3-2 突風




「今日はエドガーには寄らないで、直接依頼元に行きますよ!」

「おう、『臨場りんじょう』だな!初動捜査しょどうそうさは任せろ!」

「はいはい何言ってんですか……って、あちょっと!?先に行かないでください!こら!」

 出発早々、さっそく暴走を始める藤。

 依頼の前から気力、体力共に削られてゆく守だが、何とか無事に依頼人との待ち合わせ場所へとやってきた。

 だがここで、更に厄介な状況となる。なぜなら今回の依頼人というのが…


「初めまして、佐々木ささきまりのと申します。今日はよろしくお願いします!」

 25歳、アパレル店勤務、明るい茶髪の華やかな女性。

 彼女の名前は佐々木まりの。

 一見何の変哲もないこの名前…

 だが何を隠そう、藤の大好きな刑事ドラマ、『科捜研の乙女』の主人公の名前もまた、佐々木マリノなのである。

 奇しくも同姓同名の彼女からの依頼に、守は内心、頭を抱えていた。

「初めまして。捜査一課の…ゴホン、探偵事務所エドガーの御国です。こっちは助手の赤尾です」

「マリノさん!聞いたか守?マリノさんだ!マリノさん?!マリノさん!!」

「佐々木さんとお呼びしてください!」

 彼史上最高の笑顔(当社比)を浮かべ、依頼人である佐々木の手を握る藤。

 一方で、初対面の男にいきなりファーストネームを連呼され、あまつさえ手まで握られた佐々木。もちろん動揺していたが、相手がキラッキラのイケメンであることに気が付くと、途端に彼女の頬は赤く染まる。そしてしまいには、違った意味での動揺を見せ始めた。

 その一連の流れを、「そうなりますよね…」と俯瞰ふかんして眺める守。

 だがあくまで、自分たちは依頼人と請負うけおい人の関係だ。あまり馴れ馴れしく接するのは失礼である。

 そう思うと、守は浮かれるイケメンを落ち着かせようと、彼の脇腹をひじで小突いた。

「ぐふっ」

 すると倍返しだと言わんばかりに、彼の拳が守の鳩尾みぞおちに返ってくる。よって信じ難い事実だが、今のうめき声は守の口から出たものだ。

 守はとんだとばっちりを受けた可哀想な腹をさすりつつ、立ち話も何だからと、近くのチェーン店である喫茶店に移動することにした。


 クリームソーダ

 アイスココア

 アイスコーヒー


 店に入り、案内された席に座ると、それぞれ好みの飲み物を注文した。冷房の効いた快適な店内には、今は数組のお客さんしかいない。物静かな落ち着いた雰囲気で、とても居心地が良い。

「それでは改めまして、本日はご依頼ありがとうございます。早速お話を伺ってもよろしいでしょうか?」

「は、はい……!…その……」

 対して佐々木は、緊張からか、はたまた目前にいるイケメンのせいか、上手く話を切り出せないでいる。その沈黙が、店内のBGMをより引き立たせていた。

「失礼します」

 そんな膠着こうちゃく状態の中、店員がドリンクを運んでくる。すると男二人の前に置かれたのは、ソフトクリームの乗った可愛らしいそれ。おまけに真っ赤なさくらんぼ付き。

「……」

 守の目前にやってきた、緊張感  皆無かいむのドリンク。それは依頼中というTPO的に、ギリギリアウトなポップさである。

 やってしまった感が否めない。

 だが『後悔先に立たず』というくらいだ、今更どうすることもできない。

 守はチラリと、隣に座る藤の顔色を伺ってみる。すると彼の表情にも、「ドリンクの選択をミスりました」という文字が浮かんでいた。こういう所は意外と常識人なのだ。そんな藤の間抜けな一面に、少しだけ親近感を覚えたのは内緒である。

「…ふふ、甘いものがお好きなんですね?」

 するとこの時、奇跡が起きた。

 意外にも、守たちの選択ミスが功を奏したのだ。

 彼女はクスッと笑顔を見せる。それにより緊張が解けたのか、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


「風に…付きまとわれているんです」


 それは不思議な話だった。

 最初に彼女が違和感を覚えたのは、一週間程前の夜のこと。

 いつものように自身のアパートへ帰宅した彼女は、荷物を置くと、そのまま倒れ込むようにお気に入りのソファーに腰を落とした。目をつむり、しばらくソファーと一体化する。

 するとその時。

 ブワッと顔に風が当たり、彼女の長い髪をなびかせたという。

 その日は雨が降っており、部屋の窓はすべて閉め切っていた。帰宅したばかりで、エアコンや扇風機、換気扇といった、風が発生しそうなものはいずれも付けていない。不思議に思った彼女だが、仕事の疲れも溜まっており、その時は気のせいだと思ったという。

 だがそれを皮切りに、彼女はその『不思議な風』に悩まされる事となる。

 通勤中の電車内でスカートがふわりとまくれたり、部屋のアロマキャンドルの火が勝手に消えたり、写真を撮っても自分の髪だけなびいていたり…

 極め付けには、部屋干ししている洗濯物が、あっという間に乾いた時には目を疑ったという。これはさすがに「気のせい」で済まされる話ではない。雨が続いていたので、正直助かる、という気持ちも多少なりとも存在する。だがそうはいっても、理由が分からなければ気味が悪い。

 ちなみに洗髪せんぱつ後も、今ではドライヤーは必要なく、もっぱら自然乾燥で済んでしまうのだとか。


「…という事がありまして…、すみません。こんなことを相談されても困りますよね…?別に怪我をしたとか、物が壊れたとかでは無くて、これといった被害はないんです。…むしろ、助かることのが多いくらいで…

 でもやっぱり、怖いんです…!事故物件とか心霊現象とか、そういう霊的な感じだったら嫌じゃないですか?!

 なので一応、不動産屋には確認してみたんです。でも事故物件になるような事は無いとのことでした。…確かに、部屋だけじゃなくて、職場でも移動中でも起こりますし…。

 それなら一体、原因は何なのでしょうか?

 おかしな話だし、誰にも相談できなくて、ずっと悩んでいました。…そんな時にふと、エドガーさんの事が頭に浮かんだんです。

『何でもやります!』と大きく書かれたホームページを、前に見た事があったので…」

 そう語る彼女は、長い髪を一つにきつく束ねており、服装もタイトなパンツスタイルである。意図しているかは定かではないが、風が吹いても差し障りの無い格好を選んでいるのだろう。

 彼女は「被害はない」と言ってはいたが、それだけでも十分に被害が出ているように思う。

 そんな彼女に対し、守は申し訳なさでいっぱいになる。なぜならこれは間違いなく、自分の逃した百鬼が関係しているのだから。

「その風の原因、必ず突き止めます!」

 彼女に悪戯をしている妖怪を回収し、一刻も早く彼女に平穏を取り戻してあげたい。そう思った守は、張り切って声を上げると、藤に視線を向ける。

 他力本願で実に申し訳ないが、妖怪が見えない自分には、現時点では解決の糸口がまるで見つからない。

「じゃあ藤さん!……藤さん?聞いてます?」

 それ故に、解決には藤の協力が必要不可欠である。ここは潔く、彼の指示に従おうと思った。

 だが藤は、話の内容には興味が無かったのか、佐々木から視線を外して遠くを見つめていた。

 先程までの熱量はどこへやら。あの熱意を、今こそ発揮してもらいたいものだ。しかし守の呼びかけにも応じず、藤は尚も何処かをじっと見つめていた。

 その先に何があるのだろうか…?

 気になった守は、彼と同じ場所に視線を向けた。

 その時だった。

「うわっ、びっくりした!」

 守が視線を移すのと同時に、守の顔にビュンっと風が吹き付けてきた。

「…え?」

 それを見ていた佐々木も、あまりの唐突さに驚きを隠せないでいる。

 守は確認のため、辺りを見回してみる。

 店内は空調を効かせるため、窓はもちろんすべて閉まっている。来店した者も、席を立っている客もいない。故に、こんな突風が起こるはずが無かった。にもかかわらず、吹き抜けた風。

 なるほど。

 佐々木は日頃から、このような風に狙われているのだろう。では何故、今は彼女ではなく、自分の方へ向かって来たのだろうか?彼女の近くにいたから、たまたま的がズレてしまっただけだろうか?

 その理由は定かではないが、いずれにせよ、この場に妖怪がいる事は間違いないだろう。ならば藤には、その正体が見えているはずだ。

 そう思うと、守は居ても立っても居られずに声を上げた。

「藤さ「おい、黙って見てればよぉ…」

 だがその声は、タイミング良く重なった藤の声に掻き消された。そして彼は、気怠げにゆっくりと立ち上がる。その表情には、わずかだが殺気を帯びているように感じた。

「誰の了承があってこんな事してんだ?」

「……え、藤さん?怒ってる?なんで?」

「ちょっと来い」

 そして藤はそう言うや否や、守の首根っこを掴んで店外に向かって歩き始めた。

「え?ちょっ、どこへ?すみませんすぐ戻ります!ぐえっ、苦しい!?」

 突然の藤の奇行。

 その行動の意図が分からないながらも、守は大人しく連行されてゆく。その間、佐々木が呆然とこちらの様子を伺っているのが見てとれ、守は必死にペコペコと頭を下げるのだった。

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