第1怪 百鬼夜行、再び!?

1-1 日常


 その日、校舎を出た御国みくにまもるは、不穏な風に吹かれていた。


「うわ、風やばっ…」

 今日で前期の講義は全て終わり、明日からは夏期休暇を迎える。

 夏といえば、海にお祭、プールに花火。青春を謳歌おうかするにはもってこいのイベントが盛りだくさんだ。その上、大学の夏休みはとても長い。まるまる二ヶ月程はあるのだから、それらを片っ端から制覇する事も十分に可能である。

 そんな夏の予定に思いを馳せて、本来ならばスキップでもして帰るところなのだが、この日の風はとにかく強かった。どれくらい強いのかといえば、イケメンスポーツ選手と結婚した奥さんへの、世間からの注目度くらい強い。その上残念なことに、守には浮き足立つほどの夏の予定など、そもそも存在しないのだ。

 顔に容赦なく吹き付けてくる風によって、おでこ全開のオールバックになることに妙な既視感を覚えつつ、守は相棒の自転車に跨り家路を急いだ。



「ただいまー」

 家の中から返事は無い。一人暮らしなのだから当然だ。

 守は帰宅早々、背負っていたリュックをリビングへとすべらせる。その流れで、玄関を上がってすぐのキッチンで手を洗い、ついでにお湯を沸かそうとケトルに水を入れる。少量のメモリまで入ったのを確認すると、台にセットしてスイッチを入れた。

 すると次第にゴォーと頑張り始めるケトルの音。それに重なるようにガタガタと窓を揺らす風の音が、結成3日目のバンド演奏のように聞こえてくる。

 何だろう…。このヘタウマな感じが、絶妙に心をくすぐってくる。思わず応援してしまいそうだ。

 そんなセッションを背景にテレビをつけると、ちょうど天気のコーナーがやっていた。陽射しに弱く、いつも眩しそうに目を細めている。で、お馴染みのお天気お姉さんが、この日は突風のせいで目を細めている。そんな彼女の解説よると、今夜から明け方にかけて台風が通過するらしい。

「台風か」

 成る程、ならばこの風の強さも納得である。

 そんな吹き荒れる風を窓越しに見ていると、カチッという音を合図に、ケトルが演奏を止めてバンドを脱退。これにより、もともとメンバーが二人しかいなかったこのバンドは、自動的に解散となった。解散の理由はきっとあれだ。『温度差による方向性の相違』とか、そんなところだろう。

 守は沸いたお湯でお気に入りのココアの粉を溶くと、牛乳を注ぎ、仕上げとばかりに冷凍庫から取り出した氷をバキバキと投入する。適当にかき混ぜたそれを一口飲み込むと、冷たい液体が喉から食道を通過していくのが分かった。

 美味しい。

 落ち着く。

 これぞ至福の瞬間だ。

 これ以上に至福の瞬間など、この世に存在するだろうか?…まあ少し考えれば、普通にいくつも存在するけれど。

 守はローソファーに身を預け、ささやかな幸せを味わう。

「マジで今日バイト休みでよかったー…」

 視線の先には、だんだんと荒れてゆく外の景色。今にも雨が降り出しそうだ。こんな天候の中、早々に帰宅できた自分は人生の勝ち組であり、強運の持ち主である。

 そんな自身を称賛しながら、守は本格的にゴロゴロとくつろぎ始めた。

 その時だった。

 未だ乱雑に放置されているリュックの中で、携帯がブルブルと震え、軽快な着信音を流し始める。

「……」

 嫌な予感がした。

 守はリュックを手繰り寄せると、その中から目当ての物を取り出す。そして渋々と画面を確認した。

 そこに表示された名前を見て、予感的中とばかりに守は顔をしかめた。

「げ、たまきさんじゃん…」

 前言撤回。

 男に二言はないと言うが、ある時はある。男だって人間だもの。

 自分は決して、強運の持ち主などではない。というより、むしろ悪い。日頃の行いは良い方だと自負しているだけに、なんとも理不尽な現実である。

「こんな日に仕事とか鬼かよ…」

 守はボソッと悪態を吐きつつ、『環さん』こと、バイト先の社長からの電話をとった。

「…もしもし」

「やぁ守くんお疲れ様!今どこにいる?室内みたいだけど、まだ大学かな?」

 途端に、爽やかな耳当たりの良い声が脳へと伝わってくる。それは穏やかなバイオリンのメロディのような、華やかで気品のある声だ。それでいてどこか懐かしい、人を安心させる温もりもある。

 だがそれらとは裏腹に、この声には常日頃、様々な要求を押し付けられているのだった。

 だから決して騙されてはいけない。今日はこの悪天候の中、一体どこに駆り出されるのだろうか。

 そう思うと、守は半ばやけくそに言葉をつむぐ。

「いえ、もう家にいますけど…」

「そっかそっか!なら良かった、安心だね!戸締りはしっかりするんだよ?」

「……え?」

 守は自然と首を傾げる。

 これは一体、何の電話だろうか?仕事の依頼ではなかったのか?

 そんな頭に浮かんだ疑問を率直に尋ねると、通話口からは大きな溜め息が聞こえてくる。それに続いて、どこかいじけたような声が返ってきた。

「こんな台風が来るぞーって時に、大事なバイトくんを呼び出したりしないよ!鬼じゃないんだから!今回のは結構強いみたいだから、気を付けなさいよって言う連絡。君いつも、キッチンの小窓、開けたままにしてるでしょう?」

「……あ…」

「ほらやっぱり!とにかく、何か困ったことがあったらいつでも頼ってくれていいからね?」

「………」

 唖然とした。思ってもみない内容だったからだ。

 守は言われた通り、いそいそとキッチンの小窓を閉める。そして守は心の中で、環に深々と頭を下げて合掌する。

 ごめんなさい、先程あなたの名前を見て、顔をしかめてしまったわたくしめを、どうかお許しください。

「まさか環さんに、こんな常識があったなんて驚きですね!(ありがとうございます、気を付けますね!)」

「おーい守くん!思ってることと言ってること逆になってない!?」


 そんな鬼畜改め、心優しい彼の名はあずま たまき。守のバイト先である、探偵事務所『エドガー』の社長である。まあ社長と言っても、エドガーには守と環の2人しか在籍していないのだけれど。

 彼はとても変わった経歴の持ち主で、かつては江戸川えどはわ乱歩らんぽに憧れて、ミステリー作家を目指していた。そして見事にデビューを果たし、ヒット作『妖怪二十面相ようかいにじゅうめんそう』を世に送り出した張本人である。

 だがそこで作家という職業に終止符を打ち、その後は画家やカウンセラー、舞台役者にマジシャンと、あらゆる業界で爪痕を残しては転職を繰り返した。やがて初心に戻り、ミステリー繋がりの探偵に落ち着いたのだという。事務所のエドガーという名前も、江戸川乱歩のペンネームの由来である、エドガー・アラン・ポーから拝借したのだとか。

 だが彼の破天荒さは今でも健在で、平日は売れっ子のエリートコンサルタント、土日はしがない探偵という異次元のスタイルをとっている。ちなみにコンサルも探偵も、胡散臭い職業のツートップである。


「僕たち、週末探偵!お仕事欲しい~ゼーット!」

「急になんですか?その、どこぞのアイドルみたいなキャッチフレーズは…。それに俺は平日も働いてますよ」


 台風が明けた翌日。

 守は環に呼ばれ、エドガーに来ていた。

 エドガーは目黒の住宅街にあり、そこは環の持ち家でもある。

 彼は元々マンション暮らしだったのだが、探偵事務所を構えるにあたり、どうせなら家と事務所を一緒にしてしまおうと、この土地と家を一括で購入したのだそうだ。

 それもこれも、彼の行動力と経済力の賜物たまものである。だって、こんな一等地と豪邸だ。その値段を恐ろしくて聞けない。おそらく一生、聞くことはない。

「会いに行ける探偵!の方が良かったかな?」

「どこも普通に会えます。会えない探偵とかめっちゃ凄腕の探偵か、めっちゃ胡散臭いかの二択ですよ。ちなみにうちは、紛うことなき後者です」

「東 環、32歳。まだ誰のものでもありません」

「あなたバツ2でしょ?!自覚してます?」

「僕のことは嫌いでも、エドガーのことは嫌いにならないで下さい!」

「はーい、残念でしたー!あなたとエドガーの評価は一心同体です〜!ってか、いい加減アイドルから離れなさいよ!」

「えーノリが悪いなぁー。お気に召さなかったかな?」

 ニコニコと笑う環の声が室内を満たす。

 彼は一見、こんなにもふざけた大人だが、人脈は広く人望も厚い。夏場でもスーツを爽やかに着こなし、仕事もきっちりこなすその様は、非常に悔しいが尊敬に値する。

 しかも生まれは、京都にある老舗しにせ呉服店のお坊ちゃんらしい。それを裏付けるように、彼の普段の何気ない所作からは、良いところの生まれ感がヒシヒシと伝わってくる。

「だから僕はスーツだけじゃなくて、和服も似合うよ」

 そう言って唐突に渡された彼の和服姿の写真。それを見た時には、あまりの似合様にあいように怒りすら覚えた事がある。

 高身長、高収入、頭脳明晰な由緒正しきイケメン。

 神は人に二物を与えずと言うが、あれは絶対に嘘だと思う。

 仮に嘘で無いのだとすれば、それは彼が人間ではないのか……、なんてな。

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