1-2 宝物
「それで、今日はどこの掃除ですか?」
日本人としては色素の薄い、グレーの髪をふわりとなびかせ、環は嬉しそうに振り向いてくる。
「すごい!よく掃除だって分かったね?」
分かるも何もない。守がエドガーで働き始めて一年余り、そのほとんどを清掃業しかしていないのだから。
そもそも探偵事務所とは名ばかりで、常に
「書斎の本を一緒に片付けて欲しいんだ。僕は午後からコンサルの仕事でいなくなるけど、それまでにチャチャっと終わらせよう!」
そう言われて案内された書斎は、昨夜の台風がこの部屋にも通過したのではないかと思うほど、荒れていた。
「……これを、ちゃちゃっと?」
「うん、チャチャっと!よーし頑張ろう〜!あ、見て見てこの図鑑!」
頑張るの言葉はどこへやら。
彼は山積みにされていた本の中から、お目当てのものを引っ張り出す。それにより、他の本がバラバラと崩れてゆくのには気にも留めず、彼は嬉々として本を掲げてくる。これが世に言う『片付けの時に本を見てしまうあるある』というやつだ。良い子はマネしないように。
「あーもう、さっそく逸れないでくださいよ」
とか何とか言いつつも、彼が示した『宝石全集』という本のタイトルに、守は内心、興味を惹かれている。だがそれを悟られぬよう、平常運転を試みるが…
「ほうほう、なるほど」
「……ちょっとー」
「宝石は奥が深いなー」
「……ちゃんと片付けて…」
「これ100億も価値があるんだね?」
「どれですか?」
すぐに勝敗はついた。
我慢の姿勢は見せたものの、結局は誘惑に勝てなかった。守は宝石に限らず、化石や隕石など、石の類が昔から好きなのだ。だからこれは不可抗力である。
そんな言い訳をしながら、守は環の持つ大きな図鑑を覗き込んだ。
「…小さい頃、綺麗な色とか、珍しい形の石を集めるの好きだったんですよ。それでよく、墓地の石を拾ってきて怒られてました」
図鑑に並ぶ美しい石を見ていると、幼少期の懐かしい記憶が呼び起こされる。ここに載っている宝石には到底及ばないが、当時の自分にとってあの石たちは、紛れもない宝物だった。
「あはは、守くんはお寺の息子さんだもんね。確かにお墓の
「そうなんですよ。色も綺麗でツヤツヤしてるし、形も丸くて。集めるだけじゃなくて、その石で五目並べやったり、棒倒ししたりして遊んでましたよ。あと、銀色のマジックで石塗りつぶして、『隕石があったぞー!』とかやったり。
…友達も姉ちゃんも、みんな微妙な顔して、一緒にやってくれなかったですけどね?」
「それは仕方ないよ。ある意味スリリングな場所を遊び場に選んでしまった、
「ですよねー」
どれも楽しい遊びなのだが、環の言う通り、場所が場所なだけにみんなによく断られていた。そもそも御国家は山の上にあるから、遊びの場所に指名されること自体が少なかったのだけれど。
そんな場所で一人、黙々と遊ぶ守の姿でも想像したのか、環は眉尻を下げてクスクスと笑っている。
「ま、今なら俺も、さすがにやらないですよ?普通に考えて、お墓で遊ぶなんて罰当たりな感じするし。でも当時はなんでか、やたら楽しかったんですよね?何回怒られてもやめないくらい」
「あはは、子供の好奇心には本当に恐れ入るよね。ご両親の苦労が目に浮かぶよ。まぁ僕も、あまり人のこと言えないけどね」
そう言って笑う環に、守も笑って同意する。
ついでに、環の幼少期はどうだったのかと尋ねると、自分も相当なクソガキだったのだと、彼は爽やかに言ってのけた。
「ほんと何回やっても、幼少期って独特の反抗心があるんだよね。怒られるって分かっているのに同じことやらかしてさ。それで大人になる度に、あーまたやっちゃったなって思う、その繰り返しだね」
「へぇー?なんか環さんて、頭がいい分、いたずらもタチ悪そうですもんね。何が一番怒られました?」
「んー?そうだなー」
すると彼は、顎に手を当て、何を言おうかと吟味する素振りをみせる。やがて守の顔を覗き込むと、ニヤリと笑いこう言った。
「教えなーい!」
「…はぁ?」
その悪戯な表情を見るに、はなから教える気などなかったのだろう。上げて下げるタイプだ、腹立たしい。
「うわー、今もクソガキ健在ですよ!ガキじゃないのでもはやクソです!環さんてほんと、そーゆうところですよ?自覚してください!?」
「僕、よく分かんなーい」
憎らしいほどの美しいご尊顔で笑う環。そんな彼のクソガキ時代は、さぞかしキラッキラの美少年だったのだろう。お墓の側で暮らし、お墓と共に育ち、お墓関連ばかりで怒られていた自分の幼少期とは、種類が違いすぎて、もはや失笑ものである。
というか、お墓関連で怒られるって何だ…
「……お墓」
するとこの時、守はふと思った。
もしかしたら自分の運の無さは、幼少期の罰当たりな行動が原因なのではないだろうか、と。そのツケが今になって回ってきているのだとしたら…?
「いやいやいや!」
そんな不穏な事実には気付かないフリをしようと、守は環から図鑑を奪い取り、大好きな石に集中した。
パラパラとページをめくっていくと、やがて一つの宝石が目に留まる。
「あ、この宝石、環さんの目の色にそっくり!」
それは『タンザナイト』という青紫色の宝石だった。
「夕暮れのように青から紫まで変化する多色性のある石。宝石言葉は誇り高き人、知性、神秘、高貴…、うん。マジでそっくり」
見る場所によって青や紫に見える彼の瞳は、この宝石でできているのかと思うほどそっくりだ。花言葉のように、宝石言葉というものがあるのだとは初めて知ったが、その言葉までが当てはまっているように思う。
「ふーん?タンザナイトねぇ…」
そう言って本を覗き込む彼の瞳は、まるで鏡を見ているようだ。だが当の本人は、何か思うところがあったのか、その表情に若干の
「人から見ると、僕の目ってこんな感じなのか」
しかし、どうやらそれは勘違いだったようだ。環はいつもの穏やかな声音で、ニコニコとそう呟いた。
「そっくりって言うか、そのまんまって感じですね!他にも紫っぽい石はいっぱいあるけど、この中だったら絶対これ。いや、もっと他の種類があってもこれな気がします!」
守は大発見だとばかりに、彼の瞳と本を見比べ、うんうんと得意気に頷いた。
「それにしても、宝石ってこんなにいろんな種類あるんですね。青だったらサファイア、赤はルビーくらいしか知らなかったです…って、え?マジか!水晶って普通の山で採れたりするんだ?」
更に読み進んでいると、水晶のページが目に留まる。そこには小さな水晶ならば、鉱山でなくとも普通の山でも発見できる、と記されていたのだ。
「どっかに埋まってたりしないかな?」
そんな守の
「宝石は無理かもしれないけれど、お
「え?」
環の言葉に首を傾げると、彼は守においでと促し、普段はあまり使われていない裏戸を開けた。というより、守はこの扉が開くところを、この日初めて目の当たりにした。
「ここを通ってすぐ、あそこ、見えるかな?そこに古い
「え、凄い!お宝じゃないですか!」
そんなまさかの情報に興味津々の守を見て、環は再び笑みをこぼす。
「書斎の片付けが終わったら行ってみるといいよ。という事で僕はもう出るから、好きに散策しておいで?」
「やった、ありがとうございます!…とはならないですよ!?片付け丸投げする気じゃないですか!」
「バレた?でも本当に、そろそろ時間なんだよ。お願い守くん!」
「ダメです」
「御国様!」
「イヤです」
「御国守くん!」
「はい喜んで!」
反射的に軽快な返事をした守に、環はしてやったりと微笑む。
今、何が起きたのかというと、端的に言えばこうだ。
守はフルネームに弱い。
普段は『守』というその名の通り、自身の平穏を守るため、保守的な性格の守。だが
御国という姓に、守という名。
この名を命名された時点で、守の運命は決まっていた。逆にいえば、『守』という名でなければ、こんな特性は持ち合わせていなかっただろう。
故に守は、名前というものの大切さを痛感していた。
いずれもし、自分が誰かに名前をつける機会があれば、それはそれは慎重に考えよう。
そう、決意している。
…と、こんな守の特性を上手く利用した環は、ご機嫌な様子で守の肩にポンと手を置く。
「うん。それじゃあ僕は仕事に行くから、あとはよろしくね!」
「へいへーい」
結果、渋々ながら同意する守に、環は再びニコリと笑うと、そのまま部屋を後にした。
「さーてと、ちゃちゃっとやりますか!」
こうして守はモチベーション高く、荒れ放題な書斎をマッハで片付けるのだった。
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