第2話 学園迷宮第一層

「ふあぁ……」


 あまりに退屈すぎて出てしまったあくびが静謐せいひつな森へ染みわたるように広がりかけて、後を追った二つの足音がそれを掻き消す。

 あちこちに生えている多種多様な樹木が頭上を葉で覆っていて空は見えず、陰った地上を歩く俺の頬を僅かに湿った冷たい風が撫でる。

 気持ちよく昼寝ができそうだな、なんて考えながらも前へ進む足は止めない。


 ここはクリステラ王立魔術学園の敷地内に存在する異界……学園迷宮の第一層。

 迷宮は世界各地に点在する異界のことだ。

 学園迷宮はクリステラ王立魔術学院の敷地内にあり、生徒の修練の場として活用されるほか、授業などで使う植物や鉱石、魔物の素材などの収集場所として広く利用されている。


 だが、迷宮には常に危険がつきまとう。

 場所によって地形や環境が異なり、魔力保有生物……つまりは魔物も生息している。

 学園迷宮なんて安全そうな名で呼ばれてはいるが、紛れもなく命のやり取りをする場だ。


 そんな学園迷宮で行われている実戦的な魔術の扱いを学ぶ実習授業中。

 実習はペアで行われるのだが、当然のように俺はあぶれた。


 やる気も能力もない俺と組んで自分から成績を落としたい人はいないだろう。

 それは理解できるし、あぶれたことに文句を言うつもりもない。


 ただ……相方についてはどうにかならなかっただろうか。


 どうしたものかと左隣を歩く人物へ視線を送る。


 透き通る青空に似た色合いの瞳に退屈そうな気配を滲ませながらも周囲へ視線を巡らせる、長い銀髪の女子生徒。

 名をリリーシュカという彼女は、俺と同じく推薦入学試験に合格してクリステラ王立魔術学園に通っている留学生だ。

 制服の胸元には紀章が二つ飾られていて、俺と同じ二回生であることを示していた。


 顔立ちは綺麗よりで同い年ながら大人びて見えるものの、ただ綺麗なだけでなく棘があると知っているため自分から近づきたいとは思わない。

 リリーシュカは規格外な魔術の使い方や冷たい態度、時折見せる理解できない行動から『氷の魔女』として畏れられている孤高の存在だ。

 しかも貴族からは成績の良さと家名がないことから敵視されていて、平民からは嫌いじゃないものの近寄りがたい……という評価で孤立している姿をよく見る。


 ちなみに俺は貴族からも平民からも邪険に扱われている。

 一応王子なんだが、全部俺が悪いということで納得はしていた。


 リリーシュカとペアを組んでいるのは彼女もペアを組めずにあぶれたから。

 要するに俺たちはあまりもの同士でペアを組まされたのだ。


「ねえ」

「なんだ」

「ジロジロ見ないで。あなたは人の形をしただけの、女と見れば見境なく襲うような理性が蒸発したケダモノなの?」


 嫌悪感を滲ませた表情。

 本当にそう思っていそうな声音でとんでもない言いがかりを口にする。


「……俺、そこまで言われるようなことをしたか?」

「犯罪者の目をしていたわ」


 一体どういう目だ。

 知人や親父曰く俺の目は死んだ魚のそれに似ているらしいが、犯罪者の目と言われたのは流石に初めてかもしれない。


「随分と真面目に実習を受けるんだなと思っていただけだ」

「……紛らわしいからこっちを見ないで。あと、もっと離れて」


 完全に害虫扱いじゃないか?

 無理に関わる気もないから言うとおりにするけどさ。


 リリーシュカと関わるのは実習授業中だけ。

 その内容もさほど難しいものじゃない。


 今回の目的は学園迷宮の各地に隠された札を人数分、つまりは二枚回収して帰還することだ。

 もちろん実習内容には迷宮に棲む魔物との戦闘も含まれている。

 武装も許されていて俺も腰に使い慣れた長剣をいているが、魔術師としては右手に握る杖を使うべきなのだろう。


 まあ、杖を使うような魔術師は半人前として馬鹿にされ『杖突き』などと揶揄やゆされるのだが、こと魔術が大して得意ではない俺にとっては欠かせない補助具だ。


 実習が始まってから数度魔物に襲われているが、二人で個別に動いて撃破している。

 あまりもの同士でペアを組まされるほど協調性がない俺たちに連携はない。

 一人でも対処できるレベルの魔物だったしな。


 今は二枚目の札を探して階層を探索しているところだ。

 札は第一層の各地に隠されていて、傍には一定間隔で魔力を放出する装置が設置してあるため、それを感知することで札を探す仕組みになっている。


 魔術師としてだけではなく、体力や知識などの総合的な能力も試される実習授業だ。


「札の反応だ。北東……この方角は確か――って、行く気か? そっちはヌシがいるんだぞ?」

「札を回収したらすぐ引けばいいだけよ」


 俺の制止を振り切って、リリーシュカは札が発する魔力の反応があった北東へ進路を変えた。

 だが、その先は無数に重なった枝葉が塞ぐ鬱蒼うっそうとした茂み。

 近くに通れそうな道はない。


「鬱陶しいわね」


 リリーシュカが呟き、魔力が渦巻く。

 修練のほどが窺える滑らかな循環。


 肌を刺すかのような冷気があたりに満ちる。


「……は? おい、ちょっと待――」

「『霜天』」


 制止の前に放たれるリリーシュカの声。

 進行方向にあった枝葉が全て凍てつき、リリーシュカが一歩踏み出す靴音と共に砕け散る。


 後に残されたのは凍った枝葉の欠片が散らばる道。

 そこをリリーシュカが何食わぬ顔で歩いていく。


「流石に人がいないのは確認してるんだよな……?」


 前科を踏まえると怪しくはある。

 リリーシュカは度々、場を考えない魔術を行使している。

 一歩間違えば他人を巻き添えにするような状況でも躊躇いなく魔術を放ったり、明らかに火力過多な魔術で一帯を氷漬けにしたり。


 今回は誰も被害を被っていないようだが、見ている側としてはひやひやする。


「しかも俺を待つ気はない、と」


 一人でずいずいと進むリリーシュカの背を追って俺も仕方なく凍てついた道を歩いていく。

 迷宮実習は二人一組、はぐれでもしたら評価に影響が出かねない。

 いくらやる気がなくとも落第だとか留年だとか、そういうのは勘弁願う。


 それに、いくらリリーシュカでもヌシと戦うなんて愚行は犯さないはずだ。


 すっかり硬くなった地面を踏みしめながら歩を進めていると次第にバシャバシャという水音が近付いてきて、木々の切れ目で視界が開けた先には膨大な量の水が空へ向かって・・・・・・流れ落ちる滝――第一層の名所『逆さ滝』に辿り着く。

 荘厳そうごんにして冷涼な空気の立ち込める『逆さ滝』は迷宮ならではの不可思議な光景だろう。


 空へ流れた水はどういうわけか虚空に消えるらしい。

 こればかりは迷宮の謎だから考えるだけ無駄だ。

 恐らく迷宮内は空間の連続性が乱れているんだろうという説が主流だが、真実を知る者はいない。


 それはともかく、『逆さ滝』は特に強い個体の魔物……俗にヌシと呼ばれる存在の縄張りだ。

 長居するのは危険。

 札だけを回収してすぐに立ち去りたい。


「肝心の札は――足音がする。九時方向、複数。近いぞ」


 端的に情報を伝えるとリリーシュカは立ち止まり、俺が言った通りの方角へ視線を向ける。

 がさごそと草木を掻きわけるような音が響いてきて、


「……お前ら逃げろッ!! 魔物に追われてて――」

「Gruuuuuuu‼‼」


 現れたのは俺たちと同じく実習中の学園生徒が二人と、それを追う狼の魔物ガルムの群れだった。

 彼らの制服は所々に爪で引き裂かれたような痕があり、一人は左腕を負傷したのかだらりと垂らすようにして走っている。

 そんな最中に出会った学園生徒だ、すがりたくなる気持ちもわかる。


 だが、彼らは俺たちを見るなりうげ、と顔を歪めていた。

 俺とリリーシュカに助けを求めるのは彼らのプライドが許さないのだろう。

 普段からやる気なし王子と見下している属性魔術を使えない『杖突き』の俺と、魔術に関する成績はトップクラスながら協調性に欠けることで有名なリリーシュカ。


 このメンツに助けを求めるのは俺でも嫌だ。

 とはいえ、この状況では逃げる時間もない。


「チッ……大いなる風よ集え『風刃』ッ!!」


 彼は苦し紛れにガルムへ第一階級の風魔術『風刃』を放つ。

 巻き起こった風が木枝を揺らし、不可視の刃がガルムの体毛を裂いて獣臭い血を飛沫しぶかせる。


 しかし、それだけでは群れの足は止まらない。


 無事なガルムが彼らへ跳びかかろうとして――真横から飛来した氷の槍が無防備な横っ腹を撃ち抜いた。

 第四階級の氷魔術『氷結槍』。

 二回生では困難な中級魔術のそれを行使したのは当然というべきか、俺の隣で右手を前にかざしながら目を細めるリリーシュカだ。


 ……隣にいたのに発動するまで気づけなかった。

 しかも無詠唱であの威力だ。

 よっぽど魔術を使い慣れていることが窺える。


「邪魔よ」


 機嫌悪そうに言い放つと、仲間がやられたことで足を止めていたガルムへ再び『氷結槍』を何十発も射出する。

 同時に展開された第三階級氷魔術『氷縛』がガルムの足を凍らせ身動きを封じていた。

 ただの的となったガルム目がけて放たれた『氷結槍』の射線上には逃げて来た二人がいるのだがリリーシュカはお構いなし。


 彼らの頬をかすめて飛翔した氷槍が速度と重量をもってしてガルムを穿うがち、沈黙。


「つまらないわね」


 退屈そうにリリーシュカが口にして、吹き抜けた風がガルムから溢れる血の臭いをさらっていく。

 助けられたはずの彼らも渋い顔でリリーシュカを見ていた。

 一歩間違えば自分たちも巻き添えを喰らっていた状況では素直に感謝する気にはなれないだろう。


 その相手が嫌われ者の俺とリリーシュカなら特に。

 俺は何もしてないけどな。


「無事か?」

「……『杖突き』に心配されるほどやわじゃない」

「ガルムの爪で裂かれたなら化膿かのうの危険もある。実習が終わったら医務室で処置を受けることをおすすめする」

「…………言われなくてもわかっている」


 これは余計なお世話だったか。

 真面目に学園で授業を受けていれば知っていることを俺からも念押しされれば気分も悪くなるだろう。


 これであとは札を回収して帰るだけ――そう思って札が隠されている川へ近づいた瞬間、空から何かが聞こえた気がして足が止まる。

 水が流れる音ではない。

 もっと重く響く、巨大な生き物の唸り声のような。


「なんだ、急に暗くなって――」


 応急処置をしていた一人が違和感を口にする。

 遅れて俺も晴れていたはずの見上げると、空を覆いつくすほど巨大ななにかが悠々ゆうゆうと漂っていた。


 陽光が照らしだしたのは偉容いような圧を放つ魚影。

 蛇のようにうねる極太の胴体に、空にたなびく長いひげ。

 ひれを揺らしながら少しずつ高度を下げる姿は強者の風格を匂わせる。


 ぎょろり、と黒々とした眼球が俺たち四人を睥睨へいげいする。

 えも言えない圧力に自然と震えが背を駆け抜けた。


『逆さ滝』一帯を縄張りとするヌシ、空竜魚。

 それが今、俺たちを認識した。

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