第28話 Epilogue

「――なさい。起きなさい、ウィル」


 身体を揺すられる感覚で意識が浮上していく。

 名前を呼ばれていた気がして、面倒だと思いながらも無視すればさらに面倒なことになるとここ数日で理解していた俺はゆっくりと瞼を上げる。


「…………頬を突くのはやめてくれ、リリーシュカ」


 ぱっと白む視界。

 手を伸ばせば届く距離に垂れている白銀の髪を辿れば、なにやら俺の頬を指で突きながら楽しげに微笑んでいるリリーシュカの顔があった。


「いいじゃない。減るものでもないでしょう?」

「俺の精神が擦り減る」

「私は楽しいから問題ないわね」


 駄目だまるで話を聞く気がない。


「……どういう風の吹き回しだ?」

「どうって、代償で日常生活すら危ういあなたを放置できなかっただけよ」

「…………とりあえず頬を突くのをやめろ」

「ウィルの頬、意外と柔らかくて癖になっちゃったのよね」


 ――数日前、俺はフェルズとの決闘に勝利した。


 問題はその後。


 俺は『魔力改変』の代償により好奇心が減退し、日常生活すらままならない日々が始まった。

 下手をすれば不眠、脱水、餓死と命の危険にすら繋がる代償は健在で、今回も例外ではなかったのだが……ほぼ付きっ切りで介助していたのがリリーシュカだ。


 食事はもちろん着替え、睡眠、風呂、排泄に至るまでリリーシュカは手を尽くし、一時たりとも俺から目を離そうとしなかった。

 羞恥は感じていただろうし、それは俺も同じ。

 元より寮の職員に頼めばいいと思っていたが、それすらする気力がなかったために助かったのはその通り。


 ……まあ、それもあって妙に距離感が縮まっているのはどうかと思う。


「自分でなんとかするつもりだった」

「無理ね。あなたはいくらなんでも使いすぎよ。私も神代魔術の適格者なんだからわかるに決まっているでしょう?」

「……そういえば、リリーシュカの代償はなんだったんだ?」

「それを聞けるってことは代償の影響も和らいできてるのね」


 えらいえらい、と子どもでもあやすかのように頭を撫でてくるリリーシュカ。

 ……ほんと、どうなってるんだこれ。


 フェルズの一件以来、リリーシュカは人が変わったみたいに優しい……というか甘いし、笑顔を見せることが増えた。

 俺との会話も積極的で、直接的な接触も多い。


『氷の魔女』の名が嘘のようだ。


「いいわ、教えてあげる。私だけあなたの代償を知っているのは不公平だし、私もあなたに知っていて欲しいから。――私の神代魔術は『封界凍結』……概念的な凍結を発生させる神代魔術。代償は『愛されていた記憶の凍結』よ」

「……そうか」

「神代魔術を使うには先に代償を支払う必要がある。あの日、私は『封界凍結』を使った。使えたの・・・・。この意味がわかる?」

「…………リリーシュカは俺から愛されていたと認識していた?」


 何故? と思ってしまうが現状証拠から考えるにこれしかない。

 憶測でしかない思考を告げると、リリーシュカは静かに頷いた。


「実はウィルと過ごした記憶のほとんどが思い出せないの。でも、記憶がないってことは……私はウィルとの時間を楽しいと感じていたんだと思う」

「そうか」

「私は少しずつでもあなたへの想いを取り戻したい。言葉を交わして、触れ合って、同じ時間を共有する。この数日、大変だったけれど楽しかったわよ?」


 またしても微笑み、頬がそっと指で押される。


 とてもじゃないけれどこの流れでやめろとは言えない。


「私とウィルは政略結婚。愛なんて必要なくて、お互い迷惑をかけずにやっていければいいって思っていたけれど……あの件で考えが変わったわ」


 さあ起きて、とリリーシュカが俺の上半身を起こし――そのまま抱き締められた。

 突然のことながらぼやけたままの頭では碌な反応もできないし、引き剥がそうという気力すら湧いてこない。

 ここ数日は色々とされるがままだったから慣れたのか?


 ほんのり伝わってくる眠気を誘う温かさと、包み込むかのように柔らかな感覚。

 鼻先を掠めた銀髪の感触がこそばゆい。


「あなたが助けに来てくれて、泣きそうになるくらい嬉しかった。記憶を失ったことであなたに愛されていたことを自覚した。あなたは私を見ていてくれた」

「……婚約者だからな」

「理由なんてこの際なんでもいいの。私はあなたと一緒にいたい。愛を忘れた私が信じていたあなたを、私にも信じさせて欲しい」


 ……こういうとき、優しい奴は無言で抱きしめ返すんだろうな。

 それで「俺も信じるよ」なんて言葉を囁くんだ。


 でも、俺はやる気なし王子。

 期待されても重いだけで、信じられても応えられるだけの能力もやる気もない。

 こんな王子を押し付けられたリリーシュカには心から同情する。


 だとしても――これが愛されるということなのだとしたら。


「後悔しても知らないからな」

「後悔なんてしないわ。私が勝手にあなたを信じてついていくだけ。一番傍で支えられるようにね」

「……精々愛想を尽かされないようにするさ。婚約者がいなくなって困るのは俺だ」

「大丈夫よ。私はどこにもいなくなったりしない。こんな私を愛してくれる人なんて世界にあなただけなんだから」


 耳元で囁かれた直後、頬に柔らかく湿ったものが当てられる。


 それがなんなのか察せられないほど鈍感ではない。


 その上で「面倒だ」と思ってしまう俺は婚約生活には向いていないんだろうなと再認識しながらも、ぬるま湯のように安らぐ日々をどこか愛おしく感じているのだった。


―――

一旦これにて一区切りとなります。

最後まで読んでいただきありがとうございました!


続きはしばらく開くとは思いますが書くのでお待ちいただければ……!


まだ★を入れていないよ、という方は入れていただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。


20231101追記:GA文庫様より12月に刊行されることとなりました!


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