第5怪 天狗と夏と、あの日の思い出
5-1 感動
「もう疲れたよ…」
そこは夜明け前のとある大聖堂。
壁に飾られた大きな絵画の前で、力尽き倒れる少年と老犬。
「なんだかとても眠たいんだ…」
辺りはシンと静まり返り、ただただ冷たい、真冬の闇夜が広がっている。
やがて空からはいく筋もの光が降り注ぎ、天使たちが舞い降りてくる。天使は少年と老犬の手を取ると、優しく天へと
こうして彼らは、安らかな眠りにつくのだった。
「ぐっううっ、苦し…っ」
そしてこちらでも、限界を迎える一人の青年。
「息しろ!ほら深呼吸!」
「大丈夫?お水飲む?」
「ほら、まずはこれで拭いて!」
「うっ、ずみまぜん。ううッ」
その青年こと御国守は、目からも鼻からも流れ出る水分を、渡されたタオルで豪快に拭い取る。それでも次々と溢れ出すそれらに、もはや呼吸すらままならない。
このままでは水分を失いすぎてミイラになってしまいそうだ。その前に酸欠だろうか。
早く対処しなければ、先日出会った
だがそれよりも早く、物語はエンディングを迎える。
「うあー、大丈夫、持ち堪えました!」
こうして無事に、天使に連れていかれた少年と大型犬を見送った守は、しばらくして、ようやく平静を取り戻した。
守は自分を支えてくれた彼らにペコリと頭を下げる。その姿に、妖怪トリオはそっと安堵するのだった。
これは本当に、何度見ても号泣必至な物語だと思う。
…さっきから、一体なんの話をしているのか?それは、『世界的名作アニメ』の話である。
守がこの作品と初めて出会ったのは、小学校に上がって間もない頃のことだった。当時の守は、この感動的なラストシーンを見て、「何で天使は裸なのか?」という疑問に意識の全てを持っていかれた。よってその時、涙は一滴たりとも出なかった。
だが年を重ね、内容に集中できるようになってからは、守の涙腺は崩壊の一途を辿っている。それはこの日も例外ではなく、最終話の放送を見た守は、まるでこの世の終わりでも訪れたかのように泣いた。
それにしても、この物語で涙の『な』の字もみせないとは何事だろう。
妖怪と人間とでは、涙腺の造りが違うのだろうか?
「…これ見て泣かないなんて、みなさんが妖怪だってことを改めて実感しましたよ!」
「あ?」
「血の涙もないとは、こーゆう事を言うんですね!妖怪には号泣必至なものとか無いんですか?!」
この驚きの事実に、守は冗談半分にそう呟く。すると天は、こちらも驚きだとばかりにコテンと首を傾けた。
「…血ですか?いくら妖怪といえど、血は流れていますよ。そういえば先程、ちょうど出たんでした。料理中に指を切ってしまったので…見ますか?」
そう言いながら、ベストタイミングだとばかりに指の絆創膏を剥がそうとする天。
それを守は慌てて静止した。
「み、見せなくていいです!てか切ったの?!大丈夫?」
あんな自分の戯言に、まさか本気のレスポンスをされるとは思わなかった。だがそれよりも、スーパー家政夫の天様が怪我をするとも思わなかった。
これぞ河童の川流れだ。…天狗だけど。
「涙も出るよ、見たい?水分の無駄遣いだけど?」
「いえ、マジで結構ですすみませんでした!」
するとこちらも、守の服をクイクイと掴みながら、律儀に返事をしてくる水。
だが守はその申し出を瞬時に断った。
『
これは彼らとの同居生活開始後、守が一番に学んだ事である。
現に今も、彼の目は全く笑っていない。
そんな守の背後では、藤が何やら思案顔をしている。
「…号泣なぁ…」
それから何かを閃いたのか、バッと顔を上げるとこう言った。
「俺らが号泣するって言ったら、あれだよな?」
それを受けた天と水は、藤の言わんとする事を理解したのか、それぞれ嬉々として声を上げる。
「あれですね!」
「あれしかないよね!」
「ん?どれですか?」
そして一人、安定の置いてけぼりをくらう守。
そんな守をよそに、彼らは顔を見合わせると、きれいに揃ってこう言った。
「「チャッキー・チェン!」」
「……?」
それを聞いた瞬間、守の頭には『ホワチャー!』という掛け声を上げる、
「…それってカンフーの人ですか?横に黒いラインの入った、黄色い全身タイツみたいなの着てる…?」
「それはジャッキー・チェンだね!」
「惜しいですね。…ちなみに、その服の特徴は『ブルースリー』かと」
「あれ?カンフーじゃない?」
すると二人からそれそれ違う名前が登場し、守の頭に疑問符が増える。
「いえ、どちらもカンフーをする方ですよ」
「似てるもんね!どっちも一緒だよ!」
「ええ、
「そっか!じゃあ全部カンフーって事だね!」
「掛け声もだいたい一緒だからな。『アチョー』か『ホアチャー』の違いだし、カンフーだな!……とかどうでもいいんだよ!何の話してんだお前ら!?」
『全部カンフー』という結論でまとまりかけていると、藤が華麗に突っ込みを入れてきた。彼はノリツッコミも出来るらしい。
「黙って聞いてりゃ話広げやがって!どっちでもねーんだよ!そもそもカンフー関係ねーからな!俺らが言ってんのは『ジャッキー』でも『リー』でもねぇ!『チャッキー・チェン』だ!」
「……ほう?」
無関係ついでに、もう一つ言わせてもらいたい。
ずっと『ブルー・スリー』だと思っていたけれど、正確には『ブルース・リー』のようだ。藤による謎のリー呼びのおかげで知ることができた。
さて、守がひとつ賢くなったところで、話を元に戻そう。
「えーと、じゃあチャッキー・チェンとは…?」
今の会話の中で、守のチャッキー・チェンに対する謎は深まるばかりである。
すると天が重要な情報を教えてくれる。
「チャッキー・チェンは、一般的には『殺人鬼が乗り移った人形』として有名ですよ」
「人形!」
なるほど。
それを聞いてピンと来た。
「なんだ、それなら知ってますよ!『チャッキー人形』でしょ?包丁持って追いかけてくるやつ!…あ、てことはもしかして、号泣って怖い方のやつですか?そうじゃなくて、俺が言ってるのは感動的な意味での号泣ですよ!」
確かに号泣必至なものとは言ったが、感動による涙と恐怖からくるそれとでは、涙の意味合いがまるで違う。
「だから、感動だろ?」
「…え、感動なの?」
だが守の想像とは異なり、藤は初めから、守の要求通りのものを提示していたらしい。
しかしチャッキー人形と言えば、アメリカンホラーの代名詞とも言える作品のキャラクターだ。感動とは到底、結びつきそうも無い。
「あれはヤバい。絶対泣く!」
「うん。感動しすぎて僕、何度見ても泣いちゃうもん。思い出すだけで、もうすでに泣きそう…」
そして藤だけでなく、水も感動だと語る。
「守、ここは百聞は一見にしかず、ですよ」
「…ほう?」
けれど未だに疑いの色を見せる守に、天はにこやかにそう言った。
話を聞くだけで『一見』と言えるのかどうかは定かではないが、そんなツッコミを入れる間も無く、あれよあれよと話を聞く流れとなった。
「妖怪の界隈では有名な話ですが、あれは1988年、アメリカでの出来事です」
そしてそう前置きをすると、天は子供に絵本の読み聞かせをするような、優しい口調で語り始める。
守は話を聞きやすいように、ローソファーに腰を落とす。すると守を挟むように、両隣には水と藤が座ってきた。少し狭い。
そんな両脇の二人は、ちょこんと体育座りをしており、その表情からはワクワクが抑えきれずに飛び出している。
「これはとある家庭の、父と娘の物語です」
天はパチンと一つ指を鳴らす。
するとそれを合図に、辺りには薄いモヤが立ち込めてくる。そしてだんだんと視界が白に包まれ、それが晴れる頃には景色が変わっていた。
この、勝手に回想に入ってゆく感じには覚えがある。先日回収したハードボイルド小動物こと、「かまいたち」がやっていた手法だ。妖怪は皆、この技が使えるのだろうか。
そんな指パッチン回想(守命名)の効果で、先程までアパートの一室だったここが、今では天井の高い、アメリカンなオシャレハウスへと変貌を遂げている。きっと今、外に出れば白のウッドデッキと、広い芝生のガーデンがあるだろう。
こうして抜群の雰囲気を携えて、チャッキーの物語はスタートした。
「とある街に、父と娘がおりました。
最愛の妻と他界した父は、男手ひとつで娘を懸命に育てています。当時まだ幼かった娘は、父の愛情を一身に受け、すくすくと成長していきました。
そんなある日の事です。
父は夜中に目が覚めました。すると隣の部屋から、最愛の娘の泣き声がするではありませんか。
この時、父は思いました。
『母親を失った悲しみは、どれほど時が経とうと、決して忘れることは出来ないのだ』と。
その日を境に、父は娘の悲しみを少しでも紛らわせようと、彼女の望むことを何でも叶えてあげようと決意しました」
「パパこれが食べたい」
「いいともー」
「パパあれが欲しい」
「いいともー」
「お昼休みは」
「ウキウキウォッチング!」
するとその時、隣にいたはずの水と藤が急に立ち上がった。
そして天の隣に並んだかと思うと、突如として小芝居が始まった。おそらく父親役が藤で、娘役が水なのだろう。
なるほど、これなら間違いなく『一見』になりそうだ。
天はこれを想定していたのか、優しい声音で物語を続ける。
「ある日父は、娘のために人形を買いました。そう、それこそが『チャッキー』です。
しかし娘は、チャッキーを一目見て捨ててしまいました」
「全然可愛くない!こんな人形を買う暇があるなら、南アルプスにでも行って名水を買ってきなさいよね!」
「チャッキー!!」
確かにあれは、可愛いという類の人形ではなかった気がする。だがそれを考慮しても、後半は明らかに水のアドリブだろう。
「可哀想に…お前に罪はない」
「そんな人形を不憫に思った父は、捨てられた人形をゴミ箱から拾い上げると、大切に自分の部屋に飾ることにしました。
その後、わがまま放題に育った娘は反抗期を迎え、分かりやすくグレていきました。誰もが認める不良少女の完成です。
そんな彼女は、夜中に家を飛び出しては、帰ってこないこともしばしば…」
ここで守は思った。
怒ったチャッキーが、ナイフを持って娘を迎えに行くのだと。その展開ならば、自分が知っているチャッキーと合致してくる。
「そして事件は起こります」
ほら!
「ただいまー!」
違かった!
娘普通に帰ってきちゃった。だがちゃんと挨拶したのは偉いと思う。
「娘は家に帰ると、虫の居所が悪いのか、さっそく父に八つ当たりをはじめました」
「おかえり…どうしたんだ!やめなさい!」
「特にどうもしてない!えい!やー!ホアチャー!」
「娘は父の部屋へ入ると、手当たり次第に掴んだものをちぎっては投げ、ちぎっては投げ…その動きは、カンフー少女も顔負けの俊敏さでした。
やがてその手はチャッキーに向かい、全力で投げ飛ばされてしまいます」
「チャッキー!!」
「父の叫びが轟きます。
それに既視感を覚えた娘はふと、床に転がるチャッキーに視線を向けました。すると、目が合ったのです」
「この人形……」
「それはかつて幼い頃に、父から貰った人形だと、彼女は気が付きました」
「パパ…」
「娘…」
「そして同時に、幼いころからずっと変わらず、愛し続けてくれる父親の存在にも気付きます」
「パパ…!」
「娘…!」
「やがて娘は、裂けてしまった人形を優しく拾い上げると、たまたま手に持って振り回していた『
これまでに出来てしまった、父と娘の溝をも繋ぎ合わせるように。
こうして生まれたのが…」
「「チャッキー・チェンです!」」
最後は三人の声が見事に重なり、物語は大団円を迎えた。
「いやチャッキー・チェーンじゃん…」
そんな守の的確なツッコミが響く中、彼らはアカデミー賞を受賞した名俳優の如く、互いに互いを称賛している。
終いには、肩を取り合い涙まで見せた。仲良しかよ。
こうしている間に、部屋はすっかり、いつものアパートに元通りだ。
あれ…うちの天井ってこんなに低かったかな…?
「チャッキー…
「何度聞いても涙がちょちょぎれるぜ!」
「ぴえん超えてぱおんだね!」
実際に話を聞いて思ったが、守には感動するポイントがいまいち分からなかった。むしろ、ラストの名場面らしきところで、父が娘のことを「娘…」と呼んでいることが地味に引っかかった。
だが彼らの涙腺には、ピンポイントで刺さっている事が見て取れる。本当に妖怪と人間とでは、感動のポイントが違うらしい。
というかスルーしかけたが、三人とも
もはや違う言語に聞こえてくる。
そんな事を冷静に考えていると、パチリと水と目が合った。
「…あれ?何で守は泣いてないの?水分無くなっちゃったの?」
それに乗じて、藤も怪訝な視線を向けてくる。
「…うわー、マジか。お前鬼かよ?心ってもんがねーのか?!」
「すごい言われようだ…」
そしてあろう事か、水に水分の心配をされ、鬼に鬼だと罵られた。だがなんと言われようが、守はチャッキーにそこまでの思い入れはない。それに、感動といえばやはり『フランダース』だろう。『ハチ公』でも『南極物語』でも泣ける。
意図せず全て犬が関係しているが、決して犬が好きだからという理由では無い。…と思う。
そんな守に対して、さながら犬の如くキャンキャン噛みついてくる二人を置いて、守は天とバイトへ向かう事にした。
一体、なんだったんだこの時間は…
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