第14話 早く真人間になった方がいいんじゃない?
「……ねえ。どうしてティアまでここにいるのかしら?」
疑問を湛えた表情で口にしたのは花嫁授業の受講者、リリーシュカ。
昨日までは俺と二人で行われていたそれに、どうして直接関係ないはずのレーティアまでいるのかと問い詰めるような視線が向けられる。
「ウィルくんに頼まれたからかなあ。リーシュがちゃんとダンスを踊れるように教えてあげてって」
「同性だからわかることもあるだろう。それにレーティアはこういう貴族っぽいこと全般が得意だ。下手をしなくても俺より余程、な」
「でも……わたしはよくよく考えたら二人の時間にお邪魔してることになるの?」
「俺から頼んでおいて邪魔だって追い出したりしないから安心しろ。そんなことしたらすぐ拗ねるのが目に見えてる」
「拗ねないもん……っ!」
普段の公爵令嬢の見本として慕われる姿はどこへやら、レーティアは頬を膨らませて怒ったふりをする。
こういうところは子どもっぽいと思うのだが、レーティアがその面を見せるのは本当に親しい人の前でだけ。
それをリリーシュカの前でも見せるとは思わなかった。
「リリーシュカも事後承諾になって悪かった」
「……あなたが必要だと思ったのなら私に異論はないわ。この件に関しては私が口を挟めるほどの熟練度に達していないもの。でも、ティアは本当にいいの? 私の悲惨さに失望したりしない?」
「しないしない。わたしも昔はあんまり得意じゃなかったんだけど、いっぱい頑張って出来るようになったから――リーシュも出来るよ、絶対」
元気づけるようにレーティアが笑いかけると、不安そうにしていたリリーシュカも表情を綻ばせた。
「…………そんな顔で言われたら本当に出来る気がしてくるわね」
「気がするじゃなくて出来るようになるんだよ」
「ウィルくん、そんなにプレッシャーをかけないで。委縮しちゃったらどうするの」「リリーシュカがこの程度で緊張して力を出せなくなるような人間だとは思わないが、一理あるな」
余計な負荷を与えない方がいいのはその通り。
ただ、リリーシュカが王子の婚約者として必要なことを身につけなければ迷惑を被る立場上、気楽にいこうとは口が裂けても言えない。
そこをレーティアがそれとなくカバーしてくれるのは有難い配慮だった。
「リーシュもわたしに迷惑とか考えなくていいからね」
「じゃあ、代わりにありがとうと先に伝えておくわ」
「ふふっ、どういたしまして」
ひとしきりレーティアが笑って、静かに息をつき、
「……実はね、ウィルくんが婚約してリーシュと一緒に過ごしているのを見ていたとき、少しだけ疎外感を覚えていたの。だから今、二人の事情に巻き込んでもいいと思われていたことがわたしは嬉しい」
零した言葉が罪悪感と共に染みていく。
この状況はレーティアからすると複雑なのではないだろうか。
俺は現婚約者のリリーシュカと約束した花嫁授業に元婚約者のレーティアを付き合わせて力を借りようとしている。
レーティアとの婚約も政略的なものといえばそうだったが、多少なりとも好意を持っていない相手とこんな歳になるまで良好な関係を続けるとは思えない。
俺は目的のためにレーティアの想いを利用している。
そう考えていたために、レーティアが明かした思考を聞き届けた俺は口を挟むことができなかった。
「あっ! 誤解されないように伝えておくと、わたしはウィルくんとリーシュの婚約を心から祝福しているつもりだからね。元婚約者としては色々言いたいことがなくはないけど……折角ウィルくんが前に進もうとしているのを邪魔したくないから」
俺が前に進もうとしている、か。
自分の感覚では後ろから押され過ぎて立ち止まっていられなくなったの方が正しい気もするが、当事者だから言えることだ。
「……ウィル、こんなにいい子にこんなことを言わせるなんて正気を疑うわね。早く真人間になった方がいいんじゃない?」
「失敬な。俺は絶望的にやる気がないだけで悪事は働いていないつもりだぞ」
「まあまあこの辺にしておこうよ。リーシュはダンスの練習をするんでしょ?」
仲裁に入ったレーティアの言葉でここに集まった本来の目的を思い出した俺たちは雑談もそこそこに切り上げてダンスの練習へ移ることにした。
「ひとまずレーティアは現状を見てくれ。リリーシュカはリズムに合わせてステップの復習をしよう」
「…………人に見られていると緊張するわね」
「パーティーで踊るときは何十、何百人に観られることになるぞ。あの第七王子の婚約者って色眼鏡を通してな。というか学園で散々視線を浴びてるだろ。それと何が違うんだ?」
「……………………それもそうね」
考え込んだ末にリリーシュカは吹っ切れたように呟く。
なんだかんだでメンタル強いよな。
そうじゃなきゃ学園であんな扱いをされていたのに平然としていられないか。
恐らくダンスを見られるのが怖いのは単に自信がないからだ。
練習を積んで上手くなれば自然と自信もついて見られることにも慣れるはず。
呼吸を整えるリリーシュカを前にして、俺は手元のメトロノームを起動する。
カチ、カチ、カチ、カチと等間隔でリズムが刻まれ、リリーシュカは首を小さく動かしながらタイミングを見計らい――すっと長い脚が床へ伸びた。
リリーシュカは小声で「1、2、3……」とリズムを取りながら、この数日で何度も練習した基本のステップを披露する。
お世辞にも上手いとは呼べない初心者特有のぎこちなさを残した足取りだが蒼い瞳は真剣そのもので、一つ一つを今出来る最大限でこなそうという意識が垣間見えた。
僅かに遅れていた練習用シューズの踵が鳴らす音がメトロノームのリズムへ徐々に追いつき、とうとう完全に重なりステップが継続する。
黙々と踊り続けるリリーシュカを俺とレーティアが見守り、区切りのいいところでメトロノームを停止させた。
「…………どう、かしら」
どこか恥ずかしそうに視線を下げて頬を赤くしながら聞いてきたリリーシュカへ、俺とレーティアは示し合わせることなく二人して拍手を返した。
「いつの間に練習したんだ?」
「あなたよりも早く朝起きて、空き部屋で練習していたの」
「……変な癖がついたら直すのは大変なんだぞ」
やっぱり自主練習をしていたか。
しかも部屋で? 気づかない俺も俺だな。
リリーシュカがなんだかんだで真面目なのはわかっていたが、ここまでとは思わなかった。
だが、呆れ気味に伝えた俺の頬をレーティアの人差し指が押し込む。
「ウィルくん、まずは頑張ったことを褒めないと」
「指はやめろ指は。……あー、その、なんだ。…………頑張ったな」
「……………………」
「……俺に褒められるのがそんなに不服か?」
「違うわよ。なんだか褒められるのは変な感じがして……胸の奥がムズムズするの。こういうのには慣れてないから」
歯切れの悪い言葉ながらもリリーシュカは嫌そうな顔はしておらず、僅かに頬を緩めながら百面相を披露していた。
こういうところは年相応の少女らしい反応って感じがするが、やはりリリーシュカの在り方はどこか歪さを感じてしまう。
人格形成に必要な経験が明らかに足りていない。
特に正の経験。
この短い付き合いの中でリリーシュカには過去に成果を褒められ、認められなかったためか、自己肯定感が欠けているように窺えた。
それを与えられるのは周りの人間で、一歩一歩改善していくしかない。
急に自信満々になれと言われても無理なものは無理だ。
これからは些細なことでも褒めよう。
気を良くして花嫁授業に熱が入れば俺としてもありがたい。
「リーシュは頑張ったんだよね。さっきのステップを見ていて昔の自分を思い出しちゃった」
「昔のティア?」
「わたしもダンスが苦手……というか、身体を動かすこと全般が苦手だったの。ステップを踏むのもやっとだった。でも、一緒に踊りたいって思える人がいたから、わたしは出来るようになるまで練習した。リーシュは踊りたいと思える人はいる?」
「……あまり想像できないわね。現状ならウィルと踊ることになるとは思うけれど」
ちらり、と俺を見るリリーシュカ。
いつも通りの冷たい視線に思えるが、それだけではないものを感じる。
「俺とは踊りたくないってことか?」
「私が今のままならそうね。一方的に恥をかかせることになるもの。ウィルは王子で、やる気がなくとも王子として必要な知識や経験、技術は身に着けている。本当に出来損ないの私とは違うのよ」
「そんなの速いか遅いかだけの違いだ。現に成果は出ている。……焦る気持ちはわからないでもないが、少しは自分を信頼しろ」
「……なら、あなたが私を見ていて」
「言われなくてもそうするさ」
何事もなければリリーシュカは今後の人生で一番近くにいる人間だ。
自然と時間を共にすることが多くなる。
「へえ……意外と二人は良い感じなんだね」
そういう意味合いで口にしたのに、レーティアが含み笑いを浮かべながら俺とリリーシュカを交互に眺める。
自分はもう関係ないからって完全に外野気分だな?
「婚約が決まって高々一週間ちょっとでいい感じもなにもあるか。俺は俺のメリットのためにリリーシュカに協力してるだけだ」
「それでもウィルくんにしては珍しいよね。ここまで入れ込むほどの関係になった人ってわたしと学園長さんと……他にいない気がするんだけど?」
「ウィルの交友関係ってそんなに狭いのね」
「お前が言うなお前が。まともに話せる相手なんて俺かレーティアしか――いや、やめよう。この言い争いは不毛すぎる」
話をそこで切り上げ、さてと手を叩く。
「――それよりもリリーシュカの練習だ。レーティアから見てどこから手を付けたらいいと思う?」
「うーん……色々練習したいことはあるけど、まずは一通り踊れるようになってみるのがいいんじゃないかな。一応の終わりを実感できるし、たどたどしくても踊れるようになれば楽しくなると思う」
「らしいが、どうする?」
「是非はないわ。頼んでいるのは私だもの。教えてもらえるのならありがたくご教授願ってもいいかしら?」
「任せてっ! わたしがリーシュを育てるから……っ!」
変なスイッチが入ってしまったらしいレーティアは満面の笑みを浮かべながらリリーシュカの肩を両手で軽く掴む。
こうなったレーティアは俺でも簡単には止められない。
一度決めたら梃子でも通すのがレーティア・ルチルローゼという人間だ。
まあ、それくらいの荒療治が丁度いいのかもしれないが。
「まずは最後までの流れを身体に叩きこむよ! わたしが手取り足取り教えてあげるからね……?」
「ええっと……お手柔らかにお願いね?」
俺に助けを求めるのも言い出した手前で申し訳ないと思ったらしいリリーシュカは恐る恐る返事をしたところで練習が始まり、俺はそれを眺めながら逐一気になった箇所へ口を挟むのだった。
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