「それも含めて俺だ。魔術か剣術だけなら俺の完敗だっただろう」

「……慰めのつもりか?」

「いいや? 俺はこれでもあんたのことを認めている」

「――ふざけるなッ!!」


 急に俺は胸倉を掴まれる。

 刃が薄くフェルズの首を傷つけるも、まるで痛みを感じていないかのように激怒を露わにした。


お前たち・・・・にはわからないだろうなッ!! 『側室の子だから才能がなくて当然だ』と囁かれ続けた俺のことなどッ!!」

「……何の話だ?」

「――幼かった俺には他の王子王女と比べて才能がまるでなかった。勉学、剣術、魔術……どれを取っても誰かの下位互換。俺より年下のお前ですら軽々と飛び越えた」


 おもむろに話すフェルズだが、俺にはまるで心当たりがなかった。

 恐らく話の中の俺は神代魔術の適格者となるよりも前。

 魔術の楽しさを知り、ノイに教わっていた頃だろう。


「……俺に対して劣等感を抱いていたのか?」

「ああ、そうさ。事実、俺は誰よりも劣った王子だった。……お前がやる気をなくすまでは、な」

「優劣を気にしても仕方ないだろ。得意不得意は人それぞれだ」

「周囲へ優れた部分を見せねば誰も後を着いてこない。王の器というやつだ。俺にはそれが足りなかった。だから磨いた――お前たちを押しのけて、俺が王になるために」


 俺には全く理解できない話だが、抱える気持ちはわかる。

 嫉妬や憎悪から生み出された執着にも似た復讐心……それがフェルズの原動力だったのだろう。


「だが、蓋を開けてみれば俺はお前の足元にも及ばなかった。皮肉なものだろう? 俺は所詮、この程度の器だった。俺みたいな出来損ないについてきてくれた者たちすら導けない無能。誰よりも劣っていた王子は俺だ」

「だからどうした」

「……は?」

「お前は王になりたいんだろう? ならば自分を信じろ。お前を信じたこいつらを信じろ。一番簡単なことすら出来ない奴が王になれるわけがないだろう?」


 胸倉を掴んでいた手を振りほどく。

 抵抗なく離れたフェルズは理解できないと言わんばかりに眉を寄せている。


「剣に優れず、魔に愛されず、学を修めなかったとしても――王が全てを自分で賄う必要などどこにもない。必要なのは人を魅了し、統率する才。こいつになら命を預けても惜しくはないと思わせる姿こそが、王の器だと俺は思うがな」

「…………」

「お前を慕い、尊敬し、付き従う者たちがいたんじゃないのか?」


 その辺で気絶したままの生徒へ目を向ける。


 彼らにとってのフェルズは自らを導く旗印だ。

 それが迷っていれば、後をついていく彼らも路頭に迷う。

 ましてやそれが王位継承戦に備えた派閥であれば一蓮托生なのだから。


「……そう、か」


 ぽつりと、フェルズが零す。


「…………どうやら俺は今の今まで何も見えていなかったらしい。これで王になるなどと宣っていたのだから笑わずしてどうする」

「知るか。さっさと降伏宣言をしろ。言質を取らんと帰るに帰れん」

「そう、だったな。――俺の負けだ、ウィル。金輪際、お前たちに敵対しないことをここに誓おう」

「……ウィル・ヴァン・クリステラの名において、その誓いを聞き入れる」


 フェルズは清々しいまでに敗北を認め、俺もそれを受け入れる。


「録音の魔道具にも記録してある。誓いを破れると思うな」

「わかっている」

「ならいい」


 俺はもうフェルズへ残っていた興味を失い、背を向ける。

 すると壁際で決闘を見守っていたリリーシュカはよろよろと近づいてきて、そっと胸に凭れかかった。


「帰ろう。流石に疲れた」


 背を摩ると静かに「……そうね」と声があり、倒れそうな身体を二人で支え合いながらゲートへと戻る途中。


「そういえば、婚約破棄をした理由ってなんだったんだ? 手紙にも書かれてなかったが」


 思い出したかのように聞いてみると、リリーシュカはきょとんと目を丸くした後に手を口元に当てながらくすりと笑って、


「忘れたわ」

「はあ?」

「だから、忘れたの。忘れるくらいの理由だったのよ」


 木漏れ日のような月明かりが照らすリリーシュカの頬はほんのり赤く、どこか誇らしげに笑っていた。

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